小金井 サッカースクール A.C.Fonte

小学校1年生から3年生がメインで楽しく開催しています!これから始めたい!上手になりたい!そんな子待ってます♪

独り言:一年間お世話になりました。

2010-12-31 19:48:14 | 独り言



今年一年は、全く所在の分からない私を信頼して頂き、口コミやチラシ、名刺、説明会資料、練習試合、各イベントへのご協力があってこその一年でした。


今でこそ、Fonteは~とか、コーチは~など自信を持って話が出来るようになりました。来年からまた新しい目標があります。そして2011年の一年は私にとって本当にハードな一年になるとみていますので、宜しくお願い致します。


短いですが、今年の感謝の気持ちをここに書き、来年が皆様にとって躍進の一年でありますように。


では、よいお年を~♪

独り言:選手へ

2010-12-29 20:32:54 | 独り言
冬休み。


とのコーチも小学生の頃は「遊ぶ為の冬休み」でした。でも、中学校になってブラジル帰りの先輩と出会ってから変わりました。


「差をつける為の冬休み」


明日、とのは青森に帰りますが雪がかなり凄いと聞いています。それでも中学校からブラジル行くまでは雪道でも走ったり、雪の上を固めて公園でなんとか自主練習していました。初心に帰り、自主練習してきます。今とのコーチは過去の自分に申し訳なく思いもう一度選手を目指すつもりで体を鍛え、君達選手と向き合っています。過去の自分から見たらがっかりです。まさかコーチかよ?と。俺、今ヨーロッパ行って日本代表じゃねぇの?って。怒られてます。



東京は雪が滅多に積もりませんね。青森出身の僕から言えば東京の「積もった!」は「え?」というレベルです。そして毎日、不自由なくボールが蹴れます。この時点で青森でプロを目指すの事にハンデがあるのです。私は言い訳でなく現実問題と考えています。そう、君達はボールを春夏秋冬当たり前に蹴れるという事がどれほど幸せか気付いていない。


皆が遊んでいる時、ごろごろしている時、君がボールを蹴ったらどうなる?ラダーをしたらどうなる?下手くそで足が遅かった僕はその言葉にワクワクして自主練習を始めました。もっと早く、これが分かっていたら!とも感じています。小学生でこれに気づけたならまだ間に合う。明日から、「差をつける為の冬休み」にしよう。


ボールを蹴る前に時計を見よう。何時何分から始めて、何時何分に終わったか?それを毎日ノートに書こう。そして厳しく書こう。自分にだけは嘘をつかないで。嘘をつかない為に「ボールペン」で明日からノートに書こう。えんぴつ、シャーペンは書きなおせるから。人生は書き直せないからね。重いか(笑)


ただ、蹴るのではなく、「冬休みを終えた時、どんな自分になっているか」を書いた上で自主練習に取り組みましょう。目標設定が必須です。


ドリブルがめちゃめちゃ上手くなっている俺。とか
リフティングがやばい俺。とか


そしてそこから、そうなる為に、を具体的に順番を書いていきましょう。

ドリブルがめちゃめちゃ上手い。という事はメッシみたいな感じ。ということは早くドリブルする。という事はメッシはどういう風にドリブルしているのかを見る。ツタヤに行く、ビデオを借りる。見る。早いけどタッチが細かい。


という自主練習の前に「ツタヤに行く」という目標が生まれました。まずは自分で最後まで書いて、お父さんお母さんに詰め直してもらおう。



出来る人は、で大丈夫です♪とのは青森でストイックにトレーニングしてきます!

独り言:サッカーの目的

2010-12-29 20:02:53 | 独り言
確かに、今プロになっている選手と試合をしてきたという経験を持っているのがコーチってあんまりないよなぁ、と。私なんかそんな経験、最近ですからね。その上本気での試合でもないですし。


また、そういう理屈を教えるコーチングもないよなぁ、と。私自身そういう自負があります。ただサッカーを教えるにしても、じゃぁサッカーってどんなスポーツなの?何の為に?それを遂行する為の技術であって、とか言ってくれる人は少ないハズ。雑誌にのっている話題が、日本人は練習は上手いが試合では活きない。という結構前からの話題のループ。練習内容が目的と合っていないという原因が分かりながら、基礎が大事!の一言で練習の為の練習になってしまっている。


では何の為の基礎なのか?を検討しなければならないのに。


私の簡単な解釈なので否定の意見もあって当然です。また、サッカーに答えがないというのもそうです。だからオランダだっけ?サッカーバイブルを読みたいですね。



サッカーとは?

ゴールを多く決めたチームが勝つ。という単純明快なスポーツ。そしてその目的=ゴールを奪う、という事は変わらない。ハズである。


しかし、選手に「ドリブル」という技を教える。そしてある時、「何の為にドリブルしているの?」と聞く。「人を抜く為」という答えが返ってくる。


違う。それはサッカーの本質を理解していない事になる。上記で述べたように「目的」は変わらない。ハズであるのだ。


次に、「パス」という技を教える。そして同じように「何の為に?」と聞く。「パスする為」と言う。ルックアップ、オーバーラップ、ワンツー、攻撃戦術のどれを教えても、その「一つの技術を達成する為」になってしまう。違う。全てゴールにつながっていなければならないのだ。そしてチームで点を取るという構想があるから、サイドでシュートを打てないから中にいるあいつにパスしてそいつがシュート!ではなくそいつがシュートを打つ為に今ドリブル突破してパスという考えになっていかなければならない。チームメイトは言わば自分の分身なのだ。皆、共通の目的を持ってそこにいるのだから。


私が青森で習ってきたのはサッカーではなく、球蹴りでしかなかった。だからこそ、この本質、知らなかった戦術、セオリー、目標達成の為の順序など今ある知識を全て還元したい。そしてすぐにでも私を超えて頂きたい。その知識を持った上でサッカーが出来るなら私はプロになれると信じています。まだまだ伝えていない事、多いです。



Fonte:選手としてプレーをする

2010-12-29 19:21:11 | 活動内容 2010.2~2015.11
今年最後の練習。という事をもっと意識して練習に取り組んでほしかったかな。


5分間のリフティング。私自身、ちらちらっとしか見れていないせいもあり選手達にリフティングの大事さが伝わっていないのかな、とう反省点がある事に気付きました。そういえば、リフティングの技とか見せていないな、と。そしてその凄さを知る事によって基本が大事という事を伝えられていないのだな、と。


ドリブル。ここでも次ターンする為の、ジグザグドリブルに入る為のタッチを考えてボールコントロールをしておらず、そのコツを教えられていないという反省点。何気なくプレーしている理屈を改めて言葉にする事は結構重要なんですよね。「あ、そっか」みたいな感覚、結構ゴールデンエイジならではかな。


2対2。3年生は2対1。


やはりこの2対1は伝える事が非常に多く、再度伝える順序を詰めなおして3年生からしっかりと全て伝えられるように、含まれている要素をピックアップしてコーチングに入るべきと反省。今日は感覚的な事を上手く伝えられました。少し笑ってしまったのが「よーいスタート」はオンザボールが決めれるのがサッカー、という話。


ゴールに向かって片方がゴールに背を向け、もう片方はがゴール向き。合図したら有利なのは?という問いに単に「足の速さ」でゴールに背を向けた選手が「はい」と。一回目はよく理解していなくこちらの説明通り行きました。「じゃぁ次ボクね!」とはりきってよーいスタートしたのがその中では足は遅い子で、私が「スタート」と言ったら、ビュンと後ろ向きの2人があっという間にゴールへ・・・。張り切って言った子はものすごく「??」という顔で戻ってきました。でも「合図をするのはボール持ってる奴だからね」とフォローではなくその理由も付け加え説明しました。


そして、2対1。プレッシャーが来なければシュート、シュート打たれるというのはDFのミス、突っ込んでくるDFは抜きやすいというセオリー、そのタイミング、シュートコースの作り方、などなど色々と伝えましたが急にプレーが変わり見ているこちらも面白かったです。私的にこのゴールデンエイジは本当に好きですね。言葉の意味が分かる楽しさがダイレクトに表現してくれます。


そして、ゲーム前にチャレンジする意味をしっかりと伝えゲーム。最初はコーチ1人が入りました。中々明確な動きで4年生と対等に戦えていました。気付いていないシーンもありましたが、それもすぐに修正、あとは如何に早く出来るか否かの問題です。


そして、J1、J2と分けて4チームでのゲーム。5分6本。3年生は4人と1人少なかったので途中から2点のハンデ。そして、最後の2本は3点のハンデ。それが原因で優勝というちゃっかりな展開。しかし聞いていない、なんで?という意見ですっかりと悪い空気に(笑)あぁ、勝ちたいという気持ちがそうさせるならグッドだなぁ、と。でもそれがひねくれた意見になってしまわない事を祈るよ、とも感じました。負けを認める、というのも強さの表れでもあります。そして負けたくないが為に抗議してくるのは場合によってはナンセンスです。コーチは判定に対してそこまで屁理屈を言っていないつもりです。それはお互いに対等な条件でサッカーをしたいからです。


フィジカルやテクニックに差はあっても判定に差はありません。同じルール、ピッチの上でプレーしているという事を忘れているのでは?その場では言いませんでしたが、ジャッジに対して意見するのは私は好きではありません。確かに、Fonteのゲームにおいては正当な審判はいません。コーチは審判の資格はありますが、一人のプレーヤーとしてゲームに臨んでいます。同時に審判として、という気持ちもあるのでジャッジに対して厳しく向き合っています。ゴール判定が最近厳しいですが、選手に高いだ何だ言われて「はいはい、分かった、ノーゴールで良いよ」と言っている時はコーチ陣は「子供だから」という気持ちでいるでしょう。その時は選手として尊敬出来ずに、子供として向き合っていると思って下さい。要するに選手としては軽蔑しているということです。むしろ「良いよ、今のゴールで。取り返せばいいじゃん。」という気持ちであってほしいですね。だっていくらでもチャレンジ出来るのだから。


そして、最後に今日ジャッジに対して意見した選手は、チームに帰った時に仲間が審判の判定に意見していたら言いましょう。

「審判がいなきゃ試合出来ないんだから、判定に文句言うなよ!」と。


サッカーは選手が欠けても、監督がいなくても試合は出来ます。しかし審判がいなければ時間も何も判定出来ません。しかし、自分自身が判定に従える選手になってからでなければその発言をする権利すらないと思って下さい。



ミーティングの事はこの後、独り言で語ります♪


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