
埼玉大学名誉教授・長谷川三千子 時代が安倍氏に追いついてきた サンケイ正論
2012.10.3 [安倍晋三]
しかしそれにしても、さらに一層の屈辱を覚悟のうへで、敢へてもう一度、いばらの道への再挑戦を安倍元首相に決意させたのは、いつたい何だつたのだらうか?
それを教へてくれるのが、小川榮太郎氏の近著『約束の日--安倍晋三試論』である。これは一口に言へば、安倍晋三といふ人間にとことん惚れ込んだ著者が、そのことを自覚のうへで徹底して客観的に安倍政権の1年間を検証しようとした《検証本》である。
その検証からうかび上つてくるのは、当時、安倍政権のかかげた「戦後レジームからの脱却」といふスローガンが、実はいかに壮大な日本再生の大事業だつたのか、といふことである。それは、単なる公務員制度改革、教育改革といつた個別の改革ではなく、それらすべてを通じて、敗戦後の日本の心身をしばりつけてきた束縛を断ち切らう、それによつて誇りある自立国家としての日本を取り戻さう、といふことだつたのである。
≪永田町でも何かが動き始めた≫
ただし、6年前に安倍政権がこの大目標をかかげ示したときは、そのことの必要性はまだ国民のあひだで切実に感じられてはゐなかつた。安倍政権の挫折は、この検証本が語るとほり、メディア・テロによつてもたらされたと言ふべきものであるが、別の一面では、当時の安倍首相は早く来すぎた首相だつたのだとも言へる。
いまでは、日本の直面するさまざまの危機を克服するのに、単なる対症療法では解決にならないこと、敗戦後の日本をしばりつづけてきた枠組みを根本から見直し、つくりかへることなしには日本の再生はありえないこと--かうしたことが誰の目にも明らかになつてきてゐる。世の中がやうやく安倍氏に追ひついたのである。
今回の自民党総裁選のあひだ、党本部には大きな字で「日本を、取り戻す」と記したポスターがかかげられてゐた。安倍陣営のポスターではない。党全体のポスターである。このポスターのもとでの選挙戦で、まさにこのことのために自らの生命をも危くした先駆者である安倍候補が当選したのは「不思議」どころか当然のことであらう。
ただ、その当然のことがあの生ぐさい権力闘争の渦巻く永田町で起つたといふことは、やはり「小さな奇蹟」と言つてよいかも知れない。自民党も変つた。何かが確実に動き始めてゐるのだと思ふ。(はせがわ みちこ)