昨年は、戦後70年の節目の年の1年前に当たる。そこで、昨年の8月にも戦争に関わる記事をいろいろと書いた。今振り返って見ても、その時に考えた想いは変わっていない事に気付かされる。
↑ 散歩コースの空き地に咲いていた朝顔
明日最終日となる盆踊り大会のやぐらの最上部には、平和の祈りの灯りが燈る。 ↑
昨年9月半ば、(ブログ管理元の事情により)ocnブログから現在のgooブログに過去の記事を全て移管することになったが、100%満足できるレベルには至らなかった。結局昨年8月以前の300以上の記事はバックナンバーからアクセスすると、不完全な部分がいろいろと目に付いたままである。
そこで、今回1年前の記事を再編集して、再構成して数回に分けて再掲載することにした。
ノーモア長崎・ノーモア広島 2014-08-09 13:09:38 | ニュース
原爆投下から69年、平和への願いは裏切り続けられている。今日は長崎の原爆の日。6日は広島の原爆の日だった。涙雨の中の広島の平和式典は、尊い命を失った人々の無念さを象徴している様に思えた。
今なお、イスラエルとパレスチナの戦争は終結することなく、罪の無い一般市民や多くの子供たちの命が失われている。
ウクライナ東部での紛争も出口 が見つからない。
イラク北部での緊迫した状況の中、2年前に撤退したアメリカ軍が、再び動き始めようとしている。
広島には平成5年に修学旅行で訪問した。原爆ドームを見学し、様々な遺品を目の当たりにした記憶は今でも脳裏に焼き付いている。
長崎には平成10年か11年に職場の旅行で出かけた。平和記念像の大きな造形がどっしりと構え、静かな眼差しで戦争の無い平和な世界の実現を訴えかけている姿が、強く印象に残っている。
いつの日か再び、広島と長崎を訪問してみたい。沖縄にも一度は行ってみたいと考えている。
米沢の市街地から白布温泉方面に向かう南原地内の県道の右に、7~8mの巨大なお鷹ぽっぽのモニュメントがあり、笹野観音の参道入り口で観光客を出迎えてくれる。数年に一度ペンキを塗り替えるので、その直後は一刀彫の木製のお鷹ぽっぽと見間違う程である。本物を忠実に造形化した製作者には感心するばかりである。
東の空を眼光鋭く見ている姿にはとても気品があり、争い事の絶えない人間界にいつになったら平和な世界が訪れるのか、じっと見渡している様にも感じられる。
YOMIURI ONLINE記事より引用 2014年08月09日 11時36分
長崎は9日、69回目の「長崎原爆の日」を迎えた。
長崎市松山町の平和公園では、市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれ、参列した約5600人の被爆者や遺族らが犠牲者を悼んだ。田上富久市長は「長崎平和宣言」で、「憲法に込められた『戦争をしない』という誓いは、被爆国日本、被爆地長崎の原点」と強調。核兵器保有国などへ廃絶に向けた協議の場を設けるよう呼びかけ、日本政府には核兵器の非人道性を一番理解している国として国際社会でのリーダーシップを求めた。
式典は、各地の被爆者や遺族代表、安倍首相のほか、核保有国の米、仏、インドなどこれまでで最多となる48か国と欧州連合(EU)などの国際機関の代表が出席。米国のキャロライン・ケネディ駐日大使も、6日の広島原爆忌に続いて参列した。
原爆投下時刻の午前11時2分に「長崎の鐘」が鳴らされ、参列者全員で黙とうし、犠牲者の冥福を祈った。
田上市長は、平和宣言で、核廃絶運動を先導した山口仙二さん(昨年7月に死去)が1982年に行った国連演説の言葉を昨年に続いて引用し、「長崎は『ノーモア・ナガサキ』とともに『ノーモア・ウォー』と叫び続けてきた」と訴えた。来年の被爆70年までに「核兵器のない世界」の実現に向け、大きく前進することを期待した。
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