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みちのくの風の旅人

米沢・山形・東北の自然や文化を季節の便りとして届けています。

終戦の日を過ぎて(2:盆踊り )

2014-08-17 05:30:00 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg6017 終戦の日の15日と16日さらに20日の三日間、近くの熊野神社で盆踊り大会が40年以上前から毎年行われている。全国各地には様々な盆踊りがあり、されぞれ何百年以上前から続いているものもあるらしい。今は亡き先祖の霊に、今生きている人たちが元気で幸せに過ごしていることを歌と踊で伝え、慰めるのが盆踊りの起源となっているらしい。Cimg8035

 きのうの16日は送り盆、朝から昼過ぎまで断続的に強い雨が降った。しかし、夕方からはピタリと雨が止み、盆踊り2日目も賑やかに行われた。

 



Cimg8037 子供の頃、16日の夜は暗くなる頃に送り火を焚いた、13日に迎えた先祖の霊を再びお墓に帰すための儀式だった。13日の迎え盆から16日の送り盆まで、物心が付いた頃から大人になるまで、少しも変わらなかった。

Cimg8043  昭和40年代の高度経済成長の時代、急速に車が増え交通事故で毎年亡くなる人が、全国で1万人以上を越え、現在の2倍以上の人達が命を落としていた。当時交通戦争と形容されていた時代である。その様な時代背景の中で、熊野神社交通安全祈願盆踊り大会がスタートし、今年で46回目を迎えた。江戸時代やそれ以前に始まった盆踊りとは異なったいきさつで始まった盆踊りであるが、昔から米沢や置賜地域全般で踊られていた、盆踊りそのものである。

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終戦の日を過ぎて(1:無益な戦争 )

2014-08-16 13:15:47 | 日記・エッセイ・コラム

 日本の人口の80%以上が戦後生まれの人達になっている。自分自身も戦争時代の事は知らない。まして自分の子供達や孫は殆ど戦争の事に関心が無い。子供にはまだ生きている祖父母がいるいれば、貴重な話を聞くことが出来る。残された時間は少ない。
Cimg6015  シベリア抑留から帰国した伯父は90歳を超えたが、夫婦で元気に農作業をしている。捕虜になった当時、所属した日本の所属部隊のまとまりが良かったことと、ソ連軍の関係した部隊の運に恵まれて酷い扱いをあまり受けなかったという。多くの抑留者が過酷な労働と飢餓で再び故郷の土を踏むことが出来ず、6万人以上命を落とした。伯父にも辛い記憶があったはずだが、あまり語りたがらない。40年以上前に内臓の大手術をしているが、20代の頃の戦場やシベリアでの生活が、少なからず影響しているものと思う。

Cimg6014  無益な戦争を起こさないためには、アジアの周辺国である中国や韓国、北朝鮮、さらにロシアとの関係を良好に保つ以外の道は無い。一番大切なのは外交力であって、軍事力ではない。日本の政治家は、一部の声高な声に乗せられることなく、冷静に将来の日本のために行動してもらいたい。
 尖閣諸島の国有化の問題は、明らかな外交上の失敗に近いものである。中国の横暴さにも目に余るものが有るが、石原慎太郎元東京都知事の中国をいたずらに刺激する言論や行動によって、その後の中国国内の暴動で失われた損失は、計り知れない。その責任を政治家として何も取ろうとしない身勝手さには呆れるばかりであるが、都民の中には石原氏の支援者が沢山いるのだろう。日本の首都にそのような人たちが沢山いることが心配だが、こんな思いを抱くのは自分だけではないだろうと思う。

 ※ この数日のブログには、本文と無関係の写真を載せている。これらは6月末から7月初めにかけて訪れた、東尋坊や永平寺の写真である。ちなみに今日と明日は永平寺で撮影したもので、終戦の前の日のものは東尋坊である。

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終戦の日 ~戦争と平和~

2014-08-15 16:04:13 | 日記・エッセイ・コラム

 69年前日本の無条件降伏によって太平洋戦争は終結した。多くの軍人のみならず、沖縄での激しい戦いによる一般人、東京はじめ日本各地の空襲での犠牲者、広島と長崎の原爆の犠牲者、尊い命が失われた。2度と戦争をしてはならないと誓い69年、こらからも平和な日本を世界に発信続けなければならないと思う。
 そのためには、戦争の被害者としてばかりではなく、加害者としての側面を併せ持っていることを忘れてはならない。このことを履き違えると、近隣諸国に誤解と更なる反感を招きかねない。
 昨晩遅く、NHKスペシャル「少女たちの戦争」を見た(詳細は以下の記事の通り)。当時小学生だった人たちの、生の声にはとても説得力があった。子供たちの心に忍び寄る戦争の影。二度と戦争はしてはならない。

***** NHKスペシャルの記事を引用 *****

 少女たちの戦争   ~197枚の学級絵日誌~
      http://www.nhk.or.jp/special/detail/2014/0814/
 2014年8月14日(木) 午後10時00分~10時49

Thum_01

  滋賀県大津市に、太平洋戦争末期の1年間小学5年生の少女たちが書き続けた絵日誌が残っている。この絵日誌が今、銃後の戦争を知る貴重な資料として、海外の大学の研究者から注目を集めている。日誌が描かれ始めたのは昭和19年4月。「感じたことをそのまま書きなさい」と若いImg_01女性教師の指導の下、日々の学校生活や友人関係、家族のことが瑞々しく綴られた。 ところが秋を過ぎると、少女たちは感じたことを書けなくなっていく。町に次々と届く戦死者の報せ、出没する米軍機。他人の前では感情を押し殺し矛盾した行動を繰り返す大人たちの不可解な姿。ヒタヒタと迫ってくる戦争の影は、農村の小学校の1学級も覆っていく。
Img_02 

 今80歳を超える元少女たちは、日誌を書き始めて70年となる今年、改めて当時の自分たちの心の変化や大人たちの不可解な行動、そして教師が何故日誌を書かせたのか、関係者を辿って振り返ろうとしている。「自分たちの体験した戦争とは何だったのか」。彼女たちの戦争を見つめ直す軌跡に同行しながら、当時多くの地域が経験した戦争の実感・心の移ろいを見つめる。

 

 

 

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終戦の日を前にして(2:伯父たちの戦死 )

2014-08-14 20:41:36 | 日記・エッセイ・コラム

Cimg5984 私が生まれる8年前には、まだ戦争中だった。物心の付いた昭和30年代の前半は、まだまだ貧しい時代だった様に記憶している。ラジオが有っただけで、文明の利器と呼ばれる物は何も無かった。当時子供の頃、両親や祖母、伯父や伯母から戦争の事や、戦死した伯父の話を聞いた。祖父は戦死した息子の悲しみを抱きつつ、私が生まれる2年前に亡くなった。伯母達の夫も戦死している。不幸な戦争が無ければ伯父たちと会えたと思うと、運命Cimg5989を恨むしかない。

 

 36・37年前伯母がよく行く浦和の氷川神社に、朝の散歩に一緒に出掛けたのを、今でもよく覚えている。伯母は戦死した夫の慰霊のために毎日の様に訪れていた。

 

 自分の子供たちは、昭和から平成に変わる時代に生まれ、戦争の事は殆ど知らない。戦争の理不尽さを知らない人がますます多くなり、反戦・平和の運動も下火になりつつあり、若者は殆ど関心を示さない。今から40年以上前の高校生の頃「戦争を知らない子供たち」と言うフォークソングが流行した。今でもよく覚えている。

以下、Googleの検索記事を引用した。

戦争を知らない子供たち(ジローズ)の歌詞
 戦争が終わって 僕らは生まれた 戦争を知らずに 僕らは育った おとなになって 歩きはじめる 平和の歌を くちずさみながら 僕らの名前を 覚えてほしい 戦争を知らない 子供たちさ 若すぎるからと 許されな...

 
1970年に発表されたジローズ(第二次)のヒット曲。作詞は北山修、作曲は杉田二郎。 1971年2月5日にレコードが発売されるとオリコンチャート最高11位、196,000枚を売り上げるヒット曲となった。

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終戦の日を前にして(1:戦争の悲劇 )

2014-08-14 07:08:09 | 日記・エッセイ・コラム

 毎年この時期になると、太平洋戦争の特集番組が放送される。今なお広島と長崎の原爆の悲劇は終わる事無く、原爆を知らない2世・3世の人たちも、体に原爆の傷を負い苦しめられている。

Cimg5981  戦況が悪化し人間魚雷の製造に関わった91歳の人が重い口を開いた。今自分が生きている間に、どうしても伝えておきたいという、使命感からの行動だった。能登半島の珠洲市で市民を前に、戦争の悲劇を伝える姿がとても印象的だった。

2014年8月13日放送 5:00 - 6:30 NHK総合
NHKニュース おはよう日本 (リポート)

石川県珠洲で杭田忠三さんは戦争体験について語った。内容は人間魚雷「回天」携わった経験だった。杭打さんは戦争当時、広島の呉海軍工廠に見習いとして入り、訓練後に配属されたのは回天を運ぶ潜水艦の設計部門であった。金沢で会社を起こした杭田さんは当時の仲間が亡くなる中で回天について伝えようと考えたという。回天について思い出そうと石川県白川にいる、乗組員の三納寛のもとを訪れ話を伺った。そうして迎えた講演の日、杭田さんは回天について語り出した。

 シベリア抑留には多数の女性がいた事について、本人や姉妹のドキュメンタリーの番組もあった。筆舌を尽くし難いとしか、形容できない。二度と戦争は起こしてはならない、同じ不幸は2度と繰り返してはならないという、強い思いを戦争を知らない世代の人々に伝えておきたいと使命感から、辛い体験を話されていた。

 シベリア抑留者の苦難の歴史を掘り起こす、全国抑留者補償協議会の戦後の歩みと活動の中で、斎藤六郎会長(山形県出身 故人)の果たした役割の大きさを仲間たちが語っていた[参加者の高齢化により、協議会の役割と意義について一定の成果があったとして、平成23年に解散した。  

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お盆の朝 ~上杉神社・上杉家御廟所~

2014-08-13 10:32:47 | 日記・エッセイ・コラム

 上杉神社には、7時前にも拘わらず参拝する人たちがいた。お堀のは一番の見頃を迎え、花はもちろんのことの葉の水玉の透明感がとてもきれいだった。2羽のカモが蓮の間の水面でエサを探して泳ぎ回り、時々水の中に頭を入れていた。しばらく眺めてから、自転車で帰路についた。
 ところで、昨晩は星空がとてもきれいだった。9時頃北の空を見ていると、カシオペア座北極星のちょうど真ん中の辺りを、北北東から南南西の方向に星が流れた。距離にするとカシオペア座のWの大きさの3倍ぐらいだった。流れ星を見るのは今年初めての事だった。
 今朝は昨晩の星空のせいか、この季節にしては肌寒く夜中に目を覚ました。その後再び寝たが結局4時には起きてしまった。6時頃自転車で、二中・山大を経由し上杉神社に出掛けた。帰路の途中、法音寺の墓地には墓参りの家族が数組訪れていた。我が家では今夕墓参りの予定である。法音寺近くの上杉家御廟所は9時にならないと門が開かないので、ひっそりとしていた。

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台風11号日本縦断

2014-08-10 20:34:08 | 日記・エッセイ・コラム

 台風11号が高知県東部の安芸市に午前6時ごろ上陸した(1枚目の地図)。その後その中心は、徳島県、兵庫県、京都府へと進み、午後1時過ぎに舞鶴市付近で日本海に抜けて行った(2枚目の地図)。夕方になって米沢でも風雨が強くなった。台風は能登半島の西側海上を北北西に進行中(3枚目の地図)。
 台風は、四国や近畿、東海地方に甚大な被害をもたらした。きのうの午後からNHKテレビの通常番組は大幅に変更になり、台風の情報が放映された。唯一夜の第46回懐かしのメロディーだけは、生放送が時間通りに行われた。それでも、画面には台風情報が表示されたままだった。

◆ ウェザーマップ社の記事を引用 ◆
 台風11号 勢力を維持して日本海を北上 荒天の範囲は北日本、東日本へ

 台風11号は15時現在、北陸や近畿の一部を暴風域に巻き込みながら進んでいて、今後も勢力を維持しながら日本海を北上する見込みだ。これにより激しい雨の範囲は北日本や東日本に移ると見られ、気象庁は大雨・暴風・高波などに厳重に警戒をするよう呼びかけている。
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LED(発光ダイオード)の街路灯

2014-08-04 09:22:25 | 日記・エッセイ・コラム

 街路灯と言えば電球、近年は蛍光灯(2枚目の写真)、最近ではLED照明灯(3枚目の写真)が普及している。電球に丸い傘の街灯は見かけなくなり、ほとんどが蛍光灯のタイプである。昨年あたりからLEDタイプの街灯を見かけるようになった。今年は、我が町内でも蛍光灯タイプからLEDに交換することになり、付替え工事がようやく終了した。米沢市内では大量にマイマイ蛾が発生し、夜には街灯に群がっているが、LEDには集まらないという。

 毎朝の散歩の途中、他所の町内でとても変わったタイプの街灯(1枚目の写真)を見つけた。朝の6時頃、空が明るくなったにも関わらず、点灯していた。

 

 ウィキペディア ~フリー百科事典~ より、以下の記事を掲載 
 発光ダイオード(はっこうダイオード、Light Emitting Diode、LED)は、順方向電圧を加えた際に発光する半導体素子のことである。1962年ニック・ホロニアックにより発明された[1]。発明当時は赤色のみだった。発光原理はエレクトロルミネセンス (EL) 効果を利用している。また、有機エレクトロルミネッセンス(Organic light-emitting diodes (OLEDs)、有機EL)も分類上、LEDに含まれる。

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茄子の花と青いトマト

2014-06-14 20:47:15 | 日記・エッセイ・コラム

 小さな庭の片隅に植えてある茄子の枝に、紫色の可憐な花が咲いた。隣のミニトマトの枝にも青い実が付き、直径2cm程度になった。

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愛宕山2合目からの眺め

2014-05-18 20:36:43 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は一日五月晴れになった。夕方、斜平山麓の地蔵院から愛宕山2合目まで登った。今月中に頂上の愛宕神社まで登るための足慣らしのためである。写真のこんもりとした杉林は上杉家御廟所のあるところである。左には西部小学校の校舎が見える。写真を拡大すると我が家の小さな屋根が写っていた。2枚目の写真は視線を右に移動し、米沢市役所方面の眺めである。
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孫娘の誕生から1年5ヵ月になった。一日一日様々なことばを覚えて、話すようになりつつある。

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