愛しのエトワール

うたのおねえさん、はいだしょうこさんを全力でとことん気の済むまで応援する日々を綴るブログです。

歴史ウォーク

2014-12-07 | 日記
12月7日(日)
今朝は風もおさまっていい天気になったね。

河内長野市の千早口駅へ。いつもやつです。

スタート地点の地元農産組合のお店。弁当は持ってきてるけど買っとこか。

一山越えて、延命寺。弘法大師が地蔵菩薩を刻んで安置したのが起源と伝えられる。
本尊は如意輪観音。護摩堂の毘沙門天は楠木正成の念持仏と伝わる。

紅葉の名所として知られているんだよ。この時期はもう落葉してしまってるけどね。


また一山越えて、観心寺。ここには趣味の観音めぐりで何度も参拝している。
ここも紅葉寺なんだけど落葉してしまってるし、今日は時間節約のために入山せず。

門前の大楠公像。1333年、流罪となっていた後醍醐天皇は隠岐を脱出、倒幕の綸旨を発する。
畿内から幕府の勢力を一掃した楠木正成は七千の兵を率い、兵庫に帰還した後醍醐天皇を出迎える。
この場面の楠公像が多いんだ。皇居前の大楠公像も同じ格好だね。

観心寺から山越えで富田林方面に向かう。
途中で見えた金剛山山頂。雪で白くなっている。

楠公夫人が余生を過ごした楠妣庵観音寺。
ここは河内西国の札所にもなってるので前々から行きたかったところだ。

父正成の戦死に形見の恩賜の「菊水の刀」で自刃せんとする正行11才。
夫人は手から短刀を奪い父の思いを我が子に訓戒する。夫人の手には短刀が見える。
「世の憂きも辛きも忍ぶ思いこそ心の道の誠なりけり」
これは正成が戦死した「湊川の戦い」のときのことなんだけど、
その前に有名なシーンがあるんだ。知ってるかな。

今日の一曲、「桜井の別れ」。
後醍醐天皇による「建武の新政」が頓挫し、足利尊氏が叛旗をひるがえす。
九州で大勢力となった尊氏の軍勢は3万、対する正成はわずか700。
「七生報国」。正成は必死の戦場、兵庫・湊川へ出陣する。

千早赤坂村。こんな高いところに田んぼがある。

昼食場所の正成の城があった赤坂城址。見えてるのは「日本の棚田百選」なんだって。
歩いてきた丘陵の斜面にずうっとつづいてるんだけど、ここが見晴らしがいいところ。
見た感じでは休耕地になってるところもけっこうあったね。

ひるめし。タフボーイのお湯は5時間経過、うどんも余裕でできたよ。
でも、雪山だと難しいだろうな。そろそろ、ガスバーナー買っちゃおうか。

以下省略。
本日の踏破距離約14キロ。時間6時間(休憩、観光含む)。
次回は一日にどのくらい歩けるもんかトライアルしてみようと思う。
コメント (1)
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