375's MUSIC BOX/魅惑のひとときを求めて

想い出の歌謡曲と国内・海外のPOPS、そしてJAZZ・クラシックに至るまで、未来へ伝えたい名盤を紹介していきます。

●歌姫たちの名盤(3) 青江三奈 『PASSION MINA IN N.Y.』

2013年01月20日 | 歌姫① JAZZ・AOR・各種コラボ系


青江三奈 『PASSION MINA IN N.Y.
(2007年8月24日発売) THCD-053 *オリジナル盤発売日:1995年12月1日

収録曲 01.オープニング"MOANIN'"~伊勢佐木町ブルース 02.長崎ブルース 03.池袋の夜 04.国際線待合室 05.NEW YORK STATE OF MIND 06.上を向いて歩こう 07.LOVE IS FOREVER~いつかまた~ 08.白樺の小径 09.淋しい時だけそばにいて 10.恍惚のブルース 11.女とお酒のぶるーす~エンディング"MOANIN'"


日本の歌謡曲の全盛時代といえば、やはり昭和40年代から50年代までの高度成長期、西暦でいえば1960年代後半から1980年代中盤までだったと思う(それ以降はレコード購買層の音楽嗜好が分散し、歌謡曲はもはや主流の音楽ではなくなってきた)。

特に筆者が小学生だった1960年代は、後年のような若年向けアイドルも存在せず、歌謡曲は「大人が聴く音楽」という認識だった。
事実、両親(特に母親)は子供の自分にあまり歌番組を見せたがらなかった。見せたくなかった理由は今となってみればわかる。あまりに色気のある女性歌手が多かったからである。

当時の紅白歌合戦の紅組出場メンバーを見ただけでも、その豪華さにめまいがするほどだが、中でも異彩を放っていたのが昭和41年(1966年)に「恍惚のブルース」でデビューし、「伊勢佐木町ブルース」(1968年)、「池袋の夜」(1969年)の大ヒットで押しも押されぬ人気を獲得していた青江三奈だった。当時としては珍しい金髪(白黒テレビでも金髪というのはわかった)、アイドル的な可愛いらしさに同居する大人の色気と独特のハスキー・ヴォイスは、テレビ画面に登場するたびにドキドキしたものだった。当時は歌がどうこうというよりも、歌う姿に魅力を感じていたのである。

彼女が最も輝いていたと思われたのは1970年前半くらいまでで、それ以降は新しい世代の台頭に押されてやや勢いがなくなってきたかな・・・という印象がある。1980年代中盤になると常連だった紅白歌合戦にも選ばれなくなった。この時期に発売されたレコードのジャケット写真を見ると、髪型を当時の流行に合わせてイメチェンを図ろうとしているものの、今ひとつピンと来ない感じがする。歌謡界も完全にアイドル時代になり、大人の色気を持った歌手が生き延びるのは容易ではなくなってしまったように思われた。

ところが1990年代になって、大歌手・青江三奈は見事に復活する。歌手生活25周年を記念して発売されたアルバム『レディ・ブルース ~女・無言歌~』が1990年の日本レコード大賞で優秀アルバム賞を受賞し、7年ぶりに紅白歌合戦に復帰。そして1993年にはなんとニューヨークに渡り、初の全曲英語のジャズ・アルバム『The Shadow of Love ~気がつけば別れ~』を録音するのである。

青江三奈は他の多くの歌謡曲歌手がそうであったように、デビュー前は銀座の高級クラブなどで歌うジャズ・シンガーだった。つまりジャズのアルバムを出すというのは彼女にとって原点回帰であり、長年暖めていた夢でもあったのだろう。1枚目のジャズ・アルバムの成功を受けて、1995年にはここに紹介する2枚目のニューヨーク録音アルバム『PASSION MINA IN N.Y.』を発表。いよいよ本格的に新境地へ踏み出すことになったのである。

このアルバムは基本的にはスタジオ録音なのだが、部分的にレインボー・ルームでのライヴ音源も取り入れており、本場ニューヨークでのライヴの雰囲気を味わえるところが面白い。共演ミュージシャンもニューヨークを舞台に活躍する一流のジャズメンたちで、はるばる日本からやってきた伝説の歌姫を歓迎し、楽しそうにプレイしている様子がうかがえる。

マンハッタンの夜を思わせる喧騒からジャズメンたちの演奏する"MOANIN'"のオープニングを経て、司会者によるイベントの紹介が始まる。この年、デビュー30周年を迎えた Ms. MINA AOE がニューヨークのGreatest Musicians と共演するMost Special Ocasion。期待がいやがおうにも高まる(ちなみにこの時期、筆者もニューヨーク在住だったのだが、2年前に生まれた子供の育児に忙しく、仕事も新しい職場に配属されたばかりで音楽どころではなかった。情報網も現在ほど発達していなかったので、青江三奈がニューヨークに来ていたことは、だいぶ後になってから知ったのである)。

司会者の紹介が終わると、ジャズのオープニングから一転して耳慣れたナンバー「伊勢佐木町ブルース」、「長崎ブルース」、「池袋の夜」、「国際線待合室」と続く。昭和40年代の日本にタイムスリップした気分になっていると、おもむろにビリー・ジョエルの「NEW YORK STATE OF MIND」が始まり、聴衆をニューヨークの現実に連れ戻す。このあたりの場面転換はなかなか鮮やかだ。そして次はアメリカ人にもよく知られているスキヤキ・ソング、坂本九の「上を向いて歩こう」が登場。会場(おそらく大半がご年配の日本人か?)は感涙の場面となる。

続く「LOVE IS FOREVER~いつかまた~」、「白樺の小径」、「淋しい時だけそばにいて」は、いずれも情感豊かな「大人のラヴソング」の佳曲。繰り返し聴くたびに心にしみるものがある。歌唱力もさることながら、やはりそれなりの人生経験を重ねていかないと、このような曲を歌いこなすことはできないだろう。

そして最後の2曲は「この曲で青江三奈になりました」と彼女自身が紹介する「恍惚のブルース」と、デビュー30周年記念曲の「女とお酒のぶるーす」で締めくくる。そう、彼女はデビュー曲から一貫してブルース一筋だった。アメリカのジャズ・テイストを隠し味にした独自の青江ブルース。単なる想像なのだが、それを日本の地で目指したのが青江三奈の出発点であり、それをニューヨークの地で完結させるのが究極の最終目標だったのではなかろうか。

このアルバムを聴きながら、ふと、昭和40年代のデビュー当時、金髪で歌っていた若き日の青江三奈を思い出した。きっと、あの頃から心の中ではニューヨーカーだったのかもしれない。

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