お気に召したまんま。

美術館をさまよい、映画に涙し笑い、音楽に震え。さだまさしさんのファン歴41年目。唯一得意な家事は料理だけ。

右手のリハビリ状況〜痛いけど、でも好転してるとのこと!!

2020-01-27 | 今日の雑記帳
理学療法士さんによれば、以前より右腕全体のねじれが、少しずつ良くなってきてるそうです🎶

ピース✌️サインを作って、手首を上下させます。
これが痛くてできなかったんですが、
左手ほどスムーズじゃないけど、
ちゃんと形を作れるし、上下運動も可能に。
ストレッチの成果が出てると、褒められました。

ただ、手についた水を振り払うようなら仕草は、全くダメです。やはり激痛が走りました、、、

アレ?おかしいな?
と意識したのは昨年末ですが、
骨に異物が付着してる影が見えるくらいなので、本当は何年も前から不具合があったのでしょう。
だから同じ年月かけるつもりで、しっかり治していこうと思っています。






懸賞生活〜栗コーダーカルテットのコンサートが当たりました🎶

2020-01-27 | 今日の当選通知🎶〜懸賞生活〜
体調不良でも、コンサートは行く…
生きる喜びだから。

次男のご飯を用意して出かけてます。
彼はコンサートの夜ご飯を一人で食べることがちょっぴり寂しいようですが、その分好きなものばかり作ってもらえるので、痛し痒し、のようです。
(わたしとの夕食だと、煮物とか鍋とか野菜中心の食事になるけど、一人だと肉料理中心にしてもらえるから)

さて、栗コーダーカルテットですが、5〜6年ほど前に一度聴いたことがあります。リコーダーを駆使して豊かな音楽を作っている方たちです。

ポップスから教会音楽まで幅広いレパートリーがあるので、楽しみです!






果物しか食べたくない…体調がまずいことに。

2020-01-27 | 今日の雑記帳
正確に言うと果物と(ミニトマトと)ヨーグルトしか食べたくないのです。
ちょっと持病の調子が悪くて、めまいが取れません(めまい止め飲んでるんだけど、強い薬だからあまり連続で飲めない)
気分的にも下がったままです。
そしてひたすら眠い。

昔々、実家にいる頃夏バテすると母が
「あんたは夏バテするとトマトとヨーグルトしか食べなくなるんだから!」
と嘆いていたことを思い出しました。

つまりは好きなものなんですよね。
甘酸っぱい食べ物が好き。

今では自分が主婦ですから、家族の食事さえきちんとしていれば、調子が悪いから…と好きなものだけ食べることができます。無理に食べると吐き気がするのです。
次男、他は酸っぱいものには興味なし。

タンパク質と糖分と食物繊維はある程度取れてるけど、、、ダメですよね。
ちゃんと食事しなきゃね。

(吐き気止めも持ってるんですが、それを飲んで無理やり肉やパスタを食べるべきでしょうか…)


映画「尼僧の恋」夜中に観ちゃいました〜

2020-01-26 | お気に召した映画
映画「尼僧の恋」と付けるのは、
文庫本でも原作があるからです。

今は絶版になってるかと思いますが、
原作は書簡集の形式を取っていて、
揺れる女心が次第に狂気めいてゆく様が
時系列で進んで行きます。
マリアに感情移入していると、自分が悩んで居るような錯覚に陥ります。

さて映画の方はというと、冷たい石造りの修道院から自然に恵まれ温かな日差しと自由に溢れた生活で心が開てゆく少女がよく表されています。
そして恋落ちると(恋に落ちたことに気付かず)同時に湧き上がる不安と恐れに苛まれる見習い修道女のマリアが可憐に描かれています。

恋に落ちると、誰もが持つ不安と恐れは修道院から「悪魔の誘い」と教えられていたので、恋の甘さに気付くのには時間がかかり過ぎました。
しかしそれさえも罪だと思い違い、次第に心を病み健康を害してゆきます。

気付いた時には恋しい人は妹の夫に収まってしまった、という皮肉に打ちのめされる。
さらに夫婦がごく近くに新居を構えることによって、恋しさが募り、過去の美しい思い出が蘇り、罪の意識を強くしてゆきます。

不幸なことに相手の若者ニーノも、心の中の恋人はマリアだということが随所に示されます。
しかし今から200年以上前の設定ですから、家同士の決めた結婚に従ってしまう。
もちろん見習い修道女を還俗させる力も勇気も知恵もない。

唯一、マリアを救おうとする父親(母親は後妻でマリアをお人形のように扱う)も妻の反対を押し切れず、恋の行く末は絶望的になります。

マリアは「恋には甘い喜びがある」と気付いてしまい、己の罪と恋の甘さに引き裂かれ、ある嵐の夜思い余って修道院を抜け出し妹夫婦の家に駆け込んでしまう。

そこには子供を宿した妹と、マリアを忘れられないままのニーノが居ます。
ニーノの情け無さっぷりが露わになる瞬間、マリアの恋は昇華されます。ここは観る人によってかなり意見が分かれると思いますが、わたしとしてはマリアがニーノのグズグズの恋心に落胆したのではなく、互いに想いあっていることに感謝と納得を得て、恋が「愛」に昇華した瞬間だと思いました。

マリアは妹の姉への愛を気に留めず、ニーノとの永遠の別れも受け入れて修道院に戻ります。

その時交わしたたった一度の口づけが、マリアを強くしたのか、諦めたのか、というとその感情は全く描かれません。

暗転して
ただ暗く荘厳な雰囲気の、正式な修道女になる儀式に臨む姿が描かれるだけです。

ここも見る側にとって受け取り方が分かれるところだと思いました。


つらつらとあらすじを書いてしまいましたが、25年ほど前の作品を、20年ぶりに観ることができて、本当に幸せでした。
(イタリアに行きたい)

この間にわたしにも色々あって、劇場で観た時ほどガクガクとはなりませんでしたが、若さが眩しくてやはり落涙してしまいました。

原作の題名は「すずめ」なのです。
本来なら野に生きるはずのスズメが、鳥籠に捉えて飼い慣らされる不幸という比喩ではないかと思います。

邦題は「尼僧の恋」で正解かと思いました。






ラーメンに誘われると困ってしまう…

2020-01-26 | お気に召した外食
麺類が大好きな人間ですが、ラーメンだけは今ひとつ乗り気になれないんです。

と書くとカレーライスが苦手な人を見るのと同じくらい不思議な目で見られます。

今はやっている豚骨系は特に苦手。脂が体に合わないみたいです。醤油味のあっさりしたのならお付き合いできますが。

根本的には「伸びた麺は食べたくない」んです。その点で言えばスープパスタもあまり選ばない。猫舌ですから、食べ頃になった時は麺が伸びてるんです(涙)

生蕎麦を自分で上手い具合に茹でられるので、
パスタも堅めに茹で上げてソースを吸わせてちょうどよくもできるので、もともと麺類を外食で食べることは少ないのです。

ですから、お店の方の気持ちとしては伸びる前に食べて欲しいですよね?
でも熱い脂が浮いた丼に顔を突っ込むように食べなきゃならないラーメンは、わたしには守備範囲外なのです。