*ハイビジョン特集フロンティア(ドキュメンタリー)
「新証言・伝説のタイトルマッチ」
~1975:モハメド・アリ 対 ジョー・フレイジャー~
・本放送:BShi 2009年6月20日(土)午後 8時30分~10時(放送終了)
・再放送:BShi 2009年6月26日(金)午後11時~翌0時30分(放送終了)
*世界史発掘!時空タイムス編集部(バラエティー)
「アリ vs フレイジャー:伝説のタイトルマッチ」
・本放送 :BShi 2009年6月 9日(火)午後8時~9時30分(放送終了)
・再放送 :BShi 2009年6月16日(火)午後2時~3時30分(放送終了)
・再放送 :BShi 2009年6月20日(土)午後1時~2時30分(放送終了)
<mimifukuから、一言。>
既に2度放送された、
『時空タイムス:伝説のタイトルマッチ~アリVSフレイジャー』。
多くの格闘ファンがご覧になったと思います。
その時空タイムスのマスターテープとなった番組が、
『フロンティア:新証言:アリVSフレイジャー(Thriller in Manila )』
番組タイトルを最初に見た時に頭に浮かんだ試合が、
1971年3月8日に行われたニューヨークのスポーツの殿堂:MSG。
マディソン・スクエア・ガーデンは日本で言えば日本武道館。
著名なアーティストのコンサート会場としてもお馴染。
昭和40年代に大ヒットしたマディソン・バックは、
このスポーツセンターからネーミングしている(らしい)。
この最強王座決定戦こそボクシング史上最も重要な戦いとして君臨。
(王者フレイジャーが15ラウンド判定で挑戦者のアリを退けています。)
しかし今回スポットを当てる試合は、
1975年10月1日:フィリピン・マニラでの伝説のタイトル・マッチ。
アリ・ファンだったボクが中学生時代にテレビで見ているはずなのですが、
はっきりとした記憶がありませんでした(勝ったという記憶は残ってますが。)
放送された『時空タイムス』で試合内容を確認すると、
両者極めつけの決定打はないもののボロボロになるまでの激しい打ち合い。
舞台裏の話を聞いてみると知らなかった事実ばかりで驚きました。
NY:MSGの試合は、
映画『ザ・ファイターズ』としてNHK-BSでも過去に放送しており、
試合そのものにスポットを当てた内容で試合前の両者の、
罵りや駆け引きが試合への気分を盛り上げていました。
今回放送のフィリピン・マニラの一戦は、
試合終盤~試合後の両者の言動に大きなドラマを感じます。
大好きだったモハメド・アリ(カシアス・クレイ)。
大口を叩き有言実行。
MSGでの試合は小学生ながらドキドキして見入った記憶があります。
そして何よりも1974年10月30日の、
ザイール(現コンゴ):キンシャサでのジョージ・フォアマンとの一戦。
この番組もNHK-BSで映画『かけがえのない日々』として放送されています。
(私は映画公開時に大阪梅田のミニ・シアターで鑑賞しました。)
怪物フォアマンを倒した死んだふり作戦(人間サンドバック→瞬間的な連打)。
1970年代のヘビー級黄金時代の思い出が蘇ります。
当時既にピークを過ぎていたアリが、
その後も老獪な試合運びでタイトルを防衛。
王者アリ:4回目の防衛戦が今回放送される1975年の伝説。
ボクシング・ファンにとって熱くならない訳がありません。
ぜひご覧ください。
とここまではボクシング・ファンとしての見方。
時代の流れを検証すると、
アリがなぜヒーローになれたのか?
白人に寄掛かった印象のジョー・フレイジャー。
ブラック・パワーの象徴でありイスラムに帰依したモハメド・アリ(カシアス・クレイ)。
なぜ白人に敵意を向ける発言が多かったアリに人気が集中したのか?
国民の多くが無益なベトナム戦争に困惑した時代の1971年。
1970年代前後:(正義のない)ベトナム戦争。
1960年代後半:(無気力な)愛と平和のヒッピー文化(若者)。
1970年代前後:アメリカ社会の虚無感(大人)。
その時代(1971年)に行われたのが、
フレイジャーVSアリの全勝対決。
1967年兵役拒否でタイトルを剥奪されたアリは、
同時にプロ資格も剥奪されました。
剥奪されたヘビー級タイトルに新王者勝ち抜き戦を決行。
1968年4月27日。
ジミー・エリスがWBAタイトルを奪取。
1970年2月16日。
ニューヨーク州チャンピオンのジョー・フレイジャーとのWタイトル戦。
フレイジャーがアリの持っていたタイトルを獲得しました。
盟主なきタイトルの獲得。
国民の目は、
復帰したアリとフレイジャーとの最強決定戦を望みました。
1960年代後半のアメリカ国民の意識変化は公民権運動やラブ&ピース。
ベトナム戦争に不正義を感じた国民の意識は政府への反感を増大させます。
その時代の中で政府(白人)に反旗を向けたアリの兵役拒否。
そして過激な発言や大ボラ伝説。
相手を罵倒することでメディアの関心を一身に集めたアリ。
アリのヒーロー伝説は思いやりのない発言が創り上げたものでした。
と同時に多くのボクシング・ファンがアリの持つ毒の魅力に、
マインド・コントロールを受けたかのような幻想を抱きました。
おそらく1970年代前半という特異な時代でなければ、
アリはヒーローになれなかったかも知れない。
そんなことを感じさせる番組になっています。
綴りたいことはまだまだ尽きませんが番組は
フレイジャー側から見たアリの真実。
時代の証言を中立的な思考で見ると、
別のヒーロー像が浮かび上がってくるかも知れません。
~下記、NHKホーム・ページより記事転載。
かつて親友だった2人の天才ボクサーの対決を、
フレイジャーを始めとする関係者が語った証言を軸に描く。
1975年、フィリピン・マニラで行われた、ボクシング史上最高の試合。
それは、かつて親友だった2人のボクサーが公民権運動以降の変革の中、
アイデンティティーをめぐって対決した戦いでもあった。
30年余りを経てフレイジャーを始めとする関係者が語った証言を軸に、
伝説のタイトルマッチの裏側を描く。
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と呼ばれたアリと、
最大のライバル・フレイジャー。
不世出の2人のボクサーはかつて互いを認め合う親友だった。
公民権運動のうねりの中ブラック・イスラムに目覚め、
ベトナム戦争の兵役を忌避しタイトルを剥奪された、
アリを物心ともに支えたのがフレイジャーだった。
しかし反戦の気運のなか名誉回復されたアリは、
突如としてフレイジャーへの態度を急変させる。
「奴は敵である白人に黒人を売り渡したアンクル・トムだ」と中傷したのだ。
2人の憎悪は世論を二分しながら燃え上がり、
ついにマニラでの決戦の日を迎える。
14ラウンドに及ぶ死闘の果てに真の王者となったのはアリだった。
世紀の対決は2人の人生をそして世界をどう変えたのか。
熱い闘いの舞台裏を追いながらスポーツとは、人間とは何かを考える。
<番組データ>
原題:Thriller in Manila
制作会社:Darlow Smithson Productions(イギリス)
:IMG Media company(アメリカ)
制作年:2008年
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