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【女子柔道暴力問題】:武道憲章×山口香氏の朝日新聞インタビューを読む。

2013-02-08 23:00:00 | 芸能・スポーツ

【武道憲章】

武道は、
日本古来の尚武の精神に由来し長い歴史と社会の変遷を経て、
術から道に発展した伝統文化である。

かつて武道は、
心技一如の教えに則り、礼を修め、技を磨き、身体を鍛え、
心胆を錬る修業道・鍛錬法として洗練され発展してきた。

このような武道の特性は今日に継承され、
旺盛な活力と清新な気風の源泉として、
日本人の人格形成に少なからざる役割を果たしている。
いまや武道は、
世界各国に普及し国際的にも強い関心が寄せられている。

我々は単なる技術の修練や勝敗の結果にのみおぼれず、
武道の真髄から逸脱することのないよう自省するとともに、
このような日本の伝統文化を維持・発展させるよう努力しなければならない。

ここに武道の新たな発展を期し、
基本的な指針を掲げて武道憲章とする。

<第1条(目 的)>
武道は武技による心身の鍛錬を通 じて人格を磨き識見を高め、
有為の人物を育成することを目的とする。

<第2条(稽 古)>
稽古に当たっては終始礼法を守り基本を重視し、
技術のみに偏せず、心技体を一体として修練する。

<第3条(試 合) >
試合や形の演武に臨んでは平素錬磨の武道精神を発揮し最善を尽くすとともに、
勝っておごらず負けて悔まず常に節度ある態度を堅持する。

<第4条(道 場) >
道場は心身鍛錬の場であり規律と礼儀作法を守り、
静粛・清潔・安全を旨とし厳粛な環境の維持に努める。

<第5条(指 導) >
指導に当たっては常に人格の陶冶に努め術理の研究・心身の鍛錬に励み、
勝敗や技術の巧拙にとらわれることなく師表にふさわしい態度を堅持する。

<第6条(普 及)>
普及に当たっては伝統的な武道の特性を生かし、
国際的視野に立って指導の充実と研究の促進を図るとともに、
武道の発展に努める。

昭和六十二年四月二十三日制定
日本武道協議会

※※※※※

【山口香氏インタビュー(朝日新聞/2月7日記事・抜粋)】

「(暴行を訴えた謝罪後にも)園田前監督が被害者に心ない態度をとった。彼女が頑張った試合のあとに“おれが厳しく指導してきたことが今回につながったんだ”というようなことを言ったという。私は女子柔道家として日本代表でナショナルフラッグを背負う選手に“そういう態度”をとることは絶対に許せない。 まして言動を注意された後にみんなの前で暴力を肯定するようなことを言うなんて言語道断。 日本の女子柔道が長い時間をかけて強くなってきたのは選手一人ひとりが力を合わせて切り開いてきたからだ。決して暴力的な指導をしたからではない。園田前監督は情熱があり指導力もあるかもしれない。だが国を代表する選手に対するリスペクトがなかった。続投は昨年11月に発表されたがもっと後でもよかった。選手の話に真摯に耳を傾け手順を踏んで選手が納得してから発表するべきだった」。

「悪い言い方をすれば選手たちはここまで我慢してしまった。声をあげられなかった。(中略)彼女たちの行動には賛否両論あると思うが彼女たち自身が起こしたものであるとはっきり言いたい。声明文にもあるように彼女たちは気づいた。何のために柔道をやり何のために五輪を目指すのか?監督に言われ“やらされて”ということでいいのか?それは違う」。

「私は今回のことで一番重要だったのは体罰を受けている選手はその中に入ってしまうと麻痺(まひ)してしまう。(稽古中の暴力が)自分のプラスになっているんじゃないか?先生は自分のことを思ってやってくれている。そんな考えに陥りがちだ」。

「時間が経つにつれ彼女たちのことを『何様なんだ』と言う人たちが必ず出てくる。今度は私たちが矢面に立って守ってあげなきゃいけない。柔道界をあげてサポートするという姿勢が大切だ。訴えたことが悪いんじゃない。問題をすりかえてはいけない。選手が自発的に起こした行動を見守り自立するのを待っててあげる。選手の自立を助ける。それがスポーツだろう。選手は臆せず意見をはっきり言える人間に成長している」。

「柔道はもともと相手を倒す戦闘目的のものだった。いわゆる柔術だ。ところが柔道の創始者:嘉納治五郎師範はそこに疑問を持ち指導方法を体系化して安全に学べるものにした。強くなるには『術』が大事だがそれが目的ではない。その術を覚える過程で自分という人間を磨く大切さを説いた。だから『道』になった。園田前監督らは金メダルを取らせないといけないという重圧から戦闘目的の『術』に戻ってしまった。人間教育がどこかにいってしまった。嘉納師範は柔道の修行として『形』『乱取り』『講義』『問答』の四つをあげている。後ろの二つ(講義と問答=相互理解)を一部の日本人が省略し柔道の姿を変えてしまった」。

「柔道界は強い者が絶対という思想がある。柔道家同士だと『お前弱かったのに』というような部分がどうしてもある。先輩後輩という関係もつきまとう。でも本当に柔道を愛しているのは“強くなくてもずっと続けた人”だと思う。そういう人を尊敬し適材適所で力を発揮してもらう。キーワードは『リスペクト』と『オープンマインド』。強い弱いを越えて相手を尊敬し広く開かれた組織になって多種多様な意見を取り入れる。そこから始めることが大切だ」。

※※※※※

読み方は個人の判断。
山口氏の主張は正しくもあり、間違いもあり。

*男性と女性の視点の違い。
*(指導者の)生まれ育った時代と考え。
*礼節を重んじる武道とスポーツの相違。
*柔道を支えるマネー(塾経営等)の問題。
*護身術としての理不尽な暴力への対抗技術。


山口氏の視点は、
現代女性が語るスポーツとしての見方。
*多くの識者が机上論で語る競技論。


血気盛んな荒くれ男達を抑え込み、
武道精神で鍛えることで立派な社会人として育てる。
論理以前の理不尽(粗暴・性質)を、
真っ当な人間に育成する。

その過程での、
力を抑え込むために力を見せつける。


恐らく山口氏が生まれる以前の武道(武術)の精神(目的)。

その時代を歩み支えた指導者達を否定し論で抑え込む危険。
*論理の断定は必ずや亀裂を生む。

武道(古武術)の本来の目的は理不尽を抑え込む論理的技術。
山口氏が指摘する柔術(講道館以前)とは、
相手を殺さず生け捕りにするために生まれた技術と記憶している。
*警察官や自衛官が武術を習得する目的は理不尽との対峙。

人は何のために強くなりたいと願い、何故に自分を鍛えるのか?
日本人(庶民)の視点はオリンピックや競技会のみに目が向くが、
単純に“喧嘩が強くなりたい”との目的で、
武道(格闘技)の門を叩く者も多いだろう。

*目的を修正し自分を鍛え自信を持たせることも指導者の役割。

*****

今回の問題で守るべきは訴え出た15人の女子選手の未来。

理不尽は暴力だけでなく組織の論理(=既得権や主導権)。
組織の論理に基き柔道界から選手達が抹殺されない工夫と擁護。

山口氏が語る“私の立場でできる限界”
選手への
“ここからはあなたたち自身でやりなさい”
の言葉の意味。
*15人の選手と山口氏の告発には尊敬を持って敬意を表する。

組織の論理と組織の理不尽(=万国共通の階級支配)。
山口氏を含めた選手達の立場を擁護・支援する第三者委員会。
男性と女性の違いと女性の地位向上。
*全柔連だけに問題の解決を任せてはだめだ。


全柔連は守りに入り粛清(しゅくせい)を行わず、
選手側は自分たちの主張に頑なにならず。

『形』『乱取り』『講義』『問答』
講義と問答を繰り返しながら新しい柔道界の創出。
*力の論理、数の論理でない話し合いでの理解と尊重。


柔道は武道かスポーツか?
私は西洋思想に靡く必要はないと思う。
“勝って驕らず!”
の礼の精神。


暴力を廃し、
自らに厳しく。


組織の押し付けでない、
個人の意思の確認。


他人に勝つのではなく、

己に勝つ(=納得・充足)。

日本柔道はJUDOに染まらず、
日本文化を継承して欲しいと願う。

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2 コメント

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hierarchy (noga)
2013-02-11 20:55:33
「なんで人を殴るのか」と問えば、「態度が悪いからだ」と答える。
相手が服従の態度を示さないところが、気に入らないのであろう。
当人は、やけっぱちになっている。

日本語には、階称 (言葉づかい) というものがある。
上と見るか、下と見るかの判断を迫る日本語を使えば、モノの上下に関する判断は常について回る。
この上下感が日本人の判断を狂わせている。

「下におれ、下におれ」の掛け声は、昔から続いた為政者の要求である。
理屈はない。ただ、指導者の要求のみがある。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。
「がんばって」の掛け声のようなものか。

mimifuku (nogaさんへ)
2013-02-12 22:38:07
*hierarchy(ヒエラルキー=序列・階級)

何故やめられないのか?
日本人には“その意思”がない。
意思は未来時制の内容である。
日本語には時制がない。
意思のないところに方法はない。
日本人の意思を確かめることは難しい。

*****

当人はやけっぱちになっている。
日本語には階称 (言葉づかい) というものがある。
この上下感が日本人の判断を狂わせている。
世俗の上下制度が唯一の頼りとなっている。

*****

『時制』と『階称』と言う言葉を私は使いません。
調べてみると、
*時制(じせい)=時間軸上の一時点を基にして時間の前後関係。
過去、現在、未来、完了などの時に関する表現。
*階称(かいしょう)=話し手と聞き手の社会的関係や心理的距離によって、
話してが聞き手に対してとる態度を表す文法範疇。

*****

その言葉から日本の階級社会は年齢や立場が最初から決まっており、
庶民は時制(歴史観)の中で“それ(上下関係)”を当然とみる慣習。
日本は士農工商の時代から身分差別を容認し続けており、
それをオカシイことだと考える人達は実は少ない。
日本人は「ダメだ、ダメだ!」と言いながら“それ”を受け入れる歴史があり、
日本人の本当の意思(考え)は表面の言葉(批判)とは裏腹に計り知れない。

*****

とそんな意味に解釈すれば良いのでしょうか?


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