「はじまりは日本舞踊」 

 美作流との出会いが人生をかえました。世界はあざやかに輝き、心は自由に、踊っている時間は本当の自分に戻れる気がします。

雨のせいかな・・・

2006年05月19日 | 日本舞踊
 ブログを立ち上げて、3ヶ月。
毎日のようにみなさんからコメントを頂き、日舞を愛するブロガー(?)も
案外多いものだというのが実感でした。
 たまに自分を振り返って語りたくなる。今日は私の日舞生活について書いてみたいと思います。
 
 昨年の秋に結婚し、師匠と仲間の住む「つくば研究学園都市」から離れて生活しています。
定刻きっかりには着物バッグをかかえて職場を飛び出し、とりあえず稽古場に行く、という生活が続いていました。
他の方のお稽古の後ろに一緒に立たせて頂いたり、とにかく師匠の踊りが好きで、女形も立役も、娘も花魁も船頭も武士も、
どんな踊りも大好きで、いつか自分もあんなふうに役を演じられるようになれるんだ!と勝手に信じ込んでいましたっけ。
生活の全てが踊りのためにあり、踊りが私の全て!と心底思い込んでいました。                                                        
 私が日舞と出あったのは、25歳の誕生日を目前に控えた時期でした。
その時すでに、今の主人との結婚を心に決めていましたし、師匠にもその事はお話ししていました。
仕事に対する情熱も、社会に対する関心もなく、ただ過ぎるままに日々を送っていた私の心に灯った灯、それが踊る喜びでした。
「結婚して遠くに行ったら、お弟子をとって美作の踊りを広めなさい。」踊りを始めて間もない私に、師匠がかけてくださった一言。
もしかしたら冗談半分だったのかもしれません、が、その後の私はこの一言によって導かれていったのかもしれません。
 お名前を頂いてからは、会の準備のお手伝いやら名取式のお手伝いやら、さまざまな勉強をさせていただきました。
お金持ちのお嬢様でもなく、自由気ままにに育てられた(?)私にとって、おつきあいのイロハや礼儀作法など、一から勉強でした。
 芸暦の長さは問題ではない、それまでの人生をどう踊りに反映させられるか。
しかしやはり、さまざまな場面で芸暦の短さというのは私を不安にさせます。
人にものを伝える立場に立たされると、知識のなさ、いかに人として未熟であるかということに打ちのめされます。
それをどう克服していけばいいのかすら、分からない自分がいることに気がつきます。
そして、芸暦の短さということに逃げてしまう自分に、何よりも腹が立ちます。
 約一ヶ月に一度、集中稽古に出かけています。新しく入門された方はもちろん、みなそれぞれに上達されており、
取り残されていくような焦りと、自分が選んだ道だというあきらめが、積もっていきます。
稼ぎのない私を、泊りがけの稽古に送り出してくれる旦那様と、もてあますほどの自由な時間に感謝。
事あるごとに師匠が示してくれた道、まだひとつも実現できていません。

 芸の道は白くてまっすぐ続いているような気がする、曲がっているのはおのれの道の方だ、というようなお話を師匠がされたことがあります。
今の自分はキャンパスからはみ出すほど、道を曲げてしまっているのではないかと、背筋が寒くなります。

かすんで見えない時は、せめて心の中に描いて・・・