「はじまりは日本舞踊」 

 美作流との出会いが人生をかえました。世界はあざやかに輝き、心は自由に、踊っている時間は本当の自分に戻れる気がします。

あいたたた・・・

2009年02月28日 | 日本舞踊
 足を痛めました。
一週間は安静にしました。
踊りの身体の使い方も、もう一度考え直そうと思います。
先生からは「職業病だよ。」

いよいよ私もめでたく仲間入り。
やはり、30の坂を越えると色々あります。
急にいろいろあるようになります。

塗り薬に湿布を常備しましょう。
小柄だから大丈夫と思っていたのは間違いでした~。
そして足がツル時は、特に注意です。
皆さん、きちんとケアしましょう。
気合だけで乗り切れるものではありません・・・でした。

祭りのあと

2009年02月23日 | 日本舞踊
長い一日が終わりました。
お弟子さん方は立派になりました。たった二年で本当に立派になりました。
踊りの上手下手は正直私はよく分かりませんが、
全員が素敵な踊りを見せてくれたと思います。
とびきり未熟で、踊りのことしか考えない、
本当にろくでもない私についてきてくれた皆に、本当に感謝です。
師匠が頼りないとよいお弟子さんが付く、これは真実だと思います。

そしてあらためて、お弟子さんを舞台にあげて、かつ自分が舞台に立つことの難しさを痛感しました。どんなに小さな舞台であっても、師匠の存在があって初めて自分の踊りを踊ることが出来る、師匠と弟子の関係というのは、そういうものなんだと、先生からも諭されました。お弟子さんの舞台に全神経を注いで、自分が納得できるほどに踊りきることは不可能。
 今はまだ師匠が袖にいる舞台でしか、自分の踊りを踊ることが出来ない、これはなんだかとても情けない話に聞こえますが、実際のところ、今の自分の踊りというのはまず師匠ありきで成り立っているものだということです。この時点で、これは本当の私の踊りではない、ということでしょう。
師匠から受け継いだものを、一生懸命お弟子さんに注いで、ふと気がつくと、舞台に立った私には何も残っていない。
今までひとつひとつ重ねてきたものがすべて剥がれ落ちて、何も持たない自分にかえっている、そんな状態で何ができるでしょう。そんな状態で踊って自分に何が残るでしょう。残るのはむなしさと空虚感だけです。
自分で書いたナレーション原稿を読む岡野先生の声が、エアコンの風の向こうで聞こえ、屏風を背に、黒髪の衣裳を着て立っているのは、何も持たない裸の自分でした。違う、こんな空気じゃない、黒髪はこんな世界じゃない。こんなはずじゃなかった、自分にはもっと出来る、そんな悔しさと情けなさが残っただけです。お腹の中に、抱えきれないほどの思いを抱いてしか、踊りきれない世界でした。
その扉に手をかける間もなく、身動きが出来ず横たわっていたのは、ただの私の抜け殻でした。
 師匠から伝わってきたものが、私という体を通ってお弟子さんに流れていく。それが実感できたとき、大きな喜びを感じます。美作流の踊りに嬉し涙を流しもします。でも、それに気がついたとき、同時にひどい空虚感に襲われます。成長した姿で、舞台の上で輝いているお弟子さんの傍らで、神経をすり減らしぼろぼろになっている自分がいる。何十人ものお弟子さんを抱え、それぞれを輝かせる踊りを作る美作のお家元とはくらべものにならないけれど、師匠はいつもこんな気持ちだったんだろうかと、やっと今振り返っています。そして、たとえぼろぼろになったとしても、それでも美作流の踊り手として見るに耐えうる踊りを踊れるよう、精進しようと心に誓った日でした。
 自分の踊りを踊りたい、本当の自分の踊りを踊ってみたい、これほど強く思ったことはありません。



写真は、こどもチームとその保護者。
大人はなぜか遠慮がちに撮影隊。
女性たちの写真はまた次回






春一番?

2009年02月14日 | 日本舞踊
つくば稽古が終わりました。来週の舞初にかける黒髪と、雨の四季を中心に。雨の四季は5年ほど前に一度舞台にかけているのですが、まだ踊りも全く分からん状態で踊っていたため、振りは何一つ覚えていない。恐ろしいほど。しかも難しい振りは抜いていたらしく、なんか忙しい。なんとこの時私はおすべりすら出来なかったのです。それでよく最後まで踊れたよ~、と今考えると凄いのです。ベテランが挑戦するような踊りを超初心者に踊らせる先生も先生だけど、こればかりは私も自分で自分を褒めてあげたい挑戦でした。今踊っても昔のクセが出てしまい、なんだかな~、でも素晴らしい振り付け。今の私は雨の四季あって、だそうなのでまたどこかで踊りたいな。昔のクセを全部払拭して。

マダムの時間

2009年02月13日 | 日本舞踊
今日から稽古です。真夜中です。丑三つ時です。舞初会前の最終稽古ということで、プログラムチェックやら衣裳の確認やら家元にして頂きます。 到着すると木曜午後はマダ~ム達のお時間でした。これは独特の時間です。ヤング?なミセスなY姉さんと私には、まだまだ踏み込めない領域です。皆さんとても楽しそうに和気あいあい。男の純情、という新舞踊と歌舞伎松竹梅、これ面白い。会直前の京都のお弟子さん方は、ただいまぐぅの音も出ないほど必死モードな稽古を過ごしておりますが、こんな楽しい時間も忘れちゃならないのかも。身についた充実感というものを、喜びと感じてくれるだろうかと、ふと考えます。そうでなかったら、私はただ強引でワガママな、押し付けがましいそんな人間じゃなかろうか。熱があっても一生懸命、電車に酔っても病み上がりでも稽古場に来る。辛そうな顔で30分、こちらも胸が痛みます。でもここで気をぬいたら、先には絶対進めない。必ず乗り越えてくれと心の中で祈りつつ、ああこの気持ちは伝わっているだろうかと自問します。なんとか皆の個性を生かして伸ばしてあげたいと思うのです。たとえどうであっても
、これが私の役割と、言い聞かせて進むしかありますまい。晴れの舞台で皆が生き生きと、自分の表現が出来るかどうか。踊りは楽しい、それだけの為に、本当に細かい稽古を積み重ねて何度も涙を流さなければならないなんて、なんてことでしょうね。我が流派の面々は、踊りを趣味ととらえている人は少ないのではと思います。踊りの教室に通っているという意識だけでは、はっきり言ってついていかれません。その位の勢いがあります。皆熱心、勢いというより、まさに激流。これは正に家元のカリスマ性と求心力によるものだと思いますが、私は特に不器用なため、他の仕事との両立などとても出来ません。師匠に出会った日から今日まで、四六時中頭の中は踊りでいっぱい。踊りに差し障らない仕事を選び、結婚してもまず稽古中心に生活スタイルをつくる。朝から晩までうなされたように色々考えていますと、すぐに1日が過ぎてしまう。要領が悪いのか馬鹿なのか、多分両方だろうけど、カスミでも食べて生きていかなきゃ、割りにアワナイ。なのに私はよく食べる(^O^) う~ん。人にどうこう言える生きざまじゃないな(T_T)