随所随縁

所に随(したが)い、縁に随い、時に随い、想いに随い、書き留めていきたい。

制服の効用について(その2)

2005-02-14 20:58:40 | Weblog
昨日の記事で、「制服の効用」として、一に「カッコよさ」、二に「機能性・象徴性」を上げました。そして最後が「公私の切り替え」だと思っています。これは簡単に言えば、「制服を着ることで”よし、働くぞ”という気分に切り替わる」という意味です。

IT技術の発展により、出張先でメールを受け取ったり、受発注のデータなどが検索できるようになりました。職種によっては、会議や客先訪問以外は、自宅で仕事ができるようにもなっています。事業所の方でもそれを見越して、机の数を減らしたりしています。一方では、「サービス残業」などと言われるように、夜遅くまで働いて会社に泊まったり、自宅へ仕事を持ち帰ったりしています。「IT技術により生産性が上がった」などと言われていますが、実は、労働時間と余暇時間の区別があいまいになっただけで、いわゆる生産性(単位時間あたりの生産高)はあがっていないのではないでしょうか。

たぶん、人間はDNA的に、「24時間遊び続ける」ことも「24時間働き続ける」こともできないのでは、と思います。特に、働く方については、職場での緊張感を維持できるのは8時間~10時間くらいが限度でしょう。そして、「だらだらと16時間働く」より「集中して8時間働く」方が、生産性の面でも、精神面でも有効だと思います。そんな意味で制服は「労働と余暇」「パブリックとプライベート」「公と私」の切り替えを、自分にも、世間にも明示するために必要ではないかと思っています。

「公と私の切り替え」について、こんなエピソードがあります。ルネサンス期のイタリアの思想家、マキャベリが、「君主論」を執筆するときの様子を、友人に宛てて、次のように書いています。塩野七生さんの本からの孫引きになりますが・・・

「(やりがいのあった外交官の仕事を失い、隠居後の単調な生活を嘆いて)・・・夜が来ると、家に戻る。そして書斎に入る。入る前に、泥や何かで汚れた毎日の服を脱ぎ、官服を身に着ける。礼儀をわきまえた服装に身をととのえてから、古の宮廷に参上する・・・・・」

マキャベリは、「君主論」を執筆するために、歴史上の様々な宮廷を空想し、様々な君主へ想像上のインタビューを行い、思索を重ねたのですが、空想上の古の宮廷に参上するために、わざわざ「官服(外交官の制服)」に着替えているのです。実際は薄汚い書斎に、ひとりで原稿用紙を前にうんうん唸っているのであって、誰が見ているわけでもなし、官服などに着替える必要はないはずです。そして、マキャベリは「礼儀をわきまえた服装に身を整え・・」とも言っています。マキャベリにとって、官服は、「君主論」を執筆するための当然の礼儀と考えていたのでしょう。そして官服に着替えることで、隠居の身分から、(空想上の)外交官へ切り替えていたのでしょう。ここまでくると、制服の効用の域を超えていますが、仕事に対する、あるいは服装に対するマキャベリのセンスは見習いたいなと思っています。

ということで、サービス残業が増えるにしたがい、切り替えが曖昧になって、「家で仕事をして、会社で遊ぶ」ようなことになっていないでしょうか。そういう意味での制服の効用を見直す必要があるのではないかと思っています。

制服の効用について

2005-02-13 22:25:16 | Weblog
私の勤める会社は、制服や作業服、ユニフォームを扱っているのですが、2月になると、各メーカーから、一斉に今年の春夏物のカタログが送られてきます。そのカタログをぱらぱらとめくりつつ、おすすめの商品をホームページに掲載する作業をはじめています。たかが、制服・作業服といえど、その機能性・デザイン性・多様性は拡大の一途をたどっており、ホームページでは紹介しきれないのが悩みの種です。

昔は作業服といえば、素材は「ポリエステル65%、綿35%」、色はアースグリーン、ネイビー、ベージュといったところでしたが、今では「防菌防臭」「制電加工(静電気を防ぐ)」「エコ素材(再生可能なポリエステルを使用)」「メッシュ生地使用」「携帯電話ポケット」「ロゴパイピング」などというキーワードが氾濫しています。また、女性がオフィスで着る制服(事務服)と呼ばれるものについても、色はグレーか紺、スカートまたはパンツとスモックまたはベスト、といったところでしたが、いまではカラーやバリエーションも豊富になっており、「制服を着回す」こともできるようになっています。

現在オフィス等では「カジュアルデー」も定着し、銀行などでも制服や背広・ネクタイを廃止するところも出始めています。そのため制服・作業服メーカーもマーケットの拡大(というより縮小の防止)のために必死になっています。そこで、カジュアル化、制服廃止が進む現状において、あえて「制服の効用とはなにか」を考えてみました。もちろん、私は制服・作業服に関わる者ゆえ、「制服肯定」の立場になるのですが。

制服の効用の第一は「カッコいい」ということ、つまり「働く人をかっこよく、美しく見せる」ということになるかと思います。「かっこよく見せる制服」の究極のものは「軍服」でしょう。あれは、ひたすら「軍人をかっこよく見せる」ために作られたきたものですから、軍人(もちろん将校、つまり貴族ですが)は軍服のまま、社交界やパーティーに参加できるほど、洗練されたものになっています。当然通常のファッションにも波及していきます。たとえば、「アクアスキュータム」や「バーバリー」のトレンチコートも、元は塹壕(トレンチ)で着た防水コートであり、肩やウエストラインを美しく見せるベルトや肩飾りも、実は銃や手榴弾などをぶら下げるために取り付けられたものです。また、セーラー服や学生服(詰め襟)、カーディガン、ブレザーといったアイテムも、元はといえば軍服でした。今では「パイロット」「スチュワーデス」「ホテルマン」等の制服にあこがれて、その職を目指す人も多いでしょうし、制服で学校を選ぶという時代にもなっています。これは、みんなが「制服」に「かっこよさ」を求めている証拠といえるでしょう。

制服の効用の第二は「機能性・象徴性」ということになるのでしょう。軍服が軍人に特化した機能を持つように、それぞれの職場に対応した機能を持つ制服を着用することで、職場の生産性・安全性が向上する、という効果があります。また、その制服を職場全体で、毎日着用しつづければ、それは「一つの職場、機能あるいは身分」を象徴するようになり、外部から見ると「職場、機能あるいは身分」に対する「信頼感」につながります。医者や看護士の「白衣」や「作業服」、「消防服」などはその機能性と象徴性の効用を併せ持つ制服といえます。

ほかにもあるかもしれませんが、最後の効用としては「公私の切り替え」ということになるかと思います。長くなるので、この続きは翌日にします(すいません)。

信州・松本たべあるき

2005-02-12 22:28:16 | 信州・松本

お昼は地中海料理「セロニカ」。松本駅に近いのに、ちょっと通りを入ったところにあるので見つけにくい、隠れた名店です。小さなビルの階段をあがって2階にいくと、明るく日当たりの良い窓際の「カジュアル・スペース」と奥のシックな「レストラン・スペース」に分かれています。「カジュアル」の方は、カウンター席もあり、一人でも気軽に入れます。ここでビールを飲みつつ、おしゃれで、手が込んだアンチパストをいくつか食べて、締めは牡蠣がたっぷり入ったタリオリーニ。きしめんのような平べったいパスタに牡蠣とバターがたっぷりからまって、カロリーも高そうだけど、おいしかったです。

夜は、伊勢町「夜噺(よばなし)」。松本ロイネットホテル内の「創作和食居酒屋」で、入り口からして京都の町屋風のたたずまい。店内は曲がりくねった廊下の両側に、掘り炬燵式のテーブルがおかれた小部屋がいくつも並び、小部屋の入り口は御簾で仕切られている、落ち着いた造りです。こういった店に来るたびに思うのですが、「創作和食」を謳うだけあって、さまざまな食材を組み合わせた、見て楽しく、食べてもおいしいメニューが充実していますね。メニューを見るだけでも楽しくなります。「カルフォルニア・ロール」以来、マグロとアボガドの取り合わせはすっかりおなじみになっていますが、外国の食材を使いながら、きっちりと「和食」に仕上げた「厚揚げと茄子のミルフィーユスタイル」とか「海老とカマンベールの春巻き」なんてメニューが次々と出てきて、バリエーションを豊かにしているのは見事だと思っています。

こういうお店では、お酒の方は最初は生ビール、続いて冬ならば焼酎のお湯割り・梅干し入り、とスタンダード・ワンパターンですが、つまみの方は今まで食べたことのない創作料理に出会えることを楽しみにしています。もう少し年をとると、その辺の好奇心や胃腸も衰えて、「枝豆」「塩から」「肉じゃが」「モツ煮込み」といったクラッシックな居酒屋メニューに回帰するのかもしれませんが。本日もよく飲み、よく食べました。

クリフォード・ブラウン・ウィズ・ストリングス

2005-02-10 23:42:15 | 音楽など

先日エントリーした、クリフォード・ブラウンの記事にトラックバックをいただき、その記事を読んでいるうちに、ブラウンを聴きたくなり、立て続けにアルバム2枚聴ききながら、この日記を書いています。

最初に「CLFFORD BROWN AND MAX ROACH」。こちらについては、ramenyaro777さんのBLOGにある通り。「パリジャン・ソロウフェア」と「ザ・ブルース・ウォーク」の2曲はお酒のグラスがスッカラカンどころか、心臓の鼓動も2曲なみに早くなり、酔いの回りも早くなります。

お次は「CLIFFORD BROWN WITH STRINGS」。全体として、甘ったるい50年代アメリカのバラードを、ブラウンが「せつせつと」トランペットで歌い上げたといった感じの名曲ばかりです。ブラウンも、バックのストリングスも抑えめの演奏で、ほっとくつろげるような、幸せな気分を味わえます。きっと、これらの曲は、アメリカ人にとっての「子守歌」なのだろうと思います。曲は歌い継がれてきたスタンダードナンバー、アレンジも奇をてらわず、真っ向から勝負しています。特に「MEMORIES OF YOU」から「SMOKE GETS IN YOUR EYES」あたりにかけてのブラウンのトランペットは、心にしみいるような音色・フレージングで、まさに純粋なトランペットの演奏を味わえました。やはり、寝る前に聴くのがいいかも。

うーん。今時、CDを1枚ずつ入れ替えているのが面倒ですね。CDチェンジャーがほしくなりました。

サッカーについて

2005-02-09 23:02:56 | Weblog

今日はやはり、サッカー北朝鮮戦についてになります。前半早々に日本のゴールが決まって安心したのもつかの間、最後の最後までハラハラし通しでした。最後は劇的なゴールで日本が勝ったわけですが、いろいろなことを考えさせられました。

日本はやはり、個人技で勝つチームではないのだな、ということがわかりました。ハイライトでゴールシーンだけを見ると、今回は小笠原・大黒選手の個人技のように見えますし、「よくやった!大黒!」といった報道になるのでしょう。しかし、ゲーム全体を見ていると、前半から後半にかけて、特に同点に追いつかれたあたりのぎこちなさと、中村選手の投入後、チーム全体が急にイキイキと動き始め、ボールもよく動くようになった、あの雰囲気の変化をまざまざと感じました。この変化は、中村選手の投入をきっかけとして、チームひとりひとりの動きがすこしずつ良くなり、その合計値が、あのようなイキイキとした動きや、結果としての個人技や名シーンを生むのでしょう。特にサッカーはタイムアウトがないため、いったん傾いたゲームの流れをもとに戻すのが難しい競技だけにそれを強く感じました。

そのような、全員サッカーの日本チームにとっては、「チームやまわりの雰囲気を変えられる人」という存在が必要になってきます。別にその「人」は、強烈なリーダーシップや存在感がなくてもよいし、技術や知識が優れていなくてもよい、退屈な宴会の席にその人が入ってくるだけで、急に座が活性化するような、潤滑油とも、化学反応の触媒ともなるような「人」のことです。自分が動くのではなく、「その他全員を動かせる人」なのです。それは、ある種の「人を惹きつける明るさ」であり、天性の資質であって、努力して得られるものではないのでしょう。中村・中田選手などはそれに近いような気がしますが・・・でもちょっと違うような・・・・・。日本ではそういう「人」は、何となく「2代目、3代目」に多いような気がします。特に政治家などは、最初「親の七光り」などと言われていても、いつの間にか「総理にしたい人」「ポスト●●の最右翼」などと呼ばれるようになるのがそうでしょう。親子三代のサッカー日本代表選手、なんてのはいないのかな。サッカーの能力は遺伝しないのだろうか。

あと、「やはり欧州組がいないと・・・」という呪縛から、今回も解き放たれなかったのが残念でした。もしかしたら、サポーターも、監督も、チームも、そのように意識しまいとして、かえって全体としてそのような雰囲気になってしまうのでしょう。欧州組を投入して、かえって全員がほっとした、というのが実情でしょう。水戸黄門が、印籠を出さずに事件を解決できればいいのですが、やはりそうは問屋がおろさない、というのと同じような気がします。

まあ、なんにせよ、勝ってよかった(という、「のど元すぎると・・」の精神も日本人的ですが)。しかし、一試合くらいは3-0位で、横綱相撲で勝ってほしいと思います。

スーパーボウルについて

2005-02-07 22:52:26 | Weblog

今朝はアメリカンフットボールの「第39回スーパーボウル」が放送されました。フィラデルフィア・イーグルスVSニューイングランド・ペイトリオッツ。VHSとパソコンと両方で録画したので、じっくり見たいと思います。スーパーボウルを見始めたのは1988年の「第22回スーパーボウル」。そのときからスーパーボウルを録画し続けています。

このときの対戦はワシントン・レッドスキンズVSデンバー・ブロンコス。前評判は名QBのエルウェイ擁するブロンコスが高かったのですが、実際はレッドスキンズの圧勝でした。”hogs(野豚)”というニックネームがつけられた、強力なオフェンスラインとランニングバックの力強いランニング・プレーにしびれました。まるで絵に描いたように絶妙のタイミングで、ディフェンスラインに穴をあけ、ランナーが突破していくプレーの美しさときたら、芸術的です。ハリウッドのスポーツ映画でも、「ここぞ」というシーンは必ずスローモーションになりますが、そのくらい美しいプレーでした。何度コマ送りにして見たことか・・・

スーパーボウルでは、アメリカンフットボールの試合はもちろんですが、プリゲーム・ショウやハーフタイム・ショウも楽しみにしています。第22回スーパーボウルのハーフタイム・ショウは、1988年ということもあり、88台のグランドピアノによる演奏と、(なんと)44人のダンサーによるラインダンス!88本の脚が一列に舞う様は、これぞアメリカ、さすがショウビズの国、と感動したものです。また、ゲーム開始に先立ち、必ず、アメリカ国家を斉唱するのですが、これも単なる儀式ではなく、超有名スターが歌い、独自のアレンジもあり、ラストには戦闘機が会場上空を一列で飛行していく、という豪華なイベントになっています。第25回スーパーボウルでは、ホイットニー・ヒューストンが国家を斉唱し、これまた感動しました。このシーンはなぜかビデオに録画できず、今でも残念に思っています。

日本ではサッカーのワールドカップ最終予選の話で盛り上がってしまい、スーパーボウルはあまり注目されていなかったのが(イーグルスもペイトリオッツも地味なチームカラーのためかもしれませんが)残念。ああ、これで今年のアメリカンフットボールのシーズンも終わってしまった・・・次のシーズンが始まる9月まで、撮りだめたビデオ見て過ごします。 

会社ルネッサンス

2005-02-06 18:21:17 | 読書談義
先日は、日下公人さんの「大人の国のための戦争学」を読んで頭の体操をしましたが、今日は、「会社ルネッサンス」を読んで自社と自分をチェックしてみました。この本、1991年の出版のため、当然ですが「インターネット・IT」「携帯電話・モバイル」という観点がすっぽりと抜け落ちている(今だったら著者はこの2つをきっと織り込むことでしょう)ため、その辺は自分の頭で補う必要があります。

本書のテーマは「会社快適生活への道しるべ」です。確かにサラリーマンにとって、人生の最も充実する20歳~50歳代、一日の最もいい時間帯の9:00~18:00までを過ごす「会社」が快適かどうかは、かなり重要ですし、経営側にとっても社員に気分良く働いてもらって会社が発展しないと困ってしまいます。そのためにはどうしたらよいのか、こんなことをしていると、会社は発展しない・・・・という提言が載っています。本書を買った当初は「日下公人さんの著作」ということで気楽に読んでいたのですが、今回は、自社が、15年も前に言われている「こんな会社は発展しない」条件に合致していたらどうしよう・・・という恐怖をもって読み返してみました。

「名刺で判断できる会社の歴史と現状」の章では、以下のように「判断」しています。
(1)もっとも古い会社:1.名刺は縦書き 2.社名は漢字が多く、地名+社業のもの(日本●●製造株式会社 など) 3.部署名・肩書きは漢字二文字(人事、営業、・・・部長、課長、・・) 4.FAX番号がない(今ならメールアドレスがない、に相当する?)
→私の名刺を見ると見事に合致しています。(さすがにFAX、メールアドレスは入れてありますが。)次から横書きにしよう。社名は・・・どうしよう?

(2)やや新しくなると:1.同上 2.社名は「新技術や製造方法」(●●電化とか●●化成など) ・・・
(3)◆もうすこし新しくなると:1.縦書きあるいは横書き 2.社名はカタカナが多くなる。(●●化成の”●●”の部分をカタカナにする、など) 3.部署名が漢字4文字以上(総合企画調整部、新規事業開発部など・・)で、さらに「●●本部」などという上部組織が加わる・・・・
→これは社業が発展して、新規事業に進出したり、組織が拡大している最中ということでしょう。
(4)さらに新しくなると:1.名刺は横書き、カラー、社章入り(現在ではISO14000認証マークや顔写真も追加) 2.社名は英文字(ティー・エス・シーなど) 3.部署名・役職もカタカナ(チーフ シニアエンジニアなど)

初めてお会いして名刺を交換したとき、話のとっかかりとして名刺に関する話題は大変便利で、有効です。先日お会いした方はポリエステルフィルムか何かの透明シートの名刺をいただきました。大会社などを訪問すると、たとえ(4)のパターンであっても、同じデザインで名前だけ違う名刺を沢山いただくことになり、とてもひとりひとり覚えきれない、ということになりがちですが、このような名刺をもらうと、アピール性は抜群です。まあ、名刺だけでビジネスがとんとん進むことなどあり得ないのですが、このようなちょっとした工夫ができる会社は好印象をあたえるのではないかと思いました。

このほか、会社をさらに発展させるための環境作りについて、さまざまな提言がなされています。15年前、ということを差し引いても、考えさせられる内容でした。私が勤める会社でも、「会社ルネッサンス」ができるだろうか・・・

幼稚園訪問

2005-02-04 22:04:18 | 仕事・ひと

本日は立春。そろそろ春の気配がただよう頃ですが、幼稚園、保育園にとっても新入園児を迎え入れる季節になりました。どこの保育園、幼稚園でもこれから3月にかけて、一日入園や入園説明会で大忙しとなります。私が勤める会社でも、このシーズンは、新入園児の園児服や園児用品の販売で忙しくなります。

最近は、幼稚園・保育園でもあるいは保護者の方々の間でも、園児(子ども)の「健康と安全」に対する意識が高まっています。「健康」に関して言えば、一昔前は、子どもは太陽の光をいっぱいに浴びて遊んだものですが、オゾン層の破壊が進む現在では、紫外線から子どものナイーブな肌や体を護ることが求められています。環境省からも「紫外線保健指導マニュアル」が出ていますが、保護者からの要望や、幼稚園・保育園の方針として通園時や屋外での活動に「UVカット帽子」を導入する園が増えてきました。「日焼けした小麦色の肌」というのは、決して「健康的」ではなく、「紫外線が皮膚や体を痛めるのを防ぐための防衛反応」と見るべきなのでしょう。特に肌が弱く、新陳代謝の激しい子どもにとって、紫外線は皮膚の細胞や免疫系への影響が大いため、適切な紫外線対策は重要になると思われます。

「安全」に関して言えば、地域として園児の安全を守るということで、園児服の効果が見直されつつあります。園児服を着た園児が歩いていれば、地域の大人たちが、地域の園児を見守ることになります。制服というと、「自由を束縛する、個性を失わせる」という意見がありますが、それは中学生・高校生の場合であり、元気に遊び回る園児たちを見ていると、制服など着ていようがいまいが、個性的で、精神的にも自由奔放です。どちらかというと「躾」という観点から見た方がよいでしょう。同じ園児服をきている園内では、ごく自然に年少園児の着替えを年中・年長のお兄さん、お姉さんが手伝っています。そうして、きちんとTPOで服を着る・脱ぐということを覚えるようです。

もう一つ「安全」といえば、やはり「防災」に関わることでしょう。当社でも「防災ずきん」なるものを取り扱っていますが、園として、あるいは地域・自治体の防災対策として、この「防災ずきん」を採り入れるところが増えてきました。ということで、本日は、防災ずきんの販売で松本市内の幼稚園におじゃましました。

この幼稚園では本日が一日入園ということもあって、活気にあふれていました。新入(予定)園児にとっても、突然の環境変化だたでしょう。泣きだす子あり、具合を悪くする子もあり・・・。幼稚園から、新入園児の保護者に対する説明があり、そのあと、園内の遊技室で園児服や園児用品の販売がありました。サイズを見るため、むずかる子どもにむりやり園児服を着せるお母さん、さっそく、まわりにある遊具を使って遊び始める子どもたち、、購入したメトロ帽子をかぶって走り回る子どもたち、そして、そんな子どもたちにきちんと目を配っている先生方・・・その喧噪の中で一個でも多く防災ずきんを売ろうとする私・・・。そんなこんなで、一日入園も無事に終わりました。4月から新しい生活が始まる子どもたちには、幼稚園生活を楽しんでもらいたいと思いました。がんばれー

コーヒーについて

2005-02-02 23:50:45 | Weblog

毎日、朝はレギュラーコーヒー、昼とおやつにはインスタントコーヒーを飲んでいます。近頃のように寒い季節になると、一日でとった水分がコーヒーとビールだけ、ということになるほどのコーヒー好きです。子供の頃は、「コーヒーを飲むとバカになる」という親の教育方針のため、ほとんどコーヒーは飲みませんでした。その反動なのか、あるいはコーヒーメーカーが普及して、手軽にレギュラーコーヒーを飲めるようになったせいか、高校あたりからムキになって飲み始め、今に至っています。近頃では、コーヒーは「バカになる」どころか、「糖尿病」から「動脈硬化」も予防し、「ダイエット」にもなるという、すっかり健康飲料となっています。ただ、試験勉強時の「眠気ざまし」の効果については、未だ実感できていません。どちらかというと、朝一番にコーヒーの香りをかぐと目が覚めるような気がします。

せっかく入れたコーヒーは、良いカップで飲むとまた、おいしさが倍増します。とくに、「ボーンチャイナ」と呼ばれる骨磁器の深みのあるオフホワイトの色もそうですが、カップに唇をつけたときの感触もなかなかに官能的です。自宅にも自分用の贅沢として一つだけ「ウエッジウッド」のカップを買いましたが、手入れが面倒で、結局はマグカップで飲んでいます。また、街に一軒くらいは、「好きなコーヒーカップで飲める」喫茶店があり、よく通ったものですが、今ではコーヒーを飲むためだけに1000円以上かけるような贅沢はしなくなってしまいました。

ここ数年来のコーヒーチェーンの発展は、お手軽な価格で本格的なコーヒーが飲めることもあって、うれしい限りです。店内は全面的に禁煙にしているチェーン店もありますが、禁煙にするほどの香りでもないような気がします。テイクアウト用の紙コップなぞは、ふたで密閉して切り口から流し込むスタイルで、これはどうかと思います。コーヒーの立ち上る香りも楽しめず、あの「唇の感触」に至っては絶望的。まるで薬湯を鼻をつまみつつ流し込んでいるようで、ホットコーヒーは歩きながら飲むのには向いていないことがよくわかります。悪口ばかり書いてしまいましたが、一部の店に入っているあのソファはたまりません。運良くあのソファに座れたときは、1時間でも2時間でも粘ってます。(すいません)・・・・

昔はそれなりのこだわりがあり、スタイルがあり、いっぱしの「コーヒー通」になることを目指していたのですが、結局は挫折して、ドトールに通い、インスタントや缶コーヒーも楽しめるようになっています。これは精神的に堕落したのか、そんなにコーヒーに肩肘張る必要もないと悟ったのかどちらかなのでしょう。これからもコーヒーとは長いつきあいになりそうです。

世界史について

2005-02-01 22:01:53 | Weblog

学校の時の教科書というものは、学校を卒業して十数年たった今では、どこにいってしまったのかわかりませんが、今でも愛読?している教科書もあります。それは「世界史地図」です。地図を見ているだけで楽しいのですが、特に「5世紀の世界」というふうに、1世紀ごとの世界地図が描かれているのが、ことのほか気に入っています。

たしか、学校の世界史の授業では「4大文明」→「ギリシャ・ローマ」→「古代中国」→「中世ヨーロッパ」→・・・といったような教わり方をしていたような気がします。これでは「地域史」を細切れにして積み上げただけで、ちっとも「世界史」じゃないと思った記憶があります。今はどんな風に教えているんだろうか。やっぱり「ギリシャ」では「万物の根元は水←→ターレス」「火←→ヘラクレイトス」「数←→ピタゴラス」「原子←→デモクリトス」・・・なんてのを教わり、西ローマ帝国の滅亡(476年)までやってから、紀元前の「中国」へ飛んで「儒家←→孔子」「道家←→老子」「法家←→韓非子」・・・というふうにやっているのだろうか。たしかに、世界全体が一体感を持つようになるのは、大航海時代以降ということになるので、細切れでもよいのでしょうが。

しかし、この「世界史地図」では、各時代の全体像を地図で見せてくれるので、紀元前5世紀ごろに「ギリシャの哲学」と「インドの釈迦」と「中国の諸子百家」がほぼ同時に現れていること、紀元前3世紀ごろに「ローマ(共和国)」と「アレクサンドロスの帝国」と「インドのマウリア朝」と「中国の秦帝国」が古代の大帝国として現れていることが決して偶然とは思えないのです。きっと、それらの事象を引き起こす「世界史的」な「環境」なり「人物」なり「技術」があるのでしょう。また、世界史地図には「エフタル」とか「スードラ朝」とか「奄蔡(アラン)」とかのマイナーな王朝?がさりげなく載っていて、気になります。「世界史」にはほとんど出てこない「日本」にもちゃんと歴史があって、世界史にも(ある程度の)影響を与え・与えられたように、きっとこれらの王朝?にもすんごい歴史があるに違いないと想像することができます。

ギリシャ文化や諸子百家を暗記するのは苦痛でしたが、テストに関係のない今となっては、きっとその時代はイキイキとした時代で、歴史としてもおもしろい時代ではないかと思っています。「史記」や「三国志」が好きだったため、「諸子百家」は一通り読みましたが、「ギリシャ」の方は、いまだ高校時代以来の「『水』のターレス、『原子』のデモクリトス」のレベルのままです。これではギリシャの偉人に対して申し訳ないので、「哲学」方面は無理としても、せめて「ホメロスの『イーリアス』」か「歴史の父=ヘロドトスの『歴史』」くらいは読もうかと思っています。