この本は、太閤秀吉の弟、「豊臣秀長」の生涯を描いたものです。戦国時代というのは、「戦争ばかりしていた悲惨な時代」ではなく、戦後の高度成長期のような、活気に溢れた時代だったようです。その証拠に、豊臣秀吉の存在があげられます。日本の歴史の中で、一庶民が天下をとったという例は秀吉しかなく、そのようなことが起こりえるのがこの時代の特徴と言えそうです。
秀吉がなぜ織田信長の元であれだけ出世し、そして天下統一を成し遂げることができたのか、秀吉の人格や能力も当然あるのでしょうが、著者は、秀吉の弟であり、豊臣家の「補佐役」としての秀長の存在をあげています。著者がいう「補佐役」とは、組織における序列としてはトップ(社長)に次ぐNo2の身分になりますが、ブレーン(秘書室)でもなく、専門家(技師長)でもなく、次期トップでもなく、部門長(中間管理職)でもない、ということで、現在の企業組織上では相当する役職が見あたりません。まあ、トップ機能をサポートする役割だが、次期トップではない、といった所になるのでしょう。そのため、補佐役に相当する人は、「No2としての能力・人格」が要求されるのですが、決してトップには立たないという「節度」が求められています。
豊臣秀長は、秀吉の最初の部下になったときから、死ぬまで、「補佐役」に徹した人です。その「節度」たるや、秀長も一庶民から最後は従二位権大納言まで出世し、秀吉の次に出世街道をばく進した人でありながら、目立った功績もエピソードも伝記も残されていない、という見事さです。その「節度」があればこそ、「社長派VS専務派」といった豊臣家内での派閥抗争もなく、天下取りに邁進できたのでしょう。また、トップたる秀吉も、秀長に対して「完全なる信頼」をもって報いました。本書では、秀長自身のエピソードはほとんどなく、秀長から見た秀吉・信長像を描くという形になっていますが、読み通してみると、いろいろと考えさせられます。
まずは、「信長社長の下で働くのはシンドそう」ということです。一代で尾張半国の領主程度から天下の7部を制するような、超成長企業だけに、秀吉の勤務ぶりは「過酷なノルマと信賞必罰」「残業につぐ残業」「新規顧客開拓・新規事業開拓」「社長(信長)への頻繁な報・連・相や贈り物」等のオンパレード。秀吉の補佐役たる秀長は、常に胃の痛い思いをしたのではないかと思います。とても私には無理だなぁ。かといって、ジリ貧企業の浅井・朝倉会社にいつまでもいると、倒産して文字通り首が飛ぶことになりかねないし。戦国時代に生きた人たちは武将も、部下の足軽も、「自分の身の振り方」を考えに考え抜いたのでしょう。信長→秀吉→家康と天下が順繰りに移行していくのも、日本中の多くの人たちが「自分の身の振り方」を考え抜いて、一斉に「次の天下人候補」になびいた結果かもしれません。
次は、やはり「補佐役」の重要性についてでしょう。歴史上、名参謀や名武将と呼ばれる人は沢山いますが、「名補佐役」と呼ばれる人はほとんどいません。そして、古今を問わず、組織が衰退する要因のひとつが、「内紛」ですが、これは、「参謀」や「一部門長」や「次期トップ」の利害がからんで暴走し、それをトップが抑えきれない場合に起こるのだといえるでしょう。補佐役はトップとの完全な信頼関係のもとで、トップと協力して各部門間を調整し、内紛を抑え、組織を強化していく役割を担っており、その重要性は現在の企業等においても変わらないのではないかと思います。