随所随縁

所に随(したが)い、縁に随い、時に随い、想いに随い、書き留めていきたい。

「アレキサンダー」について

2007-01-27 23:41:47 | 映画・ドラマ

正月に録画しておいた、映画「アレキサンダー」を見ました。アレキサンダー大王と呼ばれた人の生涯を描いたもので、監督はオリバー・ストーン、主演はコリン・ファレル、そしてアレキサンダー大王の母親役がアンジェリーナ・ジョリー、ということでいわゆる「ハリウッド大作」となります。

アレキサンダー大王は、紀元前300年ころ、10年あまりで現在のイラン・イラク・シリア・トルコ・ギリシャ・エジプトに相当する大帝国を築きあげた英雄ですが、マザコン・両性愛者としても知られています。世界史の教科書などでよく出てくる、「イッソスの戦いのモザイク画」の肖像が有名ですが、「大王」というわりに、やさしい感じの顔立ちに見えました。対するペルシャのダレイオス3世は映画のシーンとそっくり(逆です)。

映画は、アレキサンダー大王を中心として、

(1)父親(フィリッポス2世:こちらはいかにも荒くれ大王といった風貌)との関係
(2)母親(前半以外はほとんど存在感がなくなってしまいますが)との関係
(3)恋人(男)との関係
(4)部下(ほとんどが父親に仕えていた部下)との関係

がからみあって進行しており、ハリウッド大作らしく映像もすばらしかったのですが、アレキサンダー大王自身のカリスマ性や「なぜ10年あまりであれだけの戦争に勝ち、広大な帝国を作ることが出来たのか」については、やや物足りない感じがしました。

(1)について、外見はいかにも「野蛮な王様」ですが、息子にギリシャ神話を教えたり、当時世界最高の哲学者、アリストテレスを家庭教師につけたり、と外見とは裏腹にインテリで「よい父親」ぶりを発揮しています。しかし、母親から、「おまえはゼウス神の息子」と言われ続けたせいもあるのでしょうが、なんとなく父子ともにしっくりいかない雰囲気が出ていました。多分、史実もそのような感じではなかったかと思います。

(2)について、A・ジョリーは、「マザコンの息子の母」という役柄にぴったりフィットしていたように思います。また、(3)について、「生身のアレキサンダー大王」を描こうとしてストーリーにちりばめたのだと思われます。母親の影響が強すぎたのでしょうか、アレキサンダー大王の女性関係といえば、「ギリシャとアジアの融合」を目指し、率先してアジア人の女性と結婚した、というエピソードくらいしか残っていません。(3)あたりは、脚本上の彩りなのかもしれません。

一番興味があったのは、最後に(4)についてで、アレキサンダー大王の即位後は、ほとんど故郷を飛び出して遠征につぐ遠征、というより軍隊を連れて世界の果てまで放浪していたようなものです。よく部下がついてきたと思いますし(最後には従軍を拒否されますが)、あれだけの広大な領域を「帝国」としてまとめあげた秘訣、というかモトは何なのか、という疑問が残っています。

残念ながら、映画ではそのへんのところまでは分からなかったのですが、日頃、文献や古びた画像でしか見ることができない「歴史」を映像で見ることができ、楽しみましたし、考えさせられました。

ダヴィンチ・コードについて

2006-05-28 22:39:44 | 映画・ドラマ

流行には鈍感な方ですが、世間であれだけ騒がれたこともあり、つい「ダヴィンチ・コード」を見てしまいました。どうやらそのように思った人が多かったらしく、映画館は開始40分も前から行列が出来るほどの混雑でした。

見終わった後の感想としては、やはり、「よくわからない」です。他の観客のざわつき具合や漏れ聞こえてくる会話でも同じような雰囲気でした。やはり、短い上映時間で(それでも、よくわからないため、長く感じましたが)謎を詰め込みすぎたからではないかと思います。キリスト教のバックボーンのある人なら、解説不要で分かることも、われわれにはじっくり説明してもらわないと分からないことが多いのですが、それらが謎解きの段階で次々に出てくるので、すぐに混乱してしまいます。

この映画は、基本的にはレオナルド・ダヴィンチの絵をはじめ、さまざまな記号や文書・建物に込められた暗号(コード)を解いて、殺人事件とキリスト教の「謎」に迫っていくものですが、謎解きのテンポが早すぎて、自分でもその「謎解きの論理」についていけませんでした。たぶん、原作の小説を繰り返し読めば理解できると思いますが・・・・。ただ、警官や殺人者に追われながら、ルーブル美術館を起点に暗号の指し示す場所へ移動し徐々に謎に迫っていくストーリーは、引き込まれるものがあります(ただ、どこへどういう順序で回ったかは混乱してしまって覚えていませんが・・)。そして、最後の最後まで、どんでん返しがあり(またはどんでん返しがありそうで)どきどきさせられます。

また、この映画では、キリスト教に関し、さまざまな「解釈」が行われていますが、キリスト教のバックボーンがないため、その「解釈」が「いかにもありそう」なのか「全くの荒唐無稽」なのか見当がつかないのが残念なところです。もちろん、フィクションであり、エンターテイメントですので、そんなにこだわらなくてもよいのですが、ある程度の「リアリティ」がないと、上質の作品とは言えないと思っています。

この映画を見て考えさせられたことといえば、やはり、この「謎」について、イエスの時代の人は「事実として」知っていたはずです。ところが、やがて「伝説」となり、その伝説が失われてしまうと、(わずかにダヴィンチの暗号や秘密結社の伝承などで残されることがあったとしても)その事実が消滅してしまう、ということです。私たちが学ぶ「歴史」は、現在まで保存されたわずかな文書や資料から再構成されたものですが、忘れ去られて、消滅してしまった「事実」がたくさんあるのではないかと思われます。この映画が採り上げた「謎」も、やや荒唐無稽な感じもしますが、もしかしたら事実も含まれているかもしれないと思っています。

「48時間」について

2005-10-04 23:56:47 | 映画・ドラマ

たまたまNHKのBS放送を見ていたら、映画が始まったので、なんとなく見てしまいました。エディー・マーフィーの出世作として有名な「48時間」。ニック・ノルティとエディー・マーフィーの凸凹コンビが、脱獄した凶悪犯人を追いかけるストーリーでした。

エディー・マーフィーといえば、「ビバリーヒルズ・コップ」が印象に残っていて、それとくらべるとユーモアも、存在感もせりふ回しも今ひとつ、という感じがしました。「白人」「黒人」「先住民」などの台詞がしょっちゅうでてきて、字幕では「穏当」な翻訳でしたが、英語の台詞は、現在なら放送禁止用語がばんばん出てくるのではないかと思います。シリアスでもなく、ユーモアでもなく、そういう面でのアクの強さが全編にあって、少々胃がもたれる映画でした。制作は1982年とのこと、ちょっと時代を感じさせます。

ニック・ノルティという俳優は、アメリカ人にとって、どういうイメージなのかは、興味のあるところです。タフガイというほどカッコイイわけでもなく、シブいわけでもなく、巨体だけれど、冴えない中年のイメージが張り付いています。アクションシーンもあまりサマにならないし、ファッショナブルでもなさそうだし。ただ、執拗に犯人を追いかける不屈の精神やふっと見せる優しい(あるいは哀しげな)瞳はいいなと思います。それに比べてエディー・マーフィーのジョークを飛ばしながらも笑っていない目はちょっと怖い。

ストーリーでは、エディー・マーフィーもかつては凶悪犯人とグループを組んで悪事を働いたことになっていますが、そのグループ内でもさぞかし「浮いて」いたに違いないと想像しています。ニック・ノルティもそうですが、エディー・マーフィーのユーモアを受け止めてくれるキャラクターがこの映画にいないようです。だから、よりいっそう彼が強烈な印象を与えたのかもしれません。

トップガンについて

2005-07-05 23:02:16 | 映画・ドラマ

先週、TV放映された「トップガン」を録画して見ました。制作は1986年で、20年近く前の映画のため、主演のトム・クルーズがえらく若かったのが印象に残りました。

どちらかというと、もうひとりの主役である、F-14戦闘機に興味を持ちました。F-14は、こちらは艦隊の防空戦闘機として開発され、特徴は空対空ミサイルと強力な対空レーダーだそうです。乗員は操縦員とレーダー員の2名とのこと。うんうん。確かに映画でもそのコンビの友情がテーマでしたし、レーダーも、空対空ミサイルも頻繁にでてきました。やはりF-14の宣伝映画だったのか。

20年前の映画にしては、あまり古くささを感じなかったのは、主役が戦闘機だったからかもしれません。F-14の配備は1973年からだそうですが、映画の公開時点の1986でも、はや10年以上が過ぎています。10年前のパソコンなどはいかにも古くさいのですが、戦闘機ともなると、それほどでもありません。1970年代に配備されたF-15戦闘機なども、30年以上たった現在でも「世界最強の戦闘機」と言われているようですし、民需品と軍需品の違いなのでしょうが、頻繁なモデルチェンジはないようです。

実際の戦闘機を使用しての撮影というのもすごいことなのでしょうが、空中戦のシーンは今ひとつわかりにくかったです。戦闘機がびゅんびゅん高速で画面を横切るばかりで、どれがミグでどれがトム・クルーズの機なのも判別できませんでしたし、マーベリック(トム・クルーズ)の天才的な戦闘技術がどのようなものなのかも映像で理解できなかったのは残念に思いました。

映画「マトリックス」について

2005-04-03 21:45:54 | 映画・ドラマ

TV放映した「マトリックス」を録画して見ました。1999年公開とのこと、あの、弾丸をよけるシーンだけは何度も見ましたが、全編通して見たのは初めてでした。いろいろな世界(というか次元というか)で物事が展開するため、一回見ただけでは、何がなんだかよくわからないのですが、確かに手に汗にぎるシーンが続いておもしろかったです。

しかし、「マトリックスとは何か」という説明も、わかったような、わからないような感じでしたが、あの、電話の受話器を取るとテレポーテーション?する、あの原理の解説をして欲しかったなーと思います(SF的な解説でもいいから)。あと、100年後のハイテク船「ザイオン」の機器が意外に古くさいのが笑いました。相変わらずキーボードたたいているし。100年たてば、もう少し操作方法が洗練されてもいいような気がするのですが、やはりマウスクリックしたり、音声認識みたいなものは「絵」にならないんだろうな。キーボードをカチカチやっているほうがカッコイイし。

また、「エージェント」が3人しかいないのも、どうかと・・・・そのうちの二人は頼りなさそうだし。もっとウイルスのようにわらわらと出てくるのかと思っていました。あと、アメリカでは「おどろおどろしいもの」というと、必ず「タコ」や「イカ」や「ゴキブリ」なんだなぁ、とか、枝葉のことばかりが気になりました。ま、ビデオで2~3回見ればなんとなく理解できるのではないかと思います。まだ、この先、「リローデッド」「レボリューション」とシリーズが続いています。一作づつ、じっくり見ようと思っています。

しかし、このような未来ものの映画・小説などで出てくる、「コンピューターが人間を支配する」というテーマですが、これは本当に起こりえるのだろうか、と考えさせられます。現在の「人工知能」も、「一人の人間の知能」が精一杯といった感じですし、無数の人間の思考や行動が集積した、この社会をコントロールすることは、とても無理ではないかと思いますが。それに比べれば「核戦争」や「隕石の衝突」の方が実際に起こりそうな気が・・・・

ギャング・オブ・ニューヨークについて

2005-03-27 22:53:13 | 映画・ドラマ

ギャング・オブ・ニューヨーク」をTVで放映していたので、録画して見ました。レオナルド・ディカプリオとキャメロン・ディアスのキャストでアカデミー賞ノミネート作品とのこと。ギャングと言っても、「ゴッド・ファーザー」や「アンタッチャブル」のころのギャングではなく、それよりも80年近く昔、1840~60年頃のギャングたちの物語です。

この時代は、ちょうどアイルランドで「大飢饉」が発生し、アイルランドの住民900万人程度のうち、100万人が餓死し、150万人がアメリカへ移住(というより逃げ出した)したと言われる時代です。毎日のように大量の移民が押し寄せたことでしょう。受け入れる側のアメリカでも、多くの悲劇や混乱があったに違いありません。しかし、またこの時代は「ゴールドラッシュ」の時代でもありました。キャメロン・ディアス演じるジェニーが、サンフランシスコへ行こうとしていたように、西へ向かえば、人生をやり直せる、と思えた時代でした。最後は南北戦争と重なっています。

ゴールドラッシュと南北戦争の時代という認識しかなかったのですが、アイルランドからの移民組とネイティブ組(少し昔はやはり移民だったのでしょうが)の抗争は歴史的な事実であったそうです。うーん。知らなかった。映画は、移民組のリーダー、ヴァロン神父が敵であるネイティブ組のリーダー、ビル・ザ・ブッチャーに殺され、神父の幼い息子アムステルダムが復讐に立ち上がる、というストーリーとなっています。所詮はニューヨークの数ブロック程度の支配権を争うギャングたちの抗争をメインに描いているため、大きな時代の流れというよりは、混乱の時代を懸命に生き抜く、末端の庶民や移民の暮らしぶりが中心になっています。また、抗争といっても、映画の「ゴッド・ファーザー」のギャングがピストルを振り回したのと違い、ナイフ、斧、棍棒を武器に戦っています。そんな時代とはいえ、ある程度のルールがあったのでしょう、ピストルなどは使わず、リーダーが殺された時点で、「戦争」は終わりになっています。恋愛あり、残虐シーンあり、当時の庶民のエンターテイメントのシーンがあり、さまざまな困難があって、アムステルダムとビル・ザ・ブッチャーとの最後の戦いが始まります。同時に発生したニューヨークの暴動も頂点に達します。そして・・・・

ラストシーンで、主人公に「俺たちのことなど、誰も知ることはない」と言わせています。なるほど歴史上では、ニューヨークで暴動が発生し、軍隊により鎮圧された、という小さな事件にすぎません。しかし、主人公にとっては自分と恋人以外は、全て死んでしまった以上、復讐も、戦うべき敵も、守るべき味方もなくなってしまったということでしょう。そして、南北戦争が終結し、アメリカ合衆国が再統一され、混乱や無秩序の時代からいよいよ産業革命の時代に移っていきます。そして最後に、エンディングテーマとともに、主人公の父と、そして宿敵であったビルの墓の背景として、移り変わるニューヨークの姿が映し出されます。産業革命の時代(煙が立ち上る工場群)、資本主義・帝国主義の時代(エンパイヤ・ステートビルと摩天楼)、そしてパックス・アメリカーナの時代(世界貿易センタービルが・・・・・そして今は?)。

映画「グラディエーター」について 

2005-03-21 21:50:47 | 映画・ドラマ

TVで放送された映画「グラディエーター」を録画して見ました。歴史物の映画は好きで必ず見ているのですが、この「グラディエーター」は、「アカデミー賞」をいくつも獲得している名作とのことで、期待して見ました。特に古代ローマものは、コロシアムや神殿などの大規模なセットがなければお話になりませんし、戦闘やローマ皇帝のパレードなど、お金がかかるシーンが多いだけあって、視覚的にも楽しめます。何もお金ばかりかけるハリウッド大作が全てではありませんが、やはり歴史物はその時代にどっぷりと浸かるため、セットや時代考証にはお金をかけてほしいと思っています。

「グラディエーター」の時代は西暦180年ころ、世界史で習うところの「五賢帝時代」の最後の皇帝、マルクス・アウレリウスが死ぬところから始まります。ちなみに、なぜ賢帝が五人も続いたのかというと、それぞれに優れた資質の皇帝がたまたま実子がなく、優れた人物を養子にして後を継がせたからです。映画のシーンのように、マルクス・アウレリウス帝がマキシマス将軍に後を継がせていれば、「六賢帝」になったかもしれませんが、映画でも、史実でも、出来の悪い実子コンモドゥスが後を継ぐことで、「五賢帝時代」が終わりを告げることになりました。

映画では、前皇帝の信頼厚いマキシマス将軍が、現皇帝のコンモドゥスに嫌われ、処刑されるところを危機一髪で逃れますが、結局、剣闘士奴隷(グラディエーター)となります。このあたり、何やら「ベン・ハー」と似たようなストーリーですが。これ以降は、虎が出たり、戦車が出たり、1対1の対決や、集団対集団の対決あり、といったさまざまな剣闘試合のシーンが展開されます。このあたりの趣向の凝らし方は、現代の「プロレス」を思わせるものがあります。そして「悪役の皇帝」と「人気剣闘士」を軸に「サーカスとパン」そして「ローマの退廃」を描いています。

最後には皇帝御自ら剣闘試合に臨むことになります。歴史上でも、皇帝が自ら競技会に参加することはあるのですが、その場合もちゃんと”打ち合わせ”済みの場合です。いくら何でも、皇帝への復讐を公言してたプロの剣闘士と試合をするなどというのは、いくら「ハンデ」があったとしても???という感じです。映画でも「親衛隊」が視覚的・効果的に使われていますが、史実においても、コンモドゥス帝は親衛隊に暗殺され、ローマ帝国は親衛隊を味方につけた者が皇帝となる、軍人皇帝時代へと進みます。「マルクス・アウレリウス帝の夢」はかなわぬ夢となるのですが、映画のラストシーンの「静寂」は印象に残りました。

地獄の黙示録・特別完全版

2005-03-06 22:12:38 | 映画・ドラマ

NHKのBS2は、良質な映画を放送時間の枠にとらわれずに放送してくれるので、気に入っています。民放の場合、CMが頻繁に入り、実質的な放送時間は1時間半か2時間といったところです。大抵ビデオに録画してから見るのでCMは苦にならないのですが、原作の原型を止めないほどにカットされ、まるで支離滅裂になってしまいます。その点さすがNHK、どうやって放送時間を決めているのかわかりませんが、映画によっては3時間でも4時間でも、平気で放送してくれます。

今日はNHKのBS2で放映され、録画しておいた、「地獄の黙示録・特別完全版」を見ました。
放送時間は3時間20分あまり。特別完全版ということで、オリジナル版ではカットされたシーンが追加されているとのことでしたが、オリジナルを見ていないので、どこが追加なのかはわかりません。そして、率直な感想としては、「長かった」ということと「よく理解できなかった」というところになります。たぶん、「黙示録」という言葉がこの映画を一貫して流れる主題なのでしょう。小さい頃から「ヨハネの黙示録」を読んできたキリスト教の人にとっては自明のことなのでしょうが、この「黙示録の世界」がわかっていないだけに、肝心のところの意味を理解できていないような気がします。結局いくつかの短編小説をつなぎ合わせて長編にしたように感じてしまい、そのため余計に長く感じたのでしょう。

アメリカ映画のベトナムものは数多くの作品がありますが、見たことがあるものはO.ストーンの「プラトーン」だけでした。「プラトーン」も「地獄の黙示録」も、その迫力ある戦闘シーンなどは「大作」と呼ばれるにふさわしいものですが、主役の目を通して見た、二人の異なるタイプのリーダーが印象に残りました。「プラトーン」の場合は「バーンズ軍曹」と「エリアス軍曹」、「地獄の黙示録」は「キルゴア中佐」と「カーツ大佐」です。戦争という壮大・複雑なテーマを描くには、異なる二人の人格に凝縮して表現するのが効率的で効果的なのでしょう。また、いずれの人格も単純・極端に描かれており、実際にはそんな人物はいないのでしょうが。

前半に出てくる「キルゴア中佐」は、「戦争」という異常事態の中でも、なんとなく「平和な世界」に通じる、「アメリカ的な明るさ」を感じました。部下にサーフィンの名人がいれば、戦闘の最中にサーフィンをやらせたり、夜はギターをかき鳴らしたり。まさに西部劇の中のカウ・ボーイの役回りで、部下の兵士もはらはらしながら案外喜んでこのリーダーに従っているのではないかと思います。この辺はわかりやすいのですが、後半の「カーツ大佐」は、主役にいろいろなことを語りますが、彼が結局何を考え、何をしたいのかがよくわかりませんでした。彼は戦争の狂気や暗さを一身に背負った「教祖タイプ」で、部下は、信徒が教祖につき従うごとく従い、きっと戦っても強いのだろうと思いますが、彼が死んだらそれで終わり、といった脆さ・絶望が感じられました。

「地獄の黙示録」は世界的にも評価の高い作品なのでしょうが、個人的には重すぎて消化不良といったところです。やはり単純明快な「ハリウッド大作」が好きだなぁ。

「ディープインパクト」と「アルマゲドン」

2005-01-03 21:43:19 | 映画・ドラマ

今までで最も感動した映画を募集。というお題について、「感動」の意味もいろいろありますが、とにかく一番涙を流したのは、「ディープインパクト」と「アルマゲドン」かなと思います。どちらも地球に隕石が落下して、人類滅亡の危機に陥るという、ほぼ同じネタで、しかもほぼ同時に封切りされたものですから、つい、両方映画館で見てしまいました。

ともに自分の身を犠牲にして人類を救う、といういかにも、というストーリーなのですが、やはり涙がこぼれました。人前で泣くのは恥ずかしいと思っているタイプですが、どうにもしょうがありません。

映画館では、つい見過ごしてしまうシーンが多く、あとでビデオなどでじっくり見ると、シーンひとつひとつの意味がよくわかることがあります。そのうち、上記の2作品のビデオでもじっくり見直したいと思っています。