今回ご縁があって参加することになった、モンゴルの植樹事業ですが、目的はいくつかあります。ひとつ目が、森林を増やすことにより、地球温暖化や砂漠化を抑えることができるわけですが、その植樹活動を通して、日本人の「思いやりの心」、他者のことを考える、大切にする心をモンゴルにも伝えたいというものです。ふたつ目が、この植樹した苗木の管理を現地の方にお願いすることで、雇用を創出するとともに、実際に木を育てることで、地球環境を思いやる心をモンゴルの地に広めていきたい、というものです。そういうわけで、この森の名は「OMOIYARIの森」と名付けられました。
実際に植樹を行ったのは、モンゴルの中央県でウランバートル市内からバスで1時間半あまり、本当に何もない草原でした。まあ、実際には送電線やマイクロの鉄塔などがありましたが。それでも日本に比べると、まさに別天地といえるところでした。その大草原のまっただ中に600m×80mの土地を区切り、周りに柵を作って家畜等の侵入を防ぎ、そこに3000本あまりの苗木を植えました。やがて苗木が育って森になったとき、上空から見ると「OMOIYARI」の字が浮かびあがるように植樹されました。なんとも壮大な話ですが、近頃は、「Googleマップ」等で全世界の衛星写真や航空写真がパソコンで見られる時代ですから、何年か後に、この「OMOIYARIの森」をチェックすることを楽しみにしています。
植樹した木は「ポプラ」で、乾燥にも強いらしく、ウランバートル市内にも沢山のポプラが街路樹として植えられていました。ちょうど今の季節、ポプラの綿毛が雪のように風に舞っていました。モンゴルの方々の協力により、すでに植樹場所に穴が掘られており、穴の脇に苗木が置かれていたので、実際の植樹作業は、穴の中に苗木をセットして土をかけ、水を撒くだけでした。ただし、水は井戸が1ヶ所しかないため、全ての苗木に水をやるのは、200mくらいのバケツリレーを行いました。
植樹作業には80名近くが参加したため、2日目の午前中には作業が終わり、午後には記念式典が行われました。式典はモンゴルの環境省副大臣や中央県の県知事などが招かれ、お約束のテープカットや除幕式などがありましたが、最後に、モンゴル側からのお礼として、馬が一頭プレゼントされたのには驚きました。その名は(もちろん)「OMOIYARI号」。当然日本に持って帰れないので、森を管理する方々に管理をお願いしてきたわけですが。
植樹作業中にも、周りを見渡せば家畜の群がゆっくりと通り過ぎ、時間がゆったりと流れているのを感じました。我々と、この森と送電線を除くと、チンギスハーンの時代から、この大地はこのままの眺めだったのかなと思いました。(次回へ続く)
実際に植樹を行ったのは、モンゴルの中央県でウランバートル市内からバスで1時間半あまり、本当に何もない草原でした。まあ、実際には送電線やマイクロの鉄塔などがありましたが。それでも日本に比べると、まさに別天地といえるところでした。その大草原のまっただ中に600m×80mの土地を区切り、周りに柵を作って家畜等の侵入を防ぎ、そこに3000本あまりの苗木を植えました。やがて苗木が育って森になったとき、上空から見ると「OMOIYARI」の字が浮かびあがるように植樹されました。なんとも壮大な話ですが、近頃は、「Googleマップ」等で全世界の衛星写真や航空写真がパソコンで見られる時代ですから、何年か後に、この「OMOIYARIの森」をチェックすることを楽しみにしています。
植樹した木は「ポプラ」で、乾燥にも強いらしく、ウランバートル市内にも沢山のポプラが街路樹として植えられていました。ちょうど今の季節、ポプラの綿毛が雪のように風に舞っていました。モンゴルの方々の協力により、すでに植樹場所に穴が掘られており、穴の脇に苗木が置かれていたので、実際の植樹作業は、穴の中に苗木をセットして土をかけ、水を撒くだけでした。ただし、水は井戸が1ヶ所しかないため、全ての苗木に水をやるのは、200mくらいのバケツリレーを行いました。
植樹作業には80名近くが参加したため、2日目の午前中には作業が終わり、午後には記念式典が行われました。式典はモンゴルの環境省副大臣や中央県の県知事などが招かれ、お約束のテープカットや除幕式などがありましたが、最後に、モンゴル側からのお礼として、馬が一頭プレゼントされたのには驚きました。その名は(もちろん)「OMOIYARI号」。当然日本に持って帰れないので、森を管理する方々に管理をお願いしてきたわけですが。
植樹作業中にも、周りを見渡せば家畜の群がゆっくりと通り過ぎ、時間がゆったりと流れているのを感じました。我々と、この森と送電線を除くと、チンギスハーンの時代から、この大地はこのままの眺めだったのかなと思いました。(次回へ続く)