随所随縁

所に随(したが)い、縁に随い、時に随い、想いに随い、書き留めていきたい。

今週のNEWSWEEK日本版

2006-05-25 22:36:02 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「世界遺産が危ない~観光ブーム、温暖化、乱開発 地球の宝が消えていく」でした。内容は、このタイトルの通りで、ユネスコの世界遺産登録により、観光客が増加し、乱開発が進み、却って環境を破壊してしまうというものです。確かに観光客が通り過ぎるだけで、損傷を受けるであろうし、大勢の観光客が押し寄せれば、周辺にホテルから土産物屋までが乱立することになります。そもそも、世界遺産の登録は、貴重な自然や文化遺産を保護することにありますが、運営の仕方を誤ると、逆効果になりかねません。

ただし、NEWSWEEK誌の中に「金満観光客が人類の遺産を救う」というタイトルの記事があるように、観光客は地元の人たちが捨て去った、または、放置している古い建物や文化、そして自然を求め、沢山のお金を落としていきます。観光客の誘致のために、各地でさまざまな伝統行事や伝統芸能、文化遺産などが復活していますが、これも観光客効果といえるでしょう。一例として、観光客の増加により、南米の先住民族が、「ジーンズを穿いてテレビを見る」生活から、「伝統的な家屋に暮らし、民族衣装を身につける」生活に戻った例が上げられています。「復活した伝統」などは、どうも観光客向けのまがい物か、安易なテーマパーク風になりがちですが、全く伝統が消滅してしまうよりましなのかもしれません。

もう一つの記事に、「消えゆく世界の7大スポット」というタイトルで、存続の危機に名所として「ルクソール(エジプト)」「万里の長城(中国)」「ベネチア(イタリア)」「モルディブ」「マチュピチュ(ペルー)」「バビロン(イラク)」「コーラルトライアングル(インドネシア~フィリピン)」が紹介されていました。要因も、乱開発による浸食や地球温暖化による水没、観光客による損傷、紛争などさまざまです。建築物は予算さえあれば修復も可能ですが、自然ともなると、修復は容易ではなさそうです。観光客が世界遺産を救うのか、滅ぼすのか、やり方次第といった感じがします。

今週のNEWSWEEK誌より~ブログは新聞を殺すのか

2006-03-09 17:58:23 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「ブログは新聞を殺すのか~アメリカ最新現地リポート メディアの未来」でした。アメリカでも日刊紙の合計発行部数は減り続けており、発行部数は20年間で13%、新聞の数は30年間で17%減少したという結果が出ています。

一方仮説ではありますが、2010年にはgoogleがカスタマイズされたニュースを自動的に提供するサービスを開始すると予想されており、このサービスでは、新聞社のサイトやブログなど、ネット上のあらゆる情報源から文章・コメント・データを抽出し、自動的に組み合わせて記事を創り出すものになるようです。そして2014年には各ユーザの好みに応じてほしがる情報を自動的に集めて届けるサービスが登場すると予測しています。

また、現実面でもアメリカでは現在、グーグルニュースやヤフーニュースなどのニュースサイトがあり、相当活況を呈しているようです。このニュースサイトの台頭により、新聞社が持つ、巨大な印刷工場や多数の宅配トラックなどが不要になってしまうと考えられています。

私も全国紙と地方紙を愛読していますが、全国紙などは地方までの輸送時間がかかるせいか、締め切り時間が早く、プロ野球などは最終結果が翌朝の朝刊に間に合わないことがよくあります。夕刊はとっていないため、報道が一日遅れということになります。大事件などが起きた場合、常に地方紙の一日遅れの見出しを見るとがっかりしてしまいます。また、全ての読者が理解できる(と思われる)レベルで記事を書いているため、ある分野では物足りなさを感じてしまいます。

一方ブログやニュースサイトなどは、リアルタイムで自分の好みに合わせた情報を得ることができそうです。新聞が全国民が同じ記事を読まされるのに対し、立場、好み、知識に合わせて情報を選択できるのは強みになりそうです。ただ、ニュースサイトそのものが、新聞社の記事などを集めてくるだけであり、独自の取材をしているわけではないので、「新聞を殺す」ことになるのかどうかはわかりません。取材力や事実への洞察力に関しては、やはり「専門家」と「一般人」では立場、知識、能力の違いがあるかと思われます。一般人の取材・コメントであれば、「一般の人たちが、この事件に対し、どう考えているか」は分かりますが、専門家の取材・分析による記事とは、「記事の質」の面で太刀打ちできないと思われます。

最近では、ブログの記事が新聞に転載されるなど、ブログやニュースサイトと新聞が何やら協力しあっているような、もたれ合っているような印象を受けます。お互いのレベルが低下するのではなく、協力により、双方のレベルアップにつながることを期待しています。私個人としては、ブログ・ニュースサイト派かもしれません。経済関連は日経新聞、スポーツはスポーツ新聞といった、それぞれの分野の専門誌の記事をつまみ食いしつつ、ブログなどで、その記事に関して意見やコメントを書いたり、他人や取材者の意見を聞いたりしながら情報交流ができるようになればいいなと思っています。

今週のNEWSWEEK誌より~下流パニック

2006-02-24 22:00:21 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「下流パニック~格差先進国アメリカに見る日本の未来像」でした。アメリカは「アメリカンドリーム」に象徴されるように、どこまでも「成功」するチャンスがあるのですが、その確率は上に行くほど「ドリーム」に近くなるわけで、アメリカの「年間所得別世帯分布」をみると、世帯収入のレベルを5つに区分した場合、下位の3区分(~2.5万ドル、2.5~5万ドル、5~10万ドル)に属する世帯数がほぼ同じで、下位2区分で55%、下位3区分で85%を占めています。「格差の少ない中流社会」といえば、中位の区分(この場合5~10万ドル)の世帯が最も多く、最上位区分と最下位区分が最も少なくなるはずですが、アメリカの場合、下位3区分がほぼ同じパーセンテージとなっており、中心層の所得が下がってきていることがわかります。一般的なアメリカの庶民に対して平均的な会社経営者が稼ぐ年収の格差は1978年時点では35倍でしたが、2004年には435倍にもなっているとのこと。アメリカ庶民の平均年収が300万円とすれば、平均の経営者は13億円ということになります。

一方日本では、世帯収入が「200~500万円」が40%、「500~1000万」が37%で、このへんが日本の一般的な「サラリーマン世帯」になるのでしょうが、この2区分で全体の77%を占めています。いちおうグラフは山型になっており、まだまだアメリカに比べ、「中流度」は高いようです。しかし、「格差社会」への移行は確実に進んでいる模様で、記事でも、格差を「病」と見ています。なにやら、だんだんと病に冒されていくような不安を感じさせますが、江戸時代の士農工商の「格差社会」を経験していますし、明治や戦前も「格差社会」でした。明治・大正の様子を描いた本などを読んでいると、「サラリーマン世帯は、ほとんど税金を納める必要はなかった(その代わり福祉も選挙権もなかった)」などという記述が出てきます。福祉などは国の担当ではなく、「家族」や「親戚」の担当だったということでしょう。また、都市の大半の人々は借家住まいで持ち家志向は少なく、企業においては終身雇用制度はほとんどなく、現在のアメリカ並みに転職していた(あるいは企業が解雇していた)ようです。戦争を挟んで前の時代は、今とは全く考え方が逆の社会だったようです。

この格差社会、さまざまな問題を含んでいますが、ぜひ、格差を無くすための対策と同時に、日本がかつて経験してきた格差社会の「状況」や、格差社会を明るく生き抜く「知恵」についても研究を進めてほしいと思っています。

今週のNEWSWEEK誌より~日本人とは何者か

2006-02-16 22:14:28 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「日本人とは何者か~世界化するニッポン、日本化する世界」でした。「世界化するニッポン」の方は、つまり「急速に日本の伝統や習慣が失われている」ということななのだろうと思います。ただし、いわゆる「日本の伝統」というものは何なのか、そして本当に昔から続いているものかどうか、ということは考える必要がありそうです。また、われわれとしても、時代に合わせて伝統や習慣も変わっていくのが当然、という意識がありますので、「失われた伝統」などと言われても、それが惜しいとは思っていないところがあります。

しかし、具体的に、どの辺が「世界化するニッポン」なのか、というところで、記事では、クリスマスなどを祝う、洋食を好む「欧米化」であるとか、相撲界を支えているのが外国人である、といったことが述べられているだけなのが残念に思いました。逆に「日本化する世界」も「外国のスシバー」と「カイゼン」「日本のアニメ」といったところで、特に感心するほどの例ではありません。この記事を著者は、外国人ですが、やはり著者の「日本」のイメージは、映画の「ラストサムライ」「SAYURI」的なイメージと「ジャパンバッシング」の頃のイメージがあるようです。私としては、それは「日本らしさ」の一面(または一時期)にすぎないと思っているのですが、何が世界化なのか、何が日本化なのかのイメージがつかめずにいます。

ただし、「国内の新婚カップルの20組に1組は国際結婚で、東京では10組に1組が国際結婚」というのは、「世界化するニッポン」を感じてしまいます。また、私が住む松本市も地方都市ではありますが、外国人が結構沢山住んでいますし、外国人の子どものための保育施設もあります。日本のグローバル化の歴史は明治以来の150年あまりの短いものですが、着実にグローバル化は進んでいることを感じます。クリスマスやハロウィーンを楽しんだり、日本で、本格的な中華料理やフランス・イタリア料理など、さまざまな国の料理を楽しむあたりが第一段階とすれば、現在は第二段階にあるのかもしれません。この段階での問題は、「日本人」と「在日の外国人」の衝突で、日本でも「ムハンマド漫画事件」のようなことが起こるかもしれません。相手の文化を理解すること、共存することができるかどうか、そして相手に日本の文化を理解してもらうことできるかどうかが重要になりそうです。このあたりをクリアすれば、やがては、ブラジル人の師匠に茶道を習う、とかアメリカ人の僧侶にお経を上げてもらう、などといった愉快なことになるのかもしれません。こうなればグローバル化も完成したと言えるでしょう。

今週のNEWSWEEK誌より~危ない航空会社ランキング

2006-02-02 18:30:31 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「危ない航空会社ランキング~主要284社を安全指数で格付け」でした。世界に主要航空会社が284社もあるのか、というくらい航空会社には縁がありませんが、海外旅行に出かけるときは、もしかしてお世話になるかもしれないので、とにかく「安全ランキング」だけは見てみました。安全性に密接に関わる「機体年齢」や「機種編成」「運行体制」など11項目で評価していますが、総合点(100点満点)のランキング1位は92.2点のルフトハンザ航空(ドイツ)、そして284位が0点(!)のアリアナ・アフガニスタン航空となっています。日本では12位の全日空がトップになっています。とはいえ、ベスト50くらいまでは、総合点が80点以上であり、「機体年齢」や「機種編成」を除けば、ほとんど満点に近い評価を受けており、ほとんど安全性に差は無いと見てよさそうです。また、航空機のトラブルが発生すると、すぐに全ての同型機の検査をする、という報道を耳にするのですが、やはり安全性は、機種に大きく依存しているようです。

航空会社にとって、コスト競争に追われながらの「無事故」の継続は「永遠の経済成長」や「連勝記録」と同様に難しいのではないかと思われます。関係者や現場には相当なプレッシャーがかかると思われますが、なにしろ1回墜落すると、「乗客乗員全員死亡」「死者何百人」という事態になってしまうのですからしょうがないのかもしれません。私の感覚からすると、一次元の線上を走る車や電車より、3次元の空間を飛ぶ飛行機の方が事故に遭う確率は低いと思っていたのですが、事故の70%が離陸後3分間と着陸前の8分間に集中しているようで、
やはり「一次元」の問題になっています。

記事では、われわれ一般人の抱くイメージには誤解があることを指摘していますが、「コストを削減すれば(価格競争が加熱すれば)安全性がおろそかにされる」という説は正しくないようです。航空業界の規制緩和が行われたアメリカで、規制緩和後、価格競争にさらされながらも事故は減っていますし、アメリカの多くの航空会社が破産申請をしていますが、例えば2度も破産申請をしているコンチネンタル航空のランキングは6位で、一度も破産してないアメリカン航空が27位、というランキングになっていることから、「経営が悪化すると安全性の手を抜く」わけではなことがわかります。記事にもありますが、空の安全で何より重要なのはむしろ「透明性」で、トラブルの隠蔽が一番危険であると思います。次々とトラブルが報道されたときに、「安全神話の崩壊」などと言われますが、報道されている事自体が「健全である」という見方が必要であろうと思われます。

その他の感想として、ランキングの低い会社は、開発途上国の小規模な会社なので、一般の日本人であればほとんど利用することがないと思われます。ただ、エアージャパン(日本、198位)や中華航空(台湾、203位)あたりは少し気になりますが・・・・やはり、スターやワンワールドなどの「主要なアライアンスに加入していること」も安全性の観点から大きなポイントになりそうです。「運行体制」や「安全基準」が満点でも、アライアンスに加入していない新興の小企業などは不利になる傾向があります。まあ、ある程度名の通った航空会社なら、ほぼ安全性は大丈夫と思ってよさそうです。

最後に統計ですが、2004年の事故発生率は10万便に1回以下、死者が出る事故は100万便に0.73回とのことで、この比率は年々低下しているようです。ただし、世界全体で年間2500万回以上のフライトが予定されていますが・・・

今週のNEWSWEEK誌より~インタビューズ!

2006-01-25 16:47:49 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「インタビューズ!~創刊20周年特別企画」でした。英語版のNEWSWEEKは、1933年創刊で、「Time」誌と並び称されてきたニュース週刊誌ですが、日本語版はちょうど20周年にあたるようです。1933年からの記事の蓄積があるわけですから、インタビュー記事だけでも相当なものになっています。インタビューした相手も「セレブ」どころでは済まないほどの方々ばかりで、「昭和天皇/ゴルバチョフ/江沢民/ニクソン/小泉純一郎/クリントン/・・・・」と続いています。さすがのNEWSWEEK誌といえども、昭和天皇との独占インタビューは相当難しかったらしく、インタビュー実現までの裏話(タイトル「根回しで突破した菊のカーテン」)がインタビュー記事と同じくらいのスペースを割いているほどです。「たった一度の独占インタビュー」「異例中の異例」というだけあって、1ページ目が写真、そして記事の書き出しが「右の写真でアメリカ人記者と握手しているのは紛れもない昭和天皇その人である。」とあり、NEWSWEEK誌の方も相当「興奮」しているのがわかります。

インタビューは1975年の昭和天皇訪米前に行われ、英語版のNEWSWEEKに掲載されたものを、日本語版(1989年1月の昭和天皇崩御の臨時増刊号)に転載したものです。やりとりは30分あまりの短い時間だったようですが、質問する側も答える側も自然な対応であり、「肉声」が伝わっているように感じました。昭和天皇も含め、戦前・戦中・戦後の歴史は、まだまだ評価が定まっていませんが、この独占インタビュー記事は、NEWSWEEK誌が発刊し続ける限り保存され、またいつか「特別企画」等で紹介されるものと思われます。週刊誌などというと、いつも「あの時は、あの事件であれほど騒いだのに、今はどうなっているのか」という印象がついて回るのですが、NEWSWEEK誌には、時の流れに左右されず、良質の記事を出し続けてもらいたい、そして時に再掲載して、「その時代」を思い出させてもらいたいと思います。

もちろん、そのほかにも「マドンナ/ポールマッカートニー/ビル・ゲイツ/マイケル・ジョーダン・・」など様々な分野の著名人の独占インタビュー記事が並んでいます。それらを読んでいると、インタビュー記事というものは、どちらかというとインタビューを受ける側よりもインタビュアーの資質に左右されることがよくわかります。また、時の流れは怖いもので、「・・・や麻薬使用の噂まで本誌記者が話を聞いた。・・・この2年後大麻の所持で起訴された・・・・」などというイントロダクションに続くインタビュー記事を読むと、こちらまでどきどきしてしまいます。

このほか、「今そこにあるヒト感染の脅威~特定危険部位混入により日本が再び輸入を停止する陰で、アメリカではBSE由来のヤコブ病発症の疑惑が浮上している」との記事がありました。今回の米国産牛肉の問題については、客観的にみて、日本側が「安全」にこだわりすぎているのか、それとも日本の考え方が正しいのかがよくわかりませんでした。この記事では、アメリカでも、あるレストランで食事をしたことがある人々のうち、27人がヤコブ病で死亡していたこと、そしてアメリカのメディアでは米国産牛肉の安全性やBSEに関する報道がほとんどなされていないことが紹介されています。このような調査が、政府でも、ジャーナリストではなく、一般のアメリカ人女性により行われていたというとことろにも驚きを感じました。また、マクドナルド社など、米国産牛肉の「最大の消費者」が、「管理体制の強化」を米国政府に要請するなど、アメリカ側でもこの問題にようやく取り組み始めようとしてる段階のようです。

今週のNEWSWEEK誌より~ゲイ in Japan

2006-01-19 22:44:20 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「ゲイ in Japan~あなたの隣にもいる彼や彼女の本音と真実」でした。ハードゲイを演じる芸人のブームで脚光を浴びる、というのはゲイの人たちにとって良いことなのかどうなのか分かりませんが、日本の「非異性愛者」は推定500万人とのこと。500万人の人がどのような生活をしているのか想像がつきませんが、記事の中で採り上げられている会社員、府議会議員、牧師などのインタビューを見ていると、同性愛という以外は「普通の人」という感じがします。日本では「同性愛」を宗教的なタブーとするような伝統はないと思われますし、大家族制が崩れた現代では、同性愛や子どもができないカップルに対するプレッシャーも減りつつあると思われます。ただ、同性愛を告白するのはまだまだ勇気が必要なようで、自分を同性愛だと知りつつ、異性と結婚したりする「隠れ同性愛」が多いようです。私としては、ゲイの人に対する偏見はない、と思っていますが、いままで自分の回りにはゲイの人がいなかったためかもしれません。

あと、いくつか気になった記事として「イランの危険な賭け~欧米の反発を承知で切った核のカード、隠された真の目的とは」で、核開発をめぐり、どうやらイランは国際的に孤立してでも核開発を続けるようです。いまさら核ミサイルを10発や20発持ったところで、と思ってしまうのですが、イラン国民の支持は高いようです。核ミサイルや戦闘機などの「軍備」は、防衛力や軍事バランスというより、国の威信や誇りの象徴となってしまうようで、この「軍備」の魔力には、どの国、どの民族であれ捕らわれてしまうようです。日本も、日清・日露戦争あたりから戦前まで、国家予算の半分以上を軍備に費やし、国際的に孤立したり、暮らしがだんだんと貧しくなっていくのに、国民はそれに耐えた、という経験を持っています。この「軍備の魔力」というものは、麻疹のように誰もが一度は通過しなければならない道なのかもしれません。

もう一つは「クールで熱い理想郷の現実~手厚い社会保障と、高い競争力を手に入れた夢の「スウェーデンモデル」に生じた亀裂の重み」という記事でした。「社会の豊かさBest10」とか「競争力Best10」といえばスウェーデンなどの北欧諸国ですが必ず上位にランクされています。「福祉と競争力の両立」などという選挙の公約みたいなことが実際に実現するのは信じられないのですが、どうやらスウェーデンは「なかなかうまくやっている」ようです。日本も「うまくいっていた」時期がありましたが、今から思うと、あれは様々な事象が最良の状態となった時期が重なった、という気がしています。「日本式経営」「終身雇用」「1億総中流」などのキーワードも今となっては空虚に響きます。「理想の社会」というものは、頭の中にだけ存在するもので、現状というものは、良くも悪くも「ある局面」と思い始めていますし、記事でも「スウェーデンモデル」の限界を指摘する部分もあります。しかしスウェーデンの人口は900万人あまり。このくらいの規模が、中国のような「爆発的な経済成長」もないかわり、変化に柔軟に対応でき、社会を安定成長させるには丁度良いのかもしれません。

今週のNEWSWEEK誌より~韓国ES細胞ねつ造の構図

2006-01-12 23:56:50 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「韓国ES細胞ねつ造の構図~ゆがんだ愛国心とバイオ立国への焦り」でした。最近はあちこちで偽造・ねつ造が出てきていますが、この「世紀の捏造」には桁違いのスケールを感じてしまいました。捏造が見つからなければ、ずっとこの調子で行くつもりだったのか、ずっと韓国のヒーローとして業績を捏造し続けるつもりだったのか、そちらの方が気になってしまいます。科学の世界では、研究者間で自由に意見がやりとりされ、業績に対してはすぐさま追試、批判や検証が行われる、と言うイメージがあったのですが、ES細胞の研究は、クローン人間につながるということで厳しく規制されており、自由に研究ができるのは韓国とイギリスだけ、という状況であり、しかも韓国では、批判が許されないスーパーヒーロー、ということになれば今回の不祥事は当然すぎるほど当然の結果に思われます。

もう一つ、興味深い記事が、「シャロンの国はどこへ行く」でした。われわれにはまだまだ馴染みの薄い中東パレスティナ問題ですが、イスラエルの指導者である、シャロン首相を特集しています。「歴史を築いた男」「治安を維持しつつ現状を打開できる唯一の指導者」などと言われ、ただ一人の人間の生死が一国の政治に大きな影響を与えています。兵士から将軍、議員から首相へと進んだシャロン首相の経歴がまとめられていますが、それを見ると、「行き過ぎた権限行使を非難される」「命令不服従を問われ免職」「国際協定は無視することが多い」などと、波瀾万丈というか、猪突猛進というか、順調な人生とはとても言えません。ただ、良きにせよ悪しきにせよ試行錯誤を繰り返しながらも自分の信念に忠実に行動をしているようにも見えます。そろそろ結果を出せそうなこの時期に倒れるというのは、本人にとっても、イスラエル国民にとっても残念なことに思われますが、今後中東がどうなるのか、興味があります。

今週のNEWSWEEK誌より~2006年世界のキーパーソン

2006-01-05 22:41:40 | NEWSWEEK日本版



今週のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「2006年世界のキーパーソン」でした。そして写真は安倍官房長官のアップ。確かに次期総理大臣候補ということで日本のキーパーソンかもしれません。しかし、日本人は「親の七光り」などと言いつつ、「2世」や「プリンス」という響きに弱いようで、安倍官房長官個人の政治的な資質などよりも、その「血筋」に安心感と期待感をもつようです。ただし、大企業などでもよくありますが、創業者一族があまり大きな顔をしすぎると、業績が傾いたり取締役会での反乱がおこったりするので、適宜外部の「血」を入れて、しばらく経ったら「プリンス」に禅譲などというストーリーが好まれるようです。

イギリスのキーパーソンとして、ブラウン財務相があげられていました。「ブレア(首相)の忠実な「見習い」に徹して禅譲の日を待っている」などという記事を見ると、なにやら「小泉=ブレア」「安倍=ブラウン」という相似形が浮かび、同じ島国であるイギリスとの政治的な雰囲気の共通性を感じてしまいます。ただしブラウン財務相は牧師の家庭に育った、元ラグビー選手ということで、イギリスの「質実剛健」を体現しているところが、安倍官房長官とは違っています。イギリスの総理大臣は下院(庶民院)の与党の党首がなることになっており、上院(貴族院)の議員は総理大臣になれないことになっています。「ノブリス・オブリージュ(貴族の義務:尊敬を受けるエリートほど、社会や戦場でも先頭に立つ義務がある)」が有名ですが、イギリス貴族が政治には向いていないということなのかどうか、そのへんの政治風土はよくわかりません。

そのほかのキーパーソンは政治家から大企業の次期CEO、学者やデザイナー、アスリートまで幅広く採り上げられています。日本人としては安倍官房長官のほかに、金城武、宮里藍がピックアップされていました。

もう一つ注目した記事は「2005年の傑作・駄作を総まくり」というもので、2005年の映画のトップ10、ワースト5、最も輝いた男優・女優ベスト5が発表されていました。しかし制作に大金をかけたハリウッド大作を素直に喜ぶ映画鑑賞オンチの私には「必見!トップ10」にあげられたタイトルはほとんど印象に残らないものでした。評者によると、2005年は「ダークな作品が揃った年」だそうで、コメディーや歴史大作が好きな私の好みとは合わなかったようです。映画などは、世相を反映した作品が印象に残りがちですが、やはり昨年は何かとダークな一年だったようです。

2006年の世界を読む(その2)

2005-12-30 23:16:41 | NEWSWEEK日本版



今年最後そして来年最初のNEWSWEEK(日本版)の表紙は「2006年の世界を読む」でした。毎年、最終号と新年の合併号では、新しい年の「世界を読む」ということで、国際社会や経済の動向等について予想をしています。先日は「2005年の世界を読む」を紹介しましたが、本日は「2006年の世界を読む」を紹介します。

冒頭に「知恵こそが私たちの地球を救う」とあり、「知能のパワーゲームが始まった」と論じられています。産業革命以前は「農業の時代」であり、有力者は農産物を産出する「土地」を争ったのですが、産業革命以降は「工業の時代」となり、工業生産に必要な「資源(石油や鉱石など)」そして製品の売り先である「市場(植民地を含む)」を争いました。パソコンやインターネットが普及した90年代後半からは「情報の時代」と言われていましたが、今や溢れる情報を「知識」に変える「知恵」が求められる時代になったようです。

確かに、インターネットに接続し、検索サイトにキーワードを入力すると、キーワードに関連した情報(サイト)が数万件も紹介されます。しかし、数万件の情報の中で、利用者にとって本当に役に立つ情報がどれほどあるのか?という問題があります。別の記事にも「情報量は増えたが、実際に有効利用されている知識の割合は減少している」とあり「これは歴史的に見て危険だ」と警告しています。考えてみると、人類は、従来から「足りなくなっている物は大切に使い、余っている物はふんだんに使う」という性格をもっています。たとえば、石油ショック前、石油が余っていた時代に、石油をエネルギーとして使うだけでなく、合成繊維やプラスチックなどの「石油化学製品」が生まれ、石油化学産業は、現在では巨大産業に成長しています。そして、どうやら資源や土地に限界が見えてくると、「省エネ」「地球にやさしい」産業や製品がもてはやされています。今後は、ひとつのキーワードで数万件も検索されるという、有り余る「情報」をふんだんに使った「何か」が開発されるのではないかと考えられます。

他にも2006年の予想記事として「世界経済:一極消費モデルはもう限界」「中国経済:技術大国は見果てぬ夢?」「ソフトウェア:IBM「オープン革命」の衝撃」などの興味深い記事がありますが、いずれも今後10年前後のスパンでの予測であり、2006年がどんな年になる、という感じではありません。。「2006年に優勝するチームは◎◎」とか「2006年の株価は△△」といった明快な予測を期待してしまうのですが、経済や世の中の流れなどの予想はしょせん無理なのかもしれません。ただ、今回「2005年」と「2006年」を一緒に読むと、なんとなく、世界がその方向に進んでいくような気がします。さらに「2004年」「2003年」あたりも読むとイメージがつかめるのではないかと思います。