随所随縁

所に随(したが)い、縁に随い、時に随い、想いに随い、書き留めていきたい。

サッカーについて

2005-02-09 23:02:56 | Weblog

今日はやはり、サッカー北朝鮮戦についてになります。前半早々に日本のゴールが決まって安心したのもつかの間、最後の最後までハラハラし通しでした。最後は劇的なゴールで日本が勝ったわけですが、いろいろなことを考えさせられました。

日本はやはり、個人技で勝つチームではないのだな、ということがわかりました。ハイライトでゴールシーンだけを見ると、今回は小笠原・大黒選手の個人技のように見えますし、「よくやった!大黒!」といった報道になるのでしょう。しかし、ゲーム全体を見ていると、前半から後半にかけて、特に同点に追いつかれたあたりのぎこちなさと、中村選手の投入後、チーム全体が急にイキイキと動き始め、ボールもよく動くようになった、あの雰囲気の変化をまざまざと感じました。この変化は、中村選手の投入をきっかけとして、チームひとりひとりの動きがすこしずつ良くなり、その合計値が、あのようなイキイキとした動きや、結果としての個人技や名シーンを生むのでしょう。特にサッカーはタイムアウトがないため、いったん傾いたゲームの流れをもとに戻すのが難しい競技だけにそれを強く感じました。

そのような、全員サッカーの日本チームにとっては、「チームやまわりの雰囲気を変えられる人」という存在が必要になってきます。別にその「人」は、強烈なリーダーシップや存在感がなくてもよいし、技術や知識が優れていなくてもよい、退屈な宴会の席にその人が入ってくるだけで、急に座が活性化するような、潤滑油とも、化学反応の触媒ともなるような「人」のことです。自分が動くのではなく、「その他全員を動かせる人」なのです。それは、ある種の「人を惹きつける明るさ」であり、天性の資質であって、努力して得られるものではないのでしょう。中村・中田選手などはそれに近いような気がしますが・・・でもちょっと違うような・・・・・。日本ではそういう「人」は、何となく「2代目、3代目」に多いような気がします。特に政治家などは、最初「親の七光り」などと言われていても、いつの間にか「総理にしたい人」「ポスト●●の最右翼」などと呼ばれるようになるのがそうでしょう。親子三代のサッカー日本代表選手、なんてのはいないのかな。サッカーの能力は遺伝しないのだろうか。

あと、「やはり欧州組がいないと・・・」という呪縛から、今回も解き放たれなかったのが残念でした。もしかしたら、サポーターも、監督も、チームも、そのように意識しまいとして、かえって全体としてそのような雰囲気になってしまうのでしょう。欧州組を投入して、かえって全員がほっとした、というのが実情でしょう。水戸黄門が、印籠を出さずに事件を解決できればいいのですが、やはりそうは問屋がおろさない、というのと同じような気がします。

まあ、なんにせよ、勝ってよかった(という、「のど元すぎると・・」の精神も日本人的ですが)。しかし、一試合くらいは3-0位で、横綱相撲で勝ってほしいと思います。