カナダ・エクスプレス

多倫多(トロント)在住の癌の基礎研究を専門にする科学者の自由時間ブログです。

青年よ荒野をめざせ!

2008年12月29日 | カナダ
昨日FMラジオで元ザ・フォククルセーダーズの北山修さんの話を聞いた。同氏が若いころ書いた「青年は荒野をめざす」という曲の社会背景などを話されていた。五木寛之氏の作詞で、同名の小説もある。かれこれ40年前のあのころ、若者の多くが「荒野」を求めていた。そして、それをめざした。脱社会派も含めて動機は様々であったろうが、彼らの多くは働き、学び、それぞれの夢の実現のために一生懸命だった。そういう時代であった。私もそういう時代に育ったと言っていいだろう。私にとっての「荒野」は、北米での研究生活だったのかもしれない。

一方で、現代のこどもたちの世相に目を向けて見ると、先日テレビで興味深い子供の言葉を耳にした。それは、小学生たちに短いインタビューをする番組だったが、質問は、「あなたは、将来どういうふうに暮らしたいですか?」というようなものだったと記憶する。子供たちの答えは様々だったが、一人の子供の答えが現代の世相をよく捕らえているように思った。その子は、「のんびりと安全に暮らしたい」とはっきりとした言葉で言った。

「荒野」を求めていた時代が、「安全」を求める時代になってしまったのか?言い換えれば、「安全」や「平和」こそが貴重な時代になってしまったのだろうか?その言葉は、子供にまでそう感じさせる今という時代への警告のように感じられた。

それから、「のんびりと」という言葉が、「荒野」とはあまりにも対照的である。現代の子供たちの多くがそういうものを求めているとしたら、日本の将来はどうなってしまうのだろう?なぜ若い人たちはリスクを避け安穏を求めるようになってきたのだろうか?

40年前は、戦後からの復旧という社会背景があったので、若者たちに限らず国民の意欲向上のためには、政治政策を必要としなかった。しかしながら物質的に豊かになりすぎた日本社会にとっては、若者は特にがんばらなくてもそれなりの生活が得られるようになった。若い人たちが、夢を持たなくなったということではないと思う。ただその夢を実現することに伴うリスクが彼らの心にはあまりにも大きく写るのだろう。若者が彼らの夢を追い求められるようになるために、若者の心をもう一度奮い立たせるために、社会的環境を改善していくことが必要だろう。政治的な何らかのポジティブな政策が急務だと思う。

師走を日本で迎えながら、こんなことを思っている。


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