1月2日(木曜日)
(第6日目・通算第13日目・歩行距離19.9km・歩行歩数30,826歩)
6:00分、起床。
昨日買っておいたおにぎりやカップ麺で朝食を取る。
7時前に駅に着く。
時刻表を見ると7:03分発の列車がある。
ちょうど良い時間なので、その列車に乗る。
7:07分、JR土佐一宮駅に着く。
駅の陸橋を渡ろうとすると、ちょうどお日様が顔を出すところだ。
東の空がオレンジ色に輝き、太陽が顔を出した。
今日も天気が良いようだ。
竹林寺を目指して歩き出す。
竹林寺のある山が南の方に見えているので、あまり迷うことはない。
土佐一宮駅前を右に進み、しばらく行くと道は左へ曲がっている。
踏切を渡ると、正面に竹林寺のある山が見えている。
道なりに進んでいくと錦功橋に出る。
地図を見ると一本川下の橋を渡るようなので、川沿いの道を進む。
ほどなく、下の瀬大橋につく。
この橋を渡ると左側にサンピア高知の大きな建物が見えてきた。
この辺りは、何となく見たような風景だ。
前回バイクで来たときに走った道のようだ。
市電道りに出てやっと思い出した。やっぱりこの道を走っている。
市電通りを右折して、突き当たりを左に曲がり、真っ直ぐ進むと、
竹林寺へ続く車道の入り口だった。
ここからは、ちょっと急な坂道で九十九折りの道となっている。
少し登ったところで大きな左カーブとなっているところがある。
そこに一台軽のバンが止まっており、猫が5~6匹いて餌を食べている。
首輪をしていないところを見ると野良猫のようだ。
路肩の落ち葉を掃いている中年の女性がいる。
この人が餌をやっているようだ。
しばらく登っていくと、道が下り坂になっている。
ほどなく、左手に竹林寺の山門へ続く階段が見えた。
8:35分、竹林寺に着いた。
第31番札所 竹林寺
竹林寺はよさこい節に出てくる「坊さんかんざし買うを見た。」と歌われる、
この「坊さん」がいたお寺といわれている。
急な階段を登り山門の中に入ると参道の両側に灯明が配置され、
それが本堂へと続いている。
境内は陽があたり明るくて気持ちがいい。
向かい合うように配置されている本堂と大師堂。
まず、右側にある本堂へお参りし、それから大師堂へお参りする。
納経所は、境内から少し下がったところにある。
すでに数人の人がいるが、納経をしてくれる人の姿が見えない。
しびれを切らした人が呼び鈴を押すが誰も出てこない。
「売店はすぐ開いているのに、何で納経所に人がいないのだ。」と
毒ずいている人がいる。
まあ、まあ、待てばいいでしょうと言いたくなる。
さらにしばらくすると、やっと、和服姿の女性が出てきた。
納経も済ませ、山門からの階段を下ると車道のすぐ前にヘンロ標識を見つける。
標識にしたがって進むと、道は自然石で造られた階段となりどんどん下っていく。
足が痛くなってきたので、立ったまま一息つくと、下の方に川が見えてきた。
五台小学校の角を左に曲がり坂本を歩くが道が狭く、歩道がないので堤防の上を歩く。
川面に反射する日差しがまぶしい。
左手の奥に球場があるようで、打順の案内放送や歓声が聞こえてくる。
へんろ橋を渡り、唐津の集落を歩く。細い道がうねうねと続いている。
その脇には、車が走れる車道も平行して続いている。
人通りのない道を歩いていると、前方に遍路姿の男の人が歩いている。
手には同行二人の地図を持っている。
この人の歩くスピードは私のスピードとほとんど同じなので、
つかず離れずの距離を保ちながら歩いていく。
吹井のところで広い車道に出るがこの交差点で前を歩くお遍路さんが
地図を見ながらウロウロしている。
私が右に曲がり進むと、その姿を見て後をついてくる。
しばらく進むと右側に武市瑞山の住んでいた家と書かれた標識があるので、
ちょっと見に行くことにして、道路を渡ると、後ろを歩いているお遍路さんが
付いてこようとしている。
「禅師峰寺へは真っ直ぐ行ってください。」と声を掛けて瑞山の住んでいた家へと向かう。
瑞山の育った家だと思ってきたところは、家のあった跡のようだ。
がっかりして、元の道へ戻る。
石土トンネルをくぐると左右に住宅が沢山建っているところに出た。
突きあたりに池がある。
この池を右に曲がりしばらく行くと、左側に禅師峰寺のある山が見えてくる。
交通量の多い車道に出たところに、禅師峰寺への看板があり右を指している。
前を歩くお遍路さんはその標識を見て右に曲がっていく。
しかし、禅師峰寺は左にあるので、私は左に曲がる。
少し行くとヘンロ標識があり右に曲がるように矢印が書かれている。
標識どおり進み、禅師峰寺の山の下に着く。
ここからは少し登って禅師峰寺となる。
車道横の山道を登る。
5分ほど歩くと10:25分、禅師峰寺に着く。
第32番札所 禅師峰寺
禅師峰寺の境内からは、太平洋が広がり、遠くに浦戸湾にかかる
浦戸大橋や桂浜が見える。
まずはお参りと荷物をベンチに置いて本堂と大師堂へお参りする。
ベンチに腰掛けて浦戸大橋から続く海を眺めながら靴を脱ぎ靴下も脱いで、
すっかりくつろぎモードに入っていた。
するとまもなく、私の前を歩いていたお遍路さんが来た。
話をすると、下北半島の大間から来ているおじさんで63歳とのこと。
毎年、お正月休みにお遍路をしており、もう3年くらい続けているとのこと。
今日の宿を決めているのか聞くとまだだという。
私は雪蹊寺前の高知屋に泊まることを話し、その先になると種間寺のあたりには
宿がないので、土佐市まで足を伸ばさなければいけないことを話す。
浦戸湾も浦戸大橋を歩いて渡るか、渡船で渡るか二通りの方法があるが、
私は渡船で行くつもりであることを話す。
おじさんが先に禅師峰寺を立つ。
足の調子を確かめると、今までなんでもなかった左足の小指と右足の膝が
急に痛くなってきた。特に右膝はお皿の上が痛くなっている。
どうやら、足の指が痛くなくなると別のところが痛くなってくるようだ。
左足の小指が痛いのは、右足と同じように靴に切れ目を入れ楽にしようと思った。
納経所へ行って納経を済ませると、納経所のお婆さんにカッターがあるなら
貸して欲しいとお願いすると貸してくれたので左足の小指あたりに切れ目を入れた。
これで、万全だ。
納経所の手前にある台の上に手縫いの巾着が沢山置いてある。
大小いろいろなサイズがあり、古い着物の生地を使って作ってあるようだ。
どうやらお接待のようだ。
「ご自由にお持ちください。」と書いてある。
この中から、絞りの生地で作られている小さい巾着と一番大きな巾着を
二ついただくことにした。
小さい方はお賽銭を入れる袋にする。
マンドリンが書かれている大きな方は、記念だから妻へのお土産にするつもりでもらった。
巾着の中にポケットもついており丁寧に作られている。
11:00分、禅師峰寺をあとにして雪蹊寺へ向かう。
まずは、渡船に乗るために種崎待合所へ向かう。
途中に福家食堂というノレンの下がっている小さな店がある。
11:45分、ちょうどお昼時だしお腹もすいていたのでこの店で昼食を取ることにする。
お婆さんが一人でやっている小さな店だ。
お客さんは一人しかいない。常連さんのようだ。
狐うどん(400円)を頼む。
話し好きなお婆さんでいろいろ聞いてくる。
北海道から来たというと、私も北海道へは一度行ったことがある。
息子が自衛隊にいるので北海道に配属されたときに呼んでくれた。
北海道の女性は色が黒いなどと、いろいろな話を聞かせてくれる。
お腹もいっぱいになったので、種崎待合所を目指して人気のない道を歩く。
膝が痛くなったのでちょっと休もうと思い、種崎センターというスーパーの
陰に座り、靴を脱いでいたところへ買い物帰りのお婆さんが通りかかった。
婆さんが荷物を置き、財布をとりだした。お接待だ!
200円を手にし「ジュースでも飲みなさい。」といって差し出される。
あわてて立ち上がり、お金を受け取ってお礼を言った。
12:55分、種崎待合所に着いた。
待合所には2~3人の人が船を待っている。
大間のおじさん遍路の姿が見えないので、どうしたか心配していると、やってきた。
今日の宿をどうしたか聞くとまだ頼んでいないという。
おじさんが高知屋に電話すると宿泊OKといわれ、やっと今日の宿が決まる。
大間のおじさんは随分のんびりしている。
13:10分、フェリーに乗り、浦戸湾を渡る。
乗客は私たちを入れても5~6人だ。
5分ほどで対岸に着く。
大間のおじさんと、ここからは川沿いに歩いていけばいいと話していると、
自転車に乗った若者が、「川沿いに行けばいいよ~。」と声を掛けてくれる。
13:35分、雪蹊寺に着く。
第33番札所 雪蹊寺
雪蹊寺は山門がない。
すぐ正面に本堂が見える。大師堂は本堂の右側にある。
それぞれにお参りして納経所へ向かう。
雪蹊寺は本堂を新築するようだ。今の本堂は相当古い。
前住職の三回忌を済ませたので新築を決意し、喜捨を求める旨の看板が立っている。
そういえば、バイクで来た時のお葬式が前住職のお葬式だったことを思い出す。
納経を済ませたが、今日の宿は雪蹊寺の真向かいにある高知屋さんだ。
この時間では宿にはいるのは早いと思い、境内にあるベンチに座りぼんやりしていた。
ここで、明日の宿を青龍寺奥の院近くにある国民宿舎土佐に取ろう思い、電話する。
国民宿舎土佐は、一旦、経営不振で廃業したが、池上さんという人が支配人になり
立直し中であり、歩きお遍路には特別に配慮をしていることがネット情報に
書かれていたので泊まってみたかった。
フロントの人が「お正月料金でちょっと高いですが。」と言うが、頼むことにする。
1万円といわれたが、「歩き遍路です。」というと「お遍路さん用の部屋があるが
そこでも良いか。」といわれる。
「いいです。」と答えると、料金は8千円とのこと。
これで明日の宿も決まったし、高知屋へ行くことにした。
「ご免ください。」と声を掛けると、元気なおばさんが出てきた。高知屋の女将さんだ。
持っていた杖をすぐに取り、下の方を洗って渡される。
部屋に案内されると、洗濯物を出してくださいといわれる。
洗濯物を渡すと、風呂場の場所を教えてくれるなど、すごくてきぱきとしている。
部屋は、3畳ほどの個室だが、すぐ隣は大きな部屋で、そこの大間のおじさんがいた。
どうやら今日のお客さんは10人ほどらしい。
部屋の中に新聞の切り抜きが張ってある。
記事を読むと、女将さんのお遍路に対する思いやりがよく書かれている。
特にお遍路さんが楽しみにしている食事の中で、鰹のタタキには十分満足してもらえる
ように気を使っていることが書かれている。夕食が楽しみだ。
風呂に入り、手足を伸ばし、足や指をよくマッサージする。
やっぱり、大きな風呂はいい。
二日続けてビジネスホテルの風呂だったので、本当にゆっくりとした気持ちで風呂に入った。
そのあとは、部屋にある布団を広げ、少しウトウトとした。
「夕食の準備ができました。」の声で、隣の部屋へ行く。
私を含めて男性が4人、席に着く。宿帳を書くようにいわれる。
夕食のお膳を囲むのは、女将さんと顔なじみの若い人と横須賀から来ている男性。
それに大間のおじさんだ。
女将さんの給仕により夕食が始まる。
女将さん肝いりのたたきを食べる。
ちょっと甘めに調理されている。
女将さんの話では、土佐の人は砂糖は使わないがちょっと甘くした方が
お客さんに喜ばれるので、私はそうしているなどと話してくれる。
若い人が国民宿舎土佐に宿の予約をしようとしたが断られたと話している。
遍路だと言ったのに断られたと言っている。
私にはそんなことがなかったな~あと思い話を聞いていた。
**土佐屋さんの女将さんの話**
以前はお正月休みも営業していたが、最近は大晦日と元旦はお休みさせてもら
っている。
建物が古くなってきたので、昔から使っていた建物は痛みがひどく、
ギシギシとうるさいので2階だけに泊まってもらう。
今日は、夫婦が3組泊まるので、その人たちに泊まってもらう。
雪蹊寺の本堂を新築すること、などを話してくれる。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××
話を聞いていた若者が、大晦日とお正月を休むだけでそのほかの日は営業している
ことを串間さんのホームページに書いてもいいかと聞いている。
どうやら、この若者もインターネットで掬水へんろ館を見ているようだ。
(札幌へ帰ってから掬水へんろ館を見ていると、この高知屋さんのお正月休みのこ
とを書いているのは、紀州の山猿というハンドルネームの人だった。)
横須賀から来ているおじさんは、明日、清滝寺まで打って今回は区切るようだ。
「今回は雨具がじゃまになったので途中から自宅へ送ってしまった。」といっている。
「明日は夕方から雨なので、その前に打ち終えるから大丈夫だなどと話している。」
でも、テレビの天気予報では朝から雨の予報だ!
横須賀のおじさん、明日は大丈夫か?
私の部屋は、食堂と歩き遍路さんが相部屋となっている大きな部屋に挟まれている。
壁が薄いので両方の話し声が筒抜けだ。
大間のおじさんの話を聞いていると、今、63歳で、鉄工場をやっているが
30代と50代と2回も椎間板ヘルニヤの手術をしている。
何か体を動かすことをしたいと思い、富士山にも登った。
その後、何かをしたいと思っていたところにテレビでお遍路をやっていたので、
これだと思い歩き出した。
今は、鉄工場の経営を息子に譲り、現役を退いている。
ぼくとつな人柄で、話す言葉に訛があるのがいい。
(第6日目・通算第13日目・歩行距離19.9km・歩行歩数30,826歩)
6:00分、起床。
昨日買っておいたおにぎりやカップ麺で朝食を取る。
7時前に駅に着く。
時刻表を見ると7:03分発の列車がある。
ちょうど良い時間なので、その列車に乗る。
7:07分、JR土佐一宮駅に着く。
駅の陸橋を渡ろうとすると、ちょうどお日様が顔を出すところだ。
東の空がオレンジ色に輝き、太陽が顔を出した。
今日も天気が良いようだ。
竹林寺を目指して歩き出す。
竹林寺のある山が南の方に見えているので、あまり迷うことはない。
土佐一宮駅前を右に進み、しばらく行くと道は左へ曲がっている。
踏切を渡ると、正面に竹林寺のある山が見えている。
道なりに進んでいくと錦功橋に出る。
地図を見ると一本川下の橋を渡るようなので、川沿いの道を進む。
ほどなく、下の瀬大橋につく。
この橋を渡ると左側にサンピア高知の大きな建物が見えてきた。
この辺りは、何となく見たような風景だ。
前回バイクで来たときに走った道のようだ。
市電道りに出てやっと思い出した。やっぱりこの道を走っている。
市電通りを右折して、突き当たりを左に曲がり、真っ直ぐ進むと、
竹林寺へ続く車道の入り口だった。
ここからは、ちょっと急な坂道で九十九折りの道となっている。
少し登ったところで大きな左カーブとなっているところがある。
そこに一台軽のバンが止まっており、猫が5~6匹いて餌を食べている。
首輪をしていないところを見ると野良猫のようだ。
路肩の落ち葉を掃いている中年の女性がいる。
この人が餌をやっているようだ。
しばらく登っていくと、道が下り坂になっている。
ほどなく、左手に竹林寺の山門へ続く階段が見えた。
8:35分、竹林寺に着いた。
第31番札所 竹林寺
竹林寺はよさこい節に出てくる「坊さんかんざし買うを見た。」と歌われる、
この「坊さん」がいたお寺といわれている。
急な階段を登り山門の中に入ると参道の両側に灯明が配置され、
それが本堂へと続いている。
境内は陽があたり明るくて気持ちがいい。
向かい合うように配置されている本堂と大師堂。
まず、右側にある本堂へお参りし、それから大師堂へお参りする。
納経所は、境内から少し下がったところにある。
すでに数人の人がいるが、納経をしてくれる人の姿が見えない。
しびれを切らした人が呼び鈴を押すが誰も出てこない。
「売店はすぐ開いているのに、何で納経所に人がいないのだ。」と
毒ずいている人がいる。
まあ、まあ、待てばいいでしょうと言いたくなる。
さらにしばらくすると、やっと、和服姿の女性が出てきた。
納経も済ませ、山門からの階段を下ると車道のすぐ前にヘンロ標識を見つける。
標識にしたがって進むと、道は自然石で造られた階段となりどんどん下っていく。
足が痛くなってきたので、立ったまま一息つくと、下の方に川が見えてきた。
五台小学校の角を左に曲がり坂本を歩くが道が狭く、歩道がないので堤防の上を歩く。
川面に反射する日差しがまぶしい。
左手の奥に球場があるようで、打順の案内放送や歓声が聞こえてくる。
へんろ橋を渡り、唐津の集落を歩く。細い道がうねうねと続いている。
その脇には、車が走れる車道も平行して続いている。
人通りのない道を歩いていると、前方に遍路姿の男の人が歩いている。
手には同行二人の地図を持っている。
この人の歩くスピードは私のスピードとほとんど同じなので、
つかず離れずの距離を保ちながら歩いていく。
吹井のところで広い車道に出るがこの交差点で前を歩くお遍路さんが
地図を見ながらウロウロしている。
私が右に曲がり進むと、その姿を見て後をついてくる。
しばらく進むと右側に武市瑞山の住んでいた家と書かれた標識があるので、
ちょっと見に行くことにして、道路を渡ると、後ろを歩いているお遍路さんが
付いてこようとしている。
「禅師峰寺へは真っ直ぐ行ってください。」と声を掛けて瑞山の住んでいた家へと向かう。
瑞山の育った家だと思ってきたところは、家のあった跡のようだ。
がっかりして、元の道へ戻る。
石土トンネルをくぐると左右に住宅が沢山建っているところに出た。
突きあたりに池がある。
この池を右に曲がりしばらく行くと、左側に禅師峰寺のある山が見えてくる。
交通量の多い車道に出たところに、禅師峰寺への看板があり右を指している。
前を歩くお遍路さんはその標識を見て右に曲がっていく。
しかし、禅師峰寺は左にあるので、私は左に曲がる。
少し行くとヘンロ標識があり右に曲がるように矢印が書かれている。
標識どおり進み、禅師峰寺の山の下に着く。
ここからは少し登って禅師峰寺となる。
車道横の山道を登る。
5分ほど歩くと10:25分、禅師峰寺に着く。
第32番札所 禅師峰寺
禅師峰寺の境内からは、太平洋が広がり、遠くに浦戸湾にかかる
浦戸大橋や桂浜が見える。
まずはお参りと荷物をベンチに置いて本堂と大師堂へお参りする。
ベンチに腰掛けて浦戸大橋から続く海を眺めながら靴を脱ぎ靴下も脱いで、
すっかりくつろぎモードに入っていた。
するとまもなく、私の前を歩いていたお遍路さんが来た。
話をすると、下北半島の大間から来ているおじさんで63歳とのこと。
毎年、お正月休みにお遍路をしており、もう3年くらい続けているとのこと。
今日の宿を決めているのか聞くとまだだという。
私は雪蹊寺前の高知屋に泊まることを話し、その先になると種間寺のあたりには
宿がないので、土佐市まで足を伸ばさなければいけないことを話す。
浦戸湾も浦戸大橋を歩いて渡るか、渡船で渡るか二通りの方法があるが、
私は渡船で行くつもりであることを話す。
おじさんが先に禅師峰寺を立つ。
足の調子を確かめると、今までなんでもなかった左足の小指と右足の膝が
急に痛くなってきた。特に右膝はお皿の上が痛くなっている。
どうやら、足の指が痛くなくなると別のところが痛くなってくるようだ。
左足の小指が痛いのは、右足と同じように靴に切れ目を入れ楽にしようと思った。
納経所へ行って納経を済ませると、納経所のお婆さんにカッターがあるなら
貸して欲しいとお願いすると貸してくれたので左足の小指あたりに切れ目を入れた。
これで、万全だ。
納経所の手前にある台の上に手縫いの巾着が沢山置いてある。
大小いろいろなサイズがあり、古い着物の生地を使って作ってあるようだ。
どうやらお接待のようだ。
「ご自由にお持ちください。」と書いてある。
この中から、絞りの生地で作られている小さい巾着と一番大きな巾着を
二ついただくことにした。
小さい方はお賽銭を入れる袋にする。
マンドリンが書かれている大きな方は、記念だから妻へのお土産にするつもりでもらった。
巾着の中にポケットもついており丁寧に作られている。
11:00分、禅師峰寺をあとにして雪蹊寺へ向かう。
まずは、渡船に乗るために種崎待合所へ向かう。
途中に福家食堂というノレンの下がっている小さな店がある。
11:45分、ちょうどお昼時だしお腹もすいていたのでこの店で昼食を取ることにする。
お婆さんが一人でやっている小さな店だ。
お客さんは一人しかいない。常連さんのようだ。
狐うどん(400円)を頼む。
話し好きなお婆さんでいろいろ聞いてくる。
北海道から来たというと、私も北海道へは一度行ったことがある。
息子が自衛隊にいるので北海道に配属されたときに呼んでくれた。
北海道の女性は色が黒いなどと、いろいろな話を聞かせてくれる。
お腹もいっぱいになったので、種崎待合所を目指して人気のない道を歩く。
膝が痛くなったのでちょっと休もうと思い、種崎センターというスーパーの
陰に座り、靴を脱いでいたところへ買い物帰りのお婆さんが通りかかった。
婆さんが荷物を置き、財布をとりだした。お接待だ!
200円を手にし「ジュースでも飲みなさい。」といって差し出される。
あわてて立ち上がり、お金を受け取ってお礼を言った。
12:55分、種崎待合所に着いた。
待合所には2~3人の人が船を待っている。
大間のおじさん遍路の姿が見えないので、どうしたか心配していると、やってきた。
今日の宿をどうしたか聞くとまだ頼んでいないという。
おじさんが高知屋に電話すると宿泊OKといわれ、やっと今日の宿が決まる。
大間のおじさんは随分のんびりしている。
13:10分、フェリーに乗り、浦戸湾を渡る。
乗客は私たちを入れても5~6人だ。
5分ほどで対岸に着く。
大間のおじさんと、ここからは川沿いに歩いていけばいいと話していると、
自転車に乗った若者が、「川沿いに行けばいいよ~。」と声を掛けてくれる。
13:35分、雪蹊寺に着く。
第33番札所 雪蹊寺
雪蹊寺は山門がない。
すぐ正面に本堂が見える。大師堂は本堂の右側にある。
それぞれにお参りして納経所へ向かう。
雪蹊寺は本堂を新築するようだ。今の本堂は相当古い。
前住職の三回忌を済ませたので新築を決意し、喜捨を求める旨の看板が立っている。
そういえば、バイクで来た時のお葬式が前住職のお葬式だったことを思い出す。
納経を済ませたが、今日の宿は雪蹊寺の真向かいにある高知屋さんだ。
この時間では宿にはいるのは早いと思い、境内にあるベンチに座りぼんやりしていた。
ここで、明日の宿を青龍寺奥の院近くにある国民宿舎土佐に取ろう思い、電話する。
国民宿舎土佐は、一旦、経営不振で廃業したが、池上さんという人が支配人になり
立直し中であり、歩きお遍路には特別に配慮をしていることがネット情報に
書かれていたので泊まってみたかった。
フロントの人が「お正月料金でちょっと高いですが。」と言うが、頼むことにする。
1万円といわれたが、「歩き遍路です。」というと「お遍路さん用の部屋があるが
そこでも良いか。」といわれる。
「いいです。」と答えると、料金は8千円とのこと。
これで明日の宿も決まったし、高知屋へ行くことにした。
「ご免ください。」と声を掛けると、元気なおばさんが出てきた。高知屋の女将さんだ。
持っていた杖をすぐに取り、下の方を洗って渡される。
部屋に案内されると、洗濯物を出してくださいといわれる。
洗濯物を渡すと、風呂場の場所を教えてくれるなど、すごくてきぱきとしている。
部屋は、3畳ほどの個室だが、すぐ隣は大きな部屋で、そこの大間のおじさんがいた。
どうやら今日のお客さんは10人ほどらしい。
部屋の中に新聞の切り抜きが張ってある。
記事を読むと、女将さんのお遍路に対する思いやりがよく書かれている。
特にお遍路さんが楽しみにしている食事の中で、鰹のタタキには十分満足してもらえる
ように気を使っていることが書かれている。夕食が楽しみだ。
風呂に入り、手足を伸ばし、足や指をよくマッサージする。
やっぱり、大きな風呂はいい。
二日続けてビジネスホテルの風呂だったので、本当にゆっくりとした気持ちで風呂に入った。
そのあとは、部屋にある布団を広げ、少しウトウトとした。
「夕食の準備ができました。」の声で、隣の部屋へ行く。
私を含めて男性が4人、席に着く。宿帳を書くようにいわれる。
夕食のお膳を囲むのは、女将さんと顔なじみの若い人と横須賀から来ている男性。
それに大間のおじさんだ。
女将さんの給仕により夕食が始まる。
女将さん肝いりのたたきを食べる。
ちょっと甘めに調理されている。
女将さんの話では、土佐の人は砂糖は使わないがちょっと甘くした方が
お客さんに喜ばれるので、私はそうしているなどと話してくれる。
若い人が国民宿舎土佐に宿の予約をしようとしたが断られたと話している。
遍路だと言ったのに断られたと言っている。
私にはそんなことがなかったな~あと思い話を聞いていた。
**土佐屋さんの女将さんの話**
以前はお正月休みも営業していたが、最近は大晦日と元旦はお休みさせてもら
っている。
建物が古くなってきたので、昔から使っていた建物は痛みがひどく、
ギシギシとうるさいので2階だけに泊まってもらう。
今日は、夫婦が3組泊まるので、その人たちに泊まってもらう。
雪蹊寺の本堂を新築すること、などを話してくれる。
××××××××××××××××××××××××××××××××××××
話を聞いていた若者が、大晦日とお正月を休むだけでそのほかの日は営業している
ことを串間さんのホームページに書いてもいいかと聞いている。
どうやら、この若者もインターネットで掬水へんろ館を見ているようだ。
(札幌へ帰ってから掬水へんろ館を見ていると、この高知屋さんのお正月休みのこ
とを書いているのは、紀州の山猿というハンドルネームの人だった。)
横須賀から来ているおじさんは、明日、清滝寺まで打って今回は区切るようだ。
「今回は雨具がじゃまになったので途中から自宅へ送ってしまった。」といっている。
「明日は夕方から雨なので、その前に打ち終えるから大丈夫だなどと話している。」
でも、テレビの天気予報では朝から雨の予報だ!
横須賀のおじさん、明日は大丈夫か?
私の部屋は、食堂と歩き遍路さんが相部屋となっている大きな部屋に挟まれている。
壁が薄いので両方の話し声が筒抜けだ。
大間のおじさんの話を聞いていると、今、63歳で、鉄工場をやっているが
30代と50代と2回も椎間板ヘルニヤの手術をしている。
何か体を動かすことをしたいと思い、富士山にも登った。
その後、何かをしたいと思っていたところにテレビでお遍路をやっていたので、
これだと思い歩き出した。
今は、鉄工場の経営を息子に譲り、現役を退いている。
ぼくとつな人柄で、話す言葉に訛があるのがいい。
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