12月28日(土曜日)
(第1日・通算第8日目・歩行距離20.8km・歩行歩数28,375歩)
7:00分、徳島駅に着く。見慣れた風景に接するとなつかしい気分が湧いてくる。
ここからは、前回打ち止めにした鯖大師までさらに汽車で行かなければならない。
みどりの窓口で相談すると、この時間からだと剣山4号で行くことになるが、
阿南まで普通列車で行って剣山4号に乗り換えた方が特急料金が5百円ほど安くなる
と言われ、その乗車券を頼んだ。
11:05分、なつかしい鯖瀬に到着。お遍路らしい若い女性が一人降りる。
鯖瀬の駅で身支度を整え、今晩の宿を頼んでいなかったので、東洋町にある
「民宿南風」に電話する。
奥さんらしい人が、「泊まる部屋は2階で、風呂やトイレは1階にあるけれど
大丈夫か。」と言われる。
「大丈夫です。」と答え、今晩の宿をお願いする。
実は、今回のお遍路に当たっての宿は29日の最御崎寺宿坊、
30日の「ビジネスホテルなはり」、31日の「ビジネスホテル弁長」、
1月1日の「高知黒潮ホテル」しか頼んでいない。
28日については、実際に鯖瀬に着いてから天気と体調を見極めて決めたいと思っていた。
天気は快晴。雪国から来ると暖かくて気持ちがいい。
昨晩はほとんど寝ていないにもかかわらず体調もいいので、
予定通り東洋町まで足を延ばすことにする。
鯖瀬の駅から左に曲がり線路下をくぐると懐かしい鯖大師本坊の石柱が見えてくる。
境内はお正月の準備中で、掃除をしたり忙しそうに働いている人が数人いる。
境内には私のほかに2人のお遍路がいる。若い女性と中年の男性だ。
まず、今回のお遍路の無事を祈願して本堂と大師堂にお参りする。
久しぶりに般若心経を唱えるが、人気の少ない境内で唱えるお経は
なかなか気持ちのいいものだ。
11:30分、納経を済ませ、鯖大師を後にする。
鯖瀬駅前にある鯖瀬大福でお餅を4個買い、おやつにする。
若い女性のお遍路が歩いている。
その後ろを私も歩いていく。
歩行スピードはほとんど同じなので、間隔が縮まることもなく等間隔が続く。
そのうち彼女のスピードが落ちてきたのか、追いついたので少し話をする。
彼女は京都から来ており、9月に鯖大師まで歩いたようだ。
杖を持ち、白衣を着ているのにお寺でお参りはしていないとのこと。
なにか、お経を唱えるのは自分の気持ちに合わないと言っている。
人それぞれに、いろいろな考え方があるので、自分の気が向いた方法でお参りしたり
お寺を巡ればいいのではないかと話しながら歩く。
後ろの方からバイクの音がする。
なんと5~6台のバイクが轟音を響かせながら室戸方面へ向かって走り抜けていく。
ナンバーを見るとほとんど四国以外ナンバーのようだ。
この陽気なら、北海道と違ってまだまだバイクで走り回ることができる。
うらやましくなるが、今回の私には二本の足しかない。
このあとも、数台のグループや一人だけで走っているバイクが何台も通り過ぎていった。
いつの間にか海南町の街に入る。
しばらく歩くと道の左側にヘンロ小屋が建っている。
この小屋はどこかで見たような作りをしている。
そうだ、春にお遍路をしたときに見た太龍寺から平等寺に行くとき通った
阿比瀬にあった小屋によく似ている。
あの小屋は歌さんが作ったヘンロ小屋だ。
そうだ、これが一番最初に歌さんが作ったヘンロ小屋なのだ。
結構大きな小屋だ。
道を横切って道路の反対側に渡り写真を一枚撮る。
13:05分、海部町境の橋のたもとに着く。
大安食堂で昼食を取るつもりだったが、なんと休業中。
やむなく歩いていくと道路の反対側に「ベンツ」という喫茶店を見つける。
店に入るが誰もいない。
そのうちに店の人が来ると思い、トイレを使わしてもらい、
右足の小指が痛くなってきたので、両足の靴下を脱いでくつろいでいた。
突然、電話が鳴る。すると、年輩のおばさんが店にやってきて私をみて驚く。
この店には車で来る人がほとんどなので、車がこないので隣の自宅で
仕事をしていたらしい。
うどん(400円)を頼んで昼食とする。
13:40分、お腹もいっぱいになったので、また、歩き出す。
13:55分、宍喰町堺を通過。
宍喰町の街を通り、14:55分、宍喰大橋を渡る。
15:15分、水床トンネルを抜けると、高知県、東洋町の標識がある。
これで、やっと、徳島県を終えたことになる。
ここからは、高知県。
さあ、これからは修行の道場だ。
今日の宿である民宿南風までは、あと5キロほど、もう一頑張りだ。
15:30分、甲浦(かんのうら)に着く。
ホワイトビーチホテル前のバス停で休憩する。
ちょっと足が痛くなってきたが、日が傾いてきたのでもう一頑張りと
自分に言い聞かせ、歩き出す。
時折強い風が吹き寒くなってくる。
甲浦坂トンネルを越えたので、もう少しで今日の宿だと思い歩いていると、
左側に民宿南風の看板を見つける。
16:05分、民宿南風に到着する。
雑貨店のような入口から入り、「ごめんください。」と声をかけると
日焼けした顔の奥さんが現れる。
宿帳を書き、風呂とトイレの場所を聞き、2階の部屋を教えてもらう。
階段を上がり、一番奥の部屋へはいる。
3畳間ほどの和室にもう布団が引いてある。
暖房器具はコタツしかない。
今日の泊まり客は、私一人のようだ。
食事は、1階の食堂で取るようだが、メニューを見て適当に頼むようだ。
足の指を手入れし、コタツに電源を入れ、ちょっとまどろむ。
夕食は焼き肉定食(600円)にする。
ボリュームたっぷりで結構お腹がいっぱいになる。
デザートにポンカンを2個くれる。こんなところでポンカンにお目にかかれるとは
思っても見なかった。
「妻が好きなんですよ。」と話すと、東洋町はポンカンとサーフィンを
キャッチフレーズにしている町とのこと。
壁に、表彰状が張ってある。
よく見ると今年の国体にエキシビジション競技としてサーフィンが行われたようで、
女子の部1位表彰状だ。
娘さんがもらったものだと話してくれる。
民宿南風の作りも、1階のトイレ周りなどを見るとサーフィンや海水浴客に
便利なようにできている。
お遍路より海水浴客の利用が多いようだ。
この娘さんがポンカン農家に収穫の手伝いに行っているようで、
毎日もらってくるとのこと。そのお裾分けらしい。
甘みはちょっと薄いけど、みずみずしいポンカンだった。
(第1日・通算第8日目・歩行距離20.8km・歩行歩数28,375歩)
7:00分、徳島駅に着く。見慣れた風景に接するとなつかしい気分が湧いてくる。
ここからは、前回打ち止めにした鯖大師までさらに汽車で行かなければならない。
みどりの窓口で相談すると、この時間からだと剣山4号で行くことになるが、
阿南まで普通列車で行って剣山4号に乗り換えた方が特急料金が5百円ほど安くなる
と言われ、その乗車券を頼んだ。
11:05分、なつかしい鯖瀬に到着。お遍路らしい若い女性が一人降りる。
鯖瀬の駅で身支度を整え、今晩の宿を頼んでいなかったので、東洋町にある
「民宿南風」に電話する。
奥さんらしい人が、「泊まる部屋は2階で、風呂やトイレは1階にあるけれど
大丈夫か。」と言われる。
「大丈夫です。」と答え、今晩の宿をお願いする。
実は、今回のお遍路に当たっての宿は29日の最御崎寺宿坊、
30日の「ビジネスホテルなはり」、31日の「ビジネスホテル弁長」、
1月1日の「高知黒潮ホテル」しか頼んでいない。
28日については、実際に鯖瀬に着いてから天気と体調を見極めて決めたいと思っていた。
天気は快晴。雪国から来ると暖かくて気持ちがいい。
昨晩はほとんど寝ていないにもかかわらず体調もいいので、
予定通り東洋町まで足を延ばすことにする。
鯖瀬の駅から左に曲がり線路下をくぐると懐かしい鯖大師本坊の石柱が見えてくる。
境内はお正月の準備中で、掃除をしたり忙しそうに働いている人が数人いる。
境内には私のほかに2人のお遍路がいる。若い女性と中年の男性だ。
まず、今回のお遍路の無事を祈願して本堂と大師堂にお参りする。
久しぶりに般若心経を唱えるが、人気の少ない境内で唱えるお経は
なかなか気持ちのいいものだ。
11:30分、納経を済ませ、鯖大師を後にする。
鯖瀬駅前にある鯖瀬大福でお餅を4個買い、おやつにする。
若い女性のお遍路が歩いている。
その後ろを私も歩いていく。
歩行スピードはほとんど同じなので、間隔が縮まることもなく等間隔が続く。
そのうち彼女のスピードが落ちてきたのか、追いついたので少し話をする。
彼女は京都から来ており、9月に鯖大師まで歩いたようだ。
杖を持ち、白衣を着ているのにお寺でお参りはしていないとのこと。
なにか、お経を唱えるのは自分の気持ちに合わないと言っている。
人それぞれに、いろいろな考え方があるので、自分の気が向いた方法でお参りしたり
お寺を巡ればいいのではないかと話しながら歩く。
後ろの方からバイクの音がする。
なんと5~6台のバイクが轟音を響かせながら室戸方面へ向かって走り抜けていく。
ナンバーを見るとほとんど四国以外ナンバーのようだ。
この陽気なら、北海道と違ってまだまだバイクで走り回ることができる。
うらやましくなるが、今回の私には二本の足しかない。
このあとも、数台のグループや一人だけで走っているバイクが何台も通り過ぎていった。
いつの間にか海南町の街に入る。
しばらく歩くと道の左側にヘンロ小屋が建っている。
この小屋はどこかで見たような作りをしている。
そうだ、春にお遍路をしたときに見た太龍寺から平等寺に行くとき通った
阿比瀬にあった小屋によく似ている。
あの小屋は歌さんが作ったヘンロ小屋だ。
そうだ、これが一番最初に歌さんが作ったヘンロ小屋なのだ。
結構大きな小屋だ。
道を横切って道路の反対側に渡り写真を一枚撮る。
13:05分、海部町境の橋のたもとに着く。
大安食堂で昼食を取るつもりだったが、なんと休業中。
やむなく歩いていくと道路の反対側に「ベンツ」という喫茶店を見つける。
店に入るが誰もいない。
そのうちに店の人が来ると思い、トイレを使わしてもらい、
右足の小指が痛くなってきたので、両足の靴下を脱いでくつろいでいた。
突然、電話が鳴る。すると、年輩のおばさんが店にやってきて私をみて驚く。
この店には車で来る人がほとんどなので、車がこないので隣の自宅で
仕事をしていたらしい。
うどん(400円)を頼んで昼食とする。
13:40分、お腹もいっぱいになったので、また、歩き出す。
13:55分、宍喰町堺を通過。
宍喰町の街を通り、14:55分、宍喰大橋を渡る。
15:15分、水床トンネルを抜けると、高知県、東洋町の標識がある。
これで、やっと、徳島県を終えたことになる。
ここからは、高知県。
さあ、これからは修行の道場だ。
今日の宿である民宿南風までは、あと5キロほど、もう一頑張りだ。
15:30分、甲浦(かんのうら)に着く。
ホワイトビーチホテル前のバス停で休憩する。
ちょっと足が痛くなってきたが、日が傾いてきたのでもう一頑張りと
自分に言い聞かせ、歩き出す。
時折強い風が吹き寒くなってくる。
甲浦坂トンネルを越えたので、もう少しで今日の宿だと思い歩いていると、
左側に民宿南風の看板を見つける。
16:05分、民宿南風に到着する。
雑貨店のような入口から入り、「ごめんください。」と声をかけると
日焼けした顔の奥さんが現れる。
宿帳を書き、風呂とトイレの場所を聞き、2階の部屋を教えてもらう。
階段を上がり、一番奥の部屋へはいる。
3畳間ほどの和室にもう布団が引いてある。
暖房器具はコタツしかない。
今日の泊まり客は、私一人のようだ。
食事は、1階の食堂で取るようだが、メニューを見て適当に頼むようだ。
足の指を手入れし、コタツに電源を入れ、ちょっとまどろむ。
夕食は焼き肉定食(600円)にする。
ボリュームたっぷりで結構お腹がいっぱいになる。
デザートにポンカンを2個くれる。こんなところでポンカンにお目にかかれるとは
思っても見なかった。
「妻が好きなんですよ。」と話すと、東洋町はポンカンとサーフィンを
キャッチフレーズにしている町とのこと。
壁に、表彰状が張ってある。
よく見ると今年の国体にエキシビジション競技としてサーフィンが行われたようで、
女子の部1位表彰状だ。
娘さんがもらったものだと話してくれる。
民宿南風の作りも、1階のトイレ周りなどを見るとサーフィンや海水浴客に
便利なようにできている。
お遍路より海水浴客の利用が多いようだ。
この娘さんがポンカン農家に収穫の手伝いに行っているようで、
毎日もらってくるとのこと。そのお裾分けらしい。
甘みはちょっと薄いけど、みずみずしいポンカンだった。
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