12月28日(日曜日)
(第2日目・通算第28日目・歩行距離 36.3km・歩行歩数52,739歩)
いつものように6時に布団を抜け出す。
6:45分、1階にある食堂に行くと朝食の準備が出来ていた。
ボリュームのある朝食がテーブルに並んでいる。
今回はちょっとダイエットをしようと考えているので、ご飯は1膳だけにする。
朝食を終え、宿代を払うと、女将さんが「ちょっと邪魔になるかもしれない
けれど。」といって、シラス干しをお土産に持たせてくれる。
お礼を言って宿を出る。
7:15分、やっと明るくなってきた堀江を女将さんに見送られながら歩き出す。
川のところまで来て後ろを振り返ると、まだ、女将さんが手を振って見送って
くれている。
私も手を振ってお別れする。
今日も寒い風が吹いている。
しばらく進むと国道に出る。
ここからは、海沿いの道をズーッと歩かなければいけない。
堀江の街を過ぎると国道のすぐ左側が海になっており、
後ろを振り返ると堀江の港が見えている。
海の色がエメラルドグリーンに光っている。きれいだ。
しばらく歩いていると、2~3百メートル先を歩いている人がいる。
白い着物を着ているのでお遍路だろう。
歩くスピードが同じなのか、間隔が縮まってこない。
ふと見ると、前を歩いている人の姿が見えなくなった。
どうしたのだろうと思って歩いていると、堤防の横でカメラを構えている。
よく見ると女性だった。
私はそのまま進んでいくと、後ろの方から鈴の音がだんだん近づいて来る。
声を掛けられたので振り向くと、30代後半といった女性が遍路姿で歩いている。
夕べはどこに泊まったのか聞くと、民宿伊予路に泊まったという。
ほとんど同じ場所に泊まっていたようだ。
話しかけてもあまり答えが返ってこないので、前後に並んで歩いていくと、
道路の反対側に粟井坂大師堂が見えてきた。
彼女はそこへお参りしていくというので、ここで別れる。
8:20分、少し休もうと思っていると、JR粟井駅前近くのはしだ商店に
ベンチがあったので、ここで休むことにした。
自販機から飲み物を買っておく。
ベンチで休んでいても寒いので早々に歩き出す。
歩いている方が体が温まる。
しばらく行くと雪雀と書かれた造り酒屋さんの前を通る。
一度、通り過ぎて戻る。
この酒屋さんからお土産用のお酒を札幌まで送ることにした。
店に入ると中年の女性が二人働いている。
「辛口のお酒がほしいのですが。」というと「私のところのお酒は
全部辛口です。」と言われる。
純米吟醸と純米特別、それに本醸造のお酒3本を送ってもらうことにした。
ここからは、海が海水浴場となっているのか、いろいろな食べ物やさんの
看板を見ながら歩く。
1時間近く歩いたところで、北条市役所と書かれた標識を見つけたので
右に曲がり、北条の街へはいる。
北条の街も閑散としており、人影のない道を黙々と歩く。
児童館のような建物に近づくと餅つきをやっていた。
子供達が大きな杵を持ち上げ、餅をついている。
おじさんが合いの手を入れている。
ここだけは賑やかだった。
時折あるヘンロ標識に導かれ歩いていくと、国道らしい交通量の多い
広い道路を横切る。
ずーっと先にある山を目指して細い道が一直線に伸びている。
その道をドンドン歩いていくと、T字型の交差点に差し掛かる。
そこには延命寺への標識がある。
ここを何の気なしに曲がるとすぐ右手に小さなお寺がある。
そのまま進むと、竹林があり両側が畑となっている。
四つ角がありどちらへ進めばいいのか分からなくなってしまった。
ちょうど、農作業のお婆さんがいたので、
「鎌大師へは、どの道を行けばいいのですか。」と尋ねると、
「通り過ぎている。」と言われ、先ほどの小さなお寺が鎌大師だと教えてくれる。
お礼を言って、あわてて、今、歩いてきた道をもどる。
どうやら、ボーっとして歩いていたようだ。
9:50分、鎌大師に着く。
小さな本堂と、本堂の右側にあるさらに小さな大師堂にお参りをする。
庵の方で納経をして貰おうと思い玄関を開けたが誰もいない。
呼び鈴を鳴らすと奥の方から私と同年代のお坊さんが出てくる。
鎌大師では、密かに、お正月の準備の手伝いなどで手束妙絹尼さんが
来ていないかと期待をしていた。
しかし、それは淡い希望だった。
納経を終えると「コーヒーでも飲んでいって下さい。」といわれ、
缶コーヒーを持って奥の方へ行ってしまった。
しばらくすると、カップに入れた温かいコーヒーを持ってきてくれた。
どうやら、レンジで暖めてくれたらしい。
お礼を言ってご馳走になることにした。
ここから先の道を教えて貰いながら、お寺で厄払いをすることについて
いろいろな話を聞く。
昨年の清滝寺をお参りしたときにお祓いを受けている人達とのことが
ずーっと気になっていた。
北海道ではお祓いと言ったら、ほとんどの人が神社でする。
お寺でお祓いをする人は、ほとんどいないのではないか。
この人の話では、神社でお祓いをするのもお寺でお祓いをするのも、
こちらでは違和感なく普通に行っていると話してくれる。
神社に固執しているのは、北海道だけの話なのか?
鎌大師から一山越えると浅海の街だ。ここからまた海沿いの道を歩く。
しばらく歩くと「海賊うどん」と看板の出ている店がある。
思い出した。この店は、以前バイクで来たときにハーレー君が昼食を
取っていた店だ。
国道をドンドン歩いていくと、右側にお店がある。
店の前にベンチが置いてあるのでちょっと休むことにした。
11:25分、菊間町、池内園芸で休憩する。
ここのベンチに座ると、ちょうど日差しもよく風も吹いてこないので、
体がほんのりと暖かくなってくる。
お腹がすいてきたので、昨日貰っていたミカンなどを食べる。
左手に広がる海には大きな船が行き交っている。
貨物船やフェリーなどの他にクレーン船などいろいろ船が次から次にやってくる。
この船に追い抜かれないように競争しながら頑張って歩く。
菊間町にはいると、道路の右側に遍照院がある。
お参りをしながら本堂の中を覗くと、本堂の中に沢山の人がいる。
どうやらお祓いを受けているようだ。
お参りを終え納経所へ行こうと思ったら、納経所前のテントで
お土産などを売っているお婆さんが缶ジュースと最中を入れた袋を
お接待ですと言って差し出す。
そして、住職はお祓い中だから納経が出来ないと言う。
お婆さんにお礼を言って、遍照院を後にした。
お腹がすいてきたので食堂を探しながら歩いていると、
町はずれにラーメン屋を見つけたので昼食はラーメンにする。
「ラーメンとんとん」に入ると店の中はお客さんで込んでいた。
カウンターに座り、塩ラーメンを注文する。
そして外へ出て、今晩の宿を予約する。
今晩のお宿は、南光坊のあたりに泊まることにした。
しかし、数軒の宿に電話したところ呼び出し音が鳴っても誰も出ないか、
やっと繋がったと思ったら「この電話は随分前から私が使っている。」と
言われて電話を切られてしまう。
結局、電話の繋がった宿が一軒もなかったので、一度店の中にもどる。
ラーメンを食べ、元気も出てきたので今治市を目指して歩く。
14:00分、菊間町から大西町に入ったところに休業中のガソリンスタンドが
あったので一休みする。
ここで、また、今晩の宿を探す。
南光坊裏の笑福旅館にやっと電話が繋がり、泊めてくれることになった。
やれ、やれ、これで今晩の宿も決まった。
大西町の街に入ってくると、向こうの海に大きな船が数隻浮かんでいる。
大きなクレーンなどもあるので、どうやら造船所らしい。
近くに行くと「来島ドック」と書かれている。
来島ドックと言えば、社長だった坪内寿夫さんを主人公にした柴田連三郎の
小説にもなった会社だったことを思い出す。
こんなところにあるのだ!
山の向こうにストロボが点滅している真白な大きなH型の橋脚の上の方が
見える。
橋脚からは半円形のケーブルがその橋脚を繋ぐように垂れ下がっている。
しまなみ街道に架かっている橋の橋脚のようだ。
もう少しで今治だと思い、頑張って歩く。
第54番札所 延命寺
15:10分、延命寺に着く。
見覚えのある小さな山門をくぐり売店の前を通り過ぎると、正面に本堂がある。
人影まばらな本堂前でお経を唱える。
左手の階段を上がり、大師堂でもお参りをする。
納経所で納経をしていると、売店のお婆さんがショウガ湯をお接待してくれる。
ショウガの香と甘い味が舌にしみ込む。
お礼を言ってから、納経所の前にあるベンチで一服する。
納経所のお爺さんに、ここから南光坊への道を聞くと、納経所の前を山門まで
行かずに、ベンチの横から真っ直ぐ左手に進めばよいと教えてくれる。
言われたとおりに進むと、道はドンドン山の中へ向かう。
坂道を登り切ると、そこは、大きな墓地の中だった。
どうやら、市営の墓地のようだ。
すり鉢状の谷一面が墓地になっている。
この墓地には、お正月を迎えるための墓参をしに来ている人が沢山いる。
墓地の真ん中にある道を市街地に向かって進んで行くと、向こうから火葬場に
向かう人達のバスがやってくる。
こんな時間でも火葬場が開いている。
お参りに来ている人の車が駐車しているため、車同士がすれ違うことが
出来ない。
車をよけながら歩いていると、広い道に出る。
そこを左に曲がって進んでいくと、左手に大きな神社がある。姫神神社だ。
道が街の中に入ってくると南光坊はもうすぐだ。
南光坊と書かれた矢印がある交差点を曲がると右側に大きな神社がある。
別宮大山祓神社だ。
南光坊はこの神社の隣にある。
第55番札所 南光坊
16:20分、今日最後のお寺となる南光坊に着く。
日が沈み、薄暗くなっていく静かな境内で本堂と大師堂にお参りをする。
納経所を探すと、本堂横の建築中と書かれた塀の横に入り口があった。
中には、若いお坊さんと老人が楽しそうに話をしている。
納経をお願いしてからお坊さんと話をすると、お坊さんが隣にいる老人を
「この人はシドニーで将軍という日本料理の店のコックさんで、お正月なので
帰省してきている。」などと教えてくれる。
そこで、「私は北海道から来ているのです。」と教える。
そして、3年ほど前にこちらに来たとき、お経の本を落としてしまい、
こちらで買い求めたところ、こちらのお坊さんの入山記念とかで造られた
立派な経本を分けて貰いました。と話すと、「それは私が入山修行を終えた
ときに記念で造った経本です。」と言われる。
そして、あの経本が北海道まで行っているのですかと、感慨深げに話してくれる。
シドニーの将軍に務めている老人は、年齢65歳くらい、お兄さんが南光坊の
仕事を手伝っている関係で顔を出したと話してくれる。
「もう、シドニーに行ってから8年ほどになる。」などと話してくれる。
玄関の上がり框に紙箱があり、その中に小さな手縫いの巾着袋が沢山ある。
信者のお婆さんが造ったものでお接待するために置いてあると言われたので、
一つ頂くことにした。
薄い小豆色の袋を貰い、携帯の充電コードを入れるのに使うことにした。
外が暗くなってきたので、お礼を言って、南光坊を後にする。
今晩の宿、笑福旅館はすぐ裏の方にあるはずだ。
地図を見ながら歩くと、5分くらいで見つかった。
玄関で声を掛けると、お婆さんが出てくる。女将さんのようだ。
70歳は過ぎている。
風呂と洗濯が出来る場所を聞いてから、2階の部屋へ案内される。
洗濯する場所は、風呂の浴室にあるドアを開けると裏口になっており、
そこに洗濯機が置いてある。
部屋に荷物を置き着替えを持って風呂に行く。
浴室から素っ裸で裏口から外に出て洗濯物を洗濯機に放り込み、
浴室に戻り風呂に入る。
夕食の時に、「この付近の宿に何件か電話していたが辞めたと言われた宿が
数軒あった。」と女将さんに話すと、「この辺は、しまなみ街道の工事に合わせ、
鉄道の高架工事を行ったため廃業した宿が何軒もある。」と言う。
経営者が高齢で、しかも後継者もいないのでやむなく廃業した宿も多いという。
笑福さんも「忙しいときは近くに嫁いでいる娘さんが手伝いに来てくれるので、
何とかやっている。」などと話してくれる。
宿の経営者が高齢で、しかも後継者難だという話は、ここだけでなく、
あちらこちらで聞くし、実際に見てきた話だ。
お遍路宿も、お遍路だけを相手にしては食べていけない現状がある。
四国遍路を世界遺産にと言う話があるが、遍路宿がドンドン消えていくという
問題をどう考えるのだろうか?
遍路をしていると一番接する機会が多いのは、納経所の人と宿の人だ。
しかし、断然、宿の人と話す機会の方が多い。
女将さんなどからいろいろな話を聞いて教えられることも多い。
このような宿が、経営者の高齢化などからドンドン廃業している。
時代の流れと言ってしまえば身も蓋もないが、何とかしなければいけない
問題だと思う。
遍路道を残すということは、お寺を残すだけでは意味をなさない。
遍路宿も含めて考えなければいけない問題だと思う。
しかし、私の頭では良い解決案も浮かばない。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
遍路宿の女将さんは高齢の方が多い。
あちらこちらで私の代まではと頑張っている女将さんのお世話になってきた。
跡継ぎの問題は、お遍路宿が商売として成り立たない現状がある。
特に歩き遍路にとって大事な場所にある宿が、一般客が泊まれるような場所に
ない場合には商売としては難しいと思う。
年間、数千人といわれる歩き遍路のうち何人が泊まるのだろう。
1家が生計を立てていく上での収入額から逆算すると必要な売上額が計算でき
るが、その金額には当然満たないだろう。
だから、廃業してしまうのだ。
(第2日目・通算第28日目・歩行距離 36.3km・歩行歩数52,739歩)
いつものように6時に布団を抜け出す。
6:45分、1階にある食堂に行くと朝食の準備が出来ていた。
ボリュームのある朝食がテーブルに並んでいる。
今回はちょっとダイエットをしようと考えているので、ご飯は1膳だけにする。
朝食を終え、宿代を払うと、女将さんが「ちょっと邪魔になるかもしれない
けれど。」といって、シラス干しをお土産に持たせてくれる。
お礼を言って宿を出る。
7:15分、やっと明るくなってきた堀江を女将さんに見送られながら歩き出す。
川のところまで来て後ろを振り返ると、まだ、女将さんが手を振って見送って
くれている。
私も手を振ってお別れする。
今日も寒い風が吹いている。
しばらく進むと国道に出る。
ここからは、海沿いの道をズーッと歩かなければいけない。
堀江の街を過ぎると国道のすぐ左側が海になっており、
後ろを振り返ると堀江の港が見えている。
海の色がエメラルドグリーンに光っている。きれいだ。
しばらく歩いていると、2~3百メートル先を歩いている人がいる。
白い着物を着ているのでお遍路だろう。
歩くスピードが同じなのか、間隔が縮まってこない。
ふと見ると、前を歩いている人の姿が見えなくなった。
どうしたのだろうと思って歩いていると、堤防の横でカメラを構えている。
よく見ると女性だった。
私はそのまま進んでいくと、後ろの方から鈴の音がだんだん近づいて来る。
声を掛けられたので振り向くと、30代後半といった女性が遍路姿で歩いている。
夕べはどこに泊まったのか聞くと、民宿伊予路に泊まったという。
ほとんど同じ場所に泊まっていたようだ。
話しかけてもあまり答えが返ってこないので、前後に並んで歩いていくと、
道路の反対側に粟井坂大師堂が見えてきた。
彼女はそこへお参りしていくというので、ここで別れる。
8:20分、少し休もうと思っていると、JR粟井駅前近くのはしだ商店に
ベンチがあったので、ここで休むことにした。
自販機から飲み物を買っておく。
ベンチで休んでいても寒いので早々に歩き出す。
歩いている方が体が温まる。
しばらく行くと雪雀と書かれた造り酒屋さんの前を通る。
一度、通り過ぎて戻る。
この酒屋さんからお土産用のお酒を札幌まで送ることにした。
店に入ると中年の女性が二人働いている。
「辛口のお酒がほしいのですが。」というと「私のところのお酒は
全部辛口です。」と言われる。
純米吟醸と純米特別、それに本醸造のお酒3本を送ってもらうことにした。
ここからは、海が海水浴場となっているのか、いろいろな食べ物やさんの
看板を見ながら歩く。
1時間近く歩いたところで、北条市役所と書かれた標識を見つけたので
右に曲がり、北条の街へはいる。
北条の街も閑散としており、人影のない道を黙々と歩く。
児童館のような建物に近づくと餅つきをやっていた。
子供達が大きな杵を持ち上げ、餅をついている。
おじさんが合いの手を入れている。
ここだけは賑やかだった。
時折あるヘンロ標識に導かれ歩いていくと、国道らしい交通量の多い
広い道路を横切る。
ずーっと先にある山を目指して細い道が一直線に伸びている。
その道をドンドン歩いていくと、T字型の交差点に差し掛かる。
そこには延命寺への標識がある。
ここを何の気なしに曲がるとすぐ右手に小さなお寺がある。
そのまま進むと、竹林があり両側が畑となっている。
四つ角がありどちらへ進めばいいのか分からなくなってしまった。
ちょうど、農作業のお婆さんがいたので、
「鎌大師へは、どの道を行けばいいのですか。」と尋ねると、
「通り過ぎている。」と言われ、先ほどの小さなお寺が鎌大師だと教えてくれる。
お礼を言って、あわてて、今、歩いてきた道をもどる。
どうやら、ボーっとして歩いていたようだ。
9:50分、鎌大師に着く。
小さな本堂と、本堂の右側にあるさらに小さな大師堂にお参りをする。
庵の方で納経をして貰おうと思い玄関を開けたが誰もいない。
呼び鈴を鳴らすと奥の方から私と同年代のお坊さんが出てくる。
鎌大師では、密かに、お正月の準備の手伝いなどで手束妙絹尼さんが
来ていないかと期待をしていた。
しかし、それは淡い希望だった。
納経を終えると「コーヒーでも飲んでいって下さい。」といわれ、
缶コーヒーを持って奥の方へ行ってしまった。
しばらくすると、カップに入れた温かいコーヒーを持ってきてくれた。
どうやら、レンジで暖めてくれたらしい。
お礼を言ってご馳走になることにした。
ここから先の道を教えて貰いながら、お寺で厄払いをすることについて
いろいろな話を聞く。
昨年の清滝寺をお参りしたときにお祓いを受けている人達とのことが
ずーっと気になっていた。
北海道ではお祓いと言ったら、ほとんどの人が神社でする。
お寺でお祓いをする人は、ほとんどいないのではないか。
この人の話では、神社でお祓いをするのもお寺でお祓いをするのも、
こちらでは違和感なく普通に行っていると話してくれる。
神社に固執しているのは、北海道だけの話なのか?
鎌大師から一山越えると浅海の街だ。ここからまた海沿いの道を歩く。
しばらく歩くと「海賊うどん」と看板の出ている店がある。
思い出した。この店は、以前バイクで来たときにハーレー君が昼食を
取っていた店だ。
国道をドンドン歩いていくと、右側にお店がある。
店の前にベンチが置いてあるのでちょっと休むことにした。
11:25分、菊間町、池内園芸で休憩する。
ここのベンチに座ると、ちょうど日差しもよく風も吹いてこないので、
体がほんのりと暖かくなってくる。
お腹がすいてきたので、昨日貰っていたミカンなどを食べる。
左手に広がる海には大きな船が行き交っている。
貨物船やフェリーなどの他にクレーン船などいろいろ船が次から次にやってくる。
この船に追い抜かれないように競争しながら頑張って歩く。
菊間町にはいると、道路の右側に遍照院がある。
お参りをしながら本堂の中を覗くと、本堂の中に沢山の人がいる。
どうやらお祓いを受けているようだ。
お参りを終え納経所へ行こうと思ったら、納経所前のテントで
お土産などを売っているお婆さんが缶ジュースと最中を入れた袋を
お接待ですと言って差し出す。
そして、住職はお祓い中だから納経が出来ないと言う。
お婆さんにお礼を言って、遍照院を後にした。
お腹がすいてきたので食堂を探しながら歩いていると、
町はずれにラーメン屋を見つけたので昼食はラーメンにする。
「ラーメンとんとん」に入ると店の中はお客さんで込んでいた。
カウンターに座り、塩ラーメンを注文する。
そして外へ出て、今晩の宿を予約する。
今晩のお宿は、南光坊のあたりに泊まることにした。
しかし、数軒の宿に電話したところ呼び出し音が鳴っても誰も出ないか、
やっと繋がったと思ったら「この電話は随分前から私が使っている。」と
言われて電話を切られてしまう。
結局、電話の繋がった宿が一軒もなかったので、一度店の中にもどる。
ラーメンを食べ、元気も出てきたので今治市を目指して歩く。
14:00分、菊間町から大西町に入ったところに休業中のガソリンスタンドが
あったので一休みする。
ここで、また、今晩の宿を探す。
南光坊裏の笑福旅館にやっと電話が繋がり、泊めてくれることになった。
やれ、やれ、これで今晩の宿も決まった。
大西町の街に入ってくると、向こうの海に大きな船が数隻浮かんでいる。
大きなクレーンなどもあるので、どうやら造船所らしい。
近くに行くと「来島ドック」と書かれている。
来島ドックと言えば、社長だった坪内寿夫さんを主人公にした柴田連三郎の
小説にもなった会社だったことを思い出す。
こんなところにあるのだ!
山の向こうにストロボが点滅している真白な大きなH型の橋脚の上の方が
見える。
橋脚からは半円形のケーブルがその橋脚を繋ぐように垂れ下がっている。
しまなみ街道に架かっている橋の橋脚のようだ。
もう少しで今治だと思い、頑張って歩く。
第54番札所 延命寺
15:10分、延命寺に着く。
見覚えのある小さな山門をくぐり売店の前を通り過ぎると、正面に本堂がある。
人影まばらな本堂前でお経を唱える。
左手の階段を上がり、大師堂でもお参りをする。
納経所で納経をしていると、売店のお婆さんがショウガ湯をお接待してくれる。
ショウガの香と甘い味が舌にしみ込む。
お礼を言ってから、納経所の前にあるベンチで一服する。
納経所のお爺さんに、ここから南光坊への道を聞くと、納経所の前を山門まで
行かずに、ベンチの横から真っ直ぐ左手に進めばよいと教えてくれる。
言われたとおりに進むと、道はドンドン山の中へ向かう。
坂道を登り切ると、そこは、大きな墓地の中だった。
どうやら、市営の墓地のようだ。
すり鉢状の谷一面が墓地になっている。
この墓地には、お正月を迎えるための墓参をしに来ている人が沢山いる。
墓地の真ん中にある道を市街地に向かって進んで行くと、向こうから火葬場に
向かう人達のバスがやってくる。
こんな時間でも火葬場が開いている。
お参りに来ている人の車が駐車しているため、車同士がすれ違うことが
出来ない。
車をよけながら歩いていると、広い道に出る。
そこを左に曲がって進んでいくと、左手に大きな神社がある。姫神神社だ。
道が街の中に入ってくると南光坊はもうすぐだ。
南光坊と書かれた矢印がある交差点を曲がると右側に大きな神社がある。
別宮大山祓神社だ。
南光坊はこの神社の隣にある。
第55番札所 南光坊
16:20分、今日最後のお寺となる南光坊に着く。
日が沈み、薄暗くなっていく静かな境内で本堂と大師堂にお参りをする。
納経所を探すと、本堂横の建築中と書かれた塀の横に入り口があった。
中には、若いお坊さんと老人が楽しそうに話をしている。
納経をお願いしてからお坊さんと話をすると、お坊さんが隣にいる老人を
「この人はシドニーで将軍という日本料理の店のコックさんで、お正月なので
帰省してきている。」などと教えてくれる。
そこで、「私は北海道から来ているのです。」と教える。
そして、3年ほど前にこちらに来たとき、お経の本を落としてしまい、
こちらで買い求めたところ、こちらのお坊さんの入山記念とかで造られた
立派な経本を分けて貰いました。と話すと、「それは私が入山修行を終えた
ときに記念で造った経本です。」と言われる。
そして、あの経本が北海道まで行っているのですかと、感慨深げに話してくれる。
シドニーの将軍に務めている老人は、年齢65歳くらい、お兄さんが南光坊の
仕事を手伝っている関係で顔を出したと話してくれる。
「もう、シドニーに行ってから8年ほどになる。」などと話してくれる。
玄関の上がり框に紙箱があり、その中に小さな手縫いの巾着袋が沢山ある。
信者のお婆さんが造ったものでお接待するために置いてあると言われたので、
一つ頂くことにした。
薄い小豆色の袋を貰い、携帯の充電コードを入れるのに使うことにした。
外が暗くなってきたので、お礼を言って、南光坊を後にする。
今晩の宿、笑福旅館はすぐ裏の方にあるはずだ。
地図を見ながら歩くと、5分くらいで見つかった。
玄関で声を掛けると、お婆さんが出てくる。女将さんのようだ。
70歳は過ぎている。
風呂と洗濯が出来る場所を聞いてから、2階の部屋へ案内される。
洗濯する場所は、風呂の浴室にあるドアを開けると裏口になっており、
そこに洗濯機が置いてある。
部屋に荷物を置き着替えを持って風呂に行く。
浴室から素っ裸で裏口から外に出て洗濯物を洗濯機に放り込み、
浴室に戻り風呂に入る。
夕食の時に、「この付近の宿に何件か電話していたが辞めたと言われた宿が
数軒あった。」と女将さんに話すと、「この辺は、しまなみ街道の工事に合わせ、
鉄道の高架工事を行ったため廃業した宿が何軒もある。」と言う。
経営者が高齢で、しかも後継者もいないのでやむなく廃業した宿も多いという。
笑福さんも「忙しいときは近くに嫁いでいる娘さんが手伝いに来てくれるので、
何とかやっている。」などと話してくれる。
宿の経営者が高齢で、しかも後継者難だという話は、ここだけでなく、
あちらこちらで聞くし、実際に見てきた話だ。
お遍路宿も、お遍路だけを相手にしては食べていけない現状がある。
四国遍路を世界遺産にと言う話があるが、遍路宿がドンドン消えていくという
問題をどう考えるのだろうか?
遍路をしていると一番接する機会が多いのは、納経所の人と宿の人だ。
しかし、断然、宿の人と話す機会の方が多い。
女将さんなどからいろいろな話を聞いて教えられることも多い。
このような宿が、経営者の高齢化などからドンドン廃業している。
時代の流れと言ってしまえば身も蓋もないが、何とかしなければいけない
問題だと思う。
遍路道を残すということは、お寺を残すだけでは意味をなさない。
遍路宿も含めて考えなければいけない問題だと思う。
しかし、私の頭では良い解決案も浮かばない。
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
遍路宿の女将さんは高齢の方が多い。
あちらこちらで私の代まではと頑張っている女将さんのお世話になってきた。
跡継ぎの問題は、お遍路宿が商売として成り立たない現状がある。
特に歩き遍路にとって大事な場所にある宿が、一般客が泊まれるような場所に
ない場合には商売としては難しいと思う。
年間、数千人といわれる歩き遍路のうち何人が泊まるのだろう。
1家が生計を立てていく上での収入額から逆算すると必要な売上額が計算でき
るが、その金額には当然満たないだろう。
だから、廃業してしまうのだ。