四国遍路テクテク日記

「四国を歩いて遍路する。」にこだわって平成14年のGWから2年間、5回に分けて歩いた記録を中心に遍路に関するあれこれ。

平成16年1月1日(伊豫から讃岐・第32日目)

2005-08-19 09:25:44 | 第4回(伊予から讃岐)
1月1日(木曜日)
 (第6日目・通算第32日目・歩行距離 36.3km・歩行歩数56,553歩)

 5:50分、起床
昨晩買っておいた稲荷すしと茶碗蒸し、それに味噌汁の簡単な朝食を済ませ、
荷物をまとめ出発の準備をする。

 6:30分、ろんどん荘の玄関をそっと開けて、まだ真っ暗な三島の町を
三角寺目指して歩く。
三角寺への遍路道はろんどん荘から山側にあるので、真っ直ぐに坂道を
登っていく。

 人通りのない真っ暗な道を登っていくとバイパスにぶつかる。
そこをさらに上の方に登っていくと、道がドンドン狭くなり道も先の方へ
進めなくなる。
どうやら、来すぎたようなので、今来た道を少し下り、
左へ左へ進める道を歩いていくと曲がり角に常夜燈を見つける。

 どうやら、遍路道に戻ったようだと当たりをつけて歩いていると
曲がり角にヘンロ標識を見つける。
 ほっと一息ついて辺りを見ると、だいぶ明るくなってきた。

 遍路道が高速道路の下を抜け、公園のある辺りからはドンドン急な坂道となる。
そのうち、車道から離れ歩く人だけが通れる急な遍路道となる。
ふと後ろを振り返ると伊予三島の町が眼下に広がっている。
太陽は、山陰から明るさを増しているが、初日を見るのは無理のようだ。

 相当登ったところで道はやっと平坦になり、幾筋かの沢を越えていく。
突然、後ろの方から叫び声が聞こえる。
ビックリして後ろを振り返るが誰もいない。
耳を澄ませて聞き耳を立てると、何と沢の向こうを走っている車から
叫び声が聞こえてくる。
酔っぱらった若者のようだ。

 ほどなく、爆音を発てた車が私の横をすり抜けていく。

 8:00分、三角寺の駐車場に着く。


第65番札所 三角寺

 三角寺の駐車場に先ほどの車が1台止まっており、
若者4人が騒ぎまくっている。
駐車場の看板に体当たりしたり、蹴飛ばしたり、奇声を発したりしている。

 三角寺への階段を上がり境内にはいるが、境内はガラーンとして誰もいない。
お正月らしい雰囲気も全く感じられない、寒々とした境内だ。
本堂と大師堂へお参りをしていると、先ほどの若者達がやってくる。
その辺にあるベンチなどを蹴飛ばしたり、賽銭箱を覗いたりと
相変わらず傍若無人の振る舞いをしている。
無視して、納経所に向かって歩いていくと、境内の中を走って階段を下りていく。


 納経所の方から歩いてくる人がいる。
なんと、湯の谷温泉で一緒だったMさんだ。
「いやー早いねえ!もうここまで来たんだ。」といわれる。
Mさんは、伊予三島の町から、今朝一番のバスでお参りに来たと話してくれる。
また、すぐに市内の戻るバスが出るので急がなければならないと話し、
あわただしく本堂の方へ走っていく。
 お参りを済ませ戻ってくるMさんから納札を頂く。
(ここで初めてこの人がMさんということが分かった。)
 休憩所で休んでいるお爺さんに頼んで、二人で並び記念写真を撮ってもらう。
写真を写したら、Mさんはすぐに階段に向かいバス乗り場へと走っていく。
その後を私も階段を下りて、雲辺寺を目指す。
駐車場に降りてから、右に進めばよい。

 駐車場からは延々と下り道が続いている。
左手に、元旦の日の光を受け眩しく輝く三島の町が広がるが、
遍路道は山陰に続いており、時折吹く風が汗をかいた体から体温を奪っていく。

左手から深く切れ込んでいる沢の下に向かって山の斜面をドンドン下っていく。

 9:05分、車道との合流点である平山のバス停で一休みする。
国道192号はさらに下の方にあるようなので、この車道は旧道のようだ。

 旧道を歩いて別格14番常福寺(通称:椿堂)を目指して水田の端にある
沢沿いのへんろ路を下っていると、下の方から大きな荷物を背負った
男性二人のお遍路さんがが汗をかきかき登ってくる。
どうやら野宿遍路のようだ。挨拶を交わし先へ進む。

 前方の谷の中に集落が見えてくる。どうやら椿堂のある川滝の集落のようだ。
集落に近づくと椿堂の瓦屋根が見えてくる。赤い旗なども見えてくる。

 9:40分、椿堂に着く。
こぢんまりとしたお寺で、左手に建築中の大師堂があり、
右手の奥が本堂のようだ。
本堂と仮置きの大師堂にお参りをして、納経所へ行くと若いお坊さんが
輪袈裟を掛け、姿勢を正して納経してくれる。
横から、奥さんらしい女性が「甘酒でもいかがですか?」と
声を掛けてくれたので、遠慮なくいただくことにした。

 境内にあるベンチに座り甘酒を飲む。少しぬるいが甘さが口の中に広がる。
茶碗を納経所へ返しに行くと、大師堂への寄進を呼びかけている張り紙に
目がとまる。
急に、何か寄進をしていきたくなったので、釘隠の飾り金具を
寄進することにした。
3千円を払い名簿に名前を書く。
この釘隠には寄進者の名前を彫ってくれるという。
この次に来たときには、自分の前が彫られている釘隠を探す楽しみが増えた。

 ホームページを見ていることなどを話すと、「なかなか更新が出来ない。」と
いい「雪景色の写真は入れてあるので見て下さい。」いわれる。
 体もすっかり休まったので、池田町を目指して歩くことにする。
ここからは、国道192号を歩いて行かなければならない。

 せっかく下ってきた道が、ここからは登り坂となり境目トンネルまで
続いている。

 11:00分、4キロほどダラダラ続く坂道を登っていくと、
やっと、境目トンネルの入り口が見えてきた。
トンネルの長さは855メートルとある。
歩道が整備されているので難なく通り抜ける。

 10分ほどで境目トンネルを抜けると、下り坂になっている。
下り道になったのとほぼ同時に、左足の脹ら脛の下の方が急に痛み出す。
一瞬何事かと思ったが、どうやら三角寺からの下り道で脹ら脛の筋肉に
負担がかかり悲鳴を上げたようだ。
すぐ傍にバス停があったので休憩する。

 11:15分、日陰でちょっと寒いバス停の中で左足の脹ら脛をマッサージする。
アキレス腱のすぐ上が痛い。
でも、ちょっとマッサージしていると力を入れても痛みが和らいだような
気がする。

 もうすぐ佐野の集落だから、そこまで頑張って昼食にしようと思い、歩き出す。

 国道を下っていくと佐野に着く。
見慣れた岡田やさんの建物が見える。
国道から旧道に入り、橋を渡って西商店の店先に座り昼食を取る。
昨夜三島のローソンで買っておいたおにぎりを食べる。
西商店はもちろん休みだが、店先に座ると正面から太陽の日差しを受けるため、
眩しいが体がポカポカして気持ちがいい。
ここでも、左足の脹ら脛を十分にマッサージする。

 さあ~、ここからは、いよいよ雲辺寺への登りとなる。

 12:00分、西商店の前を出発する。少し下ってから、道は左手の山の中へと
続く。
高速道路の下をくぐり、いよいよ登山道のような遍路道なるが、
一度歩いている道なので快調に登っていく。
左足の脹ら脛も登るときにはほとんど痛みを感じない。
 快調!、快調!小一時間ほどで雲辺寺へ続く車道に出る。

 ここからは、九十九折りの車道を、時々行き交う車を避けながら
さらに高度を稼いでいく。
 しばらく行くと、前の方に車がたくさん見えてくる。
どうやら駐車場が一杯のようで、道の両側のちょっとした隙間を見つけて
駐車している車がたくさんある。 
でも、そのスペースが見つからない車と、お参りを終えて下ってくる車との
交差するスペースがないので大変だ。
警備員がいるが車を前後に移動させるだけで右往左往している。
この光景を尻目に歩いていくと、前方に山門が見えてくる。


第66番札所 雲辺寺

 13:55分、雲辺寺の山門に着く。
境内に行くとものすごい人だ。本堂前には人が溢れている。
テントが張られお守りなどを売っているようで、そのテントも人で溢れている。
 あわただしい雰囲気の中で本堂にお参りをする。

 大師堂に向かって歩いて行くと大師堂前の広場で山伏の火渡りの行が
おこなわれている。
私がお参りを済ませて見に行ったときには、一般の人達が渡り終える
ところだった。
法螺貝が吹かれなかなかいい雰囲気だ。

 納経所で話を聞くと、今日は一段と人手が多いが、
明日は何も行事がないので静かになると話している。

 どこか休むところを探していると、大師堂の下に休憩所があり
ストーブが焚かれていたので、そこで休憩する。
休憩所の中も人で一杯だ。
小さなお餅を木の枝の先につけて焚き火で炙り、焼いた餅をみんなで食べている。
無病息災のお守りのようだ。お餅は自分で用意してきているようだ。
 
 雲辺寺は香川県最初のお寺で、いよいよ涅槃の道場に足を入れたことになる。
でも、この人込みに中にいると、そういった感慨も湧いてこない。
少し日が傾いてきたので、太興寺までを急がなければならない。

 14:10分、体も十分休めたので、雲辺寺を下ることにする。
ここから、約5キロほど山道を下らなければならない。

 ロープウェイへの道を過ぎた山陰の斜面一杯五百羅漢像が並んでいる。
等身大より少し大きな羅漢さんが斜面一杯にいる姿は壮観だ。
台座の方が苔むしている羅漢像もあるから、
いつからここに置かれているのだろうか?
せっかくの羅漢様もこの場所で、特に案内もされてなければ歩きの人ぐらいしか
目にすることは出来ない。
勿体ないと思い山を下っていく。

 目の前を二人連れで登山服姿の女性がお喋りをしながら下っている。
ロープウェイも山頂の駐車場も混むので、下から登ってきた人のようだ。
挨拶して先に行く。

 男性5~6人のグループや家族連れの人達を追い抜いて快調に下っていく。
左足の脹ら脛もそれほど痛みはない。

 15:10分、やっと車道に出る。ちょっと休む。
ここからは、町石仏に見守られながら太興寺目指して歩く。

 道の右手に南無大師遍上金剛の旗が数本はためいている建物がある。
すぐ横には消防車が止まっている。どうやら消防団の建物と集会所のようだ。

 この建物を通り過ぎて間もなく、前方から足を引きずるように歩いてくる
老人遍路が話しかけてくる。
「白藤大師堂はまだですか?」と聞かれたが、大師堂などなかったような
気がしてから、ハッと気が付いた。
先ほどの旗が立てられていた集会所が大師堂だったのだ。
「ほんの、4~5百メートルですよ。」というと、頭を下げて、
足を引きずって歩いていく。
 後ろ姿を見ると背負っている荷物も大きく、両手にも袋をぶら下げている。
あの足で、明日は雲辺寺を越えられるのだろうか?

 もうすぐ太興寺という農道の交差点に数人の人達が立っている。
何事かと見れば、左手の田圃の中に乗用車がある。
近くに行ってみるとどうやら交差点を曲がりきれず田圃の中に突っ込んで
しまったようだ。
 立っているおじさんに聞くと、一言、「よく有るんだ!」で片づけられた。

 太興寺の裏口に着く。
ここから入った人には納経しないと書かれた看板を見ながら、
民宿おおひらの前を通り、薄暗い林の中を左に曲がり山門へと歩いていく。


第67番札所 太興寺

 16:25分、太陽が山陰に沈んで薄暗くなりかけたきたが、
やっと、太興寺に着くことが出来た。

 山門から階段を上がり境内にはいると、半分に切ったドラム缶で
焚き火をしている。
この焚き火を横目で見ながら本堂と大師堂にお参りをする。
境内にお参りの人は、ほんの数人しかいない。何か寒々としている。
お参りを済ませた後、焚き火に当たり暖を取る。

 寒くなってきたので宿へ行くことにする。

 民宿おおひらさんにはすぐ着いてしまう。
玄関で声を掛けると中年の女性が出てきて部屋へ案内してくれる。
お風呂場とトイレの場所を聞き、食堂は2階だと教えられる。

 部屋にはハロゲンランプで暖を取るようになっている。
扇風機のような器具が首を振り、部屋の中を暖める。
振った首が正面にくるとオレンジ色の光が当たり暖かいが、光がずれると寒い。
何とも落ち着かない暖房器具だ。
体を温めるには風呂が一番だと思い、早速、風呂に入る。

 風呂では左足の脹ら脛をよくマッサージする。
やはり、温かいお湯に浸かって手足を思い切り伸ばすときが最高の気分だ。
冷えた体を十分に温めて部屋に戻ると、食事の用意が出来たと電話が来る。
 2階に上がると、広い食堂があり、用意されていたお膳は一つだけだった。
今晩のお客は私一人のようだ。
先ほどの女性が味噌汁を持ってきてくれる。
カウンターの中にいる女性が女将さんのようだ。
女将さんに「今日は休みではなかったのですか?」と聞くと
「そんなことはありません。」という。
でも、泊まり客は私一人なので、お正月に私一人のために宿を
開けてもらったのではないかと思い恐縮してしまった。

 食堂の壁に掛かっている書の額を見ると大平正芳と書かれている。
元総理大臣大平正芳さんの書だ。
女将さんに、「こちらの宿と何か関係があるのですか?」と尋ねると
「特に関係はないが、大平正芳さんはこの土地の出身者なので後援会などの
関係で頂いた。」と話してくれる。
書かれている文字はあの大柄な体型には似合わない女性的な感じのする
線の細い字だった。
意外に神経質な人かもしれないと思いながらその書を見ていた。

 明日の朝食を6時半にお願いして、部屋に戻る。

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  お正月を迎えての札所の風景も千差万別です。
 三角寺のようにお参りに来る人もなく閑散としたお寺もあれば運辺寺の
 ように参拝客で一杯になっているお寺もあります。
 テレビに初詣を呼びかけているお寺のコマーシャルを見たこともあります。
 一体、この差はどこから来るのでしょうか?
 宗教的な行事での新年の捉え方に差があるとは思えないのですが?
 札所にはいろいろな宗派のお寺さんが含まれていることは理解できます。
 でも、真言宗のお寺が一番多いはずです。
 それでいて、これだけの違いがどうして出てくるのか不思議でなりません。