massan

旅行大好きバサミのブ・ロ・グ

母と花の寺へ

2014-11-16 15:27:05 | 我が家

 父の入院も1年3ヶ月がすぎた

 

 母と病院に見舞いに行った帰りにコスモス祭りへ

 

 ひまわり畑は台風のため倒れていた 

 名物カシワメシ、枝豆、渋柿、紫黒米などを買って帰る 

 母を一度連れてきてあげたかった円照寺 

 花の寺で有名です 

 ここは2回目 前回は住職さんから珈琲をごちそうになった

 花の名前がなかなか覚えられないが、少しずつ覚えていっています

 今は秀明菊、酔芙蓉が盛り

 80代の住職のお母さんが手入れをされているお庭

 珍しい黄色の彼岸花も残っている

 紫式部

 

 

銅鐘は明応七年(1498)大工・大和相秀の作で、

周防国富田保 上野八幡宮(山口県周南市)に奉納されたと銘が刻まれており、

市指定文化財となっている

豊臣秀吉が山口より加古川まで持ち帰り棄てたもの

 

 酔芙蓉が見頃です

 山茶花 

 

 

 親鸞聖人

 ウエルネススパークで本を借りるのも恒例になった 

 今日は盆栽展が開催されていた

大好きです 

 風情があります 

 これが一番いい 

 


長女の家へ

2014-11-16 15:24:54 | 我が家

 長女の結婚式が終わった

一年近く、この日を楽しみにして生きてきた

達成感いっぱいだが、やっぱり寂しい

 息子の運転で、次女と3人、長女の新居に荷物を届けに行く

 このあたりは、旅行雑誌を手にした女性たちでにぎあうおしゃれなエリア

駐車場も40分100円と安い 

 小腹がすいたので、ピピネラキッチンに立ち寄る

 おしゃれでした お店の人もとっても親切だし、料理も

雄太ご馳走様でした お気に入りの場所に追加

 

 


台風と上京

2014-11-16 15:12:36 | 我が家

2014年10月  台風と一緒に上京した

 のなか、横浜中華街へ

 横浜は大学生以来 

 ランチは飲茶食べ放題

 どれもこれも皆おいしい

 だんだんが強くなってきた 

 が、何やら賑やかだと思うと、オクトーバーフェストが行われていた

 懐かしいな~ 2009年に長女と行った本場ミュンヘンのオクトーバーフェスト

 中に入るとすさまじい熱気

 生の楽団あり、踊りあり、盛りあがっている

 日本丸

 台風が近づいていることも忘れ、楽しみました 

 そのあと、買い物をし、次女の家へ

 


岡山へ紅葉狩り

2014-11-12 10:55:54 | 旅行記

2014年11月5日

閑谷学校へ

校門 棟に鯱をのせるのは、閑谷学校の建築物ではこの門だけである

 校地を取り巻いている石塀の長さは765m。南側と東西の石組みは「切り込みはぎ式」と呼ばれる精巧なもの

 楷

かいは東南アジアや中国に自生するウルシ科の植物

大正4年林学博士白沢保美氏が中国の孔子墓の楷の実を持ち帰り、育苗したのが日本における最初のものである。

その内の2本が大正14年に閑谷学校に寄贈され移植された

 

 武士の師弟が学ぶ藩校は岡山市内にあった。二つ目の藩直営の学校・閑谷学校は、初めから庶民の学校・地方のリーダーを育てる学校として、1670年に創建された。天下の三賢候の一人とよばれる藩主池田光政が「この地は読書・学問するによし」として、重臣津田永忠にその建設を命じた

 講堂(国宝)

入母屋造り・しころ葺きの大屋根をのせている。

 

講堂では一と六のつく日に教授による四書五経などの講釈が行われた

 上の写真は講堂で、元禄14年(1701)備前藩主池田綱政(光政の子)が完成したもので、備前焼の屋根瓦が美しい

 閑谷学校では儒学が教えられた。聖廟には孔子像が安置されている

 

 清閑の地に世界最古の庶民のための学校 それが閑谷学校

 ランチは牛窓のホテルリマーニで

 白い建物と青い海

 しおまち唐琴通りを歩く

ここは旧牛窓銀行 

 山茶花 山茶花 咲いた道

しおまち唐琴通りは、唐琴の瀬戸と呼ばれる海峡部に沿った、関町から東町(関町・西町・本町・東町)にかけての町並みで、港町として栄えた江戸時代から昭和30年頃にかけての面影を数多く残している。

朝鮮通信使の中心的な役割を担う三使の宿館として利用された本蓮寺や御茶屋跡、赤レンガの旧牛窓銀行、燈籠堂跡、白壁土蔵や格子戸の町並み、古くから地元の人達に信仰されてきた神社など古い寺社や伝統的建造物、遺跡が点在している。
秋祭りには、牛窓神社から繰り出される勇壮な「だんじり」が街中を練り歩く

 建物は明治20年(1887年)に牛窓警察署として建造されたもの 後ろは本蓮寺の三重塔

 夕陽百選に選ばれた港町

 オリーブ園からの眺め

 「老後はあの無人島で自給自足の生活をしたいね」