massan

旅行大好きバサミのブ・ロ・グ

和へ

2015-05-24 10:22:49 | グルメ

 5月6日 先輩と和へ

 和はもう2周年だそう

 なかなか予約が取れないほどの人気店に   

 裏の山の桐の花も素敵だったが、お蕎麦のおいしさと先輩との会話で元気をもらった


住吉神社

2015-05-24 10:20:56 | まち歩き

 2015年5月7日 ひょんなことから住吉神社へ

 藤で有名な神社です

 ちょっと遅かったかしら

 でもいい香りがたちこめています

 海の近くにある神社

 この後、星乃珈琲でお茶をしました

 いっぱい愚痴を聞いてもらえました

 次はどこに行こうかな?

 

 


母と娘と金沢へ

2015-05-24 10:14:46 | 旅行

 平成27年5月9日~5月10日から

 父の四十九日も無事終わり、母と長女の3人でサンダーバードで金沢へ

 まずはバスで近江町市場へ

 友達から聞いていたモリモリへ  やっぱりすごーい行列

 お腹も満足して、次はひがし茶屋街へ

 風情があります

 卯辰山山麓を流れる浅間川の川岸には、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い町並みが残り、昔の面影をとどめている

五木寛之著『朱鷺の墓』の舞台としても知られていた 

 

 金沢の三櫓の一つ 浅ノ川大橋詰の火の見櫓  

 ひがし茶屋街は2001年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、『町並みの文化財』として保存策が進められている

 『笑神様は突然に』のロケが行われていた

 おぎやはぎ、アンジャッシュの児嶋、東京03、ドランクドラゴンの鈴木が着物姿で散策をしている

 北陸新幹線も開通し、旬のスポットなんだろうね 

 だーい好きな建物

 母も楽しそう

 笑神様ご一行

 行き先がかぶる

 藩政時代、金沢城下への入り口にあたる北国街道の浅野川、犀川両大橋界隈には、お茶屋が立ち並んでいた

文政3年(1820年)になり、正式に加賀藩の許しを得て、この『ひがし』の茶屋町が犀川外の『にし』と共に開かれ、以来随一のにぎわいを見せた 

 通りに面して、一階を揃いの出格子、座敷を備えて背の高い2階を吹放しの縁側とする姿のお茶屋が並ぶ町並みは、藩政末期以来の茶屋町の特徴をよく残している

 Antique

 beautiful

 www.hakuza.co.jp

 箔座 ひかり藏へ

 箔座は、世界に誇る伝統の技を守り、国宝や重要文化財などの修復に使われる金沢伝統箔『縁付』をつくり続けている

 黄金の蔵

 昼間は陽の光を受受けて眩しいほどに輝き、陽が落ちると妖しい美しさを漂わせる不思議な魅力に満ちた蔵

 純金プラチナ箔で仕上げた外壁の迫力ある美しさも圧巻だが、藍の土壁に純金箔24Kを使用して仕上げた内壁も素敵だ

 国内のみならず海外にも活動の場を広げている左官技能士・挾土秀平氏によるアートな空間

 旅行記念のネックレスを三人で購入した

 浅野川から主計町茶屋街を望む

主計町茶屋街は昔ながらの料亭や茶屋が立ち並び、夕暮れ刻になると三味線の音が聞こえることがある 

 尾張町2丁目の一部でしたが、1999年10月1日に全国で初めて旧町名が復活し正式に主計町となった

 レンタカーで今日のお宿 葉渡莉へ

 部屋に露天風呂がある

 一息ついてから、お風呂へ

 風呂のあと、シャーベットのサービスも

 ロビーには鯉のぼり

 いよいよ夕食です  茶寮’烏月’にて

 食前酒は柚子のお酒  

先付

   雲丹釜      生湯葉 ひしお出汁

  蓬豆腐の最中    炒り豌豆

 竹筒新じゅんさい   湯引穴子 太胡瓜

 

 前菜

  梅貝木の芽味噌掛け

  蕗鴨八幡巻 生姜寄せ

  海老水雲進上黄身焼

  蛍烏賊仲漬

 小吸物

  加賀蓮根と新牛蒡すり流し

 お造り   石川県産

 生鮪 甘海老 烏賊 栄螺

 無農薬のルッコラ  原木椎茸昆布〆 

 冷煮物

   地野菜の煮物盛り合わせ

   鮑黄身煮  豌豆餡

 手取川という地酒をいただきました

 焼き物

  好きなものを注文してから焼いてくださった

 煮物

  白子玉締め   鯛子餡

 焜炉  チョイス料理

  私はA4和牛 もも肉のすき焼き

  母は活〆の鮮魚と生若布しゃぶ

 食事

  新生姜の鯛飯   冷やし太胡瓜餡

  加賀味噌袱紗仕立

  香物

 葉っぱから芽が

 ご飯はその場で炊いてくださる 

 甘味も三種類から選べる

 仲居さんとの楽しい会話、そして行き届いたサービス、料理のおいしさ

100点満点でした 

 葉渡莉名物一向一揆太鼓を見る

 音にびっくり

 人が次々に替わっていく 

 勇壮でした

 お腹もいっぱいなので、夜の山代温泉へ

 葉渡莉の由来である服部神社へ

 服部神社は山代温泉の鎮守として天羽槌雄命(あめのはづちをのみこと)、菊理姫命(くくりひめのみこと)、山代日子命(やましろひこのみこと)の三神を祀る延喜式内社である

 元の社地は広大であったが、往時、越前朝倉氏と一向一揆の争いによって天文年間(1500年ごろ)その戦火を受けて灰燼に帰し、以後断熱した

 明治8年7月、現在地に社殿を復興し、明治17年3月県社に列格、現在に至る

 境内は、幹廻り6mのスダジイを始めタブの木、ヤブツバキ等の自然木が林立し、樹齢200年以上を数える巨樹が、108段の石段の両側及び、社殿裏に林立して見事である

 特に夜間のライトアップのその趣は格別であった

 石燈篭も風情があります 

 山代温泉の歴史

 一羽の烏が湯で傷を癒している姿を行基が発見して以来1300年

 加賀百万石の前田藩の湯治場として栄えた北陸屈指の温泉

 与謝野晶子や泉鏡花など多くの文人墨客に愛された

 山がそこにある

水の音もそこにある

湯につかれば

ゆっくりと今日がある     加藤登紀子

 散歩から帰ってきてもう一度お風呂へ

 ここちよい疲れで熟睡できました

 翌朝、お風呂をすませ、朝食へ

 朝の散歩へ 

 夜とはまた違う服部神社

 樹齢約300年のヤブツバキ 

 久谷なる かまが作るも山代の

  薬王院に 咲けるも椿   与謝野 晶子

 薬王院温泉寺

 今日は朝から暑い

 新緑がまばゆいです

 薬王院温泉寺は1300年、行基が白山登拝の道すがら、この地に立ち寄り、一羽の烏の湯あみを見て温泉の湧出を発見したといわれている

 よって温泉鎮護のために一宇を建立し、ここに薬師如来を祀り、白山権現を歓請したのがこの温泉寺の始まりである 

 珍しい黄色のツツジ

 都忘れの色も鮮やかです

 はづちをカフェへ

プリンがとても濃厚でした

 土産物店へ

 ここでも中国人が爆買いをするため、中国人むけのカードもOKにしたそうだ 

 はづちを楽堂

 またまた都忘れ

 古総湯

 べんがらや

 これを見て、母の家にある古ダンスをもらいました 

 おしゃれな空間です

 よう来たと 軒のつばめに 声かける

        葉渡莉 大女将

 お世話になりました

 車で蔵六園へ

 蔵六園ツツジが見ごろを迎えていると聞いた

 燃えるような紅色

 庭園を見ながら抹茶をいただく

 至福の時です

 霧島躑躅の由来

  築庭当初より植栽されており 北前船によりもたらされたと伝えられている 

 深紅大株三本(樹高250㎝ 樹幅 180cm等) 紫など数株あり 特に斜面の大株が庭では一番に咲いて見事である

 樹の直径が5cmになるのには100年かかるといわれているミヤマキリシマツツジは変種が多く、花の色は淡紅紫を中心に紅紫淡紅・朱紅・紫・白などがみられる

 葉は幅5mm長さ15mm以内で葉が小さいのが特徴 

霧島ツツジは鹿児島地方の野生品の中から選抜した園芸種とされている。

霧島ツツジが九州から江戸・京都に入ったのは江戸時代の初期 今から340~350年前のことである 

 またまた発見 ハナイカダ

 蔵六園は日本海を雄飛した北前船主の屋敷である

 古美術品、久谷焼き、山野草もたくさん見られる

 しかし、説明してくださる方がいないのが残念でした 花の名前を尋ねても『わからない』とのこと

 金沢に向かう途中、尼御前岬へ

 源義経が、兄頼朝に追われ北陸路を奥州に落ちのびる際に同行していた尼御前が、これから先の旅路で足手まといになるのを憂えて身を投げたという伝説が残る岬

 美しい松林と遊歩道が完備されている

 素晴らしい景色が広がる

日本海は波が荒いですね

 お昼頃兼六園に到着

 今日は真夏並みの暑さ

 金沢 21世紀美術館へ

 面白い展示がみられた

 兼六園

 私はレンタカーを返却しに、金沢駅へ

 天気にも恵まれた二日間

 自然と温泉、そして美味しい料理に大満足の旅行になりました

 


多恵ちゃんと高御位へ

2015-05-24 10:13:21 | まち歩き

 5月2日 父が亡くなった時に、真っ先に駆け付けてくれた元同僚多恵ちゃんと久しぶりに高御位に登山

 頂上で山カフェ これが大好き

 いっぱいしゃべりました

 下界を見下ろして、愚痴を聞いてもらって、気分は爽快

 ヤマツツジにも癒されました

 大切にしたい友達です ありがとう