2014年11月5日
閑谷学校へ
校門 棟に鯱をのせるのは、閑谷学校の建築物ではこの門だけである
校地を取り巻いている石塀の長さは765m。南側と東西の石組みは「切り込みはぎ式」と呼ばれる精巧なもの
楷
かいは東南アジアや中国に自生するウルシ科の植物
大正4年林学博士白沢保美氏が中国の孔子墓の楷の実を持ち帰り、育苗したのが日本における最初のものである。
その内の2本が大正14年に閑谷学校に寄贈され移植された
武士の師弟が学ぶ藩校は岡山市内にあった。二つ目の藩直営の学校・閑谷学校は、初めから庶民の学校・地方のリーダーを育てる学校として、1670年に創建された。天下の三賢候の一人とよばれる藩主池田光政が「この地は読書・学問するによし」として、重臣津田永忠にその建設を命じた
講堂(国宝)
入母屋造り・しころ葺きの大屋根をのせている。
講堂では一と六のつく日に教授による四書五経などの講釈が行われた
上の写真は講堂で、元禄14年(1701)備前藩主池田綱政(光政の子)が完成したもので、備前焼の屋根瓦が美しい
閑谷学校では儒学が教えられた。聖廟には孔子像が安置されている
清閑の地に世界最古の庶民のための学校 それが閑谷学校
ランチは牛窓のホテルリマーニで
白い建物と青い海
しおまち唐琴通りを歩く
ここは旧牛窓銀行
山茶花 山茶花 咲いた道
しおまち唐琴通りは、唐琴の瀬戸と呼ばれる海峡部に沿った、関町から東町(関町・西町・本町・東町)にかけての町並みで、港町として栄えた江戸時代から昭和30年頃にかけての面影を数多く残している。
朝鮮通信使の中心的な役割を担う三使の宿館として利用された本蓮寺や御茶屋跡、赤レンガの旧牛窓銀行、燈籠堂跡、白壁土蔵や格子戸の町並み、古くから地元の人達に信仰されてきた神社など古い寺社や伝統的建造物、遺跡が点在している。
秋祭りには、牛窓神社から繰り出される勇壮な「だんじり」が街中を練り歩く
建物は明治20年(1887年)に牛窓警察署として建造されたもの 後ろは本蓮寺の三重塔
夕陽百選に選ばれた港町
オリーブ園からの眺め
「老後はあの無人島で自給自足の生活をしたいね」