露天風呂のロビーからの眺め
やった 一番乗り
白濁の湯
お湯はぬるめだが、落ち着く
早起きは三文の徳だね
朝食はバイキング
ついつい食べ過ぎてしまいました
青雲荘をあとにして、小地獄温泉の源泉を見に行く
お湯は熱めだったが、今までで一番のお湯でした
バスの運転手に教えてもらい、ミヤマキリシマの秘境へ
しかし、ミヤマキリシマは終わっていました
原生沼は、九州ではまれなミズゴケ湿原である
5月下旬、沼の植物は一斉に花をつけ、カキツバタ、ミヤマキリシマ、レンゲツツジなどが、咲き誇る
ヤマドリゼンマイ、モウセンゴケ、ヒゲアブラガヤなどの植物も見られる
原生沼は絹笠山のふもとの標高670mに位置し、広さは1.2haある
原生沼の周辺は広く温泉水により白く変質がすすんでいる
アカマツ
レンゲツツジ
モミ
噴気帯はかつて原生沼にあった
そして、次に、ここ旧八万地獄に移った
月面のクレーターに似ていることから、地元では月面地獄とも呼ばれている。火山の誕生から植物の進入をわかりやすく観察できる静かな地獄である
これが現在活動の中心、八万地獄である
雲仙地獄をあとにし、島原港までフジタカさんを迎えに急ぐ
平成新山もこちら側から見ると、富士山のようになだらか
フジタカさんと合流し、ジオマルシェへ
雲仙岳災害記念館(ガマダスドーム)では、毎月最終日曜日にマルシェ(市)が開かれている
遠くに熊本が見える
まさに南国
島原半島世界ジオパークキャラクター ジーオくんとジーナちゃん
展望台から
平成の噴火でできた新しい地形と災害の爪痕を見ることができた
粘り気の強いマグマがつくった「平成新山」は、他のどこでも見ることができない景色
島原湾
ブルー坂本竜馬
鯉の泳ぐまちへ
家の立ち並ぶ脇の昔ながらの水路に、色とりどりの錦鯉が放流されている
江戸時代末期に松平七万石の城下町として栄えた地、島原
南蛮文化とキリシタンの歴史を今に残している
武家屋敷を散策
情緒ある学校の塀
島原城下に残る下級武士の武家屋敷
藁葺き屋根の3軒が現存している
街路の中央には豊かな湧き水を引いた水路が通り、生活用水として守られてきた
大きなびわの木があちこちで見られる
早、アジサイも咲き誇っている
白土湖
およそ200年前に眉山が大崩壊した時にできた湖
サッカーボール型街路灯
サッカーの町”国見”らしい。カニがボールを掴んでいるデザイン
多比良港から長洲港へ戻る
復路はガリバーが寝ているような山の姿がうっすらと見えた
左から眉山、垂木大地、焼山、平成新山、普賢岳、国見岳、舞岳、九千部岳、鳥甲山
有明海の干潟
ここに沈む夕日の美しさがすばらしいそうである。見たーい
万田坑へ
三池炭鉱は三井財閥の団琢磨(後の三井財閥総帥)などの努力により採炭技術の近代化が急速に進められ、明治・大正・昭和期を通じてわが国の近代化の牽引力を担い、各種産業の勃興、発展を促した。三池炭鉱の主要な坑口の一つである万田坑施設は、1897(明治30)年に工事に着手し、1902(明治35)年から操業を開始した。三池炭鉱の主要な坑口は炭鉱鉄道により、環状(馬蹄形)に繫がれるなど、明治後期には三池港から石炭を国内外に搬出する施設が出来上がっていた。
大牟田駅まではるちゃん、ふじたかさんに送ってもらう
3日間という短い間だったが、二人には本当にお世話になりました
地球は生きていると感じた旅であった
人の優しさ、そして、健康の大切さを教えられた3日間だった
本当にありがとう
また会える日を楽しみにしています!