パリ よもやま話 番外編 特別号

パリ在住十年+の日本人女性が、パリ生活で起こるよもやま話を綴る徒然日記と帰国後のお話

「私は まむし の子」

2008年11月10日 | 出生秘話
注:  爬虫類、昆虫類が苦手な方は 即削除してください。  

秋になると思い出す。  奈良の奥に位置するド田舎に生まれた私は 超 自然児 として育った。  

駄菓子屋が一軒あるだけの山と田畑に囲まれた農村の環境は、私にはどんな巨大遊園地にも勝る遊び場だった。

 日が暮れるまで野山を駆け回り、赤とんぼが飛ぶのを追いながら夕暮れのあぜ道を飛び跳ねた。  大地のエネルギーを、この時代の私は体一杯に一生分吸い取っていた。  

大地のエネルギーのみではなかった。自然は私にこの時期、様々な 免疫 をも一生分与えてくれた。  

免疫
 といえば、学校で受けた様々な注射が思い浮かぶ。

しかし私の体内には、学校でも病院でも施される事のない大変珍しい種の免疫が数々眠っている。  

珍しいが何の役に立つのかは分からない。 

それは まむし の免疫だ。

 私の実家は、この まむし  の産地( !!?)であったため、私の亡き祖父も畑で仕事をしている最中にまむしに顔を噛まれた。

当時、祖父は自分で自転車をこいで人里離れた診療所に行って、血清 を打ってもらってすぐ帰宅した。

顔は毒でパンパンに膨れ上がったが、血清のおかげで命に別状はなかったそうだ。   普通のヘビは人を見るとスルスルと逃げていく。

ところが まむしは体は小さいが、人を見ると頭を立てて威嚇してく
る。  頭が逆三角で、人命を奪うこともある毒を牙に持っている。

 毎年 この時期になると山にはアケビの実がなった。 夕暮れの中、十歳になったばかりの私はソロバン教室の後、九歳の友人とアケビ狩りをしに山奥へと入った。

熟れに熟れたアケビを持ちきれない程抱えて薄暗い山道を下っていたその時、 左の足に 何か が擦れた感じがした。

 草が擦れたのだと思って気にも留めず嬉々として帰りを急いでいた。  偶然私の後ろに歩いていた友人が 

「ヘビだっ!!」 

と叫び、私はクルッと振り向くと、そこには頭を高々と掲げて威嚇しているまむしの姿があった。 私は本能で自分が「 まむし 」 に噛まれたことを悟り、その場にアケビを放り出して、友人に山を下って大人の助けを呼んでくるように指示した。

 私はまず噛まれたであろう左足のくるぶしを手で強く圧迫した。毒が体に回らないことをとっさに考えた。動くと血が巡って体に毒が廻っていくのも早くなる。一体どこでこんな智恵を得ていたのであろうか。十歳の子供とは思えない冷静な対応であった。 それから自分は死ぬ かもしれない、と考えた。街灯一つない暗闇に包まれた山道に一人、まるで悟った僧侶のような穏やかな気持ちで今までお世話になった親類や知り合い一人一人に感謝の言葉を唱えた。

  友人が助けを呼んでくるまで私はその場で微動だせずに足元を押さえていた。友人と共にやってきたのはソロバン教室に向かえに来ていた私の母であった。母の自転車の後ろに乗せられて、気がつくと救急車で市の大きな病院に運び込まれていた。

この病院が 唯一 まむしの血清 を保有していた。それでも医師と看護婦さん達は

「どうやって治療するんだ?」

と口々に つぶやきながら 「まむしにかまれた人の治療法」 なるガイドブックを私と母の前で真剣に読んでいた。

 母は「こんなんで大丈夫かしら」と大変不安に思ったそうだ。

( そりゃそうだ )

ようやくのことで血清が打たれ、私は数日入院することとなった。ところが病状は思ったより長引き入院日数は伸びに伸びた。

 母は毎晩付き添いの簡易ベッドで寝てくれていたが、ある日台風が奈良にやってくるというので、その日は実家に戻って台風に備える必要があった。 母は私を置いて不在にすることを言いに看護婦室へと向かった。

「 あのー。OO号室のOOOですけれど、、、」

すると看護婦さん達は一斉に

 「ああっ, まむし の子!!  まむしの子 のお母さんでしょっ!!? 」

と言ったそうだ。 私は看護婦さん達から 「 まむしの子」 で通っていたことを母はその時初めて知った。

 「盲腸の子」だと五万といるかもしれない。

 しかし「まむしの子」は 「苗字+名前」程に強いアイデンティティーを含んでいる。   

それ以降、私は 「くまバチの子」 「ムカデの子」 など、様々な命名を頂きながら今日まで生きながらえてきた。

私の中に必ず今も眠っているであろう様々な「免疫は、きっとどこかで私の健康を支えてくれている。

 皆さんにはどんな珍しい免疫があるだろう。  「つちの子」免疫がある、という人は ぜひご一報ください。


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