先日、緊急に鉄じいが入院をしました。
生まれて初めての点滴にびっくりしている大正じいさんです。
ずっと健康すぎましたので、お腹に動脈瘤が見つかったのは本当にラッキーでした。
じつは、とつぜん便秘になってお腹にガスがたまり苦しくなったのです。
それでレントゲンで見てもらったら、見つかったのです。
運が良い人です。戦争でも生き延びてきたんです~。
幸運鋼鉄じいさんです。
毎日、鉄じいの用事で病院に出かけているので、すっかり母のことがおろそかになっていました。
火曜日の夕食の時に施設に出かけてきました。食事の時間に行くと、食事介助ができますので
人手が足りない時など、猫の手になれます。
母は以前は納豆が だーーーい嫌いで、納豆を食べた茶碗すら洗いたくなかったほどでしたが、昨夕はひきわり納豆をぺろりと食べました。
「お肌がきれいになるね~」などと、歯の浮く言葉もすらすら出るみどりです。
横にいるのが娘ともわからず、しゃべらず目も開けない「お人形さん」のような母ですが、それでも一生懸命に食事をする姿に、ずっと元気でね~と願います。
お腹を開けて中をのぞかれ、またもう一度開腹手術がまっている鉄じい。それでもヘアトニックを持ってくるようにとか
髭剃りを持ってきて、とか、元気元気。
母の施設の見慣れた方たち。
歩き回って誰かを探していたり、食事をするよりも不安の解消が先決とばかりに
食事に手をつけられなかったり、怒っていたり、笑っていたり。
その人の「純」な「素」な部分が前面に出て来た認知症の暮らしの、さまざまなシーンが展開しています。
その人にとっての長い間の(70年とか80年とか)苦労の多かった暮らしを癒す、静かな時間だと思う、そんなゆっくりとした時間がながれる場所にいると
人間って? 人生って? って考えずにはいられません。
なぜなら、二日前、娘の指導教官が亡くなりました。50代でした。
体調が悪いからと残った北京で亡くなったというのも、驚きでした。
学生たちは前日に元気に帰ってきたのに。
70,80、90歳の人たちが、体のどこかが不調でも、こうして元気に過ごしているのに。
人の生命って、儚いのか、強いのか、わからなくなりました。
この先生には、お世話になりました。これからまだまだ教わることがあったのに。
あんまり急すぎる知らせに、驚くばかりですがこれもまた
受け止めなくてはいけない出来事のひとつなのでしょう。
出会いと別れと、くりかえしながら
自分も自分の生命を大切にしながら
否が応でも明日へと向っていかなくてはなりません。
それにしても。。。50代。早すぎる。
ついつい そんなため息が出てしまいます。