ここで出会った人達の中には、すっかり疎遠になってしまった方もいらっしゃいます。
そもそも、私の興味というか、一時期の熱みたいなものが、あるきっかけから徐々に醒めてしまったのもひとつの原因かと。
皆様、お元気なのでしょうか。
元気ならいいのよ。
私はまあまあ元気です。
20年ぶりに生で見た筋肉少女帯。
しかも20年前はホールだったので、筋少でオールスタンディングは初めての経験です。
*この先、無駄に長い上にネタバレあります。
キャパ約800の会場でチケットが300番台だったので、位置的には真ん中よりちょい前くらい。
正直、ステージは全く見えません(笑)
ここまで見えないのであれば、もうちょっと後ろに下がって安全な場所からゆっくり堪能するという手もあったんですが、今回はやはりライブを楽しむことを目的に来たので、たとえ見えなかろうともできるだけ前でこの空気を共有したいと思い、とりあえず現在地をキープ。
メンバーがステージに出てきた瞬間、後ろからガーーーーッと人が押し寄せてきて、その時点で私より前の人たち何人かは避けていったので、体感的にはかなり前の方に進んだ感じ。
それでも、オーケンと橘高様、ウッチーとオイチャンは見えるけど、エディと長谷川さんは全く見えず。
で、1曲目「パリ・恋の都」
これが1曲目なんだ~!!と、けっこう意外性のある曲からのスタート。
そこから、妖精対弓道部、仲直りのテーマときて、4曲目のツアーファイナルで既に私の中の精神的涙腺は決壊。
普通ならば、見知らぬおっさんの汗だくの身体とか半径30メートル以内には近づきたくないもんだけど、ここでは躊躇なくそういうおっさんの背中にもたれかかりつつ、隣にいるゴスロリファッションの女の子のロングヘアーが口に入ろうとも、誰に足を踏まれようとも誰の足を踏もうとも誰の汗が顔に降りかかってこようとも、そういうのが全て愛おしく思えて。
ああ。
同じものを愛する人たちの囲まれてもみくちゃにされて、目の前には25年間追い続けてきた筋肉少女帯がいて。
私って、なんて幸せな空間にいるんだろう。
と思うと、もう、たまらない。
香菜、頭をよくしてあげよう では、精神的涙腺だけではなく現実に涙腺が決壊。
この曲って、発売された当初は特に何の思い入れもなくて、どちらかと言うと良さがわからない曲だったんだけど。
ここ5年くらいかな?この曲がものすごく好きになってきて。
今回、生で聴けて嬉しかった。
ここからまた意外性があったのが、橘高様ボーカルのアンクレット、ウッチーが歌うモコモコボンボン。
そして、これでいいのだ。
ここでさらに前に押されて、橘高様が思いのほか近い場所に見えるように。
気がつくと、Tシャツの袖から自分の汗なんだか他人の汗なんだかわからん液体がしたたり落ちてるけど、気にしない。
猫のおなかはバラでいっぱい で一旦落ち着き、パノラマ島へ帰る の四半世紀バージョン。
やっぱり、筋少って上手いバンドだなあ・・・としみじみ思う。
生きてあげようかな で、二度目の涙腺決壊。
実は、この曲は香菜と逆で、昔はけっこう好きだったんだけど、大人になるにつれでちょっと世界観が違う・・・というかあまり心が動かなくなってきた曲だったりするんだけど。
けど今回はかなり来るものがあった。
20年前に見たエリーゼのレコ発ツアーの事を思い出して。
あれから20年経つけど、相変わらず筋肉少女帯が好きで、当時と同じ曲をこうして聴くことができて、20年前のライブに一緒に行った友達とこうしてまた一緒に筋少を見にくることができて。
20年も経てばいろんなものが変わるし、私自身の立場も環境もいろいろ変わってきて。
それは喜ばしいことである反面、淋しいことだったり不安なことだったり焦りだったり、いろんなネガティブな気持ちもついてくる厄介なモノなんだけど。
けど、私の周りにはこんなにも変わらないものがたくさんあるということに気がついて。
今日のライブで一緒に汗だくになってる見ず知らずの同年代の人たちもきっとこういう思いがあるんだろうと思うと、なんかすごい感情があふれてきた。
サンフランシスコで、さらに後ろから人が押し寄せてきて、もうステージを見ることは諦めてただひたすら頭振ることに専念。
エディと橘高様のソロバトルを身体にガンガン感じて精神的限界値が振り切れてしまい、このあたり正直記憶があんまりありません。
それでも人垣の隙間から垣間見る橘高様は相変わらず美しく、ギタリストとしての存在感が圧倒的で、ギターヒーローっていうのはこういう人のことを言うんだなあ・・・と改めて実感。
そしてハッピーアイスクリーム、ひさしびりに聴いたけど、条件反射的に「ハイ!え?!なぁに?ウン!」が出てくる自分に驚きを隠せない。
これも今回のライブでやると思ってなかったから驚き。
レセプター、そして、イワンのばか。
で、アンコールからの赤ちゃん人間、日本の米、中二病の神ドロシー、ラストは釈迦。
なんか・・・楽しい時間は一瞬だった。
ライブが終わってから、一緒に行った友達&現地で合流した友達と少しだけお茶したんだけど、やはり年月の流れとともにオーケンは老けたし、橘高様のいつものローディーさんも老けたし、毎回ライブで右側最前列が定位置のお姉さま方も以下略とか話しながら、やっぱり、長く活動してるバンドを好きであり続けるって、楽しいし幸せなことだなあ・・・と改めて思うわけです。
若い時とは違って、ライブに行くにもいろいろ暮らしの上でも金銭的にも制約があるし、なかなか思うように行動できないもどかしさとかいろいろあるけど、それでも今回無理して来て良かった。
実はチケット取った後、もしかしたら行けなくなるかも・・・と危ぶまれるような事態もあったりしたんだけど、幸いなことにそっちも良い方向に向かっていて、とにかく今回こうして行けたことにはもう、感謝しかありません。
大人って、自分ではどうすることもできないいろんなしがらみだったり、そういうのがあるけど。
でも頑張って働いて、頑張って自分の役割をひとつずつちゃんとこなして、そしてまたこういう思いを体感しに行ければいいなあと思う。
その時にはまた20年前から変わらない同行者と一緒に。
たくさんの変わっていくものの中にある、ほんのちょっとの変わらないもののいとおしさ、大切さ。
だから私は筋肉少女帯が好きなんです。
夢のような時間をありがとうございました。
・・・というような内容のことを終演後140文字にまとめてツイッタでオイチャンにリプとばしたら、引用リプが返ってきた。ちゃんと受け止めてくれたんだなあ・・・とちょっと感激。
昨日の記事といい今日の記事といい。
マトモなレビューともいえない、私の私的感情丸出しの感想なわけですが。
実はですね。
私は、好きになったミュージシャンだったり俳優さんだったり劇団だったり、そういうのがあるとけっこう検索かけて、いろんなブロガーさんがその方々について書いてるブログを拝見したりします。
その時に、しっかりとした音楽的知識を持った人が書いているブログはとても参考になり、なるほど。。。と思いながら読ませていただくわけですが、実はそれ以上に、ただただ熱い思いだったり、溢れ出る愛情の持って行き場として感情の赴くままに書いているブログがけっこう好きだったりします。
そうそう!!そうなんよね!!!
と、なんだか一緒に嬉しくなるのです。
だから私も、こういう変態的ファン目線で思うままに書いてみて、誰か一人でもこの気持ちを共有してくれる人がいればいいな・・・くらいの気持ちで書く事にしました。
さて。
世間でたまに聞く、バンドの解散理由だったりメンバーの脱退理由だったりでよくあるのが
音楽性の違い
というやつです。
やりたい事の方向性が変わってしまって、この先一緒に活動できる気がしなくなった。
というのは、プロであれアマチュアであれ、バンドというひとつのチームを継続し難い大きな理由になり得ると思います。
しかし。
筋肉少女帯に関して言えば
音楽性の違い?なにそれ。
と思います。
全くジャンルやタイプの違うミュージシャンが集まって、お互いがどこかに程よい妥協点をみつけるわけでもなく、それぞれが自分の一番いいところをぶつけ合って完成したのが筋肉少女帯だと、私は思っています。
異なる引き出しを持ったミュージシャンたちの音が融合した上に、唯一無二の存在である大槻ケンヂのボーカルが乗ることで、独特の世界観を出し続けてきたわけですよね。
独断と偏見ですが・・・
最近の、耳触りがよくて覚えやすくて聞き流しやすい、そんな音楽とは違って、一音たりとも聞き逃したくない、そんな音楽なんです。
こういう音楽って、実は聴く側にも力が必要です。
独特の世界観で書かれた歌詞を一言一句聞き逃すまいとしながら曲に集中していくこと、メンバーそれぞれが出している一音一音が何を狙って、どういう意図があって出している音なのかを理解したいという思い。
それが強すぎると、聴くだけでけっこう消耗します。
だからこそ、好きになれば好きになるほどのめり込んでいくし、その世界観から逃れられなくなるのです。
そして。
25年という年月。
私は20歳の時に筋肉少女帯に出会い、今までずっと追い続けてきました。
その中で、自分のいろんな変化にも気付くことがあります。
たとえば。
今回のアルバムの収録曲の中の
香菜、頭をよくしてあげよう
なんかは、発売された当時、そんなに好きな曲ではありませんでした。
それが今聴くと、すごくいい。
そういう自分の中の変化に気がつくことができるのも、ひとつのバンドを長く追い続けてきたからこそなのかな・・・とも思います。
そういう、筋肉少女帯というバンドの25年間と、自分の25年間を重ね合わせていろんな思いに浸ることができるのも、このアルバムの良いところだと思います。
最近の若いミュージシャンの中にも、良いミュージシャンはたくさんいるし、上手いバンドもたくさんあると思います。知らんけど。
けど、やっぱり。
25年間という年月は埋まりません。
今の録音技術がどんなに発達して、どんなに良い音をユーザーに提供できるようになったとしても、25年間という年月の重みは絶対的なものです。
背中をどんなに追いかけても、どんどんどんどん彼らも前に進み続けて、その差は絶対に埋まりません。
そういうことなんです。
人生の半分以上を好きであり続け、ある意味自分の根幹の部分を形成したといっても過言ではない。
そんなバンドに出会えたことは、とても幸せな事だと思っています。
セルフカバー曲を聴くことで、筋肉少女帯の進化し続ける部分、そして変わらない部分。
それを感じることができました。
変わることで離れていくファンはいるだろうし、変わらなくても飽きられてしまう。
そんな中で、進化し続ける部分と、あえて変わらない部分の絶妙なバランスが、旧来のファンの心を捉えて離さないのだと思います。
ひとつの世界で長く生き続けていき、長く第一線でありつづけるということ。
それは普通のことではありません。
信念だったり、譲れないこだわりだったり、そういうことのひとつひとつが全て魅力的で、だから離れられないのです。
こんなにも好きで、こんなにも苦しい。
好きでよかった。
この先、いくつになっても、きっと追い続けると思います。
(深夜に書いた文章は痛くなりがちだから、必ず朝もう一度読み直せということはよく言われますが、早朝からこの文章を書けてしまう私の痛さはある意味すごいと思います。自分でも。)
1.中二病の神ドロシー
2.妖精対弓道部
3.日本印度化計画
4.躍るダメ人間
5.釈迦
6.香菜、頭をよくしてあげよう
7.機械
8.再殺部隊
9.蜘蛛の糸
10.キノコパワー
11.パノラマ島へ帰る
12.くるくる少女
13.孤島の鬼
新曲2曲および、筋肉少女帯がメジャーデビューしてから今年までの25年間の曲の中から厳選された曲をセルフカバーしたアルバムです。
まずは全体的な感想をざっくりと。
カバーアルバムって、セルフにしろトリビュートにしろ、たまに原曲の片鱗も残ってないようなアレンジになってしまう場合があったりしますよね。
好きな曲が、ん?・・・なアレンジになってることもあれば、先にカバーを聴いて気に入って、いざ原曲聴くと、ん?・・・だったりすることも。
しかし、このアルバムは原曲を姿かたちもなく変えてしまっているようなアレンジはしていません。
細かい部分はいろいろアレンジ(というか、リリース当時にこれが最高だと思ってリリースしたののハードルが上がったから自然に変わっていったような)されてますが、たとえば印象的なギターソロだったり、ボーカルの根幹になる歌メロの大々的な変更はないですね。
再結成後に昔の曲を再録してアルバムに入れてたりする曲もありますが、そういうのも基本的にそんなに大きく変えてきてなかったから、まあ今回もそうきたな。という感じはあります。
ファンとしては、もうちょっと新しいテイストを入れてくれてもいいのかな?と思う部分もありますが、逆に25年もやってるバンドだけに、最近ファンになった人たちに昔の曲とか、筋少の25年間を知ってもらうには最適なアルバムと言えるかもしれません。
全体通して聴いた印象としては
すごく抽象的な表現になりますが、キラキラした派手さから取捨選択された差し色への変化
とでも言うのが、私の中のイメージとして一番しっくりくる表現だと思います。
月光蟲から後、とにかく音を重ねて重ねて作りこんでいく手法を使っていた時期が長く続いていたと思います。(一時期のすかんちなんかもそうなんじゃないかしら)
ギター1本だけでも、そうとうなチャンネル数で録音して重ねていくアレです。
大げさの美学。
とでも言いましょうか。
当時はあの折り重なったギターの音が作り上げるお城の豪華さ、美しさに、オーケンのあの歌が重なるというカオス状態がたまらなかったわけです。
それが、今回のアルバムでは、そういう派手さが少し取り払われて、よりライブ感が出ているように思います。
テクノロジーの部分は当時より進化しているわけですから、当然、作り込んでいる事に変わりはないんだけど、いかにも!な表現は軽減されているように思います。
その分、よりライブに近い印象ですね。
あと、これはミックスの部分になるかもしれないけど、今までみたいに個々の音の輪郭をシャープに出してなくて、ドラム、ベース、ギターのリフがほどよく混ざってる感じ。
そこに、要所要所で輪郭のはっきりしたギターソロとかピアノとかが乗ってくるのがいいんですよね。
特に、機械からくるくる少女までは、原曲のキラキラ感を抑えて、音色の種類を絞り込んできてる印象です。
すみません、意味わからんですよね。
私も書いててわからなくなってきました。
原曲と比較的大きく変わってるのが、パノラマ島へ帰る と 孤島の鬼 です。
特に孤島の鬼は、橘高氏が入ってどんなふうになるんだろうとものすごく期待してましたが、期待以上ですね。
より重く、より混沌。
そんな感じです。
さて。
ここまで脱落せずに読んでくださっている方がはたしてどのくらいおられるか微妙ですが。
ひとまずは、このへんで。
後日アップ予定の
筋肉少女帯公式セルフカバーベスト 4半世紀★変態の感想編
へと続きます。
X.Y.Z→Aの、3年ぶり7作目となるアルバム
SEVEVTH HEAVEN
私の中では今まで WINGSが最強のアルバムだと思っていたのですが・・・
さらに最強です。
ああ・・・
なんか言いたいことはいっぱいあるのに何をどう言えばいいのかわからない。
二井原さんのボーカルは50歳を過ぎてなお衰えることなく、METAL HEADS とか REAL MAN あたりは鳥肌モノです。(METAL HEADSの出だし聴いた瞬間、LOUDNESSのミルキーウェイが始まるのかと思ったのは私だけではないはず。)
INITIATIONでは、いきなり出だしの歌詞に度肝抜かれます。
後半、このバンドのリズムセクションの強さをヒシヒシと感じます。
PATRIOT'S DREAM(美しく花と散れ)とかSEVENTH HEAVENは、もう橘高文彦の王国です。
TESTAMENT とか 天下無敵あたりは、やっぱり「はしる~ はしる~ オレ~た~ち~」を作った人が作った曲だなあ・・・というのが根底にあって、それをボーカルとギターのハードな味付けでX.Y.Z→Aのサウンドになってるような気がします。
X.Y.Z→Aって、いわゆるハードロックとかジャパニーズメタルというジャンルかというと、私はちょっと違うと思っていて、日本の80年代歌謡曲的な楽曲に、それぞれのメンバーが今まで経験してきた音楽性のスパイスがうまく乗っかって、結果的にボトムラインがデコラティブなハードロックという雰囲気を醸し出してるんじゃないかと思うわけです。
加えて、橘高文彦氏の、エコー系エフェクトのかからない乾いたギターが、いわゆるありがちな80年代サウンドじゃなくしてるんですよね。
あくまでも歌メロ重視の楽曲に橘高文彦氏がHR&HMの王道的なお城を立てて、リズム隊が重たいグルーブ感を出して、ボーカルがシャウトして、結果的にX.Y.Z→Aサウンドになっているんだと思います。
ホントに音楽に詳しい人に読まれたら、なんじゃこりゃ・・・だとは思いますが。
15年前にX.Y.Z→Aが結成されて、miracleがリリースされた時、日本を代表するようなメンバーが集まって結成されたバンドのすごさに感動すると同時に、それぞれがまだどういう方向に行くのかが固まっていない、何か模索しているような印象を受けました。
それが15年かけて、これぞX.Y.Z→Aなんだという作品になっていると思います。
WINGSで確立されたカラーが、ここに来てさらに強くなったような。
何もかもがここにある。
すべてがここに溢れている。
まさに、そんなアルバムです。
X.Y.Z.→A 「PATRIOT'S DREAM (美しく花と散れ)」 PV
↑
橘高様の相変わらず大きく左右に振るヘドバンは健在。かつ要所要所での右手ヒラヒラが40代後半にして今なお美しい王子。
そこに随所に挟まれる瀕死のファンキーさんの顔がなんとも言えん。
70年代グラムロック風の大げさなお召し物の二井原さん&橘高王子&瀕死のファンキーという異様な雰囲気の中で、たまに映る和佐田さんの見た目の普通さにホッとする。
そんな作品に仕上がっていると思います。
早くも3月。
ふみ子の中学校卒業式まで、あと1週間となりました。
このブログをはじめた時、小学校2年生だったふみ子が、早くも中学を卒業・・・
早いものです。
しかし感傷に浸ってばかりもいられないのがつらいところ。
PTA役員としての最後の大仕事である
来年度の役員選出
そして
卒業式の保護者代表謝辞
という大役が残っています。
新役員に関しては、ただただひたすら心当たりに電話しまくっては断られる毎日。
PTAの役員って、同じ人が何年も続けてやったり、だいたいいつも決まった人がなることが多いので、どうしても
好きだからやってる
とか
ヒマだからやってる
と思われがちですが・・・
自分がやってみて初めてわかったこと。
それは
好きだからとか、ヒマだから
ではなく
次の人を探すためにひたすら電話かけまくって断られまくるくらいなら自分がもう1年やるほうが気がラク
だからにほかならず
必死の思いで電話してきて懇懇と説得してくる役員さんの熱意を時間をかけてあれこれ言い訳しつつ断るほどヒマではない
からなんですね。
そういえば周囲を見渡してみたところ、実際けっこう忙しそうな人に限って役員をすんなり引き受けてくれているという事実に気がつきます。
何でもやってみないとわからないものです。
しかし、この3年間。
自分の卒業した母校だということもあり、特別な思い入れもあって、けっこう楽しくか活動できたかなと思ったり。
そして。
卒業式の保護者代表謝辞ですが。
本番まであと1週間となったにもかかわらず、まだなーーーーんもできてません。
なんというか。
やっぱり自分の母校ということもあってか、どうしても思い入れがありすぎて、ちょっと考えては泣いて、ちょっと考えては泣いて・・・の繰り返しで、冷静になれないのが大きな原因です。
ましてやウチは一人っ子。
中学校の卒業式なんてこれっきりですよ。
おまけに、なんというか自分が思っているスピードと、子供が育っていくスピードに乖離がありすぎて、なんだか激しいさみしさに襲われているというのもあり。
そんなこんなで、しんみりしそうになったところに役員関係の連絡が来ては冷静に戻ったり、そんな繰り返しの毎日です。
春ですね。
私は
言わずに我慢する
ということができない。
それはおかしいんじゃないか。とか、理不尽なんじゃないか。とか思うことがあった時、「黙って離れる」ということができない。
話し合ってお互いに理解できるのであれば離れずに済むし、ずーーーっと心に何かが引っかかったままでいたくないから。
黙ってなんとなく離れてうやむやにするより、ちゃんと伝えた上で相手が離れて行くのであれば仕方ないし、少しでも理解してもらうことができた上で関係を続けて行けるのであれば今まで以上に建設的な関係性を保てると思うから。
けど。
最近、もしかしてそれって間違ってるのかも。。。と思うことがある。
私が思ったり感じたりした理不尽というのは、あくまでも
私基準
の理不尽であって、相手にとってはそれの何が理不尽なのか理解してもらえない場合も多く、そうなったときにはもう修復不可能で、結果的にその人との関係は切れてしまう。
であれば、黙ってこっちから離れていくという選択のほうが遺恨を残さないで済むのではないか。
そして、私の気持ちさえ収まればまた何事もなかったように関係を続けていくことができる。
それが
大人の対応
というものなんじゃないか。
そんな事を考えることが最近、たまにある。
振り返れば
言ってしまったがために
切れてしまったいろんな人間関係がある。
もしあの時、言わずに流すことができていたら、今頃はその人とも新しい関係を築くことができていたんだろうか。
それとも、やっぱり遅かれ早かれ切れる縁だったんだろうか。
20代までの人間関係は足し算で
30代からの人間関係は引き算で
20代まではいろんな人と出会う機会を持つことで、自分の視野を広げたり、自分でも気がつかなかった自分の側面に気がつくためにも、いろんな人と関わっていくことが大切だと思う。
しかし、30代以降は、その中で本当に自分に必要な物は何か、自分が大切にしなければならない物は何かを、自分で判断していかなければ、結果的に全てがなおざりになってしまうよな気がするから、あえて
手放す
ということを惜しまないようにしてきたつもりなんだけど。
どうなんだろう。
ブログやSNSで知り合い増やして、たくさん友達がいるような錯覚をして、それで満足するのが良い事だとは思えないし、そういうのが自分にとって大切だとは思わないけど。
それでも、せっかく出会えたり、関わることができた人と、簡単に切れてしまうことが本当にいい事なんだろうか。
それが本当に
大人
っていうことなんだろうか。
自分でもわからなくなってきて。
もしかすると、私のこの性格のせいで、気がつかないうちにものすごくもったいないことをしているのかも。
そんな気がしてちょっと怖くなる。
2014年。
私はどうすればいいのだろう。
と言っても、私はヘビ年生まれではありませんが。
昨年中はいろいろとありがとうございました。
2013年も、何度投稿するかわからないブログではございますが、今後ともよろしくお願いいたします。
ここ10年くらい、急激に月日の流れが早くなったように感じます。
油断してるとあっという間に過ぎてしまいます。
そろそろいろんな事に対して欲張るのはやめて、本当に自分に必要なもの、大切なものを取捨選択する時期にきているのかなあと思います。
昨年は、そんな事をいろいろ考えさせられる一年でした。
今までこだわって必死で手放さないようにしてきたものも、いざ放してしまうとなんてことはなかったり。
逆に、今まで当たり前みたいにそこにあって、大切さに気がついていなかったものの大切さを改めて感じたり。
いろいろありました。
そしてこれからは、もっと顕著にあると思います。
それを見逃さないようにしたいと思います。
さて。
気がつけば半年近くぶりなんですかね。
最近(というかここ2年とか3年とかかれこれ)本来メインであるこっちより、某サブブログの方がメインっぽくなってきて。
すっかりこっちがお留守になっておりました。
とりあえず近況としては。
相変わらず同じ職場で働いていて、ふみ子が受験生で(このブログ始めたときは小学校2年生だったよ・・・それがはや高校受験だと。)、ふみ子が通う中学校は私の母校であるからして、そのからみで何でかPTA副会長とかやってて、微妙に更年期障害で、微妙に老眼入ってきてて、相変わらずスタバは好きで、相変わらずジャパメタばっかり聴いてて、顕さん以外のCUEさんメンバーについては若干熱が下がってて、長かった髪はほぼベリショになっていて、シワとシミが増えています。
あ、そういえば。
この間、久々にどうでしょうなど見てみたい衝動にかられましてね。
どの企画を見ようかといろいろ探してたんだけど。
中でも特に私の好きな「試験に出る〜四国」までの、どうクラとかリターンズとか録画してあったDVDが1も2も3も忽然と消えてるわけ。
探せど探せどみつからん。
しかし、人間というのは、ないとなると余計見たくなるもんで。
どうしたもんか。
今度の休みにもういっかい家探ししてみよう。
ところで。
このところ何かと多忙で、連ドラなどからもかなり遠ざかってたりして。
顕さんが出てるやつは見たいから、一応録画なんかしておくんだけど、結果的に見るヒマがなくて、見ないままHDDの容量がいっぱいになって消してしまうという悲しさ。
それが先日、たまたまテレビつけたら、阿部寛のドラマに顕さんが出てたのね。(というか初回から4回目くらいまでだったか、何回かは録画してみたりもしてたんだけどね、見れなかったね)
そしたらよ。
あの顕さんが。
料理がそこそこうまいという設定だったので、ちょっとニヤリとした。
そんなこんなで。
気がつけば今年もうすぐ終わり。
年が明けるとたぶん、いっきに卒業式やね。
なんか今から大号泣の予感がするわい。
思えば、子供はふみ子だけ。な我が家にとっては、子供の事に関する全てのことが、たった1回限り、ワンチャンスなのね・・・
もちろん、子供が多ければ、それだけ心配事も増えるだろうし、いろんな大変なことはあるんだろうけど。
でも、やっぱり何回か経験してみたかったかも。
働きながら、たった1回きりの、駆け足の子育て。
もったいないことしてるんかもしれん。
なんか、いろいろ考えてたらキリがなくなってきた。
多分、ここはもう誰も見てないだろうから。たまにかこういうのもいいかも。
向こうでは書けない(というか書かないようにしてる)家族の事、たまに思いっきり書くのもいいね。
また吐き出したくなったら来ます。
とうとう終わってしまいましたね・・・
鍵のかかった部屋。
いつもは録画して後で見るんですが、今回は録画もしつつ、リアルタイムでも見てました。
このドラマが始まった当初は、こんなにハマると思っていなかったので、録画もせず流し見程度で、見てない回もあったりするのですが、今となっては非常に悔やまれます。
今まであまり感情を表に出さず、表情もほとんど変えることがなかった榎本径(大野智)ですが、今回は抑えた感情の中にも今までにはなかったような表情が見られ、ちょっとドキドキしました。
そして、あのラストは。。。
ちょっと消化不良の人もいるかもですね。
月9といえば、男女の恋愛だとか、そういったタイプのドラマが多かったと思いますが、ラッキーセブンといい、鍵のかかった部屋といい、ちょっとニュアンス変わってきたのかな?とも思います。
それにしても。
最近、連ドラにハマるということが少なくなってきてるのですが、今回のようなお気に入りのドラマが最終回を迎えると、なんとも淋しい気持ちになります。
DVD出たらレンタルして最初からじっくりみようと思います。
そして。
次クールのドラマでは、顕さんが出演されるドラマもありますので、それも今から楽しみです。
願わくは・・・
顕さんが出てるからとムリして見なくていいような(というか前回顕さんがレギュラー出演されてたドラマは顕さんが出てるにもかかわらず途中で見るに耐えなくなってやめてしまったという悲しい過去。)、ドラマそのものにのめり込めるようなステキなドラマであってほしいなあ・・・と思います。
あのですね。
最近ですね。
嵐の大野智クンがステキだと思うのですよ。
私にとって、嵐といえば櫻井クンだったわけで。
なんなら嵐の中でも一番関心が薄かったのが大野クンだったわけで。
それがですよ。
今クールの月9『鍵のかかった部屋』を、偶然たまたま見てしまってからというもの、すっかり大野クンにやられてしまいました。
大野クン主演のドラマといえば、過去に放送された『歌のおにいさん』くらいしか見たことがなかったのですが、その時はまあ、なんというか、シゲが出ていたので、ソチラ目的で見てたものですから、大野クンに関してはさして何も思わなかったわけなんですが。
今回のドラマの大野クンは、いいな~と思ってしまいました。
役柄そのものがちょっと個性的というか、おそらく大野クンの自然体とは全然違う、作られた役柄なのだろうと思うのですが、そんな中にチラチラと垣間見える表情とか、そういうのがなんだかステキなのですよ。
そして。
ドアの前にしゃがみこんで鍵穴を凝視しているその背中に思わず襲いかかりたくなる衝動に駆られるわけです。
そんな『鍵のかかった部屋』も、いよいよ来週が最終回らしく。
せっかく週に一度の楽しみを見つけたばかりだというのに、早くもラストとは淋しい限り。
そして、このドラマ。
当初、見る気がなかったので、初回から3回目くらいまでは見てないのです。
ああ、最初から見ておけばよかったよ・・・と後悔しきり。
どなたか録画されてる方がいらっしゃいましたら、消さずにおいといてください。
そのうち見に行きますので。
にしても。
最近、お気に入りの若者が多すぎて困っちゃう♪
ちょっと前から世間でウワサの動画。
鉄拳パラパラマンガ「振り子」 オリジナルバージョン
コレ見てると
もしかすると家族揃って一緒に暮らせるのって、あと3年くらいなんかもな・・・
と改めて思って、ちょっと寂しくなる。
普段は全然意識することもなく漠然と過ごしてしまってるけど、こうしているうちにもすべての人の上に時間は流れているわけで。
今のこの瞬間がいつまでも続くわけではないんだな・・・と。
現実的なことを言えば、やっぱり
将来の事
とか
安定
とかいろいろ考えて、ぐるぐるしてしまうこともあるんだけど。
でも、生まれてきてくれた瞬間、この子が元気でいてくれたら何もいらないと思った気持ちとか、家族3人が揃ってこの家で暮らせる時間のありがたさとか、そういう当たり前のようで普段は忘れてて、去年の3月の事のような何かがなければ意識しないような事を、きちんと考えていかないと・・・と改めて思う。
私が中学生だった頃。
日々いろんな事で悩んでいたような気がします。
友達との関係の事や、部活の事、受験の事、家族との事、将来の事・・・
毎日いろんなことが不安で不安で仕方がなかった。
今思えば些細なことなんだけど、当時はそれなりに真剣に悩んだりして、自分なりに精一杯だったような気がします。
それが今。
当時の私と同じような事で悩んでいる人が近くにいるわけで。
自分も同じような道を通ってきたわけだから、気持ちはよくわかるし、痛みもよくわかるし。
将来に対する明確な目標がない事に対する焦りや、自分が選んだ選択肢が正しいのかどうかという不安。
14歳にして人生お先真っ暗なような錯覚をしてしまうのも、よくわかるし、自分がどうしたいのか、何をしたいのかすら見えない不安っていうのは、たまらなく苦しいものです。
そんなふうに、30年前に自分がしてきたのと同じ失敗とか過ちを、まるでタイムマシンで再現してるかのように同じように繰り返す娘の事を見ていると、なんだかもどかしいような、切ないような気持ちになります。
けど、そういうのって。
一度同じような経験をしてそれなりに乗り越えてきた大人が斜め上からなんだかんだ言ったところで、何一つ響かないし、伝わらないんですよね。
そういうことも、私は私の経験でわかっているので、あえて何も言わないし、言えません。
自分で感じて、痛みを経験して、乗り越えていかないとわからないものなんだろうと思います。
私という一個人としては、そういうこともじゅうぶんわかっているはずなのに。
親として。
つらいです。
親になるって、こういうことなんですね。