ゲシュタルトの祈り 2006年05月24日 | my favorite・・・ ゲシュタルト療法の創始者である F・パールズ博士の「ゲシュタルトの祈り」というものを始めて知りました。とても大切なことを思い出させてくれますので、ご紹介したいと思います。 「ゲシュタルトの祈り」 私は私のことをする。 あなたはあなたのことをする。 私は、あなたの期待に応えるために生きているわけではない。 そしてあなたも、私の期待に応えるために生きているわけではない。 私は私、あなたはあなた。 もしも偶然、私たちの心が触れ合うならば、それは素敵なことだ。 もし触れ合えないとしても、それは仕方のないことだ。 私たちは協力し合ったり、助け合ったりして生きていくことは出来ますが、基本的には、自分のために、自分の感情を生かすために生きているわけなので、自分の気持ちを殺してまで、人の意に沿うように行動するわけにはいきませんし、人の支配の下に生きるわけにもいきません。自分の感情に責任を持つことは出来ても、人の感情の始末にまで関わることは出来ません。親密な関係を築くことと、境界線なしに人と自分の感情をシャッフルしてしまうこととは別です。 人と向かい合っていて、まれにですが、自分の心の中に、嫌~な感情が湧き上がってくることがあります。そういう時は、相手か自分の気持ちの中に、きっと何か混じり物が混入しているんだろうなぁ…と想像するようになりました。そこのところを整理していくと、困惑した気持ちの奥にある本当の感情が見えてくることがあります。それが分かると、気分は落ち着きを取り戻し始めます。「私は私、あなたはあなた」なのだから、不可解な感情でお互いのありようを汚すことはないのだと自分に言い聞かせることが出来てくるのです。私にとって、一人の時間はことのほか大事なものです。一人の時間が、自分を「より自分らしい自分」に育て、邪念を取り払う平常心を蘇らせてくれるのです。いろいろな‘気づき’も大抵は、一人の時間にやってくるようです。「ゲシュタルトの祈り」を一人の時間の中でつぶやいています。
日記 2006年05月23日 | my favorite・・・ なぜ日記を書くことがさまざまな成果をもたらすのか、ということを分かりやすく説明してくれている文章がありました。私たちの脳の中では、非常に高速で情報処理が行われているのだそうですが、それがあまりにも高速なので、自分でも何が起きているのか分からないという状況に陥りがちになります。けれど、日記を書くことによって、頭の中でぐるぐる回っていた情報が、一つずつ目に見える形でアウトプットされることになるのだそうです。自分で書いた言葉や文章を自分で見ながら、自分の中で起きていたことが整理されてくるから、日記を書くことが非常に有効なのだ、とのことです。日記を書くことを推奨されている野口さんという方は、その際に、「出来事」と「感情」と「心の中のひとりごと」に別けて記入していくと、自分が嵌りやすい感情の罠や陥りやすい行動パターンを掴むことが出来るので、そのことへの認識が感情や行動パターンの変化を促すと指摘されています。確かに、この方法は、かなり客観的に、ある状況を見つめなおすことの出来る便利な方法かと思われます。 ただ、私は「○○療法」とか「××プログラム」とかが大変に苦手なので、ある理論に則って、文章を書いたり、ロールプレーなどのワークをしたりしながら、行動パターンの変化を勉強していくということがどうしても出来ません。嘘くさいというか、そうまでして身につけようとする過程に、‘お手軽さ’や‘姑息的’な軽薄さの匂いを感じてしまうからです。表面的に体得した技術の裏には、もともとの自分の土台が岩のように横たわっているから、「実は何も変わりはしないのだ」というイメージが浮かんでしまうからなのです。 けれども、野口さんは、このコーチングの方法で、多くの人の変化を現実のものにしておられるので、野口さんのコーチングを希望される方が後を絶たないのだそうです。 野口さんは、こうも言われています。『いずれ、「行動して体験することが、いかに強力に人生を変えてくれるか」を味わう時がやってくることでしょう。』と。この見解には、私も全面的に賛成です。ただ通常は、これまでの自分の人生や生活を大きく変化させてくれるほどの目的や動機に出会えるということはなかなかないので、行動するといっても、人生を変えうるような行動にはならないし、そんな行動では‘体験’と呼べるほどの感動や衝撃をもたらすこともありません。ある意味、強力に人生を変えてくれるような体験を味わうことには大きなリスクも伴ってくるはずです。 私がブログを書き続けていることの大きな理由がここにあることに気づきました。今までには出会ったことのない種類の‘目的’を目の前にして、自分の真の動機をより鮮明に掴むために、あるいは、私はこれからどうなっていくのだろう?という不安を鎮めるために書き続けている節が伺われるということです。が、もちろんそれだけではありません。むしろ、私の(思いを含んだ)文章を読んでくださる方に、自分を発信し続けたいという願望の方が大きいかもしれません…。 ある行動の裏に隠れている動機は単一のものであることの方が少ないように思います。人は、実にさまざまな複合的な動機に支えられて行動している存在です。日記というものも表現活動の一つであるならば、書くということは、一種の芸術活動なのかもしれません。 ★野口嘉則さんのブログ
夢で逢いましょう! 2006年05月20日 | my favorite・・・ 心理学の大家の河合隼雄先生は、「夢(の話)を聞くときは現実のことのように…、現実の話を聞くときは夢の(話しを聴く)ように…」聴く姿勢が大事と言われています。要は、きっちりかっちりと決められたサイズの枠の中に話しを収めてしまうのではなく、漫然と漂うように、話し手の話しの内容の全体像を、事細かな細部に気を取られてしまうのではなく、語られていることの物語性を捉えようという姿勢で、人の話しを聴くことが大事という意味の言葉だと、自分なりに理解しています。 このような、フォーカスを緩める態度は、人の話を聴く時だけではなく、私の‘生きる姿勢’のすべてにも浸透するようになってしまっています。一点を見つめ過ぎるということがなくなりました。一つのことに拘るということもなくなりました。些細なことに心が傷つく傾向は変わりませんが、それが尾を引くということは最近では、ほとんどありません。罪悪感を持つことも際立って少なくなってきました。何かを思いついても、誰かに強く反論されると、大抵は元の木阿弥状態の私だったのですが、この頃では、人の考えは人の考え、私は私のやり方で行くしかないと思えるようになってきています。私に反論して釘を刺した人をも幸せにしてあげたい気持ちにさえなったりもするのです。目の前に起こっている状況を俯瞰で眺める姿勢を持てるようになると、今日のありようがそのまま明日も続くとは限らないことが分かってきますし、現に、状況は刻一刻と動いていることを感じ取れるようにもなります。明日の幸運を確信することは出来ませんが、だからといって、今日の不運に嘆くこともないと感じるようにもなります。何一つ「こうだ!」と言い切ることが出来ないということも、あながち不幸なこととも言い切れないと捉えられるようにもなりました。少々のやせ我慢はあるかもしれませんけれど、「それが人生なのだ」と鼻歌まじりに生きられるようになってきた部分もあります。‘セ・ラ・ヴィ’「それが人生」です。今夜もまた、夢で逢いましょう! C’est La Vie【セ・ラ・ウ゛ィ】 フランス語。 「それが人生だ」という意味の言葉。 そこから転じて「それこそ人生だ」「人生そんなものさ」といった意味で使われる。
自分にないものを持っている人 2006年05月19日 | my favorite・・・ 自分と同じ人はただの一人もいません。そういう意味では、自分以外のすべての人は自分にないものをもっているということになります。ところが、人が人に影響を与え合うという現象は起こりそうでいて、そんなに簡単には起こりえないことでもあります。 私は以前の私と何かが変わったのでしょうか?変わったといえば変わった部分もあるに違いありませんが、自分としては、何も変わってはいない感じしかありません。変わったというよりは、今まで私の奥深くに潜在していたものが表面に浮かび上がってきただけというのが、実態に一番フィットした感覚です。 成長とか進化という言葉も、今の自分にはぴんとこない言葉になってしまいました。自分が成長したから、誰かとの関係がうまくいくようになったということでもないような気がしています。人と人との関係がうまく流れる時に、そこに生まれるものとは一体何なんでしょう?相手の気持ちを理解しようと努力したから…とかの理由をつけてみても、それは部分的なものでしかありません。私には何も分かりませんが、すべては人智を超えたところで起こることだということだけは確かな気がしています。 では、人間の出る幕はないかといえば、それはそうでもないのです。ただ信頼関係が醸成される過程で起こることは、一種の化学反応や触媒作用のようなもので、条件が整えば、自然に何かが促進されてしまうののような感じがしています。その条件すら、何なのかは分かりません。何も分からないままに生きていくことは仕方ないと思えるようになりました。肝心なことは何も分からないということは生きる上での必須条件のような気もします。でも何も分からなければ、その時々で、右に曲がろうと左に進もうと自由でもあります。自由であるためには、予め決められた約束手形を持てないかもしれませんが、そんな悪条件にも不安にならないでいられる精神を持っていなければ、逆に自由にはなれないということなのかもしれません。 うだうだ書いてしまいましたが、やっぱり生きるということは生易しいものではない…けれど、自分にないものを持っている人と補い合って歩いていけたら、それはとても幸せなことなんだということを言いたかったようです。
秘密主義 2006年05月17日 | my favorite・・・ 隠さなくてもいいことまで、人には喋る気になれない私です。自分のことを人に話をすることに、自分自身が何の興味も持てないのです。話題にすることすら恥ずかしいし、そんな無駄な時間があったら、もっと楽しいことを考えようよ!というモードになってしまうのです。私の個人情報の破片を集めれば、私がどのような環境に置かれていて、大まかにはどのような人間かということを、人は理解できたつもりになれるのかもしれませんが、そんなことで、私という人間を分かったつもりになってもらってもちっとも嬉しくありません。 以前の職場に、何でもかんでも話をしてくれる人がいました。私にしてみれば、何でそんなに大事な話を、海のものとも山のものともハッキリしない他人に話せるのだろうと、他人事ながら、肝が冷えるような気持ちに襲われたことがありますが、その人は、自分の、かなり個人的なことであろうと、人に話をしても、何ら傷つかない人だったから…むしろ話をすることでストレス解消が出来たり、癒されたりする人だったから、そういう場合はそれでいいんだということが分かりました。でも、一つ学んだことは、何でも話してくれる人というのは、私のことも、何でも人に悪気もなしに喋ってしまう人だということでもありました。私は、このことがとても恐いのです。伝言ゲームの始まりになってしまうからです。けれど、それはそれでもいいのかもしれません。人の口に戸は立てられませんので、伝わることなら何でも伝わってしまってもいいのかもしれないとも考えるようになりました。 人は、人の数だけ、それぞれなのだから、こうでなければならない…ということなど何一つもないと思います。「自分の弱みを先に曝け出した方が、人と仲良しになれる。」というのは一般的な法則かもしれませんが、私は自分を出せなくても、それで損をしたと感じたことは今までにはありませんでした。多分、自分を出さないことで、淘汰されていく人間関係は、私には初めから必要のない人間関係だったはずだからです。時期が来れば、自然に無理なく、話せるようになったこともありましたし、初めから、不思議と、自分のことを何でも話せる人間関係も体験できています。用心深いといえば、用心深いし臆病なのだとは思いますが、自分のスタイルを崩すと、途端に自分らしさもなくなっていくような気がしています。どんなに変わり者といわれようと、私はやっぱり私でしかありません。 私の尊敬する村上春樹さんも、まったく謎に包まれている人物です。それは、ご自分のあれこれを公開しないからです。でも、彼の書いているものを読めば、彼がどんな人であるかを推察することは出来ます。私が知りたいのは、その人がどんな人であるかということだけです。 でも、今までとは違った生き方をしていこうとしている今、それでは済まされない状況も生じてきそうな気配を感じています。ただ、やっぱり、私は自分のことは喋れないままでしょう。ただし、人が、健康上の何に不足や不安を感じていて、何を求めているかということを知って、相手が欲しがっているものを提供していきたい…と考えるようになってからというもの、私は今までは持ち得なかった、人と繋がるための‘きっかけ’を持てるようになりました。嫌われることが恐くて、人にはずっと近づけませんでした。でもこの‘きっかけ’を手にするようになってからは、嫌われることがあまり恐くなくなったような気がしています。嫌われても、縁がなかっただけのことと軽く考えて、関係がうまくいかなかった人への恨みを残すということがなくなってしまったからです。縁がなければ、何をしても、もともと繋がれないのです。そういうことだって…思えるようになったのですが、本当はどうなんでしょう?自分にとって都合のいいだけの合理化に過ぎないのでしょうか?けれど、自分としては、このような発想を持つようになってからはすごく人生が楽になりました。人生が今までのように複雑怪奇ではなくなったからです。世界が、どこまでも単純明快なものに姿を変えてしまったからです。
S先生 2006年05月14日 | my favorite・・・ 中医学は本当に難解で解読困難な漢方医学です。それをものにして医師として立派に生活していける土壌を持ちながら、(中国では、産婦人科の外来医として勤務しながらも、海外に出張に出かける先輩医師をいつも羨ましく思いつつ)S先生は、「いつか自分も国際ビジネスをやってみたい!」という夢に胸を膨らませていたそうです。彼女は、留学生として日本にやってきて、数々の苦労を経験し、それまではお金には困らない生活であったものが、日本ではお金にも苦労しながら、現在のビジネスに辿り着いたそうです。最初は、あまたの人から、そのビジネスを訝しく疑われ、歯牙にもかけてもらえず、試行錯誤を繰り返したそうですが、「私は絶対に成功してやる!」と固く心に誓ったのだそうです。道半ばとはいえ、その誓いは現実のものとなりました。人は例え成功しても、その過程の中では、何度も迷い不安になり、「これでいいのだろうか?」と自問自答するはずです。自分の場合は成功できたとしても、人をも成功させられるかどうかなんて、責任が持てなくて、しり込みするのが普通ではないでしょうか?でもS先生は違います。私に対して、「絶対に成功させる!」と言われます。もっと正確に言えば、私に対してだけでなく、彼女を信じてついていく人には、すべての人にそう言われることでしょう。私が揺らぐ時、そんなことが出来るわけがないと思う時、刺すような目つきで、「あなたは私を信じてないネ!」と言われます。信じていないわけではないけれど、何を根拠に、信じるとか信じないとかを決めればいいのかが私には分からないだけ…と、心の中で、私はつぶやいています。でも、このビジネスの仕組みが、私なりに分かってくるにつれ、S先生は、私を最短コースで成功に導こうとしてくれているのだ、ということに気づき始めてもいます。人生って恐いです!誰が応援してくれていても、核の部分の決断は自分がする以外にはないのですから…誰にも寄りかかれません。実は、人生の仕組みというのは、誰にも依存できないように出来ているのです。そうだったのですネ。依存なんて、最初からそんなに容易くは出来ないものなんですよネ…。でも、協力はし合えます。競うことからは勝つか負けるかの結果しか出ませんが、助け合えば、二人の人間が共に勝つことが出来るのです。今の世の中は、競い合わせても、協力させて成果を掴むことを仕組みの中に取り入れてくれていません。だから殺伐として、自分だけが甘い汁を吸えばいいと考えざるを得ない人間が増えてしまうのでしょうネ。
遊びの純粋性 2006年05月11日 | my favorite・・・ 『遊びの純粋性が、「楽しく生きる」ことを実現する最後の鍵となる。』そうです。欲に駆られて、何かをものにしたいと思ってしまうと、焦りと不安を道連れにすることになってしまいますが、たとえ結果的には、夢が実現しなくても、その過程で、自分の‘意識’を満足させることが出来て、人を信じたり、自分を信じてもらえたり、人に助けられたり、人を助けたりしながら、その過程を純粋な気持ちで遊ぶことが出来れば、それは素晴らしい体験の日々となることでしょう。少なくとも、振り返った時、そこには後悔や自責の念は存在しないはずです。 私が今の仕事を、場合によってはやめてもいいと考えられるようになったのは、仕事において、特別にやりがいのある、素晴らしい時期を経てきたという記憶が、私の仕事人生を支えてくれているからです。この人生がいつもいつも魅力に満ちたものであるはずはないし、人はいつもいつも輝き続けていられるというものでもありません。けれど、思い残すことがないほどに、仕事が楽しかった‘スペシャルな時期’があったのだという記憶は、異動後の失意の日々をも、結果的には、心の滋養として、私に安寧をもたらしてくれるものに転換してくれることとなったのです。そして、それらの重苦しかった日々や自分をも、今では、客観的に、静かな気持ちで振り返ることが出来るようにもなっています。だからこそ、これからは楽しく遊びながら、私の人生の日々を過ごしていきたいと心底願えるようにもなっているわけなのです。 「遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動がるれ」という言葉もあるように、古今東西の賢人たちは、昔から、遊びのエッセンスに強く心惹かれ、遊びの中に真の人生の本質を見てきているのです。 正しいけれど、それが嫌いなことである場合には大変な努力がいります。努力が多大である割には実りも少ないものです。少ないどころか全然、実りや収穫が得られないことすらあるでしょう。でも好きなことなら、苦労と思わずにやっていけるかもしれません。少なくとも「生きる屍」にはならずに済むような気がします。 遊びというものを言葉としては認識していましたが、実体験として、味わうには、人間としての成熟度が必要となりそうです。う~ん、遊びの達人になれるかなぁ~
人を変える力 2006年05月09日 | my favorite・・・ 私は「人は変われる」ことを信じて、さんざん高名な先生方の教えを受けながら自己研鑽を重ねてきました。その過程は迷いに満ちたものでしたけれど、非常に洗練された高度なワザの数々を学ぶことで、いつか私にも、こんな職人技を使える日が来るかもしれないという向上心を持ち続けることが可能な道のりでもあったのです。思い返しても、本当に、健気な学徒の長い道のりだったと感慨深いものがこみ上げてきます。けれど、この4月を最後に、私はこうした勉学から遠ざかることを決意しました。いくら学んでも、私のやってきたことは、自分をも人をも決定的には変え得ることはなかったからです。これまで積み重ねてきたことが無駄だったとは考えていません。それはそれで、本当に貴重で稀有な体験だったと思っています。こうした職業を選択していなければ勉強できることではなかったわけですし、縁があったればこそ、優れた先生方にも巡り会えてきたわけなのですから。 でも、その先生方が、私のレベルまで降りてきて、私に手を差し伸べてくださったかというと、それはそういうことでもありませんでした。また、そうされることがいいことでもありません。それはあくまでもアカデミックな品位のある世界での出来事でした。生身の人間としての交流もなかったわけではありませんが、それは、私の存在を根底から揺るがすような性質のものではありませんでしたので、私は結果的には何一つ変わらないまま、次なる目的も持てずに現状を維持していくしかなかったのです。 ところが、突然、アロマの世界で、S先生のような人に出会ってしまい、私に関わり続けることが当たりまえ、という態度をS先生から見せ付けられているうちに、私の意識は大きく変容していったのです。綺麗事で人と関わっていても、人は人に対して何の影響力も与えられないし、受けることすらも出来ないんだ、という‘ある実態’を差し示されたのです。そのことで、幾ばくかでも、私の中に変化が生じているのかどうかは自分では分かりません。けれど、それ以来、私の行動パターンは明らかに以前とは異なってきています。今までは、人が私に何もしてくれないのは当たり前と思っていましたし、私も人に対しては、そんなに大きな影響力を与えることも出来ないし、結局、化学反応は双方に起こしえないものだと感じてきてもいました。何とかそうではない現実を作り出したいとは願っていても、それはもう不可能な夢と化していたのです。 S先生は、私にとって、‘生きた奇跡’でした。好きだとか尊敬しているとかの感情は、特には湧いてきませんが、とにかく、私の人生を変えさせるほどの力を持っている、なくてはならない人だったのです。それ以来、私も誰かの人生に、いい意味での転換をもたらせるほどの人間になれたらなぁ~という壮大な夢を描くようになってしまったのです。
新しい道連れ 2006年05月07日 | my favorite・・・ 昨年の6月から始めたブログも、もうじき1年目に突入しようとしています。当初は、‘気功’の不思議に出会ってから数ヶ月経った頃だったので、ブログのタイトルも「私の気功日記」というものでしたので、テンプレートも静かで落ち着いたブルーの色調のものを使っていました。その後、不思議な縁に導かれて、私の人生の軌跡を大きく描き直すきっかけとなるアロマの世界と出会った頃には、私の精神的な(内面の)変化に呼応するように、外的な世界においても、命を脅かすような忌まわしい出来事が私を見舞っていました。この不幸な経験が、長い間、私の心身を硬直させていたのですが、このことが、結果的には、いい意味での大きな変容を私にもたらし、アロマの世界への、意図せぬ傾倒をさらに推し進ることになったのです。こうした、私の内外の変化に伴って、ブログの様子も、当然のことながら、変化しています。第2期のテンプレートはハロウインの‘黒猫’でした。このテンプレートも大好きだったのですが、私の心境のさらなる変遷は、今の、この時機を、また一つの区切りにしようとしています。アロマ占いで、私に不足している色調の一つがピンク色であることを知りました。不思議なもので、ピンク色には何の興味もなかったはずの私が、大のピンク好きの友人の影響で、昨年頃から、ピンク色に、特別な気持ちを寄せるようになっていたのです。今回もショッキングピンクと黒のコントラストも鮮やかな「CUTIE PIE」というタイトルのテンプレートを使いたかったのですが、(ちなみに、CUTIE PIEとは直訳すれば‘抜け目のない可愛い女の子’という意味ですが、翻訳辞書でCUTIE PIEを翻訳したら‘恋人’と変換されました!)あまりにギンギラギンで少々落ち着きがないのと、文字の大きさが極少である上、文章が中央に設定されてしまうことが、私好みではなかったため、残念ながら、「CUTIE PIE」の採用は断念することにしました。そこで、「CUTIE PIE」の代わりに「めりなす」を選ぶことにしました。ウエツキチエコさんという方が考案されたキャラクターのようです。めりなすネットというコンテンツも存在するほどの人気者のようです。チョッと深刻であったり、何だか嘘のような本当の話を綴っていく私のブログには、自転車に乗って颯爽とどこかに出かけようとしている、架空のキャラクター「めりなす」君の持ち味が、今は最適かもしれません。私の視野狭窄を緩和してくれるいい相棒になってくれることでしょう。私のブログの第3期を伴走してくれる「めりなす」君をどうぞよろしく!
コードネーム 2006年05月06日 | my favorite・・・ またまた、村上春樹さんの話で恐縮です。「そうだ、村上さんに聞いてみよう」の面白さの一つに、質問者への回答と一緒に、村上さんが、必ず、全員にコードネームをつけてあげていることが挙げられると思います。ハンドルネームと一緒の意味でしょうが、これがなかなか洒落ているのです。もちろん意味もなく命名しているわけではありません。質問者の質問の内容などと照らし合わせて、きちんとした根拠に基づいて付けてあげているわけなのです。たとえば、『「限りなくOに近いA型という世界観は、一種の裏切りです。A型はA型としての重荷をしっかりと背負って生きていかなくてはなりません。よそにすりよるのはやめましょう。あなたのコードネームは「死ぬまでA型」です。肝に銘じてくださいね。』とか、ビストロを開きたいと思っている質問者への回答では、村上さんの、経営のノウハウについての考えを述べられた上で、『あなたのコードネームは「ビストロの夜は更けて」です。頑張ってくださいね。』などという感じで、軽やかに、でもかなり本質的な内容は外さずに、しっかりと誠実に応えていかれます。それから、よく、最後にチャオ!という言葉で文章を結んで終わるのが、とてもいい感じです。チャオ!なんて言われたら、眉を真ん中に寄せられなくなります。「そうだよネ!」って思わず微笑んでしまいます。他にも、「もうすぐお茶の時間です」なんていうコードネームもありました。 ちなみに、チャオの意味について、村上さんは次のように説明しています。『チャオというのはペルシャ語で「神があなたの家で美味しい食事をなさるように」という意味の、挨拶の言葉です。意味が長いわりには言葉は短いですね。なぜ使うのか?ただの挨拶です。チャオ。』ですって!!お茶目な人ですよネ。