

心理学の大家の河合隼雄先生は、「夢(の話)を聞くときは現実のことのように…、現実の話を聞くときは夢の(話しを聴く)ように…」聴く姿勢が大事と言われています。要は、きっちりかっちりと決められたサイズの枠の中に話しを収めてしまうのではなく、漫然と漂うように、話し手の話しの内容の全体像を、事細かな細部に気を取られてしまうのではなく、語られていることの物語性を捉えようという姿勢で、人の話しを聴くことが大事という意味の言葉だと、自分なりに理解しています。

このような、フォーカスを緩める態度は、人の話を聴く時だけではなく、私の‘生きる姿勢’のすべてにも浸透するようになってしまっています。一点を見つめ過ぎるということがなくなりました。一つのことに拘るということもなくなりました。些細なことに心が傷つく傾向は変わりませんが、それが尾を引くということは最近では、ほとんどありません。罪悪感を持つことも際立って少なくなってきました。何かを思いついても、誰かに強く反論されると、大抵は元の木阿弥状態の私だったのですが、この頃では、人の考えは人の考え、私は私のやり方で行くしかないと思えるようになってきています。私に反論して釘を刺した人をも幸せにしてあげたい気持ちにさえなったりもするのです。目の前に起こっている状況を俯瞰で眺める姿勢を持てるようになると、今日のありようがそのまま明日も続くとは限らないことが分かってきますし、現に、状況は刻一刻と動いていることを感じ取れるようにもなります。明日の幸運を確信することは出来ませんが、だからといって、今日の不運に嘆くこともないと感じるようにもなります。何一つ「こうだ!」と言い切ることが出来ないということも、あながち不幸なこととも言い切れないと捉えられるようにもなりました。少々のやせ我慢はあるかもしれませんけれど、「それが人生なのだ」と鼻歌まじりに生きられるようになってきた部分もあります。‘セ・ラ・ヴィ’「それが人生」です。今夜もまた、夢で逢いましょう!

C’est La Vie【セ・ラ・ウ゛ィ】
フランス語。
「それが人生だ」という意味の言葉。
そこから転じて「それこそ人生だ」「人生そんなものさ」といった意味で使われる。