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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

秘密主義

2006年05月17日 | my favorite・・・
隠さなくてもいいことまで、人には喋る気になれない私です。自分のことを人に話をすることに、自分自身が何の興味も持てないのです。話題にすることすら恥ずかしいし、そんな無駄な時間があったら、もっと楽しいことを考えようよ!というモードになってしまうのです。私の個人情報の破片を集めれば、私がどのような環境に置かれていて、大まかにはどのような人間かということを、人は理解できたつもりになれるのかもしれませんが、そんなことで、私という人間を分かったつもりになってもらってもちっとも嬉しくありません。

以前の職場に、何でもかんでも話をしてくれる人がいました。私にしてみれば、何でそんなに大事な話を、海のものとも山のものともハッキリしない他人に話せるのだろうと、他人事ながら、肝が冷えるような気持ちに襲われたことがありますが、その人は、自分の、かなり個人的なことであろうと、人に話をしても、何ら傷つかない人だったから…むしろ話をすることでストレス解消が出来たり、癒されたりする人だったから、そういう場合はそれでいいんだということが分かりました。でも、一つ学んだことは、何でも話してくれる人というのは、私のことも、何でも人に悪気もなしに喋ってしまう人だということでもありました。私は、このことがとても恐いのです。伝言ゲームの始まりになってしまうからです。けれど、それはそれでもいいのかもしれません。人の口に戸は立てられませんので、伝わることなら何でも伝わってしまってもいいのかもしれないとも考えるようになりました。

人は、人の数だけ、それぞれなのだから、こうでなければならない…ということなど何一つもないと思います。「自分の弱みを先に曝け出した方が、人と仲良しになれる。」というのは一般的な法則かもしれませんが、私は自分を出せなくても、それで損をしたと感じたことは今までにはありませんでした。多分、自分を出さないことで、淘汰されていく人間関係は、私には初めから必要のない人間関係だったはずだからです。時期が来れば、自然に無理なく、話せるようになったこともありましたし、初めから、不思議と、自分のことを何でも話せる人間関係も体験できています。用心深いといえば、用心深いし臆病なのだとは思いますが、自分のスタイルを崩すと、途端に自分らしさもなくなっていくような気がしています。どんなに変わり者といわれようと、私はやっぱり私でしかありません。

私の尊敬する村上春樹さんも、まったく謎に包まれている人物です。それは、ご自分のあれこれを公開しないからです。でも、彼の書いているものを読めば、彼がどんな人であるかを推察することは出来ます。私が知りたいのは、その人がどんな人であるかということだけです。

でも、今までとは違った生き方をしていこうとしている今、それでは済まされない状況も生じてきそうな気配を感じています。ただ、やっぱり、私は自分のことは喋れないままでしょう。ただし、人が、健康上の何に不足や不安を感じていて、何を求めているかということを知って、相手が欲しがっているものを提供していきたい…と考えるようになってからというもの、私は今までは持ち得なかった、人と繋がるための‘きっかけ’を持てるようになりました。嫌われることが恐くて、人にはずっと近づけませんでした。でもこの‘きっかけ’を手にするようになってからは、嫌われることがあまり恐くなくなったような気がしています。嫌われても、縁がなかっただけのことと軽く考えて、関係がうまくいかなかった人への恨みを残すということがなくなってしまったからです。縁がなければ、何をしても、もともと繋がれないのです。そういうことだって…思えるようになったのですが、本当はどうなんでしょう?自分にとって都合のいいだけの合理化に過ぎないのでしょうか?けれど、自分としては、このような発想を持つようになってからはすごく人生が楽になりました。人生が今までのように複雑怪奇ではなくなったからです。世界が、どこまでも単純明快なものに姿を変えてしまったからです。

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