ステンドグラス★

2008-02-22 23:20:22 | ・お気に入り空間・街並み
今夜の゛美の壺゛は日本のステンドグラスだった。

和のステンドグラスは淡い色調だ。
外の気配によって表情を変えるステンドグラス。
ガラス越しの自然、四季の移ろい、
そうだな、内と外をつなぐ、どちらもあわさって感じる美しさ。
ステンドグラスを一枚の絵にたとえたら、余白がほしい。
絶妙な余白がいい、色のないガラスの余白。
そこにたとえば夕焼けの茜色が射したり・・。
図案はね、何がいいかな・・。

かわいいフクロウの彫刻、小川三知のステンドグラス、
施主・鳩山一郎と設計者・岡田信一郎の友情の館また行きたいな、鳩山邸に。

★根津嘉一郎時代の熱海・起雲閣浴室のステンドグラス →↑

ニジンスキーを観た美しい人

2008-02-22 00:41:28 | ・ドキュメンタリー・スポーツ
 ゛牧神の午後゛の初演は1912年5月29日シャトレ座だった。ステファン・マラルメの象徴詩にクロード・ドビュッシーが作曲した『牧神への午後への前奏曲』にニジンスキー自身が振り付けした。
ベルリン留学中にこれを観た山田耕筰はえらく感激して舞踊にとりつかれた。そのことを熱心に吹き込まれた小山内薫は、姪っ子との過失に悩みフランスに渡っていた島崎藤村といっしょに1913年6月17日シャンゼリゼ劇場で゛牧神の午後゛を観る。入場券を手に入れるのには苦労したようだ。
★参考文献『小山内薫と二十世紀演劇』曽田秀彦 著 勉誠出版
 

シャンゼリゼ劇場はこの時竣工したばかりで、そのこけら落としにバレエ・リュスの公演が行われていた。シャンゼリゼ劇場を設計したのはフランスの建築家オーギュスト・ペレ。アール・ヌーヴォーと時を同じくしながら、当時まだ新素材であった鉄筋コンクリートを用いての瀟洒な劇場。
(ちなみにペレのルーランシー教会の作風の多くを負った(パクった)と言われるアントニン・レーモンドが設計した礼拝堂が東京女子大学キャンパスにある。やはりコンクリート作り、祭壇奥の正面に十字架のモチーフが光のなかに浮かび上がって美しい。)
小山内薫はイプセンに学んで近代演劇を確立しようとした劇作家であるが、歌舞伎を通じて日本画家の鏑木清方とも識っていた。清方の『こしかたの記』に小山内と島崎、二人との初対面の印象が綴られている。二人がパリでニジンスキーのバレエを観るより8年前、明治38年。

「十一月二十二日に両氏はわが家を訪はれた。それが島崎氏との初対面であったが、髪黒く、色の白い美丈夫で、木綿ものにやや着ぶくれて見える姿には、篤実そのものに、触れる想いがあって、これまで私の付き合った文人とは全く違う肌合いだった。小山内氏はまだ金釦の学生だったと記憶するが、これまた瀟洒で穎才の閃めく容姿で、その美貌は当時既に定評があったのである。男の客でこうした美しい人の揃って見えた例は少ない。」
 
自費出版する「破戒」の口絵を清方に引き受けてもらいたいという所望であったとのこと。

→ 写真は亡くなる一年ほど前の昭和2年、小山内薫47才。↑
なまこ壁が印象的な慶応義塾三田演説館近くに彫刻家・朝倉文夫の手になる小山内薫の胸像があるらしい。演説館は観たことがあるけど、その時は気づかなかった。入試シーズンが終わったら、ぜったい会いに行こう。画家の藤田嗣治と小山内薫はそれぞれの母親同士が姉妹なので従兄弟にあたる。小山内の妹の八千代は画家の岡田三郎助と結婚。