goo blog サービス終了のお知らせ 

本年度最終講座

2006-12-22 23:57:35 | ・講演・セミナー・シンポ
お馴染みミュージアムセミナーえどはくカルチャーの
東京-建築・都市デザインの変遷の講座を受けた。
講師は江戸東京博物館都市歴史研究室助教授の米山勇先生です。
先生の講座は内容も資料もすごくわかりやすく充実度が高いです。
今年は講座や見学会など含めてトータル30回近く、
先生のお世話になりました。
とってもしあわせで楽しかったです。

本日の内容は私が今年一年に講座や見学会で学んだことの総括でもあった。
ところどころ思い出し、ふり返りながらの時間だった。
2007新春カルチャーのスタートは基礎から学ぶ建築講座・・・
様式・列柱のギリシャ・洗練されたローマ・
半円アーチのロマネスク・尖りアーチのゴシック。
水辺の近代建築講座は船を模したマストのある三菱倉庫が取りあげられていた。
ローマ神殿を模した日本水準原点標庫もはじめてみた。
東京芸大内のもっとも古い赤レンガの旧教育博物館書籍閲覧所書庫もみた。
王子で先生の赤レンガの講座も受けた。列ごとに違うのがイギリス積み。
夏、たてもの園での看板建築見学、武井三省堂の窓か入る風が心地よかった。
ドキドキの超高層の新宿住友ビルでの講座も思い出に残った。
ヤマトインターナショナルの原さんにも会えたし、
亡くなった篠原さんの巨大ロボットのような東工大百年記念館も目にした。

今日は気になってた現代建築の動向のお話も伺えた。
居住・巨大化・透明性・グローバリズム・外国人建築家・
超高層・ガラスの存在感・豊かな内部空間、いかに自己主張していくか。

米山先生~今年もいっぱいありがとう~ございました。
先生のおかげで建築とその周辺についてずいぶんと盛りだくさん学習できました。
ますます建築系が好きになり魅力にとりつかれ興味が深まりました。
いろいろちゃんとキャッチしてくださって、ちゃんと返してくださったの、
私、気付いてます。
東京の空の下で生きていることがかけがけえなく、うれしい。
来年もどうぞよろしくご指導くださいますようお願い申しあげます。

帰り道、浅草橋のシモジマに寄って ステーショナリーを買い込んだ。
新作デザインのメモ帳とか、いろいろいっぱい。
ひらめいた!!ピンクのスパイラルがカワイイ単語帳を使ってマイ虎の巻をつくる。
建物作品と竣工年と建築家をめいっぱい書き込んでおぼえるのだ。
カラフルなポストイットも上手に使おう。
それから、建築史年表をつくろう。きちんと流れをつかむのだ。
建築系学習、ワクワクルンルン楽しいな。ガンバロウ。

江戸博のご近所、両国国技館周辺で相撲協会の北の湖理事長をおみかけした。
それもちょっとうれしかった。イイ一日だった。

コンテクストを摺り合わせる。

2006-12-16 23:56:54 | ・講演・セミナー・シンポ
社会人に向けてのオープンカレッジ早稲田大学エクステンション。
充実した幅広い講座がそろっています。ここ数年、私が通うのはもっぱら八丁堀校なのですが、以前は早稲田校にも通っていました。『演劇入門』という講座を受講したことがあります。講師は劇作家・演出家の平田オリザさん。土曜夜のTBSブロードキャスターのコメンテイターにご今でもときどき出演していらっしゃって、お顔を拝見するとうれしくなります。オリザ先生は、いつもニコニコおだやかで、演出家さんと言ってもコワいイメージではないし、私は女優をめざすわけでもなく演劇経験もないフツウの一般人でしたが、楽しく学んでいました。

内容は講義と言うより、ほとんどが体験型の演劇ワークショップの時間でした。グループになってお互いに話しかけあうなど、コミュニケーションするのです。演技ではセリフと動作を同時に行うのが、初めはなかなかムズカシくて、しぜんにできずに思わず顔が赤くなりました。相手と架空のキャッチボールしたり、イメージを共有したり、コンテクストの摺り合わせ。コンテクストはもともと文脈と言う意味ですが、ここではもっと広い意味で、一人一人が持っている言葉文化の領域、その人によって違うものでズレがある。例えばマクドナルドを女子高生は「マック」という、それが関西地域であれば「マクド」と言っていたり、年齢や場所によってズレがあるわけです。その自分のコンテクストの外側にある台詞を言うことは一般的には普通人には難しいのです。
演出家の仕事は、この関係のイメージ、コンテクストを摺り合わせて明瞭に示していくことであり、俳優はそのイメージを的確につかんで相手との関係を創りあげていくことである。そのようなお話だったと思います。

芝居では、観客の想像力の幅を想定し誘導するのも演出家の腕の見せ所。
ちなみに昨日に観劇した『鹿鳴館』の第一幕の終わり方、あれで観客の想像力は開きました。もちろん二幕ではちゃんと閉じていただきました。そして二幕の最後にまた花火のごとく想像力が開かれました。そして閉じたか閉じないかはそれぞれ観客にゆだねられたのです。絶妙の幕切れでした。

私は「自分」という役しか演じられない、それでさえいっぱいいっぱいなのですが、マックもマクドもどっちもOKというように、自分の内外を取っ払って、いわばコンテクストを豊かに発生させたいと思います。
三軒茶屋のホールで劇団「青年団」のお芝居もみました。私の初期の東京時代、なつかしいです。

語りあう東京の建物と街並み

2006-12-11 01:37:27 | ・講演・セミナー・シンポ
本日は、秋期えどはくカルチャー建築<対談>講座
語りあう東京の建物と街並み<比較編>を受講しました。
米山勇先生×小沢朝江先生です。
めちゃめちゃ楽しかった。余韻に浸っています。
終わってしまってさみしいのもあるけれど。
今回の語りあう三回シリーズは特にヨカッタなぁ。
先生方のそれぞれのご専門分野の内容と持ち味がたっぷり伺えて、
またクロスかけ合わさって、より魅力的な講座でした。
建築系に出会えて学んでいて、本当にしあわせだと思うもん。
しみじみね。しみじみ思うの。
ますますね、学びの興味が深まるばかりです。

ランドマークの望楼→高輪消防署二本榎木出張所(昭和8年)。
建築写真の縦線がゆがんでいるけど。(だいたいカンゲキのあまりブレる)
うまい小中学生写真にも負けてるかな、これは私の思い出のいわば芸術写真。
えどはくカルチャーはイイよ、米山先生はイイよぉ。
私はそれに気づいていて、知っているのですよ。
はなさない~私の総力をあげて大事にしたい。
どうもありがとうございました。2007新春カルチャーも楽しみです。

建築カメラマン

2006-12-05 20:43:40 | ・講演・セミナー・シンポ
ひさしぶりに高田馬場から早稲田通りを歩いた。
古書街を物色しながら歩くのがすごく楽しい。
例のごとく気がつけば荷物が増えていた。重いけど平気だわ。
たまたま手にした谷崎潤一郎の「文章読本」
表紙と扉絵が建築家の白井晟一だったので、記念に思わず買ってしまった。
白井さんは昭和11年山本有三の『真実一路』の装幀を手がけている。

早大キャンパスで、早稲田大学芸術学校・空間映像科の講座を受けた。
一般にも公開してくれてありがたい。
増田彰久さんは建物を撮るカメラマン、建築写真のパイオニア。
ご自分のお話や相棒の藤森照信先生とのエピソードを
探偵団時代から現在までユーモアを交えながらたっぷりお話下さった。
休憩をはさまずなんと3時間以上ノンストップ、
バイタリティあふれるそのパワーに脱帽いたしました。
いやはや楽しかったです。
建物にレンズを向けながらも、隣であーだのこーだのしゃべっている
藤森先生のお話を聞き逃さない、まったくもってスゴイ集中力です。
写真でみたものは美しく実際の現物とは違うことがあるが、
増田さんのお考えとして、西洋館など建物が輝いていた時代、
一番イキイキした感じを写真でもって甦らせたい、いかに甦らせるか。
そう思って考えてカメラレンズを向けているとのことでした。
大事なことはじっくり観察すること、そして、頼れるもの信じられるものは
自分の眼しかないというようなことを語っていらしたのが印象的でした。

昨夜は(12/5)はなぜかネットにつながらず、悶々としていた。
毎日更新が信条のみっちょるん。
カレンダーに穴があくのが許せないので、ちゃっかり時計を戻した。
セ、セコイなぁ。別にええねん。(ほんまは12/6記)

日本とドイツの建築交流

2006-12-03 01:54:15 | ・講演・セミナー・シンポ
江戸東京たてもの園セミナー
「建築家デ・ラランデと日独建築交流」 お話をうかがいました。

明治期、官庁集中計画のため招聘されたエンデ・ベッグマン。
岩倉使節団として渡独した松ヶ崎萬長(天皇のご落胤とは)。
ドイツ仕込みと言えば、イギリス派・辰野金吾のライバル、妻木頼黄。
ステンドグラスの技術を学びに行った宇野澤辰雄。
他にも職人など登場人物が多く、ヒューマンパワーを感じました。
立体的につながって浮き上がってくる、立ち上がってきます。
ベッグマンの提言から深谷市に煉瓦製造のホフマン輪窯があったのも興味深い。
その後のバウハウスの影響など、やはり日本と独との関係は深いと感じます。

日本に関わったドイツの建築家たちの何人かが、
早くに亡くなられたのは日本での仕事の重圧がやはり身体にひびいたからでしょうか。
命を縮めたとしたら、胸が痛みます。

講師の先生方も、ご自分の課題として、困難はあれども、
これからも研究を重ねていかれるとのことをお聞きして、
なんとなくうれしくほほえましく思いました。
当然ながら、先生もたえず勉強をなさるのですね。
また新しい発見などがあればぜひお伺いしたいです。
自分の興味のあるところを掘り下げて追究していくのはすごく面白い。
それはごく一般の私にもよく分かります。
その楽しさを確認できたような本日の時間でした。

デ・ラランデ邸、江戸東京たてもの園での復元が、俄然楽しみになりました。


読書の極意

2006-12-02 00:27:27 | ・講演・セミナー・シンポ
高島屋のお向かいは丸善です。
新しい丸善のビルがほぼ出来上がっています。
でも、あのビル、私はときめかない、あまりピンと来ません。

丸の内アオゾの丸善・丸の内本店・3階・日経セミナールームで
松岡正剛さんの千夜千冊の刊行記念セミナーがありました。
web連載ではアクセス120万を超えた超人気ぶり。
会場にはさすが熱心な松岡ファンとお見受けする方があちらこちら。
松岡流・読書の極意についてご伝授くださいました。とても興味深い内容でした。

つい先日、脳科学者の茂木健一郎さんと対談なさったそうですが、
まず、人間が本を読む行為、プロセスというのは何だろうと考えたとき、
極めてフクザツで、それを見つめ直すのは実体のわからない作業で
手強い研究テーマだと。
読書は声を出して読む文化が大前提としてあったが、
近代社会では圧倒的に黙読に傾いていった。
声の文化と眼の文化はどのように関わっているのか関心がある。
非線形(ノンリニア)に読むことに読書の醍醐味があるとも話された。

本は遊びであって、学び、偲びで、歓び。
本ともっと戯れた方がイイ。
本まわりのことはとても大事。
装幀、タイトル、行長や行間、字詰め、タイポグラフィー、本の重さなど。
自分に会わせて選んで 本の着心地、自分の着心地をめざして。
また本の脱ぎ心地、脱ぎ加減も大切。

伝統と永遠のモダン

2006-11-26 10:25:03 | ・講演・セミナー・シンポ
生誕110年 重森三玲の庭 地上の小宇宙

シンポジウムが松下電工ビル5階ホールで行われた。
私は重森さんの作り出す庭を観たことがないと思う。
(もしかしたら過去に気づかずにいただけかもしれない。)
汐留ミュージアムでの展覧会もまだ観ていない。
現物を見ずに自分の感じる印象もまだないのに
先にシンポでお話をうかがうのはよくない、
まったくもって順序が逆なのだけれど、とにかく参加した。
とても気になるお方でしたので。

パネラーは鈴木博之氏(東京大学大学院教授)、龍居竹之介氏(日本庭園協会会長)
重森千氏(京都工芸繊維大学非常勤講師)
司会は松隈洋氏(京都工芸繊維大学大学院助教授)<前川さんに続き2days>

お孫さんでもある重森さんは、三玲とは誰かと、
身近に接した眼差しも含めて、生い立ちから晩年までの輪郭をお話くださり、
また、龍居さんは重森親子三代にわたってのお付き合いで、思い入れたっぷり
尊敬する三玲先生の仕事ぶりをあますところなく熱心に聞かせてくださった。
独自のスタイルで貫き通した偉大な作庭家である重森三玲という人物が、
ここでかなり浮き彫りになってきた。
そして、建築史家でもいらっしゃる鈴木先生は、
近代日本の造園・手園芸の系譜を詳しく述べてくださったのが、
これがとてもわかりやすく興味深い内容だった。
重森三玲の庭は独立性の高いものであり、庭園史の中だけで語られるのではなく、
近代における文化表現としての枠組みで捉えたとき、永遠のモダンの意味が
分かるのではないか、新しさ位置付くのではないか、と、語られた。

やはり庭と言えば、造園家の系譜の小川治兵衛が頭に浮かぶのだが、
彼の初めてのクライアントが明治の軍人、山縣有朋だったというおもしろい
エピソードも聞かせてくださった。

その後私は、展覧会で三玲さんの古庭園の実測図や自ら作庭した庭園の
写真や図面、スケッチ、映像、いけばな界の革新を唱えるなど、
石を介してのイサム・ノグチとの交流など、多彩な活躍ぶりを目の当たりにした。
重森三玲さん、かなり創造的で奥深い人物だと思った。 
「日本母陰史」なる和綴じの本、どんな内容なのかそれも気になった。

時間切れ、報告はもうちょっとつづく。

前川さんを語る

2006-11-24 23:57:31 | ・講演・セミナー・シンポ
昨年から開催され、現在も全国を巡回中の
「生誕100年・前川國男建築展」の
総括的意味もあわせた今回のシンポジウムでした。
パネラーは植田実さん、松山巌さん、内藤廣さん、
司会は松隈洋さん。会場は銀座のINAXセミナールーム。
前川さんが遺した仕事の意味を、現代へと引き寄せながら、
これからの建築や都市のあり方を考えさせられた時間でした。

前川さん関係のシンポって、毎回なんかイイ雰囲気なのです。
前川さんやその建築について語られるのを耳にすると、
自分自身に勇気や力が湧いたり、人生のヒントのようなものを頂けたり、
とても力強くパワーとなるのです。
闘うモダニスト、やはり頼もしい方なのだと感じます。
だからこそ、現代の危うい時代に前川さんの存在意義が問われるのだと思います。
真面目に真摯に取り組んできた姿勢やお人柄が、そのまま滲み出ています。

今回の目玉ともいうべき1970年前川事務所の35周年パーティーで所員を
前に自ら語っていらっしゃる65歳の前川さんの肉声テープを
聞かせていただきました。とてもしっかりしたお声でした。
初めて聞く生のお声にはカンゲキしました。

植田さんは展覧会の模型に目を奪われたとお話しされました。
特に紀伊国屋書店の模型では、細かい棚のつくりなどから、
写真ではわからない空間のある広場、本屋の空間、
本好きがやってくる空間、それがあるのだと。
植田さんは古い建物を残すことの大切さ自分なりに文章にして
アピールしていきたい、とおっしゃっていました。
現在の阿佐ヶ谷テラスハウスの、建物に人がいないかなしさを感じたと、
しみじみされていました。
その建物がなくなってしまう前に私もぜひ自分の眼に残しておかなくては。
会場には植田さんを建築の編集の世界に引き込んだ平敬一さんがいらっしゃった。
(実は私のお隣にいらした方と知りビックリ。)

最後に前川國男という建築家がいたことを忘れないで。
松隈さんがそう締めくくりました。

会場には現役の若い学生さんたちもいらしたが、
内藤さんはじめパネリストの方々の、前川さんを語る次の世代へ
つなげたいという想いは充分に伝わりました。
本当にそうあってほしいと私も思います。
おしまいには温かい拍手が会場に鳴り響きました。

今回も良いお話がきけました。うれしかったです。ありがとうございました。
もう少整理して、私のなかでも前川さんを胸に落とし込みたいと思います。

日本とドイツの建築交流

2006-11-22 01:19:57 | ・講演・セミナー・シンポ

新建築住宅特集12 DECEMBER 2006 発売中
名住宅ダブルクリック018 悲しや最終回 米山 勇
     青木周蔵那須別邸 ゲスト 岡田義治
設計者の松ヶ崎萬長は日本建築学会の創設者の一人で、
ドイツで建築を学び、ドイツの建築技術を日本に伝えた建築家。

江戸東京たてもの園セミナー 平成18年12月2日(土)
建築家デ・ラランデと日独建築交流会場:江戸東京博物館ホール(両国)
     □13:00~14:30 ドイツ人建築家G・デ・ラランデとその周辺
           坂本勝比古 神戸芸術工科大学 名誉教授
     □15:00~16:30 日本に影響を与えたドイツ人建築家たち
           堀内正昭 昭和女子大学短大部 教授
     □17:00~18:30 ドイツから影響を受けた日本人建築家たち
           堀勇良 文化庁参事官(建造物担当)

 参加費: 各回1講座1000円ポッキリ!! 

 お申し込み先 ファクシミリ番号 042-388-1711

 往復ハガキ〒184-0005 東京都小金井市桜井町3-7-1
         江戸東京たてもの園「たてもの園セミナー」係

 希望講座(複数可)、住所、氏名、電話番号を記入の上お申し込み。

東京の煉瓦建築

2006-11-18 23:49:39 | ・講演・セミナー・シンポ
北区の公開歴史講座に参加しました。
『東京赤レンガ物語~赤レンガ建築の歴史と魅力にせまる~』
江戸東京博物館都市歴史研究室助教授 米山勇先生の講演を拝聴しました。
レンガの積み方の種類から始まって(パッと見て理解できなくては!!)
明治から大正までの煉瓦建築をめいっぱいご紹介くださいました。
北区のコンドルの旧古河邸や、田辺淳吉の手になる晩香廬と青淵文庫に
至るまで、今回もなるほどと思える盛りだくさんの深く充実した内容で、
その講座の構成のウマイもって行き方にもノックアウト、
さすが米山先生だわと、やられてしまいました。
煉瓦の瓦、カワラとレンガの統一規格・似た性格だという分析もおもしろかった。

それぞれの時代の表現の良さ、再生のされ方、残され方をしている
国際子ども図書館は強くオススメだとおっしゃっていましたが、
同じく上野にある片山東熊設計の表敬館(1909)については、
最近、屋根も鮮やか緑青に葺き替えられ再生しましたが、
こちらは米山先生も執筆担当された書籍にも紹介されています。
建物のわかりやすい解説と見どころ、基本データが記載されています。

click! 建築 「見どころ」 博物館ガイドブック 彰国社
          建築家★街角で出合う名作
「建築家の作品に出合う旅は、明治から昭和という時代のなかで、
驚くべき集中力と向上心をもって創造にのぞんだ人々の道程をたどる旅でもある。」(米山 勇)
 

実は来月、綱町三井倶楽部と旧岩崎家高輪別邸(開東閣)に
訪れる貴重なチャンスにめぐまれました。ラッキー★
J・コンドルさんの赤ではないレンガ造邸宅をじっくりみてこようと思います。

ポストバブルの建築シーン

2006-11-09 23:56:06 | ・講演・セミナー・シンポ
今夜のMXテレビ『建築の世紀』までに帰宅できてヨカッタ。
次回の放映予定は日曜日の夕方5:45~6:00です。お見逃しなく。

パラレルシンポたっぶり3時間、ちょっぴり疲れましたが、
中身の濃い充実した時間でした。参加できてヨカッタです。
パネリスト各々面々はバラエティにとんでいらして面白かった。
サングラスのまま、写真家の金村修さん、名前バッチリ覚えた。
写真の腕よりトークの技のほうが上じゃないですか? なーんてね。
パラレル・ニッポン 現代日本建築展 1996-2006
この展覧会は約10年間にわたり海外を巡回します。


アーク森ビルの国際交流基金国際会議場。
ライトをまったく落として、あの暗闇でのプロジェクター画面への凝視は、
長時間だと眼への負担がかなり大きいので(しかもメモとりづらい暗さ)、
前半はなるべくスルーして後半に温存していた。

米山先生の今日の発表は、この一連の完結編というべきか、
写美のカフェトークと先日のえどカル対談を拝聴していたので、
それを踏まえ連動性がうかがえて、さらに理解が深まりわかりやすかった。
藤森先生とのお話とも作品とも結びついて、なるほどと、思った。
藤森作品には確かにカマンベールのようなシューレアリスムは存在しているはず。

そして、あらたなるリアル、改めて伊東豊雄さんの存在に注目、気になった。
そうか、伊東さんの作品、建築写真にはしぜんな人の姿が写しだされているのか、
それは少し意外だった。「メディアテークで外観がとらえきれなくなった」(藤森)
「モダニズムを内から壊しにかかっているのではないか」(米山)と、
どこかで線がやはりつながっているのかな。
酔うとご本人、東京キライの発言が飛び出すらしいのも、何か手がかりか。
2月に伊東さん自ら語っているのを伺ったが、その時はあまりよく掴めなかった。
気になる、ぜったいチェック◎しなきゃ。

都の西北

2006-11-08 23:43:56 | ・講演・セミナー・シンポ
昨日の続きの話ですが、丸山弁護士のトークは、開場入りに手間取り、
スタート時間が延びたので、5時半終了予定が6時になったのです。
実は6時から建築家・古谷誠章氏の芸術学校公開講座に申し込んでいたのです。
だけど、同じ8号館なのにどこの教室かみつからず、
(ウェブでは教室表示がなかった、確認しなかった私も甘かったけれど。)
もし見つけても、遅刻して入室するのも失礼だし、なんだか気後れして、
各階をしばらくうろうろしてたのですが、とうとう諦めてしまいました。
古谷さんは早稲田の教授先生でもいらっしゃるし、
スイス人建築家のマリオ・ボッタの事務所に在籍されていたらしく、
どんなお話なのか、ぜひ講座を受けたかったのですが、ちょっぴり残念でした。

同じ時間帯、小野記念講堂では、音楽家の菊地成孔さんの特別講座もあって、
そちらも気になっていて、あーなんて、ぜいたくなプログラム。
あれもこれも受けたい。バッティングさせないでぇ。なんて思っていました。

あまり欲張ってはいけませんね。

丸山弁護士

2006-11-07 23:52:15 | ・講演・セミナー・シンポ
ワセダ・カルチャートーク2006 WASEDA SPIRTS
法律と人情で世界を駆ける 丸山和也 氏

8号館106教室のキャパは800と聞いたんですが、
さすがにスゴイ人気です。開場時間前には既に長い行列が出来ていました。
私の後ろに並んでいたワセジョがカワイクて、会話もカワイクて、
「若いってスバラシイ。」って、ほほえましく思っちゃいました。
立ち見でも構わないから、とにかく中に入れてほしいと願っていました。
ラッキーなことにギリギリ後ろのほうの端っこに座れました。
歓声があがったと思ったら、すり鉢状のホール後ろから派手な登場の丸山弁護士。
ピンクのシャツが目立っています。壇上にたどりつくまで握手攻めになってます。

「スゴイですね、五万人ぐらいですか。」
つかみの笑いはバッチリOKの丸山弁護士、楽しく和やかな雰囲気。
ユーモアたっぷりに学生時代の思い出話などを聞かせてくださいました。
大学は東京に行きたくて、早稲田の自由と自然と情熱に憧れた。
昭和39年入学、とにかくstrikeやら何やらで、授業にはあまりでなかった。
下宿や図書館でひたすら司法試験の勉強をしていた。
1月1日以外、かじりついて勉強していた。
司法試験に二回すべって、3度目の正直でようやく受かった。
みんな勉強していて大差はない、だんごレース、最後は気合い、気迫。
貧乏学生でアルバイトもやったが家庭教師と東急のビルの清掃、ゴミ出しなど。
友だちになってくれたのはネズミだけ、孤独だった。
だけど、こんなことやってるけど志は高かった。それが青春だった。
エネルギーに溢れていた。内面を見つめる作業で本をたくさん読んだ。
人生とは、生きる目的は何だろう。何のために生きるのか。
学生時代は真剣に考えるchance。
内面を見つめると同時に社会をみつめること。
社会的な問題に関心をもつこと、この2つのpointが大事。
何となくボッーとしているのは損。体当たりに何か打つ込むこと。

35歳の時に本当に弁護士に向いているかと思い、アメリカへ行った。
日本と外国では発想とapproachが違う。価値観の柔軟性。
モノの見方、英語力と国際経験を身につけた。
人間の幅を広くする、それを心がけてきた。
法律もけっきょくは人間関係。法に魂をこめる。
人の心をどうつかむかが大事。正義感を忘れない。
その原点は、早稲田に入ったときと変わっていない。自由・自然・情熱。
現在は自分の体験してきたことを広く活かそうと、
弁護士の仕事(三分の一くらい)の傍ら、テレビ出演や書物の執筆などやっている。
(テレビ出演のきっかけは桜美林大学学長の諸星氏(同級生らしい)の紹介)
気持ちをこめて何かをやる。早稲田で学んだ雰囲気が今もある。
丸山さんは「早稲田だね。」って言われる。ワシントン大学出てるんですよ。
日本人としてのidentityを大事に磨いて、
respectされるglobalな国際人をめざしてもらいたい。

会場の学生からの質問。
「丸山先生は明るいですが、辛いときはどうやって乗り越えてきたのですか。」

生きていくってツライこと、思うようにはならない。苦しみの連続。
作家の五木寛之さんも本のなかでも言ってた。「人生は苦悩だ。」
でも、長くひきづられないように、とらわれないtrainingする。
さっと浮かんで流していくような。気分転換も大事。
僕の場合は、水泳、ジョギング、逆立ち(笑)、座禅、抹茶。
あとは、ステキな人と、心がきれいな人、と、communicationする。
学生時代に好きな女性がいた。これ本邦初公開。女房には言わないで、内緒。
♪京都~大原三千院~ ほんとあの歌の通りだった。
恋することも大事。simpleにひたむきに生きる。

丸山弁護士は、親しみやすく率直にいろいろとお話下さいました。
しぜんと耳が傾きました。そして、胸に入ってきました。
昨年、あの夏の過酷なマラソンにchallengeされたのも、
丸山弁護士なら、なるほどそうするだろうと理解できました。

「今日は母校の講演に呼んでもらってうれしかった。」
謙虚にそうもおっしゃっていました。
早稲田にはさすが良い先輩がいらっしゃるなぁ、と私は思いました。
きっと学生諸君にはとてもいい励みになったことでしょう。
勉学にもいっそう力が入りますね。
最後まで、高らかに手を挙げて拍手が鳴りやみませんでした。
熱気に満ちたとてもイイ感じの余韻が残りました。

私は学生を卒業して一般社会人となり、随分と時間が経ちますが、
それでも、新たに新鮮な気持ちでお話を受け止めることができました。
もういちど自分の人生や日々の生活のなかに、問い直してみたいと思います。
良いお話をお聞かせ頂きました。どうもありがとうございました。


えどカル対談 パート2

2006-11-04 23:55:56 | ・講演・セミナー・シンポ
語りあう建物と街並み  このシリーズ企画は極上。

第2回 戦前と戦後 <比較編>   edohaku-culture
米山勇×五十嵐太郎 

それぞれ肩書きの建築史家と建築批評家は当然ながら同じではない。
(五十嵐さんは両方を名乗られているが。)
五十嵐さん既にブログに日記がアップされている。ハヤイ→50s THUNDERSTORM
日本国内、ときには世界を飛び回り、膨大な仕事をこなす速さは確かにスゴイ。

3人は同世代、米山先生は東京杉並・高円寺生まれ。
五十嵐さんはフランス・パリ生まれ。
(ちなみにワタクシ、母がお里帰りしていた日赤和歌山生まれ。
地方出身の田舎娘がこの同じ場に居合わせられて、いゃーんカンゲキ★)

同世代ということで、話は通じやすいよ、負けたくないよの気持ち理解できる。
思ったよりは静かなる闘い(笑)が展開された。
テーマは東京建築~11×2の傑作・問題作・都市の風景~
お互い手の内を明かさずに本番で勝負。いやはや何が飛び出すか楽しみだった。
私の感想なども交えて振り返りたい。

建築作品として、あるいは建築家として、
渡辺仁、レーモンド、前川國男、メタボリズム・黒川紀章などは
それぞれ登場するテーマが違えども、どこかで必ず取り上げられていた。
それだけやはり人物にも作品にも意味深きものがあるのだろうと感じた。
特に渡辺仁はかなりの技量の持ち主で、日比谷の第一生命館、
銀座の日劇、和光、上野には東京国立博物館、東京に風景をつくっている。
米山先生が日劇のなかに第一生命館をみつけだしたのはほほえましく面白かった。

先生方お二人とも、どちらもズバリ見事にが一致したのは、
集合住宅の傑作のセレクト、戦前の同潤会と戦後の槇さんのヒルサイドテラス。
どちらも街の顔として風景をつくる。みんなが愛している(た)風景。
五十嵐さんは「新しい表参道ヒルズには時間が経ってからの変化に興味がある。」
米山先生は、商業空間と住まいがはっきりと分かれてしまっているのは
つまらない。また、街にアピールし、空間に楽しみを与えていくものとして
バブル期の建築として残すべきものは集合住宅であると話された。 
参考→住宅情報・都心に住む3/2006 ヴィンテージマンション読本

バブル期のポストモダンといえば、やはりすぐに思い浮かぶのがM2。
マツダのセクションツー。イオニア式の太い列柱を模したエレベーターシャフト。
ストリートに刺激を与える突出したもの。
隈さんらしい引用の作品だが、その後、作風が劇的に変化する。
昨年、隈さんの講演会で、私がご本人自ら語り、耳にしたのは、
そのバブル期の過去には触れてほしくない・・みたいな発言だった。
時代の流れと共に人間も建築作品も変化して当然だと私は思う。
写真で見ただけだが、長崎県美術館も美しいし、
近々東京ではサントリー美術館のお目見えも楽しみである。
現在の隈さんには、建物にルーバーを多用したイメージがつづく。

隈さんは建築家・原広司さんの教え子である。
原さんは1960代後半「均質空間論」と題した論文を発表する。、
「近代建築のスタイルは世界中どこであっても同一となる単純な箱である」と
指摘し、これを越えるものを求めて集落の調査を始めた。
この世界の辺境地の調査に隈さんは同行した。
建築にしかできないもの、巨大でありながら密度の濃い建物。
層が重ね合わさったヤマトインターナショナル。
これには'86年当時、多感な建築学生だった米山先生が勇気を与えられたそうだ。
「京都駅の内部空間に次世代の新人類、原さんの未来を見ている感じがする。」
とは、五十嵐さんらしいコメント。
確かに谷底にみたてられた吹き抜け空間の階段にしぜんと腰かけている
若者たちは今どきのニュータイプかもしれない。

現代を代表する建築家として、伊東豊雄さんはやはりハズせないようだ。
五十嵐さん曰く、構造と装飾の一体化した表現の先頭を走っている。
途中から作風が変わった。
本人の風貌、ファッションも以前と比較すると、ずいぶんとスタイリッシュに
その作品と同じくいわばモダニズムに変化したとの話を耳にしたことがある。
そうだ新しいリアル、見逃してはならない。オペラシティー展覧会に行かねば。
米山先生が伊東さんについて記述されている。(私は読めていない)
→建築ジャーナル7月号/2006
「伊東豊雄の立ち位置 70年代以降の建築状況と伊東豊雄」
「今度はモダニズムを内から壊そうとかかっているのではないか。」
そこのところが興味深くもっと詳しくじっくりと聞きたかった。

伊東さんに少なからず影響を受けたらしい西沢立衛さんも同世代。
今後、その作品と共に重要マーク人物。
ソロで建てた森山邸のいくつも分離した白いキューブに注目が集まる。

五十嵐さんセレクト、 戦前の議論を巻き起こした問題作には
帝国議会議事堂とバラック装飾社。
このバラック装飾社は今和次郎らが1923(大正12)関東大震災後、設立した。
建築にいまひとつフィードバックしていないところがわかりぬくさに
つながっていると、以前、倉方先生は講義のなかで話された。

堀口捨己の岡田邸には和と洋の混在が見受けられ、
モダニズムと日本的な物を融合させた。
この岡田邸1934を例に挙げられたのはシブイ、五十嵐さん。

米山先生セレクト、基本は夫婦のための住宅゛スカイハウス゛菊竹さん。
50年代とは思えない斬新さ。
(コルビジェセンターとの関連云々、なんで怒られたの?気になる。) 
村野藤吾はワタシ個人的にも興味が深く外せない。
→批判精神、問題精神をを持った人、連続唐破風パロディ大阪新歌舞伎座。
次回の建築家シリーズ講座へとぜひつなげてほしい。

丹下さんのお話や磯崎さんに関するお話もなるほどすごく面白かった。
同じテーマだけれど、共通している部分もありながら、
それぞれにとらえどころピックアップされる視点が違っていたり、
すごく面白かった。
しかし、さすがに米山、五十嵐どちらの先生も深くよく考えているなぁ、
と感じた。

今回ゲストの五十嵐太郎さんの雰囲気は、いつもとてもカジュアルで、
サブカルチャーオタク的要素(もちろん悪い意味ではない)を持ち合わせており、
(゛ガンダム゛や゛めぞん一刻゛などが例に出てくるし。)
五十嵐テイストが確かに存在する。
飛ぶ鳥落とす勢いと紹介されていたが、まさしく特に現代建築においては
明快に読み解き明かす現代進行形のトップランナーなのだろうと感じる。
慌てて用意したらしいピンぼけ写真も杉本博司さん風だと、
タダのピンぼけではないとのさりげない主張。(米山先生のフォローあり)
今回は、お得意のカタカナ用語言葉があまり出てこなかったが、
語り出すとさすがに口なめらかだった。
戦後の都市風景の象徴的な日本橋においての首都高問題についての見解は
とても説得力があった。思わず聞き入った。
このことについて、米山先生も考えをあらたにし、素直に「やられた」と
おっしゃっていたが、問題点に挙げられた3ポイントはなるほど納得である。
現都庁が3つ分、五千億円もの莫大な資金を必要とすること。
特に首都高そのものが知恵とテクノロジーで一生懸命つくったもの、
人工的な構築物として優れたデザインであること、
そしてそこに関わった人々の物語を忘れてはいけないということ。
歴史的なる時間の重層性の意味合いにもうなづけた。
明治の日本橋に、昭和の高速道路が覆う、それを醜い景観だとらえるかどうか。
やはりしっかりと考える必要がある。しかし、もう取り壊しが動かせぬのなら、
それならそれで別の見解を提示したいと五十嵐さんはおっしゃった。
日本橋、単なるウォーターフロントの再開発になってしまってはよくない。
五十嵐さんの最新著作は「美しい都市、醜い都市」
売りきれ店続出で、早くも重版になっている。
私は図書館で予約しいる。近々手元に届くので読むのを楽しみにしている。
ところで、上の首都高やっぱりイヤ? 妻木頼黄になんとなく聞いてみたい。

私の場合、建築についての学習はとても興味がありながら、
まだまだ深い考察にまでいたらず、表層的な点でしかとらえられていないことは
否めない。認めるところ。しかし、点が線となって面となってつながり、
立体へと出来上がるわけだから、今はその一点一点を大事にしたい。
なるべく多くの点を自ら知り得て獲得したい。そう思っている。

このテーマのセレクトには随所に米山先生らしさが表れていた。
それはいわゆる単なる批評だけではないのだ。
たとえばモダニズムの原邦造邸には、近代建築・コルビジェも
ミースもバウハウスも取り入れられている。
そして何よりあの住まいには施主の夫人である奥さまの夢が詰まっていたのだ。
建物とそこにまつわる物語的な部分を見逃さず大事にする。語る。
先生ご本人の史眼の確かさのなかには、ハートフルなあたたかさがある。
それは大切なものだと思う。気づきのよさがある。そこも魅力のひとつ。
受け手側にもにもきちんと伝わる。
建物そのものやそれを建てた建築家に思いを馳せるよろこび、
そこしれぬ魅力に私はとらわれたのだ。

東京の街並みはどう変化するだろうか。
建築に関わる同世代の人たち、その目は何を見て語るのだろう。
10年後も20年後も楽しみだ。

杉並のお風呂屋さんで。

2006-10-28 23:57:11 | ・講演・セミナー・シンポ
これまで私は一度も杉並エリアに降りたったことがない。
初めての土地に足を踏み入れるのはとてもワクワクする。
杉並区立郷土博物館の特別展に出かけた。
「江戸湯屋の建築と文化」と題した米山先生の講演会
とっても興味深いお話と立派なCG湯屋復元作品をうかがえて楽しかった。
                               つづく。