生誕110年 重森三玲の庭 地上の小宇宙
シンポジウムが松下電工ビル5階ホールで行われた。
私は重森さんの作り出す庭を観たことがないと思う。
(もしかしたら過去に気づかずにいただけかもしれない。)
汐留ミュージアムでの展覧会もまだ観ていない。
現物を見ずに自分の感じる印象もまだないのに
先にシンポでお話をうかがうのはよくない、
まったくもって順序が逆なのだけれど、とにかく参加した。
とても気になるお方でしたので。
パネラーは鈴木博之氏(東京大学大学院教授)、龍居竹之介氏(日本庭園協会会長)
重森千氏(京都工芸繊維大学非常勤講師)
司会は松隈洋氏(京都工芸繊維大学大学院助教授)<前川さんに続き2days>
お孫さんでもある重森さんは、三玲とは誰かと、
身近に接した眼差しも含めて、生い立ちから晩年までの輪郭をお話くださり、
また、龍居さんは重森親子三代にわたってのお付き合いで、思い入れたっぷり
尊敬する三玲先生の仕事ぶりをあますところなく熱心に聞かせてくださった。
独自のスタイルで貫き通した偉大な作庭家である重森三玲という人物が、
ここでかなり浮き彫りになってきた。
そして、建築史家でもいらっしゃる鈴木先生は、
近代日本の造園・手園芸の系譜を詳しく述べてくださったのが、
これがとてもわかりやすく興味深い内容だった。
重森三玲の庭は独立性の高いものであり、庭園史の中だけで語られるのではなく、
近代における文化表現としての枠組みで捉えたとき、永遠のモダンの意味が
分かるのではないか、新しさ位置付くのではないか、と、語られた。
やはり庭と言えば、造園家の系譜の小川治兵衛が頭に浮かぶのだが、
彼の初めてのクライアントが明治の軍人、山縣有朋だったというおもしろい
エピソードも聞かせてくださった。
その後私は、展覧会で三玲さんの古庭園の実測図や自ら作庭した庭園の
写真や図面、スケッチ、映像、いけばな界の革新を唱えるなど、
石を介してのイサム・ノグチとの交流など、多彩な活躍ぶりを目の当たりにした。
重森三玲さん、かなり創造的で奥深い人物だと思った。
「日本母陰史」なる和綴じの本、どんな内容なのかそれも気になった。
時間切れ、報告はもうちょっとつづく。
シンポジウムが松下電工ビル5階ホールで行われた。
私は重森さんの作り出す庭を観たことがないと思う。
(もしかしたら過去に気づかずにいただけかもしれない。)
汐留ミュージアムでの展覧会もまだ観ていない。
現物を見ずに自分の感じる印象もまだないのに
先にシンポでお話をうかがうのはよくない、
まったくもって順序が逆なのだけれど、とにかく参加した。
とても気になるお方でしたので。
パネラーは鈴木博之氏(東京大学大学院教授)、龍居竹之介氏(日本庭園協会会長)
重森千氏(京都工芸繊維大学非常勤講師)
司会は松隈洋氏(京都工芸繊維大学大学院助教授)<前川さんに続き2days>
お孫さんでもある重森さんは、三玲とは誰かと、
身近に接した眼差しも含めて、生い立ちから晩年までの輪郭をお話くださり、
また、龍居さんは重森親子三代にわたってのお付き合いで、思い入れたっぷり
尊敬する三玲先生の仕事ぶりをあますところなく熱心に聞かせてくださった。
独自のスタイルで貫き通した偉大な作庭家である重森三玲という人物が、
ここでかなり浮き彫りになってきた。
そして、建築史家でもいらっしゃる鈴木先生は、
近代日本の造園・手園芸の系譜を詳しく述べてくださったのが、
これがとてもわかりやすく興味深い内容だった。
重森三玲の庭は独立性の高いものであり、庭園史の中だけで語られるのではなく、
近代における文化表現としての枠組みで捉えたとき、永遠のモダンの意味が
分かるのではないか、新しさ位置付くのではないか、と、語られた。
やはり庭と言えば、造園家の系譜の小川治兵衛が頭に浮かぶのだが、
彼の初めてのクライアントが明治の軍人、山縣有朋だったというおもしろい
エピソードも聞かせてくださった。
その後私は、展覧会で三玲さんの古庭園の実測図や自ら作庭した庭園の
写真や図面、スケッチ、映像、いけばな界の革新を唱えるなど、
石を介してのイサム・ノグチとの交流など、多彩な活躍ぶりを目の当たりにした。
重森三玲さん、かなり創造的で奥深い人物だと思った。
「日本母陰史」なる和綴じの本、どんな内容なのかそれも気になった。
時間切れ、報告はもうちょっとつづく。
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