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予告 建築家列伝・丹下健三 

2007-05-22 23:30:18 | ・講演・セミナー・シンポ
横浜美術館 設計・丹下健三 竣工・1989年

★シンメトリーな構成 中央に収蔵庫を積み上げ、
展望ギャラリーは現在は事務所、一般は立ち入りできずザンネン!!
美術館前は噴水ある広場になっている。

★春期えどはくカルチャー
建築家列伝シリーズ ゛丹下健三゛
5月26日(土)2時~3時30分
会場・参加お問い合わせは→江戸東京博物館 03-3626-9974

講師である建築史家の米山勇先生、
今回はどんな構成でどのような手法でお話下さるかな。
丹下さん若い頃の「ミケランジェロ頌」「大東亜建設記念造営計画」コンペ一等、
そのあたりから始まるのかなぁ。
いやいや先生のことですから、何か仕掛けてくるかも。
磯崎新さんとの絡み、そこまでちらっとでもあるかしら。
やはり終わりはカテドラル聖マリアかな、うーん、とっても楽しみです。
『香川県庁舎』まだみてないの。
先生があそこで野宿されたお話が忘れられない、それもまた聞きたいですわ。

えどはくカルチャー春

2007-04-29 14:30:45 | ・講演・セミナー・シンポ
20070428 ★ 日本建築家列伝シリーズ <村野藤吾> 

江戸東京博物館都市歴史研究室
助教授?(准教授?)米山勇先生の講座。

わかりぬくいとされる村野作品をわかりやすく解説してくださいました。

・村野さんは正面からの見え方にファサードに固執したということ。
講座資料写真のように確かに並べてみるとパターンがよくわかる。
・渡辺節の事務所での修業時代、歴史様式主義を徹底的に身につけたのが
かえってその独立後の自由さにつながったのはなるほど理解できる。
・海外への渡航の経験もロシア構成主義などの影響を受けたデザインとして
いかされている。
・村野作品「キャバレーアカダマ」(昭和7)資料に載っていたのでウレシイ。
デ・ステイルですね、看板文字はネオンなのかしら?

☆村野作品は二面性を併せ持っているということ。
★「様式」と「モダン」
★「経済」と「豊潤」
★「施主」と「建築家」
★「システム」と「自由」
★『様式』と「自己」
★「崇高」と「世俗」


わたし個人的には村野さんのいくつかの建築作品、空間には女性的なもの、を感じるのです。それは、丹下健三や前川國男、吉村順三さんの建築作品には感じないものであります。作り手の村野さんご自身は明治生まれの九州男児だから違うのでしょうが、うねる曲線を描く作品などには女性的な情念とまでいかなくても、何かそんな雰囲気を感じてしまいます。誰も真似できない村野流、個性、そこに生命力とエネルギーがあります。逆梁構造の宇部市民会館(渡辺翁記念会館)と広島の世界平和記念聖堂はどちらも国の重要文化財で、いつか必ず訪れてみたいと思います。もちろん錦帯橋、佐藤武夫の「岩国徴古館」も計画にいれて・・・。

今回の西の村野藤吾に対して
次回の建築家列伝は東の丹下健三です。つながります。
(米山先生、プチ予告編をありがとうございました。丹下のトラウマとは?)
みなさん受講可能です。

夕方スゴイ雨、ティールームで友人たちと雨宿りした。(傘は持っていたけれど)
ああだのこうだのいつもながらのケンチクトーク三昧な時間。楽しい。
そして、出てきたときにはすっかり雨はあがっていた。
私はその後、ぐるっとパスで江戸博の常設展をみた。

東京芸術大学大学美術館

2007-04-21 23:16:43 | ・講演・セミナー・シンポ
★「東京美術学校・東京芸術大学の歴史と洋画」
新関公子(にいせききみこ)(東京芸大大学美術館教授)
展覧会にあわせての講演会をうかがってきました。
スライドを交えながら、
展覧会構成の1章と2章の範囲黒田の留学時代やパリ万博参加と
その影響についてなどをポイント解説して下さいました。

東京国立博物館に黒田清輝の『読書』を貸してくれるように
申請したらしいのですが、拒否されたそうです。
それより芸大所蔵同じく黒田清輝の『婦人像(厨房)』1892年
こちらのほうがずっとすばらしい!!。と、おっしゃっていました。
確かに私も婦人像は新鮮でした。

→美術館の建物基本設計は六角鬼丈
外壁には赤いインド砂岩を用いて、向かい側の赤レンガや
陳列館のスクラッチタイルと通じ合う景観をつくっている。

春のえどカルで★村野さん♪

2007-04-14 00:04:07 | ・講演・セミナー・シンポ
★ミュージアムセミナー春期えどはくカルチャー講座

★ 日本建築家列伝Ⅱ
日 時 ①4月28日(土) 村野藤吾   ②5月26日(土) 丹下健三 
14:00~15:30 全2回

会 場 江戸東京博物館 1階会議室(定員130名) 受講料 1,600円

講 師 米山勇(助教授)

お申し込み方法・お問い合わせ
往復はがきに
 ・希望講座名と・講座コード ・氏名 ・住所 ・電話番号 ・年齢

講座コード 0704-2-02  応募締切 4月19日(木)

詳細はお問い合わせください。

〒130-0015 東京都墨田区横網1-4-1 
江戸東京博物館 えどはくカルチャー係
03-3626-9974(総合案内)

東大工学部にて。

2007-03-22 00:11:19 | ・講演・セミナー・シンポ
おひさしぶりです、コンドルさん。今日もダンディ。

東京大学工学部一号館15号教室にて
「日本における建築アーカイブスの構築に向けて」
日本建築学会建築アーカイブス小委員会 公開委員会

ありがたくも公開でしたのでお話を伺って参りました。
プログラム最初の主題説明は倉方先生(→Blog参照)でした。
予定より一時間超過のたっぷり3.5h さすがにちょっと疲れましたが、
初めて耳にすることもあり、とても勉強になりました。
 
・ICAM(世界建築博物館連盟)
・アーキビストの存在
・今月12日に設立されたばかりの「JIA・KIT建築アーカイヴス」
・DAAS 建築・空間デジタルアーカイヴス
鈴木先生から立原道造の資料に関するお話も出たのでうれしかったです。
英語と仏語が飛び交う海外からのご報告もありました。
海外・特にフランスと日本ではこの活動に置いて20年の開きがあるとのこと。
建築家に関する図面や写真などの資料はある創造力の軌跡をたどるもの。
とにかくまだ手探りの状態だが長い目でやれるところからやってみようとのこと。
とても参考になる立派な資料を頂いたので、これからじっくり読みます。
藤岡さんが資料はできるだけ多くを残すことを考えるべきだと話された。
素人一般レベルでも集めた資料はとても大事で学習の手助けになるので、
当然ながら処分できません。増える一方の資料をどう分類してまとめるか、
これまた課題です。

火鉢を囲んで・・

2007-03-13 00:13:28 | ・講演・セミナー・シンポ
建築の歴史を学ぶ ★昭和のくらし博物館の夜間講座です。

父・藤井厚二を語る

  藤森照信(東京大学教授) 馬場福子(故・藤井厚二長女)

「建築家・藤井厚二(明治21~昭和13年)は、環境工学の先駆でありモダニストとしても知られている。竹中工務店にて大阪朝日新聞社などの設計を手掛けた後独立し、住宅を中心に環境工学というアプローチから日本の気候・生活・風土と西洋的な空間構成とを融合させる手法を提示した。代表作は昭和3年に京都の大山崎に実験住宅として設計した自邸「聴竹居」。この藤井厚二について、建築史研究者と娘から見た視点で語る。」(講座案内文より)

こちらの博物館は昔ながらの木造のお家です。お座布団に座って何ともアットホームな集まりでお話をうかがいました。いつもの講座よりくつろいだ雰囲気でリラックスできました。途中で振り子のボンボン柱時計(懐かしい!!)が鳴って、これまたノスタルジックで和やかな気分になりました。ウチにも昔ありました→ボンボン時計! それにしても藤井さんの「聴竹居」の幾何学的なマッキントッシュのような時計はかなりモダンでカッコイイデザインだと思います。

藤井さんはやっぱり風流で凝り性なモダニスト。いつも三島由紀夫のような丸ガリ頭だったそうで、建築学会にはあまりよいお顔写真がないが、プライベートのアルバムにはステキな写真がたくさん残っているそうです。娘さんにとっては躾の厳しい少し怖いお父様だったそうで、お行儀が悪いとよく叱られた思い出があるそうです。興味深いことにドイツの建築家ブルーノ・タウトが日本滞在の折「聴竹居」を見に来たそうです。当時、小学生だった福子さんは「あの外人さん だぁれ?」とお家の人に尋ねたそうです。はて、エリカさんもご一緒だったのかしら。藤井さんは家では設計などの仕事をしている姿はなく、もっぱら職場の京都大学で図面をひいていたようです。武田五一とはどうでしょう、そりがあわなかったかな??

オブザーバー申しましょうか、竹中工務店の松隈章さんがいらして、ときおりお話の補足の解説をしてくださいました。わかりやすかったです。松隈さんが「聴竹居の障子をあけるとそこには滝が流れていて、こちらは戦前の作品ですから、戦後のライトのやはり滝が流れている「落水荘」より早い作品ということになりますね。」と話されると、会場から「おおっ~スゴイ。」という声が漏れました。なんとも粋で風流です。ライトがこのことを聞いたら怒りそうですが。

馬場さんから参加者におみやげに京都のおせんべいを頂きました。お心遣いがお優しいです。いろんな種類がありましたが私は梅ざらめ、梅の香りがほんのり甘かったです。「父が亡くなってから70年経ちますのに、こんなにたくさん、しかも東京でお集まりいただいて感激いたしております。母が生きておりましたらどんなによろこんだろうにと思います。」と、最後にお話しされました。娘さんが父上を語られるときの優しい微笑みが印象的でした。藤森先生のインタビューのお話の引き出し方もとても自然で、さすがだなぁ~と思いました。とても温かみのあるよい時間でした。

インフォーメーションじゃなくインスパイア★

2007-03-10 23:56:22 | ・講演・セミナー・シンポ
今回の建築家・佐藤功一に関しては米山先生の研究のご専門でもあり、
論文『佐藤功一の「建築-都市」観とその影響に関する史的研究』から
(私は論文の目次部分だけ入手してます。)
小結の一部を資料にも載せてくださり、とっても得した気分でした。
参考までに2000年10月16日大隈講堂で行われたシンポジウムでの
先生の発表を紹介しておきます。理解に役立つと思います。
click ★早稲田大学大隈記念大講堂

DVD東京遺産第2巻にも大隈講堂が大学の象徴だけでなく
界隈の象徴であることを強く意識した建築物だと紹介されています。

★本日の講座を受けてのまとめ
佐藤功一が晩年に公共建築を多くつくり、都市への視線を向けていたことは少し学習していたが、それより以前に住宅へのまなざしがあったとは知らなかった。重視していたにもかかわらず住宅作品が残っていないらしい。基本的な考え方は住宅は住み手のものということ、最近まで現存していた反町邸(昭和2)は内からの住み良さを大事にした佐藤功一の本来的な「住宅観」を率直に示すものであり、様式から脱して採光や通風などの機能性を重視し、耐震耐火構造を実践している。外観は確かに積み木のような四角い箱だ。資料によると内部の照明器具が素敵だ。

重要例として注目すべきは津田英学塾(昭和7年)である。その平面プラン図をみて気づくべきことは廊下の配置である。コの字型であるがシンメトリーな配置ではない。南側部分の自然採光を考えて廊下を寄せている。寄せ廊下(米山先生語彙)手法。学校建築ではあるが住宅的に捉えている。栃木県庁舎(昭和13)においては便利な日の字型の動線より採光を重視したロの字型+寄せ廊下プランを採用している。

佐藤は多趣味な人であり、なかでも古陶器に興味を示し、帝国大学で同期だった田辺淳吉らと古陶器の鑑賞会を催していた。焼き物好きが建築の素材感にも見受けられ、レンガやタイル、テラコッタなどで、ある部分をまとめて使用し明快なコントラストをつけたりしている。

カタチとしては幾何学的な多角形を好む個人的な趣味があり、信用を第一とする銀行建築には重厚なイメージを醸しだす列柱を並べるが、佐藤は様式的な円柱ではなく、大胆な八角形などの多角形を採用した。また渡辺仁設計の第一生命館(昭和13)のような正方形やもしくは長方形列柱だと様式を初めからあからさまに否定することになりそれは問題でありるため避けたのではないか。もしも古典主義者(といってよいのか)の長野宇平治がこれら列柱をみたら怒ったかもしれないというのは、それだけ、個性的な特質があるということだろう。日清生命館(昭和7)のように最上層だけに古風な様式的香りを残す(この表現ステキな米山流)のはさりげない装飾的効果をねらっている。壁と一体化した骨格は様式のモダン化。

佐藤作品、全体のなかで際だっているのは角地を塔にすること、現在銀座東芝ビルが建つところにはマツダビル(昭和9)があり、やはり角地に塔を頂き、戦前の数寄屋橋の美観を形成していた。バットレスなゴシックの外観は日比谷公会堂に通ずるものがある。

特異事例として挙げられるのは後期の東京瓦斯株式会社の一連の建築(昭和11・12)。オランダのデ・ステイルのような面構成の完全なモダニズムの最新スタイル。施主の意向もあっただろうが、同じガスビルということで、安井武雄(帝国大学建築学科卒、同期は内藤多仲→ということは佐藤より年下。)の設計した大阪ガスビルディングを(昭和8)意識したのではなかろうか。確かにあちらの評判が高ければ当然気になるだろう。 設計にも力が入るというもの。これらモダンな建物の素材は何だろうか。資料はもともとモノクロ写真だけに、残念ながらつかめない。

★日比谷公会堂、大隈講堂、都市への視線へとつづく。

日本建築家列伝

2007-03-10 23:39:03 | ・講演・セミナー・シンポ
★えどはくカルチャー
<建築家・佐藤功一とその周辺> 
講師:江戸東京博物館都市歴史研究室 米山 勇 助教授 
今回の講座内容は特に濃くてとっても楽しかった。
街なかに時間を重ねながら建物が残っている。
建物は何を語っているのだろうか。
そして、その建物を建てた人に思いをめぐらしてみる。
しかし、もう亡くなっていてこの世にはいない、現実には会えない。
だが、建築家列伝シリーズで会えたような、一歩近づいたような気分になれる。

日本建築家列伝シリーズでは建築家が何を考え、どのような思いで設計し、それを建てたのか、時代の背景や歴史と共にその生き方までも浮き彫りになる。毎回、年表と作品群の写真資料もバッチリ充実していてありがたい。今回はさらに追加資料をつけてくださり、なおのことボリュームアップ。ひとりの建築家とその周辺ににぐぐっと迫ることのできるとても充実した魅力的な講座なのである。

次回の春講座で取りあげられるのは、東京の日生劇場や大阪新歌舞伎座を設計した村野藤吾と、東京都庁舎や代々木体育館、お台場フジテレビ本社などを設計した丹下健三である。興味深い。

ケンチク・マニアック♪

2007-02-12 02:12:24 | ・講演・セミナー・シンポ
★ジュンク堂トークセッション
4Fカフェで照明を落としてムーディかつアットホームに!

★ 昭和モダン建築を10倍楽しむ法  磯達雄+宮沢洋
『日経アーキテクチュア』に掲載されていた
「モダン建築巡礼 西日本編」(日経BP社) 出版記念トーク。現在は東日本編連載中。
弥次さん喜多さん珍道中の取材 文章は磯さん、マンガイラストは宮沢さん担当。
お二人の掛け合いの息もピッタリ、ディープでマニアックな世界で笑えたわ。
★ point
すぐ行く。 壊されないうちに。
八王子にある吉阪隆正の大学セミナー・ハウス・ユニットハウス
あっけなく壊されたとか。その無惨な写真が悲しかった。
遠くから眺める。建物だけでなく背景の景色との関わりなどが読める。
段差を楽しむ。 様々な床レベルを味わう。ライトみたいな。京都国際会館。
構造に驚く。 海のギャラリー 林雅子 階段→パートナー林昌二→パレスサイドビル
設備に感心する。
細部を味わう。 雨樋のしまつ。
トイレも覗く。年代によってTOTOマークが違う。
おみやげを手に入れる。 江戸博文鎮なるもの、私もほしい。
本を読む。映画を観る。
村野藤吾 甲南女子大学→タカラヅカの大階段のよう→タカラヅカ本を読む。
関連付け、興味をひろげて読む。また建築に戻ってくる。
ウルトラセブン→京都国際会館 怪獣ブースカ→大学セミナーハウス 
語りあう。ひとりじゃなくて、みんなとネタを共有すると楽しい。

日本銀行

2007-02-11 01:16:49 | ・講演・セミナー・シンポ
★えどはくカルチャー2007新春
 日本建築家列伝シリーズ<辰野金吾と明治の建築家たち>
江戸博都市歴史研究室 おなじみ米山勇助教授。
資料たっぷり、大きな字のわかりやすい年譜つきです。

日銀、いゃーくろうしたよ。→1896(明治29)
1888年日銀設計者に辰野金吾が決定。
モデルを見つけに欧米6ヶ国に調査。
ペディメント、ペアコラム、強調された水平性、
ベルギー銀行を参照している。 
日本人の手によるはじめての国家的プロジェクト、
東京に残る価値の高い石造建築。

マイ何じゃこりゃイマイチフォト、日本銀行。→
ドームが載っている。これが辰野らしさ。

建築家の黒川さん。

2007-02-10 00:54:29 | ・講演・セミナー・シンポ
黒川紀章さんレベルになると、
当然ながら一般人にもお名前が浸透している。
メディアにも頻繁に出られて、著名な世界的建築家さんというイメージ。

今日の講演会で初めてお目にかかったのですが、
意外にもユニークでやわらかい感じも持ち合わせていらっしゃった。
終わってからは、並んだ皆に気軽に笑顔でサインにも応じてくださった。
やはり人はまずは会ってみないとわからないのだと思った。

「人間の歩く道は直線の方がいい。」と言った
尊敬するル・コルビジェの長い言葉を引用され(カンペキ暗誦にビックリ)、
それに続いてご自分の言葉を加えて反論されていた。
「いや、人間の歩く道はまっすぐでないほうがいい。
それが人生の豊かさ。誘導されたものはあやしい、俺は滑走路じゃない。」
そして、黒川さんは私はあなたを超えたいともおっしゃっていた。

問題になっているメタボリズム理論の「中銀カプセルタワー」(1972)に
ついてはカプセル交換での保存方法を自らくわしく述べられた。
今のままの宙ぶらりんな状況はよくないと。
生きているうちは設計者として責任を果たしたい。
この件に関しては世界で一万人の保存要望署名が集まっているらしい。
DOCOMOMO JAPAN 日本建築学会、JIAから保存要望書が提出されている。
さて、今後いったいどうなるのでしょうか。

講演に先駆けて観た黒川紀章展は膨大で、その足跡に改めて圧倒された。
大型パネルには建築作品が映しだされ、黒川さんの宇宙、思想が見受けられる。
並んだ小さな模型(拡大鏡を貸し出してくれる)にも思わず見入った。
90年代以降、黒川さんによく用いられるコーン、モチーフの三角錐が
私は気になっていた。
神の与えた幾何学は、アブストラクト・シンボリズム。
グローバリズム・ローカリズムの共生etc.
解説にニュートンやコペルニクスの名が登場する。
全国どこでもコーン・・私にはそれが少々不思議だった。
ワンパターン、それこそ場所性が重んじられていないのではないかと。
しかし、あれはつまりは意味のある黒川建築言語・記号というわけだと
少しだけ理解できたような気がした。少しだけ。

黒川さんの奥さま、若尾文子さん。
会場に訪れ時の写真がはりだされていたのですが、
おそらくなにげに撮られた一枚でも、
スキがない、あくまで美しい、そのお着物立ち姿。
黒川さんより生年月日がお早いとは思えない、さすが大女優さんだと思った。

黒川さんとご友人なのかな、会場には作曲家の久石譲さんのお姿があった。
学生さんやご年輩の方まで、老若男女が耳を傾けた講演会だった。
展覧会も見応えあり、しかし、一回足を運んだだけではまだ理解できない。
シリーズ講演会の他にも黒川キーワードライブもあるそうだ。興味深い。

Super Nomal

2007-02-04 00:36:32 | ・講演・セミナー・シンポ
近代美術館で゛生活のなかのデザイン・柳宗理の展覧会゛
プロダクト・デザイナーの深沢直人さんの
ギャラリートーク、というより講演会がありました。
地下の講堂は予想通り立ち見ありのぎっしり混み混み満員で、
通路にまで二列に座らせる始末。空気が薄かった気がする。
会場には入れず漏れてくる音声のみの方もいらしたそうです。
開場前、私もひさしぶりに長時間並びました。
さすがに若者が多いです。

まずご本人に関して、ひとこと、すごくヨカッタ。
ものづくりされる方の考えていること、プロセスが明快に伝わってきた。
この分野のお話をうかがえて、とても新鮮だった。
デザインひとつにしても、すごくよく考えているんだなと感じた。
生活が染み込んでいたり、人間のぬくもりといった手沢の良さ、
モノもやはり愛されるということが大事、愛着は無視できない、など。
煌めくヒントがいっぱいでしたのでお宝メモをきちんと整理してみます。
良いお話をありがとうございました。

コレは→深沢さんデザインのラブリーな加湿器♪ → ↑

1000の街ものがたり展

2007-02-03 00:40:13 | ・講演・セミナー・シンポ
竹中工務店GALLERY A4(Aの4乗)で、
安田泰幸スケッチ紀行の展覧会と講演会に参加しました。
とにかく圧巻、見事です。
「上手だなぁ。」と、じっと見入ってしまいました。
安田さんは大阪生まれで、京都教育大学特修美術科をご卒業、
ハガキによるスケッチの活動は30年ほど前からだそうです。
当時は、会社にお勤めしながら絵を描いていたので、
大きなスケッチブックではなく、ポケットに忍ばせられるサイズ、
つまりはハガキサイズをいつも持ち歩いていたというわけです。

安田さんの絵のタッチはスピーディな感じで、色使いはまろやかです。
対象物への真剣で奥深いまなざしがどれもうかがえます。
ちゃんとみていないと、あれだけは描き込めないですもの。
それぞれディテールも正確でしっかりとしています。
景色や建物の他にも訪れた先の食べ物、乗り物など、
とにかくワクワクするほどたくさんのスケッチ作品が並んでいました。
国内、海外問わず、私の知っている建物も好きな建物もたくさんありました。
東京駅など赤煉瓦シリーズや横浜の街並み、川に架かる橋など。
なかには芦屋アンリシャリパンティエのクッキー缶のスケッチまで。
かわいらしいクッキーの配列にさえもきっと心が奪われたのでしょうね。

ハガキは現地から実際に投函されたものもあり、スケッチ内容と記念切手の
組み合わせもやはり関連性があるようで、それを読み解くのも楽しいです。
実は私もよくやります。絵葉書や内容にあわせた切手を貼るのです。
安田さんは、絵を描くことを通して実は学んでいるのだと、
対象物を真剣に観察することは、自分の人生を見つめることになるのだと
お話しされていました。なるほどそうですね、納得です。

最後にステキなリルケの手記から一節を紹介してくださいました。
「一行の詩のためにはあまたの都市、あまたの人々、
あまたの書物を見なければならぬ。」
 

歴史家の重鎮・坂本勝比古先生の建物のお話も、安田さんのスケッチとあわせて、
丸の内、上野、横浜と実際に訪れているようで楽しかったです。
安田さんの絵は後世に対する貴重な資産であり、街を考え、都市空間を考え、
数多くの人々の生きざま、歴史、文化を読みとることができると語られました。
坂本先生は80歳を過ぎていらっしゃいますがお元気です。
どうぞお風邪などお召しになりませぬように。
またぜひどこかで建築に関するお話をうかがわせてください。
銀行協会保存に関して、先生が三菱地所に掛け合ったエピソードも興味深かった。

良い絵と時間、ありがとうございました。私も何か観るものに対して、
心に絵を描くほどに、よりしっかりとより深くまなざしを向けたいと思いました。

CASABELLA JAPAN

2007-01-26 23:58:10 | ・講演・セミナー・シンポ
 イタリア文化会館、静かな千鳥が淵に驚きの赤い建物が出現したと騒がれた景観論争はあれからいったいどうなったのだろうか? イタリア人建築家ガエ・アウレンティのコンセプトデザイン。リーフレット紹介文→「コンクリートとガラスのイタリア風デザインが、日本の城壁や石垣、格子や障子を思わせる幾何学模様と巧みな融合をみせている。」私はあの建物の外観はイヤじゃないと感じていて、確かに目立つ赤ではあるけれど、まぁまぁ悪くはないんじゃないかと思っている。日本人の建築家にはできない大胆さがかえってマルのように思う。内部もドアなどアクセントビビッドな赤が効いていて、ステキ。全体にグリッドで統一構成された趣が洗練されていて落ち着く。

 イタリアの建築誌「CASABELLA」は1928年に創刊され、80年近くの立派な歴史をもち、現在も世界の建築界に多大な影響力があるそうだ。このたび、その日本版が創刊されるということで、本日お祝いの記念パネルディスカッションとセレモニーが開かれた。CASABELLAを通して現代建築を語る夕べと題したディスカッションは、コーディネーターが隈研吾さん、パネリストにカサベラ編集長のフランチェスコ・ダル・コ氏、建築家の磯崎新さん、建築史家の鈴木博之先生と豪華なお顔ぶれで、これは参加せずにはいられないと私は勢い込んだ。特に私の磯崎さんとのご対面デビューはキョーレツだったので(メヂカラにその後数日間熱を出したほど)、ぜひともまたご本人にお目にかかりたいと思っていたのである。370満席の地下二階アニエッリ・ホールは熱気ムンムンだった。否が応でも気分が高揚した。手にした翻訳機がこれまたスタイリッシュモダンデザインでカッコヨカッタ。思わずペンでメモに慌ててイラストを残したほど。

 その翻訳機を通してうかがったフランチェスコ氏のお話のなかで特に印象的だったのは、すばらしい文化を持つすばらしい日本に深い関心と興味を持っていて、そして尊敬している。雑誌でありながら人生の親友の役割、本を発行している責任感として、読む人の一生の友になるようなものを届けたい、本当の友情を届けるのが編集者の仕事である。また、読者に批判精神を植え付け自分なりの視点をもつということの必要性を伝えたいということ。そのようなことを語っていらっしゃったのが心に残った。確かにゆるぎない友情は何よりの宝物だ。そんな本や雑誌に出会えたらこれほどのよろこびはない。1Fエキシビジョンホールでは過去10年間のカサベラ本100冊が並べられた展覧会が開催されていた。実際に手にとって中身を眺めていみると、文章はイタリア語で綴られていてすべて理解できなくても、すばらしいビジュアルから充実した内容がぎゅっと詰まっているのが伝わってくる重みがあるように感じられた。
 
 日本の建築雑誌との比較として、昨今人気の高い雑誌「カーサブルータス」が取りあげられていた。ケンチク、グルメ、ファッションなど上下のない無色透明なスーパーフラットな価値が並べられている。学生などは「新建築」「GA」よりもこちらを好む傾向にあるという。若い建築家などはこちらに取りあげられ載りたいらしい。主要メディア、各出版編集長も紙面の戦略として、このようなファッショナブルな方向で行った方がよいのか悩んでいるのではないか。それは隈さんからの発言だった。カーサブルータスは建築に関する興味を持つきっかけ、いわゆる専門でない一般人の底辺、裾野を広める入り口の意味での役割も大きいと私は思う。雑誌の値段も1000円札一枚くらいと安価なのも手にしやすい一因。ちなみにカサベラジャパンは月間一冊3500円。正直毎月はなかなか買えない。ちなみに磯崎さんはフラットなカーサブルータスは単にカーサブルータスであって建築ではないとバッサリ切られていた。
 親しい友人同志であるフランチェスコ氏と磯崎さん二人が綴られた桂離宮に関する書物があるらしいが、それは日本語訳本が出ていないらしい。どんなことが書かれているのか興味のあるところ、ぜひ読んでみたいのだが叶わないのは残念だ。どうやって本当のものをさがしだすか、核になるのは建物の図面だけだという磯崎さんの気になる発言。とにかく磯崎さんは建築を信じていて、今も考え続けているのだとおっしゃっていた。やはり磯崎さんは鋭く力強い方だと感じる。まだまだお話もうかがいたい。ますますのご活躍をお祈りしたいと思った。
 
 CASABELLA JAPANが発行されることは日本にとってもひとつの大きな挑戦であり、新しい眼で批評にさらされ世界に発信されることになる。その活性化に期待がかかる。と最後は結ばれた。雑誌を通して日本の建築家が世界にもっと大きく羽ばたいていければ素晴らしいと思う。頑張っていただきたい。
 
 建物から出ると、外は冷たい雨が降り出していた。充実したディスカッションの余韻とセレモニーで口にした赤ワインのおかげで、心身がちょっぴり火照っていたので、酔いをさますのにはちょうどよいくらいだった。今夜、私はゴキゲンでとても楽しい気分だった。

守じゃなくて攻

2007-01-13 23:55:49 | ・講演・セミナー・シンポ
山田守さーん
シンポ聞いて展覧会をみて、私の思うところなんですけど、
守さん、けっこうやりたいように建物を建ててきたのではないですか。
もちろんご苦労もお有りだったでしょうけどね。
個性を貫き通した山田さんはやっぱり最後まで分離派だったのかな。
何と言われようと、私はね、日本武道館もなんとなくわかるような気がする。
京都タワーは蝋燭じゃなくて灯台のイメージなの?
自分の名前が残らなくても、作品が残って話題にされたらイイやん。
ちょっとキビシイ悪口言われてもさ。
螺旋的な造形が未来的、確かに特撮・模型映えするなぁ。
今度ウルトラマンDVDチェックしてみるね。

この次、またちゃんとお会いしますね。