六本木にそびえる森タワーの展望室から下にみたところの国立新美術館(2004)を、看板建築みたいだと、建築史家の米山先生はふとお話されたましたが、先生はけっこう黒川さんの作品がお好きなんですね。先日のえどカル(えどはくカルチャー)建築家列伝シリーズ講座゛黒川紀章゛を受講していて、そう感じました。伝わりました。黒川さんの建物を明快だと連発していらした。理屈抜きで明るく楽しいと。特に最高なのは埼玉県立美術館(1983)と名古屋市美術館(1987)ですよね。 先生が学生の頃は、黒川さんは日本の建築界から冷遇されているところがあって、なかなか好きだと口にできない雰囲気があったとか、確かに槇文彦さんのディテール、安藤忠雄さんのテクスチャーなど、そういうのは人気があってもてはやされたのだろうというのはよくわかる気がします。黒川さんの建物には○△□といった積み木細工のようなわかりやすい純粋形態の造形や光を取り込んで中と外をうまくつなぐ空間があり、なるほど大人になっても忘れていないワクワクするような子ども心、特に少年心をくすぐるような仕掛け、演出、そんなものがあるのかなぁと、私はそんな気がしました。
黒川紀章さんは学者としての業績に惹かれた京都大学の西山夘三氏の研究室から、東京大学大学院の丹下健三研究室の門をたたきます。スパイと思われたのでしょうか。同じ門下の論客建築家磯崎新氏に対してはもちろん意識していたでしょう。ご本人も哲学的、思想的な論を展開するのは当然です。けれども、今回の講座の中での私の一番の発見ポイントは黒川さんはむずかしい理論家ではなくアイデアマンで感覚的デザイナーセンスに長けた、そっちの人だということでした。その純粋形態のわかりやすさが海外にも受けたのですね、建物には冷たくない人なつっこさ、明るさ、楽しさがある。竣工時の誰もいない美しいだけの建築写真ではなく、そこには子どもが写っている。それらのお話を伺って、私は新鮮な驚きと共にどこか安心を覚えました。黒川さんの晩年の別の活動からユニークなキャラクターの顔は伺えてはいましたが、ちょうど1年くらい前、私が初めてお会いしたときの(最初で最後でしたが)印象も実は勝手に思い描いていたイメージとは少し違いました。国際的に活躍する著名な建築家は意外と穏やかでやわらかかったのです。ここで人物と建物がどこかつながった気がします。亡くなってしまったなんてまだ信じられず、さみしく残念に思います。私は黒川建築作品を特に意識してこれまでたくさん観て味わったわけではないので、もっと積極的にみつめてみたい気持ちになりました。そう思えたことがうれしいです。
昔、心斎橋筋歩いてまっすぐ、大阪のソニータワー(1976)デートしたことあるんです。ガラス張りの長いエスカレーターの景色を楽しみながらいっしょに。でも、もうなくなっちゃったみたい、映像みながら、ちょっとせつなく涙が出そうになりました。学生時代は国立文楽劇場(1984)で『仮名手本忠臣蔵』だったか文楽も見ました。でもその建物を造ったのは黒川さんだとは当時はぜんぜん知りませんでした。外観に猪目ハート模様の唐破風がついたディテールが可愛いんですよね。黒川さんは国内にとどまらず多くの美術館建築を手がけられていますが、感謝したいのは私の故郷である和歌山県にも近代美術館と博物館(1994)を残してくださったことです。やっぱり今となってはうれしく財産です。東京にある建物に負けない立派な、明るく開放的な空間です。特に美しく曲面を描くファサードガラス張りの博物館が私は好きです。過去にはそこで地元出身の文化学院を創設した西村伊作や夭逝した版画家田中恭吉など充実した展覧会を開催していたようで喜ばしいです。でも、田舎だから訪れる人が少ないのが悲しいところですが、これからも企画運営には期待したいし、がんばって頂きたいと思います。ただ黒川さんの当初のプランとは違って、現在は能舞台を囲む池の水が抜かれているのが残念に思うので、次回帰省した際にはそのことについて担当者にどういうことなのか尋ねてみたいと思います。
黒川さんはわかりやすい前衛性を確立した希有な人、海外評価も高い。メタボリズムの中銀カプセルタワー(1972)の取り壊しに関しては国外から批判がでるかもしれないとのことです。また私生活では君はバロックだと言った女優で奥さまの若尾文子さんとの出会いと最後のお別れのエピソードも紹介されて、「いい奥さんじゃなかった」「そんなことない、ほんとに好きだったんだから」の泣かせる場面、人として誰かを、愛する人をよろこばせたい、それはいちばん自然で素朴な気持ちだと私も思います。生きる、働くモチベーション、エネルギーにつながります。最後に、米山先生は黒川さんは全力で駆け抜けた良い人生だったとお話しされて、私もしみじみとそう思いました。
講座後、友人たちとお茶しながら、「今日の先生のお話は特によかったわねぇー。新鮮でしたわー。」と、みんなでさんざん盛り上がってあれだけおしゃべりしたのに、家に帰ったら、また同じ友人から夜に電話がかかってきて、今日の興奮冷めやらずの続きをまたまた語りあったのがちょっと可笑しくて、なんとも可愛らしい彼女、奥さまだなと微笑ましく思ったのでした。またマスコミや権力におもねているようでスカンとアンチ黒川で手厳しい批評を加えていた仲間も、今回は視点が変わって、純粋に建築作品は評価できるのだと気づいたそうでニコニコ笑顔でした。それもうれしかった。
゛わかりやすく、明るく、楽しい゛ というのは 講師でいらっしゃる米山先生の建築講座や見学会にも通じる魅力的なところです。わかりやすいというのは大事です。もちろん気の抜けたわかりやすさではありません。ご指導くださる先生方は素晴らしく一般に向けての建築講座は数あれど、そこはやっぱり米山先生がダントツイチバン、一位です。私はそう思っています。ですから、我々のようにリピーターで学習する受講者も多いのです。資料もバッチリ、黒川さんのちっちゃい子どもの頃のカワイイ写真、若かりし学生時代のステキな笑顔、真剣な表情も織り交ぜて下さり、ひとりの建築家が、人間が浮き彫りにされてとても身近に感じられます。実に奥深い内容です。米山先生、いつもありがとうございます。質問とか毎度詰め寄ってうるさくてスミマセンでございます。次回の春期えどカル建築対談講座も、今からすんごく楽しみにしております。(人気が高そう、ハズレルことのないようにだけはお願いします) どうもありがとうございました。
★写真は黒川さんの花数寄イメージから →↑
黒川紀章さんは学者としての業績に惹かれた京都大学の西山夘三氏の研究室から、東京大学大学院の丹下健三研究室の門をたたきます。スパイと思われたのでしょうか。同じ門下の論客建築家磯崎新氏に対してはもちろん意識していたでしょう。ご本人も哲学的、思想的な論を展開するのは当然です。けれども、今回の講座の中での私の一番の発見ポイントは黒川さんはむずかしい理論家ではなくアイデアマンで感覚的デザイナーセンスに長けた、そっちの人だということでした。その純粋形態のわかりやすさが海外にも受けたのですね、建物には冷たくない人なつっこさ、明るさ、楽しさがある。竣工時の誰もいない美しいだけの建築写真ではなく、そこには子どもが写っている。それらのお話を伺って、私は新鮮な驚きと共にどこか安心を覚えました。黒川さんの晩年の別の活動からユニークなキャラクターの顔は伺えてはいましたが、ちょうど1年くらい前、私が初めてお会いしたときの(最初で最後でしたが)印象も実は勝手に思い描いていたイメージとは少し違いました。国際的に活躍する著名な建築家は意外と穏やかでやわらかかったのです。ここで人物と建物がどこかつながった気がします。亡くなってしまったなんてまだ信じられず、さみしく残念に思います。私は黒川建築作品を特に意識してこれまでたくさん観て味わったわけではないので、もっと積極的にみつめてみたい気持ちになりました。そう思えたことがうれしいです。
昔、心斎橋筋歩いてまっすぐ、大阪のソニータワー(1976)デートしたことあるんです。ガラス張りの長いエスカレーターの景色を楽しみながらいっしょに。でも、もうなくなっちゃったみたい、映像みながら、ちょっとせつなく涙が出そうになりました。学生時代は国立文楽劇場(1984)で『仮名手本忠臣蔵』だったか文楽も見ました。でもその建物を造ったのは黒川さんだとは当時はぜんぜん知りませんでした。外観に猪目ハート模様の唐破風がついたディテールが可愛いんですよね。黒川さんは国内にとどまらず多くの美術館建築を手がけられていますが、感謝したいのは私の故郷である和歌山県にも近代美術館と博物館(1994)を残してくださったことです。やっぱり今となってはうれしく財産です。東京にある建物に負けない立派な、明るく開放的な空間です。特に美しく曲面を描くファサードガラス張りの博物館が私は好きです。過去にはそこで地元出身の文化学院を創設した西村伊作や夭逝した版画家田中恭吉など充実した展覧会を開催していたようで喜ばしいです。でも、田舎だから訪れる人が少ないのが悲しいところですが、これからも企画運営には期待したいし、がんばって頂きたいと思います。ただ黒川さんの当初のプランとは違って、現在は能舞台を囲む池の水が抜かれているのが残念に思うので、次回帰省した際にはそのことについて担当者にどういうことなのか尋ねてみたいと思います。
黒川さんはわかりやすい前衛性を確立した希有な人、海外評価も高い。メタボリズムの中銀カプセルタワー(1972)の取り壊しに関しては国外から批判がでるかもしれないとのことです。また私生活では君はバロックだと言った女優で奥さまの若尾文子さんとの出会いと最後のお別れのエピソードも紹介されて、「いい奥さんじゃなかった」「そんなことない、ほんとに好きだったんだから」の泣かせる場面、人として誰かを、愛する人をよろこばせたい、それはいちばん自然で素朴な気持ちだと私も思います。生きる、働くモチベーション、エネルギーにつながります。最後に、米山先生は黒川さんは全力で駆け抜けた良い人生だったとお話しされて、私もしみじみとそう思いました。
講座後、友人たちとお茶しながら、「今日の先生のお話は特によかったわねぇー。新鮮でしたわー。」と、みんなでさんざん盛り上がってあれだけおしゃべりしたのに、家に帰ったら、また同じ友人から夜に電話がかかってきて、今日の興奮冷めやらずの続きをまたまた語りあったのがちょっと可笑しくて、なんとも可愛らしい彼女、奥さまだなと微笑ましく思ったのでした。またマスコミや権力におもねているようでスカンとアンチ黒川で手厳しい批評を加えていた仲間も、今回は視点が変わって、純粋に建築作品は評価できるのだと気づいたそうでニコニコ笑顔でした。それもうれしかった。
゛わかりやすく、明るく、楽しい゛ というのは 講師でいらっしゃる米山先生の建築講座や見学会にも通じる魅力的なところです。わかりやすいというのは大事です。もちろん気の抜けたわかりやすさではありません。ご指導くださる先生方は素晴らしく一般に向けての建築講座は数あれど、そこはやっぱり米山先生がダントツイチバン、一位です。私はそう思っています。ですから、我々のようにリピーターで学習する受講者も多いのです。資料もバッチリ、黒川さんのちっちゃい子どもの頃のカワイイ写真、若かりし学生時代のステキな笑顔、真剣な表情も織り交ぜて下さり、ひとりの建築家が、人間が浮き彫りにされてとても身近に感じられます。実に奥深い内容です。米山先生、いつもありがとうございます。質問とか毎度詰め寄ってうるさくてスミマセンでございます。次回の春期えどカル建築対談講座も、今からすんごく楽しみにしております。(人気が高そう、ハズレルことのないようにだけはお願いします) どうもありがとうございました。
★写真は黒川さんの花数寄イメージから →↑