マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

祈りの長崎

2015-08-11 07:17:39 | ぼやき日記
怒りの広島、祈りの長崎。

娘から、聞いて調べて見ました。

怒りの広島という意味は、長く住んでいてわかります。父を帰せ、母を帰せ、、、、、。有名な詩があります。核兵器を憎み、排除し、平和を願うものです。

長崎は少し受けとめ方が違うそうです。

長崎は中心地から少し離れた場所が爆心地で、しかも浦上天主堂のそばであったことから、多く存在するキリスト教信者に対して、厳しい言葉で中傷されました。信仰心の厚い人々にとっては、物理的な原爆のダメージに加えて精神的なダメージも相当なものだったと言われています。

同じ信仰をもつ人々による攻撃、家族を失い、みずからも被害を受け、罰があたったと中傷される。心をどう立て直して良いのか、生きる希望を失っておられたようです。

そのとき、合同葬儀の弔辞で永井博士が述べた言葉で、多くの人々の心が救われたそうです。

それが、

浦上燔祭説と言われるものです。

燔祭はユダヤ教の生け贄の儀式のこと、死没者は、神に召されたホロコースト、生き残った人々は、神に試練を与えられたもので、神に感謝する。

という内容です。

原子爆弾を落とした国、人を糾弾せず、みずからの与えられた試練ととらえるなんて、一般の我々には難しいことですが、長崎の人々は、は祈ることで、乗り越えてこられたのです。

この永井博士の浦上燔祭説に対しては、その後何人かの人が批判をしています。投下した国や、戦争に向かっていった為政者に都合の良い考え方とみなされました。

永井博士は、立派な方です。奥様を原爆でなくされ、みずからも原爆症に侵され、原爆症の研究と治療に最後まであたられました。厚い信仰があるゆえに、神と対話をして精一杯正しい行いをする。それはあくまでもご自身の生き方、人に強要することではないものです。

長崎の被爆者の苦悩、この年で初めて知りました。

今の私の試練は取るに足りない気がします。

私は信仰心が厚くないので、いつも天国にいる父と対話します。父に恥じない生き方をしなくてはと思っています。

毎日自分の未熟さと向き合い、反省しながら生きています。

人を許す。簡単なことではありません。ましてや多くの犠牲者を出した原爆投下、犠牲者の思いはそれぞれ尊重すべきですし、浦上燔祭説を心のよりどころになさっている長崎の被爆者の方々の気持ちに甘えてはいけないと思います。

投下した人、投下に至ったすべての要因は、見直され反省されるべきことです。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝とれた野菜で朝食を作る。 | トップ | 完熟トマトで作ったソース。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ぼやき日記」カテゴリの最新記事