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マダムホーリーの毎日のご飯とぼやき日記

毎日作る料理をご紹介し、日々思うことをぼやいています。

モーツアルトのKV509

2019-11-28 02:09:56 | ぼやき日記

 

 

11月23日は大学の広島支部の同窓会に出席しました。宿泊はピアノの師匠のお宅です。師匠は1月25日に、ご自身のライフワークであるモーツアルトの演奏会をされます。今回はとても興味深い、KV509「6つのドイツ舞曲」を演奏されます。

プラハに赴いたモーツアルトは、伯爵に頼まれて、舞踏会の前に1時間半で曲を作りました。その曲がKV509なのです。

「さあみんな! 舞踏会が始まるよ!」

というフレーズから始まります。これまでのモーツアルトの素晴らしさが満載の傑作です。

お時間のある方は、お越しください。

 

いつも、師匠にお会いするたびに、新しい発見があります。とても新鮮な感覚です。

そういえば、亡きパンの師匠、ビゴのレッスンの時も、毎回新しい発見がありました。以前とまったく同じパンを作るときも、新たな知識を身につけることができました。パンに対する心得、粉の知識、国による粉の種類の違い、成型のポイントなどなどです。それくらい音楽同様パンの世界も奥深いものだったのです。

 

巨匠の存在は大きいものです。

時々こうして、教わることができて私は幸せです。

 

 


どれを買います?

2019-11-19 09:42:44 | ぼやき日記

三社のハヤシライスのルウが同じ価格で売られておりました。右端の会社だけ、牛肉300グラムあとの2社は200グラムで作るように書かれてありました。あとは全く同じです。

こうなると一体どこの会社のを買ったら良いのでしょうか?

スマートフォンを持ち歩いていますので、早速ググってみましたら。ありますあります。ルーを比較し評価しているサイトが。

値段の比較、デミグラスソースが濃厚なタイプ、トマトの酸味が聞いているタイプ、中間のタイプ、あっさりしているタイプなどなど、

 

価格が同じで、使うお肉の量が300グラムの右のルーはコストがかかると一見思いますが、200グラムのお肉で作ったら、少量のルーでできます。出来上がりの総量の違いもあるので、厳密には言えませんが、大筋でコストはほぼ同じと思います。

サイトで味の比較を見て、判断したとしても出来上がりが自分の好みとは限らない可能性がありますので、ルーを少なめに使い、出来上がりの味を聞いて、自分の好みで、酸味が必要なら、トマト(缶詰等)、デミグラス風味が必要なら、ルーをを少し加えたり、コクが欲しかったら、ブイヨンを足すなりして味の調整をすることをおすすめします。

デミグラスの風味が強いタイプにしておけば、薄めることは簡単なので、私なら、デミグラスの濃厚な風味のルーにして、味見をして、水やブイヨンを加えたり、トマトやトマトケチャップを加えて味を整えると思います。

ルーを使わずにゼロから作ることは厳しい人が多いので、ルーを上手に使って自分の好みの味に仕上げるのが大切です。

 

で結局、私は、ルーを買わず、ハヤシライスはやめて、野菜をたくさん煮込んでボルシチを作ることにして、野菜を買って帰りました。

 

どうもお騒がせいたしました。

 


ノーサイド

2019-11-19 07:46:53 | ぼやき日記

日曜日に、高校ラグビー京都大会決勝、成章と京都工学院(伏見工業)の試合を観戦しました。試合は成章の勝利で終わり、花園の切符を手にしました。画像は、ノーサイドの後の準優勝の京都工学院の選手たち。会場はユーミンのノーサイドの曲が流れ、西日を受けて立ち去る選手の姿は美しかったです。

決勝戦の2校は宿敵同士で、何度も戦って来ました。毎年、京都大会の決勝は、特別なのだそうです。

優勝チームの成章高校の雄姿です。

 

応援団は、野球とは違っていて、チアリーダーやブラスバンドはいません。何十人もの応援団が全員メガホンを手にして、応援歌を歌ったり、声を出したり、パフォーマンスをします。統制が取れていて、とても爽やかです。肉声は迫力があります。

この秋は、日本でラグビーのW杯が開催され、日本選手の大活躍も見ることができ、ラグビーの素晴らしさを我々は体験したのですが、他のスポーツと大きく違うのは、一人のスター選手だけでは決して勝つことができないことです。倒す、走る、投げる、受ける、蹴るなどと、一人一人得意な能力を活かしながら、チームとしていかにまとまるかが勝利に大きく影響します。スーパースターはどのスポーツにも存在するけれども、このスターの能力を発揮させ勝利を勝ち取るには、チーム一人一人の力が必要です。そして日々の練習がどれほど大切かを思い知らされるぐらいスタミナを要し、怪我と隣り合わせのハードなスポーツでもあります。

日本代表の試合を見た後でしたが高校生の試合も十分見応えがありました。

にわかラグビーファンの私ですが、長年のラグビーファンのお仲間に入れてもらえたら嬉しいです。

 


上賀茂神社

2019-11-18 08:09:39 | ぼやき日記

 

昨日はラグビーの応援で松ヶ崎まで行きましたので、上賀茂神社にお参りしてきました。家内安全と、みんなの健康を願いました。葵祭はこの神社の行事です。この日は七五三や婚礼の人で賑わっていました。

人気だったのは神馬。美しい顔をしています。

京都は紅葉の盛りが始まっていましたが、ピークは二十日頃らしいです。鴨川沿いの桜の紅葉は見事でした。

 

 

 


岩倉実相院跡から一乗寺へ

2019-11-06 11:14:28 | ぼやき日記

黒く磨かれた廊下に、お庭が写るので有名な岩倉の実相院跡を訪ねました。京都の紅葉はまだ始まったばかりです。まだ10日以上早いようです。しっとりと静かなお庭を堪能して、岩倉から叡山鉄道で一乗寺へ行きました。

一乗寺は行きたいところがたくさんあります。一つはラーメン屋さん。候補がいくつかあったのですが、結局行きたい本屋さんに一番近いお店の珍遊さんへ行きました。

背脂が浮いていますが、これがしつこくなくて、ネギもたっぷりでした。このスープは何を使って出しているのでしょうか?鶏ガラなのか牛骨豚骨なのか? 私は、魚の出汁が入っているのような気がしました。しつこくない醤油ベースです。

この後出かけたのが、恵文社という本屋さんでした

他の書店には置いてないような、珍しい本がセレクトして置いてるのです。買いたい本がいくつかあったのですが、サイズが大きくて、この後はお寺を廻る予定にしていたため、断念しました。孫にだけ面白そうなコンパクトなサイズの本を買いました。

ドイツの童話集は、楽しいものが多いです。私は一時期ハウフの童話にはまりました。100のしつもんブックは、しつもんだけが書かれています。どう回答するかは人それぞれなので、そこが楽しみな本です。

この後一乗寺のお寺を3つまわりました。

 

 


伏見へ文学散歩

2019-11-05 09:41:31 | ぼやき日記

文学散歩で伏見に行きました。酒蔵とその脇の運河です。伏見は交通の要所であり、荷物の中継地でもありました。ここまでは三十石船で荷物を運び、京都へは小回りのきく小さい船で、様々な荷物を運びました。鉄道や道路が整備されるまでは、船は大活躍をしていたのです。

月桂冠の酒蔵記念館です。酒造りのことがわかります。

酒は、水と、米と、麹と、酵母でできるのだそうです。伏見のお水は硬水軟水の中間のお水、女酒と呼ばれるように、甘口のお酒で有名です。ゆっくり時間をかけて発酵させるのが特徴のようです。しかも我々が想像している以上に細かい温度管理が必要なことがわかりました。

月桂冠が全国に知れ渡ったのは、当時酒徳利の量り売りが主流でしたが、伊勢参りのお客さん向けに、鉄道の駅で、瓶詰めにして売ったのが最初だそうで、爆発的に売れたそうです。試飲もさせていただいて気分良く町並みを歩きました。そして最後は

寺田屋、です。坂本龍馬が暗殺されかかった船宿です。

横に、女将のお登勢さんを祀った神社がありました。ここで働いていたおリョウと龍馬がお登勢さんの計らいで結婚したのです。だから縁結びでお登勢さんにお参りする人が多いそうです。私は主人を見送って、もう誰かと縁を結びたくないので、どうぞ誰かと縁を結ばせないでくださいと祈りました。

寺田屋は一度焼けて、明治の終わり頃に、再建されたのが後のから出た資料でわかったそうです。司馬遼太郎が訪れた時はどうだったのでしょうね。なぜか、拳銃の弾が当たった穴とか、刀傷とかあるのです。どういうことでしょうか?

 


宇治十帖の舞台へ

2019-11-05 09:19:45 | ぼやき日記

昨日は大阪文学学校の文学散歩の日です。午後の集合まで時間がありましたので、宇治まで足を伸ばしました。宇治は源氏物語の宇治十帖の舞台です。そのこともあり、二年前に、主人公が愛する人と宇治をデートして別れるシーンを書きました。

宇治は、平安時代は京都からは遠く離れた寂しい場所です。源氏物語では、匂宮を愛する浮舟は、愛する人を待ちながら宇治で過ごしました。最後は、橋から身を投げるのです。結局は助け出されます。

男女が別れる舞台としてふさわしいと思って書いたのですが、網代木の道とかその周辺のお店の描写は正しいのか確認に行きました。

川の流れは想像以上に速い。そして

屋形船の乗り場の近くに、こんなお座敷のあるお店があります。カップルで訪れるのにはいい感じでした。このお店で出された宇治茶には茶柱た立っていると私は書いたのですが、出てきたのはほうじ茶。でもまあいい、か小説ですから。食べたのは、うなぎ雑炊と茶そば定食

雑炊が、ぐつぐつ煮えると、溶き卵を落として食べました。

うなぎ雑炊は初めて食べました。大変美味しくいただきました。

 

宇治は、午前中だけでは回りきれません。今度は、主人公がデートしたコースを忠実に歩いてみることにします。

梅雨の時期のお別れの設定なので、川は霧にけむり、川も増水しているということを忘れていましたので、修正を加えようと思いました。宇治は主人とも一緒に出かけているのですが、とにかく盛りだくさんで、1日のスケジュールをタイトにしてあちこち行きたい人でした。だから一つ一つをゆっくり回ることができていませんでした。一人は少し寂しいけれど、そのぶん、自分のペースで納得のいくまで回ることができます。良いことと良くないことの両方あります。

 


ツイッターに100万円は悪いのか? 続編

2019-10-31 09:22:37 | ぼやき日記

昨日のブログでの問いですが

昨日はとあるカフェが対象でした。

人によってどれを採用するのかは、営利を追求するのであれば、費用対効果を考えるべきでしょうが、自由です。

 

では、地方公共団体だったらどうなるのだろう?

これがそっくり地域の公的なイベントを宣伝するためだったらどうなのか?ということになります。

そうなると、自由に決めるわけには行きません。

費用対効果のあるお金の使い方が要求されます。さらに、その使い方が、適正かどうか、国民にきちんと説明できないといけません。宣伝に絶大な効果が上がって、多くの人が満足を得られるかかどうかが重要です。

もう一つ

もっとも効果が上がるお金の使い方であったとしても、

それが、国民に納得できないものであるなら、それは考えなくてはいけません。

 

今回のツイッターは、さほど労力が必要ないのに、高額な謝礼が渡ったという見方をすれば批判に値します。

ただ数十万のフォローワーを得るまでにどれほど労力を要したかというところ、フォローワーに注目されるほど魅力的なタレント性をどうやって身につけてきたかというところに注目すればどうなるでしょう?今のタレント性は何年もかけて、努力を積み重ね実績を作って得られたのであれば、その部分も重要で、そこを考えたら、もしかしたらリーズナブルな価格であると考えられるかもしれません。

 

結局は、国民が納得できるものかどうかという点が重要であると思います。

 

以下は昨日のブログ

*************************************************

ある市が、芸人さんに頼んで100万で2回ツイートして、イベントを宣伝してほしいと依頼しました。それについて、批判が寄せられているそうですがが私は首を傾げています。

 

たとえばこういうモデルを考えてみました

 

A子さんが、カフェを始めました。かなり大きなカフェなので、五十人ぐらいは一度に入れるお店です。

開店前に宣伝が必要です。1万円で宣伝を依頼しましたら、3社が名乗りを上げました。

 

松会社の提案  請負額10000円

チラシを配ります。我々は一枚一枚丁寧に手書きにします。綺麗な色で丁寧に書きます。イラストも凝ったものを考えました。一人一人に手渡しして説明をさせていただきます。インク代、絵の具代、紙代、人件費(作成、配布)がコストです。

十時間かけて40枚仕上げます。それがせいぜいです。配布はサービスさせていただきます。 一人で必死でやります。

 

竹会社  請負額10000

チラシを作ります。一枚だけオリジナルを作ります。白黒ですが、インパクトのあるチラシです。駅や公園で手配りし、ポスティングします。

コピー代 人件費(作成、配布)がコストです。 

1000枚コピーして配布します。オリジナル作成は3時間 コピーは一時間 配布は6時間  十人以上で頑張ります。

 

梅会社 10000円

うちは、面白い情報発信をしてきたので、沢山のフォローワーがおります。一万人です。 ツイッターでカフェの情報を詳しく発信します。フォローワーには拡散を依頼します。 

通信費と人件費がコストです。

ツイート文を考えるのに一時間以上、ツイート作業は10分です。一人でやります。

 

 

宣伝で大事なことは

多くのお客さんに、お店ができたことを知らせて、できるだけ多くのお客さんにきてもらうことですよね。

お店の規模にもよりますが、

さて、あなたはどの会社に依頼されますか? 


儲け過ぎは悪いことなのか?

2019-10-31 05:49:49 | ぼやき日記

お金儲けはダメなのでしょうか? 

お金を稼ぎすぎた人、利益を上げている企業を叩く風潮がありますが、ちょっと立ち止まって考えてはいかがでしょう?

本来は

資本主義経済の良いところというのは、自由競争によって、資源の最適配分が実現されることでした。現実はそう簡単には行きませんが、うまく機能しないところは政府が介入して、補い先進国は修正資本主義に移行しました。

大事なところは、皆が利潤追求のために経済活動を行っても、自由競争が実現できていれば、適正な価格と、クオリティが保たれるというところです。こんなものがあったらいい、こんなサービスがあったら嬉しいという人々の嗜好に基づいて、財やサービスが生産されます。

財やサービスを提供する側がそれによって多くの利益を得るようになると、誰かが真似をします。競争が生まれて、価格は下がります、さらにライバルに勝つためにクオリティを高める努力をします。最終的には、生産者も適正な利益を得て、消費者も満足できる内容と価格で落ち着くのが理想です。

 

順調に利益を得ている、もしくは法外な利益を得ている場合、

努力によって他にない優れた財やサービスを提供している、経営努力によって生産コストを削減している、あるいはライバルがいない などの理由が考えられます。

 

もたらされた利益はどうなるのか?

生産者の給与に還元される

株式会社なら株主に配当される

事業を拡大したり、新しい事業を行うために、投資に回される

税金として国庫に納められる

 

利潤を得て、多くの収入を手にした人は、結局、人より多くの物を手に入れるためにお金を多く使うことになります。それによって、別の人が利益を手にします。風が吹けば桶屋が儲かるという発想です。

 

一人が他より多くのものを所有するのはよくない。みんなにわけあたえよ!

立派な考えです。

だけど、利益を生み出さなければ、分けることもできません。共産主義や社会主義経済の問題点はそこにあるのです。自由な経済活動に比べて生産効率が悪くなります。そもそも分配されるべき利益がなければ人々は貧しいままです。

今の社会主義国だって、自由経済を取り入れています。

逆に資本主義国も、福祉や教育、経済活動の支援をしています。

 

多くの富を得るということは大事なことです。それは物の生産だけではありません。サービスを生み出すことも同じです。人々が心豊かに、便利に生活を送ることができるからです。

 

人々の経済格差が広がっていることを心配している人が多いのですが、利益を得ている人を叩いたとしても、格差は縮まることはありません。

それよりは、新しい事業を始めるための支援だとか、育児や介護によって十分に働く時間が確保できない人の支援だとか、より高収入を得るためにスキルを高める支援の方がずっと意味があります。

 

それから利益を多く得ている人の中に、色々な支援活動をしている人もいらっしゃいます。それだって強要することではありません。支援の輪は自然に広がることが大事です。

 

頑張っている人を叩くという行為がそもそも、生産的ではないと私は言いたいのです。

 

 

 

 


ツイッターに100万円は悪いのか?

2019-10-30 13:56:12 | ぼやき日記

ある市が、芸人さんに頼んで100万で2回ツイートして、イベントを宣伝してほしいと依頼しました。それについて、批判が寄せられているそうですがが私は首を傾げています。

 

たとえばこういうモデルを考えてみました

 

A子さんが、カフェを始めました。かなり大きなカフェなので、五十人ぐらいは一度に入れるお店です。

開店前に宣伝が必要です。1万円で宣伝を依頼しましたら、3社が名乗りを上げました。

 

松会社の提案  請負額10000円

チラシを配ります。我々は一枚一枚丁寧に手書きにします。綺麗な色で丁寧に書きます。イラストも凝ったものを考えました。一人一人に手渡しして説明をさせていただきます。インク代、絵の具代、紙代、人件費(作成、配布)がコストです。

十時間かけて40枚仕上げます。それがせいぜいです。配布はサービスさせていただきます。 一人で必死でやります。

 

竹会社  請負額10000

チラシを作ります。一枚だけオリジナルを作ります。白黒ですが、インパクトのあるチラシです。駅や公園で手配りし、ポスティングします。

コピー代 人件費(作成、配布)がコストです。 

1000枚コピーして配布します。オリジナル作成は3時間 コピーは一時間 配布は6時間  十人以上で頑張ります。

 

梅会社 10000円

うちは、面白い情報発信をしてきたので、沢山のフォローワーがおります。一万人です。 ツイッターでカフェの情報を詳しく発信します。フォローワーには拡散を依頼します。 

通信費と人件費がコストです。

ツイート文を考えるのに一時間以上、ツイート作業は10分です。一人でやります。

 

 

宣伝で大事なことは

多くのお客さんに、お店ができたことを知らせて、できるだけ多くのお客さんにきてもらうことですよね。

お店の規模にもよりますが、

さて、あなたはどの会社に依頼されますか? 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


武士道は悪いことなのか?

2019-10-21 09:27:00 | ぼやき日記

今の世の中をどう捉えるかはそれぞれ個人の自由だと思います。一つの意見としてある方のこんな発言があります。

「昔武士道だとかで強調しすぎたツケが反動として出てきている可能性がある。平成は個性尊重、自由、ゆとりが尊重されたために、それを理解できない昭和世代は、厳しい態度で接している。価値観や哲学、生き方などが根本的に変わらなければ、悪魔の罠に嵌まり込む


私は昭和生まれですから、もしかしたら知らず知らずに、若い世代に寛容でなくなっているかもしれません。ということは心を入れ替えなければ悪魔の罠に嵌まり込むのでしょうか?

 

それとは別に、武士道についての、正しい理解がどこまでなされているのか、上の意見を投稿した方の武士道の捉え方に疑問を持ってしまいました。そしてついつい、コメント欄に以下の私の意見を載せてしまいました。

この方は友達だけに発信されているので、ご本人が特定されないようにするため、発言内容も私流に編集しております。ですから、100%上の方の意見を踏襲しておりませんので最初にお断りさせていただきます。あくまでもただの一物語として捉えていただければ喜びます。

私の投稿

武士道の何をご存知なのでしょう? 武士道精神は新渡戸稲造の著書によって世界中の人に認知されました。新渡戸稲造のアメリカ人の妻も、彼の思いを理解し、当時日本の経済的に恵まれない人々に無償で教育を施しました。妻も、アメリカで病気の療養をしながら、夫に送金して、多くの人に支援をしたのです。そして海外との橋渡しの役割をなくなるまで果たしました。残念ながら武士道は一握りの武士の階層に浸透していた思想です。歴史を深く学んでいる人によれば、今の多くの日本人に真の武士道精神が浸透していたら、今の日本はもっと良くなっているだろうと話しています。 我慢とか秩序を乱さないとかいう行為は、家族でも良い、とにかく世の中の誰かの幸せのために、自分にできることをするのであれば尊いことです。それは悪魔の罠でもなんでもありません。自らが天に恥じずに誇り高く生きたいと願って行うこと。人の笑顔が自分の幸せだと願うことも、悪魔の罠にはまっているのですか?

収穫されるお米の一粒、土作りを大切にして育てた無農薬で栄養価の高い安全な野菜も、多くの人の努力によって生まれているのです。天災などの多くの試練を経て、それでも喜んでくれる人々のために、日々努力する人々もいらっしゃるのです。毎日子供のために、パートで働くお母さんたちだって立派です。辛いことを我慢しているかもしれません。その人たちを見習いましょうと言っても、難しいことでしょう。だけど、どんな人も立ち止まって感謝するということはできます。感謝の気持ちを大事にすれば、きっと良い方向へ行くはずです。

以上です。この後のコメントはここでは差し控えたいと思います。もしかしたら、反応が全くない可能性があります。皆様のご意見をお伺いしたいと思います。

そして昨晩は、ラグビー日本代表は、南アフリカと戦いました。先週と同じく、笑顔工房さんで、応援させていただきました。日本チームは大健闘しましたが、力及ばず敗退となりました。でも、ラグビーの応援を通して、多くのことを学び、勇気も元気ももらいました。

最初の、平成世代とのギャップの話に戻りますが、昨晩同席した方々の中に、ドレッドヘアの若い方がいらっしゃいました。堀江選手の髪型で何かと話題になっているのですが、実際に見たのは昨日が初めてなので、ついつい色々質問をしてしまいました。でも嫌がることなく、色々話を聞かせてくださいました。

ドレッドヘアは想像以上にお手入れも大変だそうです。この方は完成するまでに、23時間かかったそうですし、すぐにシャンプーはできず、髪が徐々に伸びてくると、髪の根元をねじってかぎ針で整えるのだそうです。生半可な気持ちでこの髪型にすることはできないと感じました。

今の若い人は、我々が思っている以上に、年配の我々とも気さくにお話ししてくださいます。そして相手が負担に感じない、さりげない気遣いをしてくださいます。しかも自分の考えをきちんと持っています。かと言って個性ばかりを主張してはいませんし、周りの空気をいち早く感じ取って、その場にあった対応ができます。我々の方が、どうしても、自分の意見ばかりを前面に出してしまいがちなので、若い人から学ぶことが多いと感じます。

昭和生まれの方が、意識改革が必要なのはある方の意見の通りです。少し長く生きているからって偉いわけではない。

だけど、武士道のせいで日本が歪められたわけでは決してありません。もしかしたら、今の若い人の方が、武士道に近い考えを持っているかもしれません。

昨日出会った、自由なヘアスタイルの若者とそのお仲間の方々に清々しいものを感じ、おかげで、日本が負けて辛かったのですが、幸せな気持ちで帰ることができました。

 

 


スコットランド戦の総括

2019-10-15 09:56:19 | ぼやき日記

 

ラグビーワールドカップ。13日のスコットランド対日本戦の前日は、大型台風19号が、日本各地に大きな被害をもたらしました。河川の氾濫による住居の浸水がテレビ画面に流れるたびに胸を痛めました。心からお見舞い申し上げます。

中止も予想された試合は、多くの人々の努力によって開催にこぎつけました。私は塚本にあるカープ居酒屋笑顔工房さんで、応援させていただきました。

丹波笹山からご夫妻で参加された方が、栗入りのおこわを作って来てくださりありがたくいただきました。元ラガーマンのご主人が、細かいルールや試合運びを説明してくださったおかげでラグビーの面白さがわかって来ました。

試合前練習を終えて、キャプテンリーチマイケル選手中心にチーム同士肩に手を置いて、控え室に戻る選手を観ただけで感動し、君が代を選手が歌う姿を観ただけで感動し、スコットランドの国家を会場の観客が歌っているのにも感動しっぱなしでした。そして結果は日本の圧勝。スコットランドは、心技体全てを兼ね備えた一流のチームです。決して楽な試合ではありませんでした。おかげで祝杯をあげることができました。

 

昨日は、マダムKとスコットランド戦の総括をしました。彼女は次男がラグビー経験者で、長年のラグビーファンです。今の日本代表の一人一人の成長を見守って来たひとりでもあります。代表を輩出した吹田ラグビースクールのことも話してくれました。吹田ラグビーは当時はゆるゆるのクラブで、もっと厳しく指導して欲しいと保護者が心配するほどだったのですが、そんな子供たちも徐々にまとまって、最後は優勝するようになったそうです。

「息子はは感動的な試合を見るたびに、自覚が生まれ、必死で練習するようになりました。最初からやたらに厳しいのはどうなのかな」

とも話します。

堀江選手は、本来は、もっとラグビーの強い高校に行くことも頭にあったようですが、島本高校に進学して環境が彼に合っていて頭角をあらわしたそうです。その後メキメキ実力をつけて今にいたるのです。

今回の日本代表のバックスは、田村のポジション、スタンドオフの経験者が多いし、田村はサッカーの経験者、ラグビーは、サッカーやバスケット、柔道など他のスポーツの要素を持っているので、それぞれの競技やポジションは関連性があり、他の競技やポジションを経験するのも大事だそうです。

そして故障に繋がるので、危険なプレイはどんなに勝利に貢献しても、監督に厳しく注意され、賞賛されません。

日本の代表選手一人一人が成長の歴史を持っている。それが今のプレイに生かされていて、さらに厳しい練習を重ねて素晴らしいチームを作った。スコットランド戦のような、素晴らしい試合が観れたことに感謝している

とマダムは熱く語ってくれました。

 

ラグビー日本代表の試合を応援して思うことなのですが、

日本の国とはなんだろう?日本の国民とはどういう人?

 

日本は単一民族の国と言われていました。同じ民族だから一つにまとまることができるのだと。

それは必ずしも正しいとは言えないのではないでしょうか?

 

日本人とは、日本の国を愛する人のことです。日本の素晴らしさを理解して、日本の国土や人々を愛する人が日本人なのです。日本は日本を愛する人が多くいるから心を一つにできるのです。

 

ラグビーの日本代表は、日本以外の国で生まれた選手が半数を占めます。海外出身の選手をよそ者と思う人はいません、日本人よりも日本を理解しようと努めているからです。

 

未来の日本は、今よりもっと国を愛する人が多くいる国となってくれることを願っています。

ラグビーの代表選手のように、日本が大好きで、日本人になりたいとやってくる人は歓迎すべきです。

 

日本代表は、これから決勝リーグを戦います。

勝つと言うよりも、次の試合でも、自分たちが作って来たラグビーを我々に見せて欲しいと私は願っています。


日高てる詩集

2019-10-11 16:14:08 | ぼやき日記

9月29日に、文学学校の方とお昼をご一緒して、詩を読む会に参加させていただきました。

その時が日高てるさんの詩集でした。文学学校でチューターを務め、副校長をされていた方です。

日高さんは大変教養あり、詩の中の言葉は吟味されて使われていて、格調高く感じます。詩を読む習慣も感性もない私には読み解けないものがほとんどでしたが、ただ出てくる語句は、とても印象深く心に残りました。

中でも感動したのは、

からす麦(一部が表紙に印刷されています)

そして

果実と風呂敷

でした。

詩を書く方々は、言葉のひとつひとつを小説以上に大切にしていらっしゃるようです。この詩集を読んだ後、私も詩を書きました。

以前朗読作品として書いた皇帝ダリアの君に〜津摩の入江の物語の中に出てくる、ベートベンの悲愴第2楽章のメロディーに歌詞をつけた六行の詩のあとを続けて完成させました。

ベタな詩ですが、登場人物のモデルである私の天国にいる従弟の思いを表現してみました。

機会があれば、また朗読の際にご披露できればと思います。

良い詩に出会うと、影響受けて、書けないものも書けるものなのですね。びっくりです。

 

 


表現の不自由展

2019-10-09 14:29:22 | ぼやき日記

「表現の不自由展」は、日本における「言論と表現の自由」が脅かされているのではないかという強い危機意識から、組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品を集め、開催される展覧会だそうです。

テレビなどで伺う、主催者側の言い分は理路整然としています。表現の自由は民主国家においては当然守られるべきものなので、誰も作品展を邪魔する権利はありません。

見る人によっては、怒りを覚えたり、傷ついたり、疑問に思う内容もあるようですが、表現の自由が守られている現在、何をどう表現しても自由と主張されるのは理解できます。

 

私が思うに芸術というものは、歴史的に見ると、個人の政治的な主張も盛り込んで表現がなされることも多くあると思います。どんな作品を生み出すかは、あくまでも作者の自由です。政治的な主張を盛り込むのありと思います。

一方、芸術作品ですから、見る側には、当然、好きとか嫌いとか、楽しいとか楽しくないとか、作者が好きとか嫌いとか、自由に意見を言う権利があります。

 

一つだけきになるのは

組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品というくくりですが、各美術館などは、必ずコンセプトというものがあるはずなので、そのコンセプトに合うものを採用するのは当然のことです。それは検閲や忖度とは別物と思います。

 

もし、明るいお花の芸術点というテーマが企画されたとしたら、それに慰安婦の彫刻や、天皇をもじった作品などは当然採用されるはずはありません。それは検閲とは全く違うものです。

主催者側は、会場にできるだけ多くの人に来てもらいたいという意図があるはずですから、人が呼べる内容を模索するのは当然です。できるだけ、人に感動を与えて来て良かったと思ってもらいたいはずです。

だから、組織の検閲や忖度によってはじかれたというのは、言い過ぎです。個別に見てゆけば、そうしたものも少しはあるのかもしれませんが、総称していうことではないと思います。

ここが一番の問題ではないでしょうか。

 

今回、また、愛知で再開されているようですが、行きたい人は行き、行きたくない人は行かなければ良いことです。行った後、つまらなかったと思う人もいれば、すごく良かったという人もいらっしゃるかもしれません。それだけだと思います。

 

どんな芸術が良いかという問題も、それはあくまでも個々の趣味の問題です。人に押し付けるものでは決してありません。

主催者を捕まえて、あなたは間違っているということではありません。

 

私はうがった見方をする人間なので、

今回は、こうして世間を騒がせるのが目的で開いた企画のように思えてなりません。これも私の自由な意見です。

 

画像は残り物で作ったカレーです。 

最近の 私の ヨメはもっぱらカレーです。この子がこの世に存在する限り幸せでいられる気がします。


トロッコ問題をどう捉えるべきか?

2019-10-02 12:03:10 | ぼやき日記

岡山の小中学校で、スクールカウンセラーの授業で取り上げたトロッコ問題について、違和感を唱える意見が出て、学校が謝罪しました。

授業の目的と児童、生徒をどういう方向へ導くかということがはっきりしていれば問題はなかったはずですが、不適切と判断されたのでしょう。

 

このトロッコ問題は、究極の選択で、トロッコが線路の上を暴走して、このままだと5名が轢かれる状況なのですが、線路を切り替えて別の線路に走らせて避けることができるのですが、そこにも1名いるわけです。5名を救うために1名を犠牲にすべきか考えさせる問題です。

こうした思考実験では、おそらく生徒は戸惑い、答えに悩むはずです。それも考慮しての問いなのです。

答えは出ないということで結論づけ、授業の目的をきちんと説明できるのであれば、謝罪する必要はなかったと思います。しかし、設定が、死ぬことが絡むので問題視されたのだと思います。

 

こうした刺激的な究極な選択は、私たちは、親しい間柄では普通に面白おかしく、相手に質問を投げかけたりしていました。

私は主人とよくこうした会話をして、相手の反応を見ていましたが、主人は

「こんな、究極な選択をしなくて済むように日頃から努力する」

と答えておりました。

 

トロッコ問題は、家で、意見を出し合うことが差し障りがないかもしれませんね。

 

人はいつも選択をしなければならない場面に遭遇します。その時にどういう判断を取るべきなのか?

長く生きているものは、あの時こうしていたらもっと良い方向に行ったかもということがあります。それが取り返しのつかないことだったりすると、ずっと悩み続けるしかありません。

ベストの選択などはないかもしれないけれど、できるだけ危険が避けられる方法はないものかと、家で話すのが良いように思います。必要によっては、その時その時に誰に助けを乞うべきなのかという判断も必要です。

思考実験がそれに役立つかどうかはわかりませんが、色々な可能性を話し合うのには良いと思います。

トロッコ問題は子供には無理だとか、かわいそうだとかそこまで心配する必要はないと思います。あくまでも思考実験なのですから。