「自分とは何ぞや」という問い
多くの先人たちが 求めてきた
その答え 究極はそれぞれの自分
にて出すしかないないもどかしさ。
しかし きっと本質の自分の魂は
当たり前にもって生まれてきたと。
本質の自分は 本当の自分を知って
プログラムして生まれてきて自分を
やっているに違いありません。
むしろ本質の自分とは何ぞや
そんな問いにした方がよいのかも
つまり人間とは何ぞやに行き着く。
正観さんの頑張らなくていいには
自分とは人間とはの眼差しがあり
ありながら 答えはそれぞれに
任せて 頑張らない生き方だけ
をわたし達に伝えたのではと思う。
自分とはの答えは各々に任せたと。
悪魔会議から
頑張らない
自分とは何ぞやへ 問いは続く。 . . . 本文を読む