わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

続・誰のための地デジ=潟永秀一郎(報道部)

2009-02-01 | Weblog




 先月の当欄で地上波テレビ放送完全デジタル化の問題を書いたところ、東京や福島、山口など各地の読者からお便りをいただいた。大半は、ご高齢の方からの経済的不安とアナログ放送継続を求める声。「置き去りにされる痛み」を再認識した。

 千葉県我孫子市のYさん(73)は奥さんと2人、年金で暮らしている。健康保険料や税金などを支払い、残り年間約185万円が生活費。デジタルテレビに買い替える余裕はなく、今あるテレビにチューナーを取り付けようと考えた。が、電器店に見てもらい「アンテナの交換などに20万円近くかかる」と言われて断念したという。「現行のアナログ方式で何の不満もないのに、大きな出費を強いてまで強行する必然性があるとは思えません」と記されていた。

 この点、まだ周知が進んでいないが、デジタル化への対応はテレビ本体だけでなく、アンテナ設備の更新にも費用がかかる例が少なくない。古いマンションでは共同受信設備を配線まで替えなければならないケースがあり、1戸あたり10万円の負担を求められた例も。このままでは生活保護世帯にチューナーを無償配布しても、「映らない」と訴える人が相次ぐ恐れがある。初期費用を避けてケーブルテレビに加入しても、以後は毎月の視聴料がかかる。

 折しも米国では、バラク・オバマ米大統領の政権移行チームが「消費者側の準備が整っていない」として、2月に予定しているデジタル放送完全移行の延期を検討するよう、連邦議会側に要請した。日本は、その日まで残り2年半。不況下で国民の準備はどこまで整うのか。国政での冷静な議論を望む。

 


毎日新聞 2009年2月1日 0時03分 







■誰のための地デジ 潟永秀一郎(報道部)

 家に初めてカラーテレビが来た日のことを、今も覚えている。届けた電器屋さんまで誇らしげに梱包(こんぽう)を解き、受像すると声が上がった。天板には飾り布が掛けられ、正月には鏡餅を供えた。1967年、車(カー)、クーラー、カラーテレビがあこがれの「3C時代」だった。

 テレビ放送には三つの転換点がある、と言われる。一つ目は放送開始、二つ目がカラー化、そして三つ目が現在進むデジタル化だ。ただ、前の2回と今回には大きな違いがある。選択肢の有無と、歓迎の度合いだ。

 テレビ放送が始まってもラジオを聴くことはでき、カラー放送になっても白黒テレビで受像できた。収入や好みで選べたから批判は少なく、買える身の丈になることを素直に喜べた。が、今回は11年7月24日でアナログ放送は終わり、対応するテレビやチューナーなどを用意しなければテレビは見られなくなる。国策による強制だ。後は「見ない」という選択肢しかない。

 私たちマスコミにも責任はあるが、後期高齢者医療制度と同じく、停波が決まった01年当時はその重みをあまり論議しなかった。残り3年を切った08年9月時点で対応テレビの世帯普及率は5割弱。政府は約100万の生活保護世帯にはチューナーを無償配布する方針だが、なお数百万世帯が残る恐れがある。多くは高齢者らの生活弱者だ。

 労働者派遣が原則自由化された99年の法改正が今、大量の失業者を出しているように、同じく経済原理で進められた地デジ化は多くの「テレビ棄民」を生みかねない。それでも、停波は動かせないのか--。正月のこたつでテレビを楽しむ、老いた母の背を見ながら思う。

毎日新聞 2009年1月4日 0時03分