わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

情と熱と=玉木研二

2009-02-26 | Weblog




 <中尾君は、やをら操縦席を立つて、機内に安置した伊勢大神宮の御神符に額(ぬか)づいた>

 1939年、毎日新聞社(当時大阪毎日、東京日日)が国際親善企画として三菱製双発輸送機「ニッポン」で世界一周に成功した。その終盤である。当時英領インドのカラチ離陸時、濃霧で視界が閉ざされ、突然鉄塔が眼前に現れ翼をかすめた。

 間一髪。その直後の機内の様子を親善使節役の航空部長・大原武夫はこう書き残している。世界最高レベルのパイロット技術と、動じない冷静沈着さを買われて機長に抜てきされた中尾純利も激しく動揺したらしい。彼は落涙さえし、「動悸(どうき)が収まらない。今日一日は回復しないだろう」と語ったという。

 一周飛行70周年の企画記事のため記録を読み返し引かれるのは、こうした人間臭い逸話である。ニッポン号の成功は優秀な設計、製造、操縦、チームワークなど総合力がもたらしたが、その間に絶えず顔をのぞかせる試行錯誤や感情の発露が凡人たる私を励ましてくれるのだ。

 一行が着陸地で、航空発展途上の空に散った内外の先人飛行士の墓や記念碑に参拝しているのも、この空前の冒険飛行に何かしら力づけが欲しかったのだろう。米ロサンゼルスでは日本人民間飛行士・後藤正志の墓に7人全員で花をささげた。

 後藤は大分の人。その10年前、米大陸横断に挑み、ロッキー山脈に墜死した。その遺志を果たしたのが仲間で石川出身の飛行士・東善作という。1930年、米、欧州、アジアと翔破(しょうは)した。複葉機の時代である。

 高度、精密の大事業に情あり、熱あり。「ニッポン号」は改めてそれを教えてくれる。(論説室)




毎日新聞 2009年2月17日 東京朝刊


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