わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

戦争が終わる日=磯崎由美

2009-02-26 | Weblog




 東京都内に住む内田道子さん(76)の腰には、拳が入るほど深く大きな傷がある。背骨は曲がり、骨盤がずれ左右の足の長さも変わってしまった。東京大空襲から2カ月後の山手空襲(1945年5月25日)で、靖国神社近くにあった家が焼夷弾(しょういだん)の爆撃を受けたためだ。まだ12歳の活発な少女だった。

 血を流しながら父に背負われ、火の海を逃げ病院に運ばれた。戦争末期で薬は底を突き、暑さで傷口はみるみる化膿(かのう)する。「痛いよ痛いよ。もう殺して」。泣き叫び終戦を迎えた。

 戦後は障害、偏見、貧しさとの闘い。親は治療代のため働きづめ、自分も足を引きずり畑に出た。結婚し3度身ごもったのに、股(こ)関節が開かず2人は出産で亡くなった。大手術で両方の股関節を人工骨にしたが、それも加齢とともに体と合わなくなり、古傷もうずき始める。空襲以来、不安と痛みから解放された日はない。それでも恨みは口にせず、運命と受け止め必死に生きてきた。

 そして約5年前、報道で東京空襲犠牲者遺族会の存在を知る。旧軍人・軍属には補償があり、なぜ民間人犠牲者は放置されるのか。国に賠償や謝罪を求める訴訟の原告団に加わった。証言のため記憶をたどるうちにこみ上げてきたのは「戦後64年と言うけれど、戦争は今も私を追いかけてくる」との思いだ。

 孤児となり差別された人、障害を負った姉を今も介護する人……。平均年齢76歳の原告らが抱え込んできた無念を法廷で語る。夏にも言い渡される地裁判決を待てず、2人が逝った。

 内田さんはこう訴えた。「せめて心と体の傷を癒やし、一生を終わらせてください」(生活報道センター)


 

毎日新聞 2009年2月25日 東京朝刊


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