首都圏の閑静な住宅街で1年ほど前にあった話だ。ある住民が自宅の玄関を開けると、近所のおばあさんが器を抱えて立っていた。「小麦粉をいただけませんか」。何に使うのかよく分からないまま、とりあえず家にあった小麦粉を分けた。
おばあさんがこの家を訪ねたのは、実はこれが初めてではなかった。1000円単位のお金を借りに来たこともある。そのうち心配になった住民は行政の窓口に連絡した。
関係者によれば、おばあさんは1人暮らし。職を失った息子がよく出入りし、母親の年金を使い込んでいた。やがて家は電気も止められ、食べ物も底を突く。そこでおばあさんは近所でもらった小麦粉を水で溶かして口に入れ、飢えをしのいでいたのだ。それでも息子を責める言葉はなく「働けなくてかわいそう」とかばうばかりで、福祉関係者は「介入のしようがない」とやりきれない。
親の年金を子が使い込む。世話をすると言って財産目当てで実家に戻り、介護は放棄したまま。そうした高齢者虐待が頻発している。親の死後も遺体を隠し、年金をもらい続けるといった事件も後を絶たない。親子がそれぞれ自立して暮らすことが、なぜこうも難しくなったのか。家族関係の変質とともに、働き盛りの子世代が就労意欲を失っているからだろうか。
不況で職と住まいを一度に失い、いま緊急避難的に親元に身を寄せる人は少なくない。地方で再就職先を探すのは以前より難しく、失業状態が長引けば心も生活もすさんでいく。経済のせいばかりにはできないが、しわ寄せが最も弱い人へと及びはしないか、気がかりだ。(生活報道センター)
毎日新聞 2009年2月18日 東京朝刊
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