わが輩も猫である

「うらはら」は心にあるもの、「まぼろし」はことばがつくるもの。

一般論はけっこう怖い=藤原章生

2009-02-26 | Weblog




 「イタリアの男って、変なのよ」。コロンビア女性(32)は夫がトイレに立ったすきにそう言った。ローマのピザ屋。イタリア人の夫(60)はメニューやウエーターの挙動に小言を言い、落ち着きがなく、彼女が余ったピザを持ち帰ろうとすると「みっともないから、やめよう」と懇願した。強迫観念のように、周囲の目を気にするというのがその女性のイタリア男性評だ。

 別の日。新婚のブルガリア女性(32)たちと語学学校で談笑していたら、10分おきにイタリア人の夫(52)から電話が入った。ついに彼女は電話を放り出し「イタリア男!」と顔をしかめた。妻の浮気を異常なほど心配すると言うのだ。

 二つの話をローマの女性(29)にしてみると「何よ、それ! 外国の女でしょ。お金のために結婚したくせに」とずいぶんむきになった。

 いずれの発言も一般論で、あまり当てにならない。人は外国に暮らすと、文化比較をしたくなるが、次第に大枠でものを語らなくなる。幾らでも例外がおり、ひとくくりにはできないと気づくからだ。一般論は単刀直入で耳に残りやすいが、長く反すうしていると、それを語った側の方に思いが至る。

 2人の外国女性は夫への不満を国籍の問題にすり替え、留飲を下げる。「そんな相手と暮らす自分は偉い」といった自慢やのろけもあるのだろうが、底には夫婦の日々の確執が隠されている。ローマ女性からは彼女の金銭への強い思いがうかがえる。一般論は集団を語るという本来の目的より、時に個人の心理、経験をさらけ出す点で優れている。「○○人は」と語る時は注意した方がいい。(ローマ支局)




毎日新聞 2009年2月15日 東京朝刊


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