銀の人魚の海

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夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアへ行く 名倉有里

2022-10-20 | 本、雑誌

著者、名倉有理。
82年生まれ、日本での高卒後、ペテルブルグ語学学校でロシア語を学ぶ。

モスクワ大学予備課を経て、ロシア国立文学大学に入り、

08年日本人として初めての卒業。

帰国後、東大院卒、文学博士。ロシア詩、ロシア現代文学。早稲田大学非常勤講師。翻訳も多数。

SNSを見る。戦争後ジャーナリスト的発信もし、活躍中。

これを借りたのは、あるノンフィクションの訳者だったから?何か書評からか・・

人とコミュニケーションはそれほど得意ではないとあったが

ロシア語を学ぼうと思うようになる高校時代。

バイタリティ溢れる行動に圧倒される。

特に知り合いもないロシアへ単身。途中、トランジットのデンマークで

飛行機が飛ばないことがわかるが、見知らぬ男性に助けられ、

無事にペテルブルグへ着く。

著書は、21世紀初め頃、ロシア文学学生としてのエッセイ、そしてロシア文学評論。

講義を受けた先生の話も多い。大学は厳しく宿題も多く図書館に通い、

本を読む毎日。寮で一緒の部屋、マーシャとは大親友になり、一緒に行動した。

日常のエッセイは読みやすい。ロシア文学は専門的なこともあり、

軽くは読めないが、久しぶりにロシア文学世界をめぐる本となった。

2月、戦争発生。ロシアが回りの国と、これまでどう接してきたか・・

その辺りも書かれている。

ロシアはサーカスの存在が大きい。ソ連崩壊後、サーカス団がおちいった

経済的危機。経営できず、食事せず飲酒だけ。接触障害になるなど。

サーカス団員は食事制限がある特殊な世界。

団員が寮の隣の宿泊所に住んでいた時期があり、様子をみていた。

その宿泊所で警官5人にレイプされた女性がいた。

ロシアでは最も警戒すべきは警官、と言われている。

街でお金をせびるは普通にあり、罪でないのに払う。

留学生のパスポートの期限など、おかしな言いがかりをつけてくる。

面倒なので払う人が多い。

殺人をおかしても正当化される警官、飲酒で仕事の警官、

ソ連崩壊後も警官礼賛が続き、そこにいるだけで偉い。

大学は全学年250名、5年制、4年で卒業も可。ロシアではしらない人がない大学。

モスクワ中心部に位置、元貴族屋敷が校舎。創作、翻訳、批評科の

3つに分かれている。

とんでもない先生との出会いが後に心に残る。文学研究入門のアントーノフ先生。

学内で有名、飲酒で講義。どこで飲んでいるの?生徒と同じ学生寮に居住。

教え方が上手く人気の授業。この先生との関係は卒業する頃、大きく問題?と。

フィクションのような、そのシーンは読ませた。当時40前後の先生の言葉は・・

2年になり半数が大学を去った。学費の問題などがある。

アルバイト、ベビーシッターをすることになった。母が日本人、父はフランス人、

転勤の多い仏の銀行勤務、母の母語の日本語でみてほしい依頼だった。

6,3歳の男児二人をみる。ロシア語は使わず、仏語も教えないでと言われる。

高級ホテルのようなドアマンがいる建物、豪華な住まい。

寮と比べ最新式家電がそろう。寮より50年先の家電。(^^)/

メイドさんは黒人、当時モスクワではまずいなかった。

寮の学生たちは、お金がなかった。学費は無料、本も無償貸与。

奨学金で残りの費用を出すので、食事も質素。

寮の部屋も初めはボロボロで放置されたいた。2段ベッドをもらい、

マーシャと少し綺麗にした。

アントーノフ先生に歴史図書館を教えてもらう。資料が豊富。

そこへ一人で毎日通う日々となり、先生も常連でよく会った。

マーシャにも教えたが、その時は仏語に全力をあげていたので興味を示さない。

3年になると専門性が高くなりアントーノフ先生の教え方も違ってきた。

20世紀のロシア批評史を学んだ。

大学時代にロシアとウクライナの戦争は言われても、笑い飛ばしただろう。

ウクライナ人とロシア人は家族のような関係。ウクライナからの学生もいた。

祖父母が住んでもいた。ベラルーシも同様、家族と変わらない。

恋愛事件。有里とアントーノフ先生の事を創作科の学生が小説に書き、

授業で「まだ結婚しないのですか・・」と皆の前でいい、周りがはやし立てる。

先生は、黙り20分早く講義を終えた。先生の講義ノートは大切な宝物だった。

18年、気になり大学のHPを見ると、先生の死去と追悼文がのっていた。

寮から追い出され、飲酒で火事?ホームレスと一緒に寝ていた?

それでも講義はしっかりしていた。学長が亡くなったことがきっかけで、

2月に体調をくずし、病院に。皆で看病した。身内はいないかったのか?

死は間違いなく真実だった。

卒業前。2つ書いた論文をアントーノフ先生に見てもらった時。小説のような物語。

「大切な内緒話」

論文の評価を依頼すると、彼は後日ゆっくり話すという。

約束した日、使われていない教室に入案内され、しっかり鍵をかけ、

論文を細かく評価、とてもいいという。嬉しかった。

先生は泣きそうな声で「あなたはすぐにたってしまうのですか?」

とまどい「あと2か月です」と返す。本当は先生とは何十年も話していたかった。

言葉が出てこない。長い沈黙。

「あなたのご活躍を祈っています」と一言だけ。もう夕方になっていた。

もしあの時・・~と私は感じた。

●これを読み、昔読んだ、チェーホフ「ワーニャ伯父さん」を読もうと思った。

多数のロシア文学が出てきた。知らない作家も多数。

40歳になる有里さん、ロシア語でユリは男性の名、ユーリか・・なので

覚えてもらえたと。ロシアでの学びが今の翻訳などへつながっていて素晴らしい。



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