銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
スヌーピー、ペコ、NICI、雑貨グッズ画像。

落下

2017-03-30 | 日々の雑感
春樹の小説を想起させる、国立で井戸に落ちた八歳女児、無事救助された。
中国では、子供が何かに落ちる、挟まるはよくあり、日本でもか!
井戸に!びっくり。
東京郊外で囲いもない井戸あるんだ。災害時には確実に役立つ。^ ^
蓋に乗り遊んでいて落ちた、八歳でか〜
遊び方少し考えようね。
時間も五時過ぎ、春休みだけど五時には帰宅しよう。

ケン ワタナベのマメな動き

2017-03-30 | 日本~映画 TV DVD 芸能人など
W文春を買ったら、謙 渡辺と書いた方がいいのかな?^ ^
不倫写真、記事が掲載、ゴシップスクープの文春、でも周りは、以前から知っていて黙認みたいね、

怪しい宗教にもはまったとかでそれで借金もか?ハリウッドの俳優のよう。
謙、私はどこかずるそう、裏がありそうで前から好きになれず、私より、かなり年下というのも、え!
それは白血病になったせいで老けてるのか、家族と彼の家族を話したら複雑なこと^ ^

一回目の女性との子供が二人で、あん、という名前、女優、よく知らない、
息子は売れてない俳優、セブンライツも無理、と。

離婚後、すぐ再婚、三谷幸喜みたい^ ^
南果歩という人も知らないが、彼女は元、辻仁成の妻で息子がいて、それは謙と一緒に育てた?

という事は、三人の子供、父、母は違うが五人一緒に暮らしてたのか?
南果歩は乳がんだとかで、謙も白血病から何かの癌が再発?
でも元気良く若い女性と巧みに、世界各地で会っているようで、すごい〜
真面目風は違い、かなり女好きとあった。
そうか、それなら、そろそろ次の女性をよね。
王様、マメに動いてください。

逃走

2017-03-30 | 日々の雑感
池袋駅で痴漢の男がホームから飛び降り、線路を走り逃走。
こういうの前にもあった。
線路を走っているから、電車も止めたかで遅れたよう。

痴漢は犯罪、さらに電車も停めてって走る〜〜
痴漢も命がけ(−_−;)
風俗行けばいいのにね。
お金が無いか痴漢嗜好。

私も学生時代、何十回、もっとか、痴漢にあったが、
ホームを走る痴漢は当時いるわけもなく、女がただ我慢の時代だったな〜
痴漢が線路を走る時代に。

口笛の曲が~

2017-03-30 | ピアノ・音楽
FMをつけたら、口笛の曲が、とてもお上手!

クラシック曲を口笛で、CD出てるのね~

春のことりのさえずりみたい。かわいい~

男性の方かな~

ホント鳥のさえずりのよう。。。

肺活量はかなりつかいそう!

吹いている方は、レオ・エーデ?ちょっと聴き取れず。

曲はモーツァルト、ベートーベン、メンデルスゾーンなど。

お父さんみてますか NHKスペシャル

2017-03-30 | ドキュメンタリー NNN、Nスぺ、ガイア、BS世界のドキュメンタリー~など
20日頃放映NHKスペシャル お父さんみてますか、から。

当日あたりに、少し書いた。

大槌で親子三人で仲良く暮らしていたある家族。

息子は四歳、共働き、父はガソリンスタンド勤務、

大槌、海の近くだったろう。

津波で流され36歳で亡くなった。

家も流されたので思い出の品はほぼない。

震災から四年間の母と息子の記録をおった。

息子は三浦和葉君。

妻は夫が亡くなりショックで仕事もやめ、仮設から出ない生活になった。
引きこもり状態。

和葉君まで死んでしまわないよう、

入学後スクールバスまで必ず迎えに行き、手を離さず帰宅。

外遊びもケガなどで不安、包丁ももたせない、

どこかで怪我をするのではとすぐ思い、何もさせられない。

もうかなしい思いをしたくない。

夫の事を涙を見せつつこう語った。

一つ年下だが、何でもしてくれ、頼れる、やさしいいい人だった。

息子もかわいがり、夜は手をつないで寝た。

「いい人ほど早死にするという」が、それがあたってしまったと。

とても夫に愛情を持ち、生活していた事がわかる語りだった。

死をまだ受け止められない。

息子にうまく言えない。

写真も飾れない。辛い。遺影は家においていない。

母は簡単に言ってしまえば、長いPTSDにかかっていると言えるのだろう。

何をしていても不安が押し寄せる。

和葉君は父がいなくても日々成長している。

父の顔を忘れてしまうと言う。写真がないから。

写真は、瓦礫泥の中から見つかったものだけ。

NHKの取材のきっかけは、震災二年後大槌にできた、

子供夢ハウスでのこと。

児童養護施設勤務経験のある男性が心と身体のリハビリをと、

学校が終わってから来られる施設を作った。

学童みたいに、遊んだり、食べたり。

なんでもできる場所を。

しんさいの心の傷を回復するために。

そこから、三浦さん母息子を知り、二人の取材を始めた。

和葉君はそこで遊んでいた。

遊んでいても、急に大人の膝の上にきたりする子だった。

父の事は語らない。母が話さないし写真もない。

慰霊祭にも出たくない気持ちが続いていた。

大槌に手作り遊園地のようなものができ、

そこで元気に遊ぶ和葉くんを見て、だんだんと母も変わる、

変わっていこうと努力して行く。

涙をみせながらも。

祖母(たぶん父の母)もそばにいるが、ずっと二人で仮説暮らし。

昨年、十歳の頃か、やっと和葉君と父の事を少しだけ話す。

かずは君は、顔も忘れそうーと。

その言葉から母は先を見て生きて行く姿勢が、だんだんと芽生え、

息子の成長と、父のように優しい男性になってほしいと願うようになってくる。

ようやく父が亡くなったガソリンスタンドを2人で訪ねることができるように。

更地で今は何もない。

お父さんは、ここで家族のために働いていたんだよ、という母。

和葉君もうなずく。

最近、母は、夢ハウスで働くことになった。

やっと普通に外へでられるように。

六年経過し息子も十歳、大きくなり荷物も持ってくれると言う。

いいなー息子は、と感じた。

これからも、2人で仲良く元気で!

お父さんのように、優しい男性に成長してね。