20日頃放映NHKスペシャル お父さんみてますか、から。
当日あたりに、少し書いた。
大槌で親子三人で仲良く暮らしていたある家族。
息子は四歳、共働き、父はガソリンスタンド勤務、
大槌、海の近くだったろう。
津波で流され36歳で亡くなった。
家も流されたので思い出の品はほぼない。
震災から四年間の母と息子の記録をおった。
息子は三浦和葉君。
妻は夫が亡くなりショックで仕事もやめ、仮設から出ない生活になった。
引きこもり状態。
和葉君まで死んでしまわないよう、
入学後スクールバスまで必ず迎えに行き、手を離さず帰宅。
外遊びもケガなどで不安、包丁ももたせない、
どこかで怪我をするのではとすぐ思い、何もさせられない。
もうかなしい思いをしたくない。
夫の事を涙を見せつつこう語った。
一つ年下だが、何でもしてくれ、頼れる、やさしいいい人だった。
息子もかわいがり、夜は手をつないで寝た。
「いい人ほど早死にするという」が、それがあたってしまったと。
とても夫に愛情を持ち、生活していた事がわかる語りだった。
死をまだ受け止められない。
息子にうまく言えない。
写真も飾れない。辛い。遺影は家においていない。
母は簡単に言ってしまえば、長いPTSDにかかっていると言えるのだろう。
何をしていても不安が押し寄せる。
和葉君は父がいなくても日々成長している。
父の顔を忘れてしまうと言う。写真がないから。
写真は、瓦礫泥の中から見つかったものだけ。
NHKの取材のきっかけは、震災二年後大槌にできた、
子供夢ハウスでのこと。
児童養護施設勤務経験のある男性が心と身体のリハビリをと、
学校が終わってから来られる施設を作った。
学童みたいに、遊んだり、食べたり。
なんでもできる場所を。
しんさいの心の傷を回復するために。
そこから、三浦さん母息子を知り、二人の取材を始めた。
和葉君はそこで遊んでいた。
遊んでいても、急に大人の膝の上にきたりする子だった。
父の事は語らない。母が話さないし写真もない。
慰霊祭にも出たくない気持ちが続いていた。
大槌に手作り遊園地のようなものができ、
そこで元気に遊ぶ和葉くんを見て、だんだんと母も変わる、
変わっていこうと努力して行く。
涙をみせながらも。
祖母(たぶん父の母)もそばにいるが、ずっと二人で仮説暮らし。
昨年、十歳の頃か、やっと和葉君と父の事を少しだけ話す。
かずは君は、顔も忘れそうーと。
その言葉から母は先を見て生きて行く姿勢が、だんだんと芽生え、
息子の成長と、父のように優しい男性になってほしいと願うようになってくる。
ようやく父が亡くなったガソリンスタンドを2人で訪ねることができるように。
更地で今は何もない。
お父さんは、ここで家族のために働いていたんだよ、という母。
和葉君もうなずく。
最近、母は、夢ハウスで働くことになった。
やっと普通に外へでられるように。
六年経過し息子も十歳、大きくなり荷物も持ってくれると言う。
いいなー息子は、と感じた。
これからも、2人で仲良く元気で!
お父さんのように、優しい男性に成長してね。