【相模国風土記稿】に藤沢宿の記載が有り、
〉東海道往還、宿内に係る事屈曲して30余町に及べり、
〉往還中、民戸連佳する所12町17間、
〉道幅3間或は5間に至る。
早い話が、藤沢宿の道幅は5.4m(3間)から 9m(5間)である!
当時としては、破格の道幅です。
9mの無駄に太い道があったんですね、、、
これは、東海道としての道幅ではなくて、、
防火帯としての、火災の延焼を防ぐための空間で有った訳です。
その空間を広小路と称する訳です。
日本の三大広小路と言うのが有ったそうで、、、
三大広小路
上野広小路、
名古屋の広小路
藤沢広小路
更に、この藤沢広小路は、クランク的に曲がっており、
東海道でも特異な場所で在ったそうな、、
この広小路を称して「三曲がり」と言う名所で有ったそうです。
その様な訳で浮世絵にもなって残っているのが、上図の浮世絵と藤沢広小路の解説です。
問題は、この明治時代の地図なんですが、、、
左は明治の後期で、 右は明治の初期と思われます。
注目点は、
緑字のA. B. C. なんですが、、、
東海道を、明治政府が改造している途中が見れるわけです。
本来は細い東海道を 太くて車両を通せる道路に改造しようとしている痕跡です。
如何でしょうか??
〉東海道往還、宿内に係る事屈曲して30余町に及べり、
〉往還中、民戸連佳する所12町17間、
〉道幅3間或は5間に至る。
早い話が、藤沢宿の道幅は5.4m(3間)から 9m(5間)である!
当時としては、破格の道幅です。
9mの無駄に太い道があったんですね、、、
これは、東海道としての道幅ではなくて、、
防火帯としての、火災の延焼を防ぐための空間で有った訳です。
その空間を広小路と称する訳です。
日本の三大広小路と言うのが有ったそうで、、、
三大広小路
上野広小路、
名古屋の広小路
藤沢広小路
更に、この藤沢広小路は、クランク的に曲がっており、
東海道でも特異な場所で在ったそうな、、
この広小路を称して「三曲がり」と言う名所で有ったそうです。
その様な訳で浮世絵にもなって残っているのが、上図の浮世絵と藤沢広小路の解説です。
問題は、この明治時代の地図なんですが、、、
左は明治の後期で、 右は明治の初期と思われます。
注目点は、
緑字のA. B. C. なんですが、、、
東海道を、明治政府が改造している途中が見れるわけです。
本来は細い東海道を 太くて車両を通せる道路に改造しようとしている痕跡です。
如何でしょうか??