私の役をまっとうする。主役も脇役も存在しない。

2019-08-23 18:50:43 | 願い事の叶え方
そういえば。

つい最近、同僚と保育園の話になって。


私がむかーし、りくまるを入れたいと熱望した保育園は、

・保育士は師ではないので先生と呼ばずにさん付けする
・食事やおやつを挟んでもまた遊びの続きができるように、食堂を設けている
・手芸やクッキングは、参加したい子だけ、参加したい部分だけでOK

という、何とも自由な保育園でして。


見学時には、カセットコンロとフライパンでちょうどホットケーキを焼いてる子がいたんですが、
「出来上がった頃に、食べにくるだけの子もいるんですよ」と職員が笑っていて。

焼くだけ焼いて食べない子もいたり、
ただ見に来るだけの子もいるけど、
子ども自身に任せているんだって話してました。

だから、年長児が刺繍したポシェット作品なんかも、
全員分は飾ってなかった。
すごく珍しいよね。
同僚いわく、モンテッソーリの教育方針じゃないか、と言うんだけれど、園長がそういう考えの人だったのかも。




これね、思うんですけど、
全員がそれぞれの役割を担ってる、んですよね。


その役割に優も劣もなくて、
その子その子が、自分の役をやっているだけ。


全員が主役!っていう、ぎらぎらしたものじゃなくて、
全員が繋がって、その役割をまっとうしている。
その役割に、主役とか脇役なんていう概念もないの。


それってさ、

『人間はみな分子。繋がっている』

に通じるものがあるなと思ったんです。


大気中の酸素と窒素と二酸化炭素と、
どれが一番優れていて、私が主役!とかないじゃないですか。
みんな主役!もない。
(主役という概念には、そうじゃないものが存在するから)


皆でただ存在している。
繋がって、大気を作っている。


自分の役をまっとうしている。

ただそれだけ。



何かに
優!劣!
勝ち!負け!
正しい!間違ってる!

を付ける生き方は、しんどいし、豊かにはなれない。



そんなことを感じて、

私の前で起こる出来事も、全て繋がっているんだなぁ…と思った。

そしてそのどの出来事にも、
優劣はないのだ♡



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