MIHOの旅

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ドイツ・スイス・フランス周遊旅行 その4 ハイデルベルク城(1)編

2011-05-15 05:25:18 | ドイツ・スイス・フランス旅行
メルフェルデンからハイデルベルクは約86kmの距離です。
バスで1時間半ほどを走りました。

ハイデルベルクはマインハイムから始まる古城街道にある町です。
古城街道はこんな感じでした。


ハイデルベルクはウキペディアに、
ライン川とネッカー川の合流点近くに位置する都市で、旧市街を見下ろす高台にプファルツ選帝侯の
宮廷であった城跡や、ドイツで最も古い大学ループレヒト=カールス大学があり、
世界中から観光客や学者を惹きつけていると書いてありました。
その通りの街だと思います。

駅前は近代的な都市ですが、旧市街地は赤レンガが美しい街並みです。




初めにハイデルベルク城を見学しました。
写真はハイデルベルク城から見た旧市街地の街並みです。


ハイデルベルク城は中世の城塞から13世紀にプファルツ伯の居城の城館へ変わり、
その後、大規模な拡張を続けたそうです。ですので、時代によってゴシック、ルネッサンス、
バロックとさまざまな建築様式が混ざっているとか。
尚、有名な逸話。フリードリヒ5世は、妻でイギリス王女のエリザベス・ステュアートが
嫁いできた時にその身分にふさわしい宮廷生活を送れるようにと、庭園を設けたそうです。

これがその庭園。今はただの広場?


これはエリザベートの門と呼ばれる門。一日で完成させたとか。
門の上に獅子がいます。当時、強さを示すのに獅子は使われていたそうです。
後に獅子はハイデルベルクの紋章にもなりました。


ハイデルベルクの紋章です。


時計がついている建物は城門塔。ハイデルベルク城は1622年の三十年戦争時にティリー伯によって、
1689年と1693年にプファルツ継承戦争時にフランス軍によって、とどめに1764年の落雷による
火事で破壊されました。現在は修復されつつありますが、廃墟のままのところも多いです。
城門塔は城の中で唯一助かった塔。


ロンデルとよばれる半円砲塔跡。
像の二人は左の人がルードヴィッヒ5世、右の人がフリードリッヒ5世。
ルードヴィッヒ5世が敵に攻め込まれないように大砲などを置き、防御の塔を作ったのですが、
フリードリッヒ5世がエリザベスのために庭園を作った時に大砲を撤去し、それが原因で後に
フランス軍にやられてしまうことになりました。
その二人の像が置かれています。




この手前にゲーテ記念碑があったのですが、写真がない…
恋多きゲーテ66歳の時の24歳の恋人マリアンヌが「愛されてしあわせ」という内容の
詩を作ってたそうで。
フランクフルト生まれのゲーテはハイデルベルクの街が大好きだったので、後世の街の人は
その詩を碑にしたそうです。
尚、実際はハイデルベルク城の修復にはゲーテの描いた写生が役立ちました。
そういう繋がりでゲーテはハイデルベルク城と縁深く、後世の人が碑を作ったそうです。